2-8 黒翼は飛翔する
「く……っ!」
オレの体は暗闇の中をひたすら落下し続けていた。
ヴェルンハルデを探そうと目を凝らすが、光源が少なく周りがはっきりと見えない。
地面に叩き付けられるまでにどれ程の猶予があるだろうか。
一刻も早く対処しなければ命はない。
焦りながらヴェルンハルデの姿を求める。
下にはいない。前後左右にもいない。ならば上か?
顔を上げれば予想違わずライトに照らし出されるヴェルンハルデの姿があった。
あちらも同様にオレの存在に気付いたのだろう。
闇の中の紅い双眸がオレの姿を補足する。
「「掴まれ!」」
オレはヴェルンハルデの方に目一杯手を伸ばした。
風を操れば人間一人を抱えた状態でも飛べる。
しかし不可解なことに、飛ぶ手段などないはずのヴェルンハルデもまたオレと全く同じことを言い、手を差し伸べてくる。
どういうことだ? と訝し気に思うも、その疑問はすぐさま氷解した。
ライトの光に照らされ、ヴェルンハルデの背中に黒いシルエットが浮かび上がる。
つやのあるコウモリのような漆黒の翼。
それが焼け跡のある彼女の衣服の背中から広げられていた。
悪魔を連想させるその翼をもつ種族はこの世界には一つしかない。
それはすなわち――魔族。
期せずして発覚した『煌炎』の異名で名を馳せる少女の正体に思考が硬直する。
手をヴェルンハルデの方に中途半端に泳がせたまま行動が停滞した。
なんで魔族が人族の国で冒険者をやっている……?
いや馬鹿か、そんなのは後回しだ!
今は背中の白い肌と黒い翼のコントラストに見惚れてる場合じゃない!
オレの反応は織り込み済みだったのだろう。
ヴェルンハルデは翼を力強くはためかせると急速に接近し、伸ばされた手を掴み、見た目にそぐわない馬鹿力でオレを引き寄せた。
命の瀬戸際だというのに間近で魔性の美貌にあてられドキリとさせられる。
「……これまた随分と豪勢に降ってきたものだな」
呟きにつられて見上げると多数の岩石が崩れ落ちてきていた。
暗くてその数ははっきりとわからないが、とても避けきれる数ではない。
中には三、四メートルほどの大きさのものもある。
上に戻るのは自殺行為だ。
同じ結論に至ったのか、ヴェルンハルデは落下スピードを緩めることなく急降下。
耳のそばで風切り音がうるさく鳴り響く。
とてつもない加速を得たせいで、体の中身がなくなったような嫌な浮遊感を覚える。
遊園地にあるような垂直に落下するアトラクションに乗っているようだ。
安全装置などない命がけのアトラクションだが。
ヴェルンハルデに抱きしめられる格好であるせいでオレ視点では背面方向に加速しているし、加えて飛行制御も他人任せだ。
飛ぶことには慣れているが、これは怖い。
幸いなことに、オレたちが落ち続けている穴は結構な深さがあるようだ。
それでもいつかは行き止まりにぶつかる。
そうなれば逃げ場はなくなり、オレもヴェルンハルデも上から降ってくる岩石に押し潰されるか、地面と衝突するしかなくなる。
オレは何か手立てはないかと首をひねって辺りを見回した。
「動くな! 飛びにくい!」
「絞めるな! 息が出来ない!」
ヴェルンハルデの鋭い叱責にオレの悲鳴じみた抗議が重なる。
常にクールでドライな彼女もこの状況にはいくらか追い詰められているらしい。
普段ほど声に余裕がなく、オレを抱える腕にも過剰な圧力がかかっている。
って何だこれ、マジで背骨が折れそうだ!?
このままだと美少女の胸の内で息絶えるという幸せな死に方をしてしまう!
