1-17 ジャイアント・キリング
「ど、どういうことだ! あいつはオレたちが辺境に来る前に遭遇した奴だろ!? まさかわざわざオレたちを追ってここまで来たのか!?」
「そんなのあり得ないわ……。オーガの知能はそんなに高くないし、嗅覚にしろ臭いを追跡できるほどじゃない。追ってこられるわけがないのよ」
オレとエアリスは物陰に隠れながらあたりの様子を窺う。
場はさながら地獄の様相を呈していた。
オーガの出現に全員が金縛りにあったように動けなくなったが、やはりオーガの一吠えで我に返り呪縛から解放された。
しかし、一概にそれがよかったとは言えない。
まずは盗賊の男が叫び声をあげながら逃げた。
その叫びが絶叫に変わるまでさして時間はかからなかった。
目ざわりと感じたのか、オーガがその豪腕で手近な岩をぶつけたのだ。
オーガにしてみれば煩い虫けらに小石を投じた気分だったろうがスケールが違う。
盗賊はほとんど爆散に近い形でその命を終えた。
そこからはもうパニックの連鎖だった。
盗賊たちは皆必死の形相で生き延びようと逃げ惑った。
殺された首領も、アジトの金品も、自分たちを捕らえようとする冒険者も眼中にはない。
負傷を抱えながらも懸命に悪辣な巨人から離れようとする。
もっともその行動のほとんどは阻まれ、殴る、蹴る、押しつぶされるの違いはあれど、ほとんど同じ死にざまを辿ることとなった。
その間にオレはエアリスと合流を果たした。
ならず者とはいえ、同じ人間を囮にするような形になったのには気が咎めたが、これからの行動如何では全滅の恐れすらある。
感情を押しとどめ、頼りになる相棒の元へ急いだ次第だ。
「たぶん、あたしたちを追って来た奴で間違いないでしょうね。でもこの場にいるのは偶然だと思う。どこに逃げたかわからない獲物を当てもなく探している内にたまたま人間の集団を見つけたっていうのが正解じゃないかしら」
エアリスの見解に目を覆いたくなる。
それはまたなんていう不幸だ。
少し時期がずれれば盗賊団の被害だけで済んだのに、見事に巻き込まれた。
いや、正しくは巻き込んだ側はオレたちか?
「あのままオーガがオレたちを探そうと徘徊し続けたら周辺の街にも被害が……」
「その時はきっとギルド長が始末をつけてくれるだろうから心配ないわ。それよりも問題は今ここをどう無事に切り抜けるかよ」
「このまま隠れてやり過ごせないか?」
「この距離じゃ見つからなくともオーガの癇癪の余波だけで十分死ねるわね」
ならさっさと逃げるに限るな。
あの時もそうしたし、逃げる算段なら既に付いている。
そう考えて腰を浮かすが、そこで息をひそめて隠れる商人たちを見つけてしまった。
一心不乱に祈りを捧げる者。
目を固く閉じ体を縮める者。
戦う術を持たない彼らが生き延びられる可能性は非常に低い。
運よくオーガに見つからず退避できたとして、魔物を排しつつ町へ戻るのは無理だ。
かといって大人数で移動すればオーガの目につく。
エアリスも同様に迷っていた。
素人判断ではあるが、この場合はきっと自分たちの命を優先するのが正しい。
少しでも生還率を上げ情報を持ち帰るのが先決。
ここで見捨てても後々責められはしない。
ただ、そんな割り切れる性格をしているならオレは今ここにはいない。
「エアリス」
「なに?」
猫耳剣士は呼応しながらこちらの方を向く。
期待と不安、その両方を垣間見させながらオレの言葉の続きを待った。
「一つだけあいつを倒す手段があるかもしれない」
◇◇◇
悠真の提案をあらまし聞いたところでエアリスは頷いた。
賭けになる部分もあるが、十分に勝機はある。
「それじゃ作戦通りに頼む」
「そっちこそしくじらないでよ」
こつんと拳をぶつけ合う。
それから二人は同時にはじかれるように遮蔽物から飛び出した。
新たに場に出現した二匹の獲物にオーガの目が留まる。
手に握っていた盗賊を興味が失せたとばかりに放り投げ、怪物は動き出した。
やはり覚えていたらしい。
癪に障る立ち回りで己の手をすり抜けた獲物たちを。
エアリスは鞘を放り投げると、オーガへ突貫をかけた。
左右に分かれた剣士の少女と魔術師の少年に対して、オーガは悠真側に目が行きかけたが、すぐエアリスに狙いを変えた。
風魔法で痛めつけられたとはいっても蚊に刺されたようなもの。
鬱陶しいとは思いつつ、それ以上の思いはないのだ。
その程度の怒りで遠路はるばる追って来るのはオーガの知能の低さゆえである。
