2-1 鍛冶の街
あれから一か月が経過した。
オレとエアリスは異世界に来て二つ目の街の土を踏んでいた。
鉱山都市レストア。
カリスから馬車で一週間ほどの場所に位置している街で、周囲が鉱山に囲まれている。
そこから採れるさまざまな種類の良質な金属がこの街の主要産物だ。
同時に鍛冶の街としても知られている。
周りにいくらでも材料があるおかげで技術が発達したのだろう。
この近辺の鉱山では鉄や銅といったおなじみの物から、ミスリルといったような元の世界には存在しないような不思議金属まで産出されている。
ミスリルというのは鉄よりも固い、白色の金属のことだ。
そのくせ重さが鉄よりも圧倒的に軽く、およそ三分の一の重量しかないのだ。
加えて魔法に対する高い耐性があり、特に防具の素材として人気がある。
そのためミスリル製品全般にはかなりの高値がつく。
ミスリルをふんだんに使った鎧なんかは金貨が軽く数十枚は飛ぶらしい。
日本円に直せば数百万円だ。
ミスリルを含めたそれらの鉱物は主に奴隷によって採掘が進められている。
奴隷になるのは主に重大な罪を犯した者や多大な借金を背負った者だ。
この世界では、奴隷というのは決して珍しい存在ではない。
誰もが潜在的に奴隷になる危険性を秘めているのだ。
貴族でも汚職が露見すれば家を潰され、奴隷に落とされることがある。
大商人でも移動の最中に盗賊に襲われ、奴隷として売り払われることがある。
異世界人でも悪辣非道なゴブリンの手によって、鉱山に送られることがある。
決して他人ごとではないのだ。
……いや、紛らわしい言い方をした。
またぞろオレが問題行為を起こして莫大な借金を作り、労働奴隷としてオルゲルトに鉱山に送り込まれたとかそういうわけではないのであしからず。
この街に寄ったのはちょうど今話したミスリルが関わっている。
カリスの街でエアリスと今後の予定を話し合っていた時のことだ。
「ふうん? ルージェナね。まあ、他に行きたいところもないし、別にかまわないけど」
懸念していたルージェナ行きの説得は何事もなく終わった。
冒険者が街から街へ渡り歩くのはさほど珍しいことではないらしい。
「カレンディア王国でもわりと内陸の場所にあるからいくつか町を経由する必要があるわね。目的は前にギルド長が言ってたやつ? 勇者がどうとか……」
「そうそう、以前からオレは勇者について並々ならぬ興味があって、所縁の地とかを巡ってみたいと思ってたんだ。知ってるかエアリス、先代の勇者は魔王と一騎打ちを挑み、人魔戦役に終止符を打った偉人なんだぜ!」
「それあたしが教えたやつだし。ユーマは勇者の名前すら知らなかったでしょうが」
半目のエアリスになじられる。
「それにしてもユーマがこの街を離れるのはちょっと意外だったわ」
「そうか? なんで?」
「だって悪いとこじゃないでしょ? ほら、あのギルド長もいるし」
「それは明確なマイナスポイントだ!」
ボコボコにされたり、借金を背負わされたり、厄介な依頼を押し付けられたり。
あれからからもことあるごとに嫌がらせをされている。
何度かお礼参りに行ったがもれなく返り討ち。
仲良くなったAランクパーティと共同戦線を張ったりしたこともあったが、異名持ちの元Sランク冒険者の実力は伊達じゃなかった。
これまでの負傷の原因のおよそ九割をあの男が担っている。
カリスを出る前に今までの負けを清算しておきたいところだが、難しいだろうな。
あの盗賊討伐の報告以来、オルゲルトは異世界のことなどおくびにも出さない。
確実にあの男は何かを知っているはずなのに。
遠まわしに探ったりしてみたものの、何もしゃべらなかった。
あの男は何を目的としてるんだろうか?