オレは呼吸できるだけのスペースを確保し、僅かに身を乗り出す。
たとえヴェルンハルデがバランスを崩し、飛行に支障をきたしても、その時はオレが代わりに風魔法で飛べばいいという思惑もあった。
ライトのか細い光を頼りに注意深く周りを観察していく。
視界の端に壁にぽっかりと穴が開いている場所があるのを見つけた。
光の具合で壁の模様を見間違えたのかとも思ったが、確かに横穴がある。
「っ、ヴェルンハルデ! あそこだ! あそこの横穴に飛び込め!」
ヴェルンハルデはオレが指で示した方向に存在する横穴を確認する。
続いてオレの顔を何かを推し量るような表情で見た。
彼女は静かに息を吐きだすと、進行方向を横穴のある方へと変えた。
下方向への加速がなくなったために、先ほど引き離した岩石が再び追い付き始め、そのいくつかがオレたちのすぐ傍を掠めていく。
「……ちっ」
ヴェルンハルデは舌打ちを一つすると、一度上を仰ぐ。
雨のように降り注ぐ岩石群をじっと睨みつけ、飛行スピードをさらに上げる。
「強行突破するつもりか!?」
「他にどうする! 貴様はせいぜい振り落とされないようしがみついていろ!」
そう言い捨てると、ヴェルンハルデは剣を抜いた。
魔法金属を使っているのか、闇に溶け込むような真っ黒な刀身だ。
眼前に迫った身の丈を越す落石をヴェルンハルデが剣の一閃で真っ二つに砕いたのを皮切りに息もつかせぬ攻防が始まった。
怒涛の落石の中を複雑な方向転換と速度の緩急で掻い潜る。
それでも回避できない時は剣で道を切り開く。
針の穴を通すような飛行ルートを飛びぬける。
凄まじい動体視力と反射神経だ。
いつでも魔法の援護をできる準備を整えていたが、余計な心配だったらしい。
完璧な回避動作はエアリスの危険察知を彷彿とさせた。
ついに一つの落石にも被弾することなく横穴まで滑空する。
昔使われてた古い坑道だろうか、暗い道がどこまでも延々と続いていた。
飛び込んでから数秒後、後ろで地鳴りのような轟音が響く。
落石が地面に到達した音だろう。
「どうにか生き延びたな……悪い、助かった」
安堵の息を吐きながら、ヴェルンハルデに礼を言う。
どうやらかなりギリギリだったようだ。
あのまま飛んでいれば、そう遠くないうちに地面に衝突してしまっていた。
ヴェルンハルデの突破力なしで切り抜けられたかどうか。
まあ、元はといえば彼女の不用意な炎魔法が発端となったとも言えるが、あれを予測しろというのは酷な話だ。
エアリスは大丈夫だろうか……。
岩盤の崩落には巻き込まれていなかったが、心配だ。
早く会って安否を確かめたい。
「このまま地上まで飛んでいってくれ」
「ああ――それは無理だ」
否定するヴェルンハルデの声は凍てついていた。
これまでとは比べ物にならないほどの冷たさにオレは強い違和感を持つ。
だが、その違和感が何かということに気付く前に事態は動いた。
オレの身体に回されていたヴェルンハルデの手がオレのローブの襟首に伸びる。
掴まれたということを認識した次の瞬間、視界が反転した。
投げ捨てられたのだ。
「――なっ! がああああああああああっ!?」
一瞬の浮遊感を経て、オレは硬い坑道の地面に迎えられた。
空中にいた時の加速で慣性の法則がもれなく働き、十数メートルほど地面をこする。
小石や礫が容赦なくローブ越しに突き刺さり、激痛が蝕んだ。
何度も激しく転がりようやく勢いが止まる。
体を打ったダメージと地面を転がったことによって発生したダメージにあえぐ。
少し離れたところに誰かが降り立つ気配を感じた。
顔を上げるとヴェルンハルデが感情の消えた表情でオレの事を見下ろしていた。
「ヴェルンハルデ……お前一体、何を。うっかり手でも、滑らせやがったか」
オレは焼けるような全身の痛みに顔をひきつらせながら責める。
しかし、ヴェルンハルデはオレの言葉を無視すると、相変わらずの冷たい声で、全てを拒絶するかのような雰囲気を纏い、問いかけてきた。
「貴様は今、私に言うべきことがあるのではないか?」
「オレにはお前が何を言いたいのか、さっぱりわからないんだけれど」
「この期に及んでしらばっくれるつもりか?」
言うべきこと? しらばっくれる?
