1-閑話3 闇夜の凶刃
同日の夜、商人たちのキャンプにて。
「あー、くそ。やってられっかよ、こんなこと……」
見張りに立つケスタが苛立たし気に毒づく。
悠真とエアリスの離脱に加え、ゼオンとヘイゼルの二人の負傷により、一人当たりの見張り時間が長くなっていた。
「いつもやってることだろうが。つべこべ文句言ってんじゃねえ」
「……セルビオ? ったく、ようやく交代の時間か。長かったぜ。退屈で退屈でしょうがねえ。なのにあいつらはぬくぬくと寝やがって」
ケスタは仲間のいる馬車に恨みがましく目を向ける。
彼らは今頃、暢気にいびきをかきながら眠りこけているのだろう。
「あいつらがいりゃあ、ちっとは楽になるってのによ」
「怪我してんじゃ仕方ねえだろ。無理に働かせて怪我が悪化しても面倒だ。今は寝かしといてやれ。……にしても、辺境は稼げるって聞いてたのにロクなとこじゃねえな」
セルビオは吐き捨てるように言う。
稼げるという噂自体は嘘ではなかった。
カリス周辺には高価な素材が取れる魔物が多く存在し、それをギルドで売り払えば元々の稼ぎの何倍もの収入を得られる。
最初に稼ぎを見た時は声を上げて歓喜したものだ。
しかし、魔物の強さも数も段違いだった。
街道を少しでも離れれば魔物がうようよ湧き、高ランクの魔物とも遭遇する。
どうにか全員生き延びてはいたが、毎度ポーションの購入費用や防具の修理がかさみ、儲けるどころか収支は赤字に傾いている。
こんなところからさっさとおさらばしようと決めたはいいものの、当座の資金を稼ぐために受けたこの依頼で負傷者を出した。
護衛中に魔物を狩らねば、またもや治療で赤字になってしまう。
辺境に来てからロクな目に遭っていない。
なにより最大の不幸は護衛依頼を共にすることになった二人の冒険者だ。
普段ならCランク冒険者と張り合うようなことは絶対にしなかったが、二人の見た目がEランクパーティーの冒険者たちを侮らせた。
しかし、ランク査定に間違いはなかった。
盗賊との人数差をものともせず、二人がかりで戦況を覆してしまった。
少女もそうだが、特に魔術師の少年だ。
無名かと思いきや盗賊をたった一度の魔法でなぎ倒し、行動不能にさせた。
戦果だけを見ればCランクのエアリスすら凌ぐ。
そんな少年への暴力行為はやはりセルビオにとって大きな負担となっていた。
のちのち合流する話が持ち上がっているのもあって、気が重かった。
「早く路銀を稼いでカリスからずらからねえと……」
依頼中はともかく次に街で出会ったとき、タダで済むとは限らないのだ。
セルビオは焦燥を胸に抱いていた。
そんな時、視界の端で何かがちらりと動いた気がした。
目で追うが闇に溶け込み、よく見えない。
「おい、何か動かなかったか?」
「あん? 気のせいじゃねえのか? 俺はもう馬車に戻って寝てえんだが」
「うるせえ! 一応見に行くぞ」
渋るケスタを叱咤し、セルビオは辺りを見て回る。
ただでさえ人数が減っているのだ。
見張りの役を怠り、敵の発見が遅れれば、対処しきれない事態に陥ることも考えられる。
金のためにもこの依頼だけは絶対にしくじれない。
仲間の治療費に依頼の失敗が積み重なればまた長く辺境に縛り付けられてしまう。
ケスタを連れ、先ほど目についた場所を歩きまわる。
だが、何も見つかることはなかった。
「言っただろ、気のせいだって。俺はもう寝るぜ」
そうセルビオに声をかけ、ケスタが馬車の方へ身を翻す。
しかし、一歩踏み出したところで人影が横切ったため、その足が止まった。
「誰だ!」
ケスタが怒鳴りつけると人影は両手をあげて近づいてきた。
闇の中からマルメドの顔が浮かび上がる。
一瞬身構えたセルビオだったが、相手が見知った顔だと分かるや否や力を抜く。
「……なんだ、騎士崩れか。何やってんだてめえ?」
ぞんざいな口調でセルビオは尋ねる。
「はっ、もしかして見張りの順番でも間違えやがったのか?」
「はははは! だとしたら間抜け野郎だな。だが、ちょうどいい。せっかくだから俺と見張りを代われ。てめえは昼間全然働いてなかったんだからよ」
「なんなら明日からはずっとてめえが見張りをやってもいいんだぜ?」