エアリスはその目でオーガの動きを微細な予備動作も見逃さないよう観察しながら、悠真との会話を思い出していた。
頼まれた役割は聞く人間によっては憤慨するようなものだった。
その場でパーティーの解散を言い渡されて、去られてもおかしくない。
悠真からのオーダーは一つ。
オーガに一太刀浴びせられるか、というものだった。
エアリスは勇猛に笑い、ノータイムでイエスを返した。
無駄のない動きでエアリスはオーガの攻撃範囲に侵入する。
フェイント気味のステップを織り交ぜた走法はオーガに投擲の暇を与えなかった。
避けるのは容易だが、後ろに攻撃が及んでしまう。
そんなことでは前衛の名折れだ。
「ガアアアアアアアアアアアア!」
オーガはその大木のような腕を振り上げ、エアリスを待った。
だが、振り下ろすよりも先に少女の姿は突如発生した塵旋風の中に消える。
あまりにも不自然な自然現象に戸惑うオーガ。
エアリスの背後に控える少年の仕業ということは頭にも上らない。
そして、考えるのをやめた。
ただ感情の赴くままに暴力をふるう。
適当なあたりをつけて振り抜かれた腕は何かに当たることはなかった。
視界がなくともエアリスには危険がわかる。
がむしゃらに突っ込んでいれば即死だったが、わかっていれば避けるのも容易い。
もちろんそれは獣人族の中でも特に優れた身体能力があっての事。
その才はオーガの腕に彼女を降り立たせた。
跳躍を経て着地したオーガの腕は生物特有の肌触りというものが欠けていた。
いうなれば舗装された道。
異常な筋肉によって固められたそれは、足場として非常に都合のいいものだった。
三歩、四歩と、秒を数えるよりも速く駆け上がる。
防御力としては秀逸でも感覚器官としては鈍い皮膚はその存在の発見を遅らせる。
腕を揺さぶった時にはすでにエアリスは反対の腕へ。
それに気づいた時には目の前にいた。
文字通り目の前。
オーガの右目が見た最後の光景は迫りくる刃の輝きだった。
全体重をかけて、エアリスは見開かれた大きなその眼に剣を突き立てる。
「ガッアアアアアアアアアアアアアッッッッ!?」
オーガの咆哮にはっきりと苦悶の色が混ざる。
エアリスは五メートルの高さから落とされたが、足からの着地を決める。
「これがAランク、か。さすがにキツイわね……」
息を乱しながらエアリスはごちる。
これほどまでに感覚を研ぎ澄ませたのはいつぶりか。
完璧に仕事を仕上げたが、もう一度やれと言われてもできる自信がない。
「さてと……ここからが本番」
エアリスは緩めた集中を今一度引き締めなおした。
これでオーガを倒せるわけではない。
一番脆弱な眼球を狙ったが、さすがに脳までは刃が進まなかった。
あわよくばと思ってはいたものの、まあ想定通りである。
これはあくまで第一段階。
オーガの矛先を自分一人に絞るための下準備、下ごしらえ。
化け物退治はまだまだ終わらない。
次の手順を頭の中で再確認したところで、オーガの咆哮が止まる。
オーガは大きな手のひらで失った方の目を抑え、のけ反る格好で停止していた。
指の間からはとめどなく赤い血の涙が流れる。
不気味なほど動きがない。
それは嵐の前の静けさだった。
それからぎょろりと。
残った左目が静かな殺意を滾らせ、エアリスを睥睨した。
ほとんどノーモーションでオーガの拳が叩きつけられた。
「っ、本気になった……!」
危険察知で避けたエアリスはすかさず向きを変え、反対方向へ走り出す。
振り返る途中で悠真がメルティナに頼み込んでいるのが見える。
彼ならうまくやってくれるだろうと信じ、エアリスはそこから先は見なかった。
後ろにオーガの気配を感じながら木々を縫うように疾走する。
まるで数日前の焼き直しだ。
オーガは静かに追って来た。
巨体だけに足音は消せないがそれ以外はほとんど無音。
たまにその存在を主張するように体に巻かれた鎖の擦れ合う音が響くだけ。
咆哮や木や岩の投擲といった余計な行動は慎んでいる。
ひたすらエアリスの後ろ姿を見据え、送りオオカミのごとく後を追う。
その最中、エアリスはほんの少しだけ気を抜いた。
ごくごくわずか、数センチ単位で歩幅を縮め、一歩分読みの甘いルートを選んだ。
怠慢というよりも誤差のようなそのミスにオーガは目ざとく攻撃を差し込む。
危険察知の使用で寸でのところでリカバリーできたが、エアリスにAランクと相対することのシビアさを知らしめるには過分なやりとりだった。
(図体の割にちゃんと細かいとこまで見て、反応してくる……!)