何の事だ。落とされたことに対する文句なら山のようにあるぞ。
謝罪ならお前が言うべきだし、なんならしらばっくれているのもお前だ。
「貴様がどうして痛い目に遭わされたか、わかっているはずだ」
「お前がドジだからだ」
「違う」
「地上までの足代わりに使おうとしたのがむかついたとか?」
「私はそこまで狭量ではない」
「あとは不可抗力でお前の胸を……触ったような、触ってないような。どうだっけ? 微かなふくらみはあった気がするけど感触が思い出せない……」
「どうやら新たに貴様を八つ裂きにする理由ができたようだ……!」
しまった、いらぬ感想まで自ら暴露してしまった。
なんて巧妙な誘導尋問なんだ。
「はっ!? まさかオレを亡き者にして猫耳を独り占めするつもりか!?」
「………」
「おい、今のつっこむところだぞ」
黙られたら真実味を帯びるじゃねーか。
そんな理由で豹変されて、痛めつけられたらたまったものじゃない。
猫耳愛好家同士仲良くできると思ったのに。
所詮は奪い合うことしかできない敵なのか。
何のために猫耳が二つあるのか、そして人は分け合う優しさを持つことができるはずだと、オレがヴェルンハルデに説こうとするが、
「いい加減、誤魔化すのをやめろ! 私のこの翼……いや、正体についてだ。すでに察しがついているのだろう! 私が何者なのか!」
「あ……ああ、その姿を見ればヴェルンハルデが魔族だってことはわかる。けど、オレはお前が魔族だからと言って気になんてしないぞ? 知った時は驚いたけど、珍しいなってぐらいで、もちろん周りに言いふらすなんてことも」
「――黙れ」
押し殺した声で呟くヴェルンハルデの体から濃密な殺気があふれ出た。
いくら殺気と言えど、所詮はただの『気』。
感覚的なもののはずだ。
だが、彼女のそれはすでに物理的な作用を伴うまでの域に達していた。
足元に散らばる小石がカタカタと微振動を起こし、空気が震える。
「その程度で済むわけあるか。助かりたいからといって適当なことをぬかすなよ」
「ヴェルン、ハルデ……?」
「人族と魔族だぞ。水と油以上に相容れない組み合わせだ。気になんかしないだと? 信じられるわけあるか、そんな戯言」
ヴェルンハルデはギロリと殺気だった目で睨み付けてきた。
その視線は完全に敵に対して向けるものだ。
オレを明確な敵だと断じている。
「お、オレは……」
オレは……楽観視していたのだろう。
人族と魔族の確執の根深さを。
人族と魔族との間で長きにわたって戦争を繰り返してきた。
その爪痕は今もまだ生々しく残っている。
魔族が街に現れれば、目的が何であれ有無を言わさず討伐を行われるらしい。
人族にとって魔族とは、もはや魔物に等しい存在なのだ。
そして、それは魔族にとっても同じこと。
人族は彼らにとって不倶戴天の敵。
またもしも仮に、ヴェルンハルデが見た目通りの年齢でないとしたら、十五年前の人魔戦役に参加していたとも考えられる。
そこで多くの人族を殺し、多くの同胞を人族に殺されていたとしたら。
ならば嫌わないわけがない――人族を。
ちょっとやそっと話したぐらいで、わかりあえるわけがない。
目の前の少女にとってオレはどこまでも憎むべき人族の一員でしかないのだ。
ヴェルンハルデがザリッと地面を踏みしめる。
何の変哲もない一歩なのだが、止めなくてはいけない気がした。
それ以上踏み込ませては何かが手遅れになると、はっきりとした直感があった。
「待て! オレはお前と戦うつもりはない!」
「それは好都合だ。余計な手間が省ける」
戦意がないことを軽く手を掲げることで示すが、その歩みは止まらない。
ヴェルンハルデは致命的なラインをあっさりと踏み越える。
戦いは避けられないようだった。




