2-6 『煌炎』ヴェルンハルデ
ひとまず大規模侵攻の脅威が去ったことを確認したオレはギルドに向かった。
つい数時間前の正門で何が起きたのか情報を得るためだ。
誰がやったのかという心当たりは一応なくはない。
昨日正門付近ですれちがった冒険者と思われる赤髪の少女。
おそらくは彼女の仕業だ。
彼女が炎属性の自然魔法で辺り一帯を魔物ごと燃やし尽くしたに違いない。
赤という色的にもそんな感じがする。
というか、オレをごみ箱に投棄したのも彼女の仕業じゃないだろうか。
正門付近の住人の避難はほぼほぼ完了しており、周りには他に誰もいなかった。
状況的に見てかなり怪しい。
まあ、聞いてみればすぐにでもわかることだ。
赤髪の少女も、それにエアリスも冒険者ギルドにいるはずだと考えて足を急がせる。
およそ十分後、オレはギルドの建物に着く。
中からは複数の声が漏れてきている。
冒険者たちが祝勝会とばかりに酒盛りでもやっているのかもしれない。
大規模侵攻を乗り越えられたのが嬉しいのはわかるが、行方不明のオレを捜索してくれてもいいだろうにと嘆きながら、オレはドアを開けた。
「……どういう状況だ……」
目に飛び込んできた光景に理解を放棄して問う。
エアリスが赤髪の少女に猫耳としっぽをモフられていた。
相棒の猫耳剣士は少女の膝の上に固定され、何かを耐えるような顔。
その顔は羞恥で紅潮していた。
主人がペットの猫を可愛がっているという構図が近いか。
本当に何がどうしてそうなった。
「ユーマぁ……」
オレが立ちつくしていると、こちらの姿に気付いたエアリスが助けを求めるかのような弱々しい声音で名前を呼んできた。
よく見るとやや涙目で、顔もほのかに上気して色っぽい。
「……お前、人の猫耳に何やってるんだ?」
一心不乱にエアリスの猫耳をモフり続ける赤髪の少女に声をかける。
若干、百合が入ったようなその光景をもう少し眺めていてもよかったが、あの猫耳に触っていいのはオレだけだ。
というかしっぽなんてオレも触ったことないんだけど。
「む? 貴様は……どこかで会ったような」
少女はその赤い瞳を細めて、オレの顔を眺める。
一日前に会ったばかりだというのに、すでにオレの顔は消去済みなのか出てこない。
そのまま一分ほどじっくりと眺め、ようやく少女の顔に閃きが走る。
「……ああ、そうだ。思い出したぞ。確か十五年ぐらい前に、世界の命運をかけて私と死闘を繰り広げたあの者に似ているな。もしかして貴様はその息子か?」
「オレの親とお前の間にそんな壮絶なエピソードは存在しねーよ!?」
十五年前じゃなくて一日前を思い出せ。
そもそもオレの親は今も昔もこの世界に存在していないはずだし、ましてや世界なんて大仰なものも背負っていなかったはずだ。
オレの否定に赤髪の少女は再び思考の海に潜り込んだ。
冗談だったんだろうか?
真面目な顔をして言うから判別しにくい。
「………」
赤髪の少女は考えている間もエアリスの猫耳はモフりっぱなし。
猫耳を伸ばしたり畳んだりして遊んでいる。
一向にやめる気配はなく、やりたい放題やっていた。
しかし、なぜエアリスはされるがままで抵抗しないのだろう?
涙目ではあるが、抵抗するそぶりが見られない。
浮気なのか?
寝取られたのか?
最初は嫌だったけど、だんだん気持ちよくなっちゃったとか、そういうことなのか?
そんなことを危ぶんでいると、やがて少女が思案を終える。
「ならば知らんな」
「いや、もう少しだけ思い出す努力をしてくれ」
「しつこい。知らんと言っているではないか。貴様のような生ごみ、投棄した覚えがない」
「思いっきり覚えてるじゃねーか!」
犯人しか知りえない情報をあっさりげろった。
間違いなくギルティ。
「お前! 一体オレに何の恨みがあってあんなことしやがった!」
「恨み? はて……ああ、そうそう私の胸が小さいとかふざけたことを抜かして侮辱をしてきたではないか。よもや忘れたとは言わさんぞ?」
「今お前、思いっきり忘れていただろうが!?」
ドスを効かせて凄む少女だったが、いろいろ手遅れだった。
ユーモアのきいた性格にしては表情を一切崩さないが……。
初めて会った時のような威圧こそしてこないが、ひたすら冷めた眼差しを送ってくる。
燃え盛るような見た目だが、凍えるような冷たさだ。
「っていうか、お前誰だよ。勝手に人の猫耳に手を出してんじゃねーぞ」
「はっ、貴様のだと? 戯言を。この猫耳は他でもないこの私のものだ」
「どっちも違うから!? 誰のものでもないから!」
張り合うオレたちにエアリスの叫びが割って入る。
それから落ち着きを取り戻すと、
「彼女が誰かなんてもう周知の事実でしょ。Aランク冒険者『煌炎』ヴェルンハルデ。ユーマも正門での戦いを見てたんだから、それぐらい……見てたわよね? そう言えば今日、ユーマの姿を見かけなかった気が……」
「いやいや、もちろんいたよ? さっきまでは所用でちょっと外してたけども」
危ない、危ない。
もし大事な戦いに遅刻したとエアリスにバレたらどんな蔑みの目で見られることか。
額の汗を拭っていると、ヴェルンハルデが意味ありげに片眉をあげた。
こいつ、弱みを握ったとでも思ってんのか?