これまではいくらかいたぶるような気配があったが、今はそれが完全に消えている。
純粋な殺意のみを宿し、一つ目となった巨人は獲物を追い込む。
並の者ならプレッシャーに押しつぶされ、足が満足に動かなくなるだろう。
しかし、それでもエアリスに気負いはない。
余裕はないが、心は澄み、視界は広く、冷静に逃走経路の判断が下せる。
どこをどう走ればいいか。
さらには経過時間すら大まかに把握している。
(……そろそろいい頃合いね)
エアリスは追われているのではなく、誘導していた。
指定されたポイントへ、指定された時間をおいて合流するように。
森が途切れ、渓谷が現れる。
この地形の存在は盗賊のアジトへの移動最中の飛行で見て知っていた。
知っていたからこそ、ここまで逃げてきた。
本当にあの時の焼き直しだと、エアリスは内心で微苦笑する。
あの時はこのまま踏み切ったが、まさか悠真の魔法なしで飛び込むわけにもいかない。
エアリスはブレーキをかけ、体を反転させた。
だが、そこから逃げる間もなくオーガの巨体が眼前いっぱいに広がる。
それを見てなおエアリスは勝利を確信していた。
オーガには見えていないものがエアリスには見えていた。
「――あたしたちの勝ちよ」
もう映らなくなったオーガの右目の死角。
そこに彼はいた。
傍らには一台の荷馬車と、それを操ってきたのであろうメルティナ。
どうやら説得は成功したらしい。
「きっちり引っ張ってきたわ。思いっきりお願い!」
「ああ、盛大に吹き飛ばしてやる! 〝竜巻″!」
オーガが気づいた時、『それ』はすでに体に触れんばかりのところにあった。
商売のために売り物をぎっしりと詰め込んだ荷馬車。
その重量はオーガに勝るとも劣らない。
風の奔流に乗った特別製の砲弾はオーガへ命中し、残骸と化しつつも衝撃を与える。
「~~ッッッッ!?」
見上げるような巨体は地面から離れ、崖下へ。
空中にまき散らされた荷物とともに重力に捕らえられた。
オーガはここで貯め込んでいた怒りを全て吐き出すかのように吠えた。
「ガアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!」
百数十メートルからのフリーフォール。
いかに装甲のような皮膚を持とうと、これにだけは耐えられない。
重力だけは堪えられない。
自重はそのままダメージに変換される。
あの状況下でこんな手を思いつくなんて普通じゃないと、エアリスは相棒を見た。
彼は自分は言うほど凄くはないのだと言っていた。
今持っている風魔法すら偶然の産物で、自分には分不相応なものだと。
だけど、この少年はいつだって懸命だ。
仲間の期待に応えようと、自分の望む自分であろうと努力している。
少なくとも出会ってから今に至るまでほとんど常に風魔法を使い続け、磨きをかけている彼は、才能に胡坐をかいているわけじゃないはずだ。
「おまけにもう一発!」
上から振り下ろすように風魔法を追加する悠真。
下方向への更なる急加速。
オーガは断末魔の悲鳴を上げる間もなく、地面と衝突しあっけなく潰れた。
恐々と二人して崖上からのぞき込むが、ピクリとも動く気配はない。
これで動き出すようであれば、いよいよオルゲルトに泣きつくしかなくなる。
「念には念を入れてもう一発入れておくか?」
「なんでそんなに心配性なのよ。そこまでしなくてもきちんと倒してるわ」
「いや、一度倒したと思って油断してたら痛烈な逆襲に遭ったことがあったから」
「ギルド長は例外でしょ……生物としての」
その会話を境に緊張の糸が切れたのか、二人は座り込んだ。
「倒したな」
「倒したわね」
相槌を打ちながらエアリスは呆れる。
簡素な言葉で片づけるが、悠真は自分が成したことを理解しているのだろうか。
登録して最初に受けた依頼でAランクの魔物を撃破。
これはもう語り草になるほどの功績だ。
一介の冒険者の範疇を越えている。
一部始終を見ていたメルティナがポカンとした顔でいまだにしゃべれずにいるのを見れば少しは事の重大性をわかるのだろうか。
言うべきか言わざるべきかエアリスが迷っていると、悠真が土をはらった。
「それじゃあ、帰ろうか。さすがに疲れた。まあ、ようやく凶悪な魔物に追い詰められピンチに陥っている女の子を助けるイベントができたから満足だけど」
「あたしがオーガに崖際まで追い込まれたのはユーマの指示に従ったからだからね!? まったくマッチポンプにもほどがあるわよ」
言いながら、もう一度互いの健闘を称えるように拳を合わせたのだった。