2-3 訪れる災害
結局、ギルドの依頼で代金の不足分を得るという結論に落ち着いた。
ギルドの掲示板に割のいい依頼が貼り出されているか、金が貯まるまでミスリル剣が誰の手にも渡らずに済むかは運任せである。
剣の番をしようとするエアリスを宿まで引きずっていくのに苦労した。
普通に営業妨害になるのでやめてほしい。
日付が変わって冒険者ギルド、レストア支部。
早朝ではあるものの、すでにまばらに冒険者たちがいた。
「やっぱり、あんまりぱっとしないわね……」
エアリスは依頼書が張られたボードの前で苦い顔をしていた。
めぼしい依頼がなかったのだろう。
オレも別の区画で依頼書を見定めていく。
ボードにあるのはDランク以下の依頼が中心だった。
たまにあるCランクの依頼も難易度が低めで、報酬もそれ相応だ。
辺境にいたころはあのギルド長に難易度がBランクに匹敵する依頼を受けさせられたこともあるため、物足りなく感じる。
「目標額が貯まるまでどれぐらいかかりそうだ?」
「そうね……効率を極限まで重視して一週間ってところかしら?」
「それはもちろん宿に戻って寝る時間を含んでいるよな?」
「そもそも寝る時間なんてないけど?」
「却下だ!」
とんでもないハードワークを計画してやがった。
体力のあるエアリスはともかくオレは死ぬ。
「睡眠時間を含めた無理のないスケジュールだとどれくらいだ?」
「無理のないスケジュールって……まさか食事の時間も含めるの!?」
「さっきは含まれてなかったのか!?」
あれ、もしかしてこの猫耳、オレのことを過労死させに来てる?
まさかオレの財産狙ってるの?
効率を極限まで重視するってそういう意味?
「真っ当な方法だと二週間は確実にかかるわ」
「そんなにかかるのか? カリスなら楽な依頼でも一日五万は手堅かったのに」
討伐依頼の報酬と魔物の素材を合わせてそれぐらいは純利益で得られた。
もちろんいくらか遠出をする必要はある。
休息日や鍛錬に費やす日もあるため、毎日というわけにはいかない。
ちょっと金銭感覚が狂っている自覚はあるが、それにしてもCランク冒険者とDランク冒険者の二人がかりで一人頭二十万レンドに二週間もかかるものか。
「それはカリスが強力な魔物が豊富な辺境だったっていうのもあるけど、この辺りはちょっと狩りの事情が特殊だから」
「特殊?」
「強い魔物は鉱山の地下深くにしかいないのよ」
鉱山内では魔物がその強さによって層状に住み分けており、上部に生息しているのはFランクやEランクといった弱い魔物ばかり。
だが、依頼こそ出てないものの、高ランクの魔物もいる。
深部に行けば行くほど魔物の脅威度は跳ね上がり、鉱山の遥か最深部ではBランクの魔物の存在も報告されているそうだ。
EランクやFランクの魔物を狩る分には手間は少ないが、大物を狙うとなると鉱山の地下深くまで潜らなくてはならない。
そうなると日数は必然的にかかってしまう。
「マッピングしたり、食料や水を運んだりする必要があるから移動も遅くなるのよ。運べる魔物の素材にも限りがあるし」
「それで二週間か。割に合わねーな」
「冒険者が長居する拠点には向かないわね」
「効率を重視したやり方なら一週間で済むって話だったな。そっちは?」
「西の方に廃鉱になった鉱山があるらしいんだけど、そこが廃鉱になったのは魔物が多く出たことが理由っぽくてね」
「ああ、なるほど。質を量で補うわけだ」
さすがに一週間不眠不休断食の耐久レースは勘弁だ。
「まだ未発掘の鉱脈が眠っているみたいだから、それを掘って売ろうかな、と」
「それって盗掘だよな!?」
エアリスがミスリルの魅力にやられておかしくなってやがる。
今も周りでミスリル剣の話題が出るだけで猫耳が過剰反応しているし。
見ている分には微笑ましくていいが、万が一あの剣を誰かに先に買われたりしたら彼女がどんな行動に出るかわからない。
もういっそのこと金を貸してしまおうか?