そもそもお前のせいだからな。
「どうした? Aランク冒険者だぞ。驚きひれ伏せ」
「あいにくオレは何度も伝説のゴブリンの王と対峙しているんだ。今更Aランクごとき、驚くに値しないんだよ。もう一つランクを上げて出直してこい」
「は? 伝説のゴブリンの王だと?」
何を言っているのだこいつは、とでも言いたげな表情をするヴェルンハルデ。
しかし、心当たりがあるのか首をひねる。
「どこかで会ったことがあるような気もするが、いまいち思い出せんな」
「どうせ十五年前に世界の命運をかけて戦ったとかなんだろ」
「……まあ、大方そんなところだ」
適当なオレの合いの手をヴェルンハルデもまたおざなりに返す。
本当にこいつはあの大規模侵攻を一人で退けたAランク冒険者なのだろうか。
疑惑の目でヴェルンハルデを見ていると、
「そっちの彼はユーマ。さっき話したあたしのパーティーメンバーよ」
「ちっ……やはりな。しかし、よりにもよってこんな男とは」
「何の話だ? さっぱり見えてこないぞ」
エアリスの紹介にヴェルンハルデは面倒そうに舌打ちをする。
会話の流れを掴めずオレが怪訝そうにしていると、エアリスが経緯の補足をくれた。
「これからこの三人で鉱山にミスリルを採りに行くことになったわ」
「ミスリル……? また唐突だな。ヴェルンハルデに大規模侵攻の手柄を根こそぎ持っていかれて、ついに盗掘に手を染める決意をしちゃったのか?」
「人聞きが悪いわね。そんなことするわけないでしょ。しかるべきところにちゃんと許可はとってあるわ。まったくどこからそんな危ない発想が出てくるのやら」
「間違いなくお前からだったが」
話が進みそうにないので、それ以上つっこむことはしない。
「今回の大規模侵攻でレストアに押し寄せてきた魔物は鉱山からあふれ出てきたでしょ? その原因が何なのかこれから調査に行くのよ。その見返りというか、特典として鉱山内で手に入れたミスリルは自分のものにしていいって」
「だったらミスリル採取じゃなくて調査がメインなんだろ……。にしても随分と太っ腹だな。事が事だから仕方がないのか」
今回の大規模侵攻は高ランク冒険者が通りかかるという望外の幸運に恵まれたおかげで、犠牲者ゼロという拍子抜けする結末に終わったが、再発の可能性があるとなると冒険者ギルドとしても放置してはおけない。
第二波、第三波が来るようでは街の住人も安心して生活できないだろう。
あるいは再発の危険がないということを住人にアピールしたいがために鉱山の調査を依頼したのかもしれない。
とは言え大規模侵攻の原因となった鉱山を調べるとなると、危険が付きまとう。
これぐらいの報酬をちらつかせないと、誰も引き受けようとは……いや、それでもなお誰も食いつかなかったからオレたちにお鉢が回ってきたのか。
「剣はミスリル鉱石そのものが手に入るから、新しいものを打ってもらう予定よ」
「オーダーメイドにするのね」
あのミスリル剣も完全に満足のいくものではなかったと言ってたしな。
一から作るならその辺も細やかに調整できるし、材料があれば既製品よりいくらか安くなるだろうから費用面も解決する。
「正確には鉱山の調査を依頼されたのは私だがな。エアリスがどうしても同行させてくれと頼むから、猫耳としっぽを触らせることと引き換えに了承したのだ」
ヴェルンハルデがエアリスの説明にそうつけ加える。
どおりでエアリスが大人しくされるがままにモフられていたわけだ。
ミスリル剣ゲットに必死過ぎる……。
「エアリスには、もう一人仲間がいるからそいつも今回の鉱山調査に参加させてほしいと言われていたのだが……」
ヴェルンハルデは品定めするような鋭い視線でオレを一瞥する。
貴様は邪魔だ、とでも言いたげな刺々しい態度だ。
「貴様は死ね」
予想を軽く上回ってきた。
「エアリスに並べる程度の実力を持っているならばともかく、貴様ごときではかえって私の足手まといだ。おとなしくごみ箱へ帰れ」
「ごみ箱がオレの故郷みたいに言うな。お前が詰め込んだんだろ」