いまいち意図が見えてこないのがなんとも不気味である。
「ま、まあ、確かにいろんな酷い目に遭ってるけど、得られたものもあったでしょ?」
「挫折とか、人生の不条理さとか?」
「もっと他に」
「どうだろうな。マイナスポイントが高すぎてすぐには思いつかないけど。……ひょっとしてエアリスはここを離れたくないのか?」
カリスは他の街ほど、獣人族への風当たりが少ない。
魔物が強力な辺境にあるがゆえに、徹底した実力主義なのだ。
この街に来たばかりの人間でもなければ獣人族に絡むような人間はいない。
エアリスも既にこの街で確固とした地位を作り、人族、獣人族問わず一目置かれている。
「そういうわけじゃないの。どの街に行こうと『あの獣人族の冒険者に絡んだらヤバい』って思われるぐらい頑張ればいいから」
「……そうだな」
どうやらエアリスは挫折や人生の不条理さ以外に得るものがあったようだ。
「そうじゃなくて、この街だったらユーマは冒険者のランクを簡単とはいかないまでも、普通よりも格段に早くあげられると思うわ。それはいいの?」
「ああ、それか」
通常、ランクを一つ上げるには三年かかると言われている。
なのにオレはたった一つ依頼をこなしただけで、Dランクまで上がった。
さすがに最初の壁であるCランクまでは手が届いていないが、この街にいれば近いうちにそこまで昇格できるかもしれない。
「あのギルド長はああ見えてユーマの実力をきちんと評価してるわ。たまに押し付けられる依頼だって、きちんとスキルアップに繋がるものだし」
「無茶なのばかりなんだが」
まあ、エアリスの言うことにも一理ある。
ギルド長の嫌がらせは確実にオレを良い方向に導いている……と言えなくもない。
でもたぶんあれは前途有望な少年のために自ら憎まれ役を買っているとかではなく、冒険者ギルドの円滑な業務のために面倒な依頼を押し付けているだけだと思う。
厄介な依頼をこなせば、そりゃ実力も向上する。
「ランクは別にいい。エアリスとお揃いって言うのは心惹かれなくもないけど、そこまで急いであげたいものでもないしな。まだ不勉強な部分もあるし」
魔法の鍛錬は順調だし、エアリスに軽く体術を習ったりもした。
もっぱら回避が中心ではあるが、体重移動など基本的なことは身につけた。
しかし、戦闘面に関してはあるともかくまだまだ知識は乏しい。
高ランクというのは強さだけでなるものでもないだろう。
「納得してるならいいわ。……それでちょっとルートについて相談があるんだけど」
「ルートの?」
「そうそう。カリスを出た後、ユーマはどこの街を経由するつもりなの?」
「もちろん最短ルートで行こうと思ってるから、まずは……ギムレーっていう街に寄ることになるな。移動はだいたい一週間ぐらいか?」
この街からだとルージェナまでは結構な距離がある。
補給や休憩もかねて途中で二つか三つほど大きな街に寄らなければならないだろう。
行程は道中の滞在も含めて全体で二か月ほどと見込んでいる。
もちろん何事もなければという注釈がつくが。
「それなんだけど、レストアの街を経由しない?」
「レストア……でもあそこは山道だったよな。遠回りにならないか?」
ここら一帯の地図を頭に思い浮かべる。
直線距離は大して変わらないが、高低差があるためロスは大きい。
「えっと、その……実はそろそろ剣を買い替えようかなって思ってたの。それでこの街では上質なミスリルが採れるから、それで新しい剣を作りたいかなって」
ちらちらとエアリスがこちらを見てくる。
猫耳少女の上目遣いのおねだり。
断れるはずがなかった。
◇◇◇
では、現在に話を戻そう。
オレとエアリスはレストアの商業区を歩いていた。
普段なら冒険者が街について最初に行くのは冒険者ギルドだ。
ギルドに集まる情報には魔物の発生状況や、周辺の危険や異変等が含まれていることもあり、旅を続けるならば欠かすことはできない。
だが、今回はミスリル剣が目当てであるため、そちらを優先することにした。
新しい剣が楽しみなのか、エアリスの足取りは軽やかである。