猫耳メイドのご奉仕とまではいかなくても、相応の見返りは得られるだろう。
エアリスの危険察知が邪魔してなかなか触る機会がないわけだしな。
そんなことを考えていた時だった。
突然冒険者ギルドの扉が騒々しく開かれた。
何事かと視線を向ければ冒険者らしき青年が扉に寄りかかっている姿が目に入る。
全力疾走でもしてきたのか、手を膝につき荒く呼吸を繰り返す。
青年の顔からはただならぬものが感じられた。
焦燥と興奮で目を血走らせ、鬼気迫る表情を浮かべている。
ギルド内にいた冒険者たちもその様子が気になったのか、青年に注目していた。
喧噪のあったギルドから音が引いていく。
「お、おい大丈夫か? そんな慌てて何かあったのか?」
入り口のそばに立っていた冒険者の一人がギルドに入ってきた青年に声をかける。
その質問に対し、青年は息も絶え絶えに答えた。
「……し、侵攻だ」
「は? なんだって……?」
応対していた冒険者は困惑した顔で気の抜けたような声を出した。
青年の言葉を理解できなかったのだろう。
もしくは、理解したくなかったのかもしれない。
「大規模侵攻だよっ! とてつもない数の魔物が鉱山中から溢れ出て、この街に向かってきてるんだ! このままじゃレストアはめちゃくちゃになっちまう!」
――『大規模侵攻』。
その言葉が青年の口からもたらされるや否や、ギルドの中はしんと静まり返った。
一泊ほど間をおいて、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなる。
「嘘だろ……大規模侵攻だと!?」
「お、おい、やばくねえか? どうなっちまうんだよ、この街は!?」
「規模は! 規模はどれほどだ!?」
冒険者たちは口々に情報を持ってきた青年を問い詰めだした。
青年は大人数に詰め寄られ、もみくちゃにされ、詳しい話はすぐには聞けそうにない。
騒動が収まるまでしばらくかかりそうだ。
「一体何なんだ、この騒ぎは? 大規模侵攻……だったか?」
何が起きようとしてる?
これからオレたちはどんな渦中に巻き込まれようとしている?
「大規模侵攻っていうのは大量の魔物が異常発生する現象のことよ。その原因は様々。気候変動とか、生態系のバランスが崩れたとか諸説あるわ。……けど、行きつく先は一つ。数を増やした魔物が不足したエサを補おうと、人の住む街や村に押し寄せてくる。その数は数百、時に数千にものぼって甚大な被害を引き起こすわ」
「す、数百、数千……? なんだよ、それ……」
想像すらつかない膨大な数に声が掠れる。
考え込むエアリスも普段見せない厳しい表情だった。
ここ一か月でオレとエアリスはいくつも魔物討伐の依頼を受けてきた。
依頼によっては多数相手を強いられることもあったが、それでも一度に相手をする魔物の数はせいぜい二十から三十程度。
文字通り桁が違いすぎる。
「しかもここは鉱山に囲まれた立地だから、交通の便が極めて悪いわ。近くに街もない。魔物の群れが現れるまでどれぐらいの猶予があるかはわからないけど、急いで最寄りの街に救援を出しても間に合うかどうか……。もしかしたら、ここにいる冒険者だけでどうにかするしかなくなるかもしれない」
オレはぐるりとギルド内を見回した。
目に入る冒険者の数は軽く見積もって三十人といったところ。
これがこの街で活動する冒険者の総数というわけではないだろうし、まだ早朝であるためギルドに訪れていない者もいるだろう。
しかし、その分の人数を加えても百人を超えるかどうか。
いや、逃げ出す冒険者も考慮すると……。
「落ち着けえええいっ!!」
そこで一喝が入った。
びりびりと響き渡るすさまじい大声に冒険者たちの騒ぎは一瞬にして鎮まる。
声の主はあごには濃いひげをたくわえ、眼光鋭い、いかつい人物だった。
いかにも鉱山の男といった風貌だ。
「ギルド長……」
誰かがポツリとつぶやくのが聞こえる。
この人がレストア支部のギルド長なのかと頷きかけ、
「はて、どう見てもゴブリンじゃなくて普通の人間に見えるんだが……?」
「それオルゲルトさんに言ったらまたぶっ飛ばされるわよ。ギルド長がそういう人じゃないとダメなんて変な決まりはないからね?」
エアリスに小声で窘められる。
まあ、いくら何でも様々な面で人類から逸脱したオルゲルトのような人間が何人もいるわけないかと安心しつつ、この場合はそうじゃない方がよかったかもしれない。