「道端にごみが落ちていたら誰だって捨てる」
ヴェルンハルデはニコリともせず言う。
もしかしたら彼女は冗談抜きでオレをごみと認識しているのかもしれない。
だとしたら早急に認識を改めさせる必要があるな。
「でもエアリスはともかく、なんだな。お前、こいつの力を知ってるのか?」
「立ち振る舞いを見れば大体わかる。それにさっき実力を目の当たりにしたからな。あれだけ動けるならば少なくとも足手まといにはなるまい」
「ん? エアリスと剣を交えたのか?」
意外な気持ちでヴェルンハルデに目を向ける。
『煌炎』という異名や大規模侵攻時に使った魔法の威力からしても、かなりの炎魔法の使い手だということはわかるが、剣の腕前はいかほどだろうか。
彼女の身長は並で特段筋肉がついているようにも見えない。
エアリスのような軽さ重視の剣ならともかく、腰に吊るされているような重量級の大剣ではとても扱えそうにないが……。
まあ、腰の剣がただのお飾りだなんていうこともあるまい。
立ち振る舞いから大体の力量がわかるとも言っていたし、Aランク冒険者ともなれば魔法と剣術の両方に心得があっても不思議はないか。
「そんなことをするまでもない。ただ私が無理やりエアリスの猫耳を触ろうとしたところ、なかなかの身のこなしで避けられた。不意や死角を突いてもまるで触れられなかった。傷つけないための配慮があったとはいえ称賛に値する」
なんだ、その斬新な実力のはかり方。
さすがはエアリス、回避においてのみならAランカーにも通用するのか。
危険察知が八面六臂の大活躍である。
「それに比べて貴様は全然ダメだ。昨日会ったときにも背後から迫る私にまったく気づかず、一発殴っただけであっさり意識を失っていただろう? あまりにも簡単だったから、もしかしたら演技で気絶したふりをして反撃の機会を虎視眈々と狙っているのではないかと、ごみ箱に詰める作業をしている間にも不安に襲われたぐらいだ」
なんでオレは意識のない状態の時に警戒されてるんだろうか。
「あと、投棄するごみ箱が本当にこれで正しいのか、という不安にも襲われた」
「人間をごみ箱に投棄する行為自体が正しくねーよ!」
彼女は随分とぶっ飛んだ思考回路をお持ちのようだ。
高ランク冒険者は性格に難があるのが多いって聞いた覚えがあるが、全員がこんな感じだったら、よく秩序が崩壊せずに済んでるな。
ちょっと口を滑らしただけで襲われ、ごみ箱に突っ込まれるってどんな世紀末だ。
「大丈夫よ。ユーマは強いわ。実力はあたしが保証する」
「……まあ、いいだろう。貴様がそこまで言うならひとまず信用してやる」
あわや不合格になりそうになのを見かねたエアリスが擁護するなり、一転してヴェルンハルデはあっさり同行を許可した。
本当にエアリスのことは認めているのだ。
態度の温度差に寂しさやら羨ましさやらを感じていると、ヴェルンハルデは視線をこちらへとずらし、警告色を帯びた声音で続けた。
「ただし、もしも貴様が私の足を引っ張るようなら……」
そこでヴェルンハルデはすっと右手を目線の高さまで上げると、オレからもよく見えるような位置でパチン、と高らかに指を鳴らした。
その行動に疑問を投げかける間もなく、ヴェルンハルデが宣告する。
「――次は可燃ごみだ」
瞬間、魔力の波動に遅れてすぐ目の前で炎が赤々と燃え上がり、燃え盛る。
迸る熱気と光に思わず顔を背け、手でかばう。
悪辣な行動ではあったが、一線は弁えているらしく火傷はない。
それでもあの灼熱地獄を作った人物の魔法とあれば心胆を寒からしめるものがあった。
こいつは今、無詠唱による即座の魔法の展開を行って見せた。
それだけの技術を持っている、とオレに見せつけてきた。
そして、こいつはオレが邪魔だと感じたら何の躊躇いもなく始末をつけに来る。
「……っ」
「肝に銘じておけ」
ヴェルンハルデは凄みある表情でそう言った。
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