剣を欲しがる女の子というのは、普通に考えれば猟奇的でしかないのだが、エアリスが持つとなると、その考えは不思議と薄れる。
むしろ剣を帯刀していないと違和感すら覚えてしまうほど。
刀を持たない武士のような感じだろうか。
周辺の建物の煙突からは絶えず煙が上がっていた。
製錬作業でもしてるのか、あちこちから、カン! カン! と金属を槌で叩く音が響く。
なかなか騒々しい街だ。
エアリスの敏感な猫耳にはさぞうるさかろうと、隣を歩いている彼女に目を向けるが、予想に反してエアリスに周囲の音を気にする様子はない。
物珍しそうにきょろきょろと辺りを眺めていた。
見ると猫耳がパタンと伏せられている。
防音モード。
はたしてあれで遮音できるのかという疑問はあるが。
「店がいくつもあるけど、どこにするんだ?」
そう声をかけるが、エアリスから返事が返ってこない。
話しかけられたことにすら気付いていないようだ。
本当に遮音されているのか。
なんだ、その便利機能。
仕方なくオレはエアリスの猫耳を持ち上げ、もう一度吹き込むように声をかけた。
周囲の騒音が一度に復活し、顔をしかめるエアリス。
恨みがましい視線を向けながらオレの問いに答える。
「せっかく来たんだからなるべく良い剣が欲しいわね。一つ一つ店を見て回りましょ。次はいつ来られるかわからないし」
「予算はどれくらいあるんだ?」
「そうね……」
エアリスは懐からギルドカードを取り出すと、魔力を込めた。
やがて青字で三百三十万という数字が浮かび上がる。
ちなみにオレの預金残高は二十万ちょっとであり、格差を感じる。
依頼の報酬は基本折半だけども。
猫耳剣士は己の多過ぎる財産を唸りながら眺めたのち、ふむ、と折り合いをつけ、
「三百万三十万レンドが上限ね」
「全財産じゃねーか!? かけすぎだろ!」
「別にそれぐらいなら本気で稼ごうと思えば三、四か月で稼げるわ」
た、たったの三、四か月だと……?
つまりこの猫耳は齢十七にして年収が一千万を超えるということなのか!?
容姿端麗で猫耳でお金持ちとか、なんという超優良物件。
これはもう今のうちから唾をつけておくべきじゃなかろうか?
「なあ、エアリス。今お前好きな人とかいるの?」
「な、なによいきなり……?」
「お前の理想の男性像についてお聞かせ願いたい」
「り、理想の男性像? えっと……そうね。優しくて、あたしの足りない部分を補ってくれて、一緒にいて楽しい人……とか?」
……あれ? あれあれ?
この動揺したような反応に、挙げられた特徴……もしかして脈あり?
これはゴーサインが出ているのか?
「それと、先がぴんと尖った獣耳は欠かせないわ」
「越えられない種族の壁!」
「あとはやっぱり肉球の弾力も重要よね」
「それはお前にもないはずだ!」
先ほどとは一転、にやにやと笑いながら項目を追加していくエアリス。
どこまでが本気なのか測りかねる。
純情が弄ばれた……。
「それでユーマはどうするの? 無理してあたしに付き合わなくてもいいけど」
「いや、一緒に行くよ。そろそろオレも剣が欲しいと思ってたし」
やはりファンタジー世界と言えば剣をなしには語れまい。
魔物相手に披露されるエアリスの鮮やかな剣技を後ろから見ているうちに、その想いは更に強まりつつあった。
ゆくゆくは魔法と剣を同時に操る魔法剣士になりたい。
「ユーマって剣、使えたの? 今までそんなそぶり一度も見せなかったわよね」
「将来的には使えるようになるかもしれない」
「つまり使えないってことね……。後衛に近接武器がいらないとは言わないけど、魔術師なんだから順当にメイスとかにしたら?」
「何言ってんだ!? 剣を持たなかったら魔法剣士じゃないだろうが!」
「いつから魔法剣士になったのよ」
これでもエアリスが見ていないところでこっそり素振りをしてたりする。
魔法や体術の鍛錬と依頼で時間はなかなか取れなかったが、毎日欠かさず行っている。
我流だから型も何もあったものじゃないが。
努力と熱意は無駄にはしたくない。
本職に敵わずとも、ゆくゆくは実戦使用できるぐらいには鍛えたいものだ。
間が空きましたが更新再開です。
章区切りがつくまでは連投します。