あの男を町の入り口に立てておけば今夜の快眠は約束されていただろう。
畑の案山子なんて目じゃない。
それがないものねだりというのはわかっているが。
「ざ、ザルフさん! 大変な事態が起こっているんです! 大規模侵攻が……」
一人の冒険者がザルフに再びまくしたてるように言う。
それが言い切られる前に周りの冒険者たちも「そ、そうだ!」「大量の魔物がここへ!」「この街が危ないんだ!」などと次々と口に出す。
外の騒音に負けないほどの騒々しさだ。
普段から鍛冶の騒音の中で生活しているせいで声も自然と大きくなるのだろうか。
「落ち着けと言ったああああっ!」
そんな冒険者たちの大音量を凌駕する声量でザルフが再度、怒鳴った。
その怒鳴り声をもって再びギルド内に静けさが戻る。
「詳しい話は上の会議室で聞かせてもらう。もし、この情報に間違いがなければ冒険者諸君にはこの後、街の防衛に参加してもらうこととなるだろう。ただ……大規模侵攻だ。こちらにも少なくない犠牲が出る恐れがある。最悪……」
ザルフはそこで言い淀むかのように言葉を切り、続きを口にする。
「全滅するかもしれん」
その一言に冒険者たちは一斉に顔を歪める。
中には落ち着き払った態度の冒険者もいたが、楽観視する者は一人としていない。
脅し抜きにそれだけ事態が深刻なのだと実感した。
「覚悟のない者は去ってもらって結構。一時間後に残った冒険者を招集して対策会議を行う。より多くの冒険者が参加してくれることを期待する。俺からは以上だ」
それだけ言うとザルフは情報を持ってきた青年を伴って奥へと引っ込んでいった。
少しするとギルド内にまた騒々しさが戻ってくる。
戦闘に参加するか、街から離れるか。
パーティー内、もしくはそばにいる冒険者同士で熱心な議論がかわされていた。
「ここで逃げた場合に何かペナルティーとかあるのか?」
「ないわね。冒険者には完全な自由が与えられているから。たとえ国家の存亡を揺るがしかねないレベルの事態が起きても依頼を拒否できるわ」
もっとも面倒なしがらみとかはあるんだけど、とエアリスは付け足す。
まあ、そんなことをすれば国から睨まれるようなことになるし、よっぽどのことがなければ依頼を断る冒険者はいないだろう。
「今回に限って言えば、依頼を断った際のデメリットは皆無といってもいいわね。まさか冒険者ギルドも死地に行くのを強要できるわけもないし」
「……そうか」
それはすなわち他の冒険者も逃げ出しやすいというわけで。
この依頼の危険度は上がっていく一方だ。
そして、それを危惧した冒険者が更に逃亡を選択し、ますます戦う人間は減る。
見事に負のスパイラルが形成されている。
「それであたしたちはどうする? 判断はユーマに任せるけど」
「え? オレが決めるの? キャリアの浅い奴に判断をゆだねるなよ……。責任を投げるわけじゃないけど、エアリスが決めた方が無難なんじゃないか?」
「あたしはどっちでもいいわ。逃げてもいいし、戦ってもいい。だからあとはユーマの気持ち次第ね。ユーマはどうしたいの?」
エアリスのアンバーの瞳に見つめられる。
オレは大規模侵攻に挑む危険と、逃げた時の街の被害と後悔を天秤にかける。
「正直言えば死ぬ危険は冒したくない。……けど逃げたくもないな」
オレはありのままの本心を隠さず伝える。
判断とも呼べぬ虫のいい願望ではあったが、エアリスは口元を綻ばせた。
まるでそれが聞きたかったと言わんばかりに。
「あたしも同じ意見。死にたくはないけど、ミスリル剣を置いて逃げたくもない」
「同じじゃねーよ!? 一緒にすんな!」
レストアに暮らす住人か、あるいは戦線に赴く冒険者のどちらを放っておけなかったかは定かではないが、少なくともそんなものためではなかった。
高尚な想いがあったわけではないが、エアリスの余計な一言でより格が下がった。
そんなにあのミスリル剣が気に入ったのかよ。
一緒に心中しないか不安だ。
「とりあえず会議に出よう。正確な情報がないと参加の是非も決められないしな」
「それだと万が一の避難がだいぶ遅れるけど?」
「その時は風魔法で飛んで逃げればいい。二人だけならいつでも逃げられる」
端的なオレの返答にエアリスは「それがあったわね」と納得する。
もっとも選択肢として出しはしたが、オレもエアリスもきっとそれを選ぶことはないだろうという予感はあった。
それから一時間後。
オレたちは大規模侵攻に向けた対策会議に参加するのだった。