「なるほどそれはいい考えだな。てめえは……うん?」
セルビオはそこで口をつぐんだ。
マルメドからただならない雰囲気を感じたからだ。
ゆっくり視線を落とすとマルメドの手に剣が握られているのが目に入る。
抜身の刀身が月明かりに照らされ鈍く輝いていた。
その刀身は――赤く濡れていた。
「て、てめえ、そりゃあ血か……!?」
それを見たセルビオは思わず後ずさる。
魔物の血ではないということはセルビオにもすぐにわかった。
戦いの気配を感じられないほど耄碌した覚えもない。
だとしたら一体なんなのか。
推測と否定が混じり合い、セルビオの混乱はさらに大きくなる。
「単刀直入に言う。……死ね」
マルメドは冷たい声でただ一言そう言い放つ。
そのままマルメドは抜身の剣を構えてセルビオに猛然と襲い掛かった。
呆然としていたセルビオだったが、突っ込んできたマルメドを見て慌てて横に転がり、振るわれた剣を間一髪のところでかわす。
だが、わずかに避けきれず、セルビオの服の布地が切り裂かれる。
皮膚もわずかに切られたのか、ツー……と一筋の赤い血が流れた。
「野郎! 一体何のつもりだ!? こんなことしてただで済むと思うなよ!」
それを見たケスタは激昂して剣を抜く。
しかし、マルメドは意に介する様子もなく鋭利なまなざしをケスタに向ける。
「……ただでは済まない? ただで済まないのはお前たちの方だ」
「なんだと!? 何わけのわからないこと言ってやがる!」
「やれやれ、ここまで頭の回転が鈍いとは」
マルメドは嘆かわしいと言わんばかりに頭をふる。
その人を馬鹿にしたような芝居がかった仕草にセルビオとケスタの苛立ちが強まる。
「この剣についている血はお察しの通り、君たちのお仲間のものだ。手負いだったし、寝込みを襲ったからね。実に簡単な仕事だった。一言も発さず死んだよ」
突然のマルメドの告白に二人は絶句した。
マルメドの言う通り、剣に付着した血が一体誰のものかということにはうすうす感づいてはいたが、そんなことあるわけないと無意識に否定していた。
冒険者同士での諍いはよくあることだ。
しかし、殺しというのは明らかに諍いの範疇を越えている。
「そして……」
マルメドがかすかに首を動かす。
その行為にセルビオが不審さを感じると同時に、ケスタの腹から剣先が飛び出した。
「あ、がふっ……!? げほっ……!」
ケスタは激しく咳き込んだ。
セルビオが慌てて背後に目をやるといつの間にか男が立っていた。
すぐさまそれが捕縛していたはずの盗賊であると気付く。
盗賊の顔には昏い笑みが滲んでいた。
「け、ケスタ!? お……お前ら、まさか裏でつながって……!?」
「ようやく分かったようだね。ただ少しだけ違う。僕が盗賊団に協力してたんじゃない」
マルメドはいったんそこで言葉を切り、口の端をつりあげて笑う。
「僕こそがこの盗賊団を取り仕切っている頭目だ」
「ば……馬鹿な!?」
驚愕の表情を顔に張り付けたまま固まるセルビオ。
思考が停止し、動きだせない。
盗賊はケスタの体から無造作に剣を抜き、血を払う。
ケスタの口から大量の血があふれ出し、足元の草を赤く染めあげる。
「け、ケスタ!? おい、ケスタ!?」
セルビオは慌てて仲間に駆け寄り、必死に声をかけるが返事が返ってこない。
流れる血の量に比例してケスタの動きが徐々に鈍くなってくる。
そして一度大きく痙攣し、やがてその目からは光が消えた。
「うわ、うわああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
ケスタの死を目の当たりにしたセルビオは恐慌状態に陥り、しりもちをつく。
少しでもマルメドたちから離れようと必死に後ずさる。
戦いを挑もうという考えは既に頭になく、剣を乱雑に振り回す。
「よ、よせっ! 来るなっ! 来るんじゃねえぇぇぇぇぇっ!」
「そういうわけにもいかないな。戦力が残るのは面倒だ。きっちりここで死んでもらう」
マルメドは剣を上段に構えながらセルビオに近づいていく。
刃から赤い雫がしたたり落ち、
「や、やめ」
懇願もむなしく、無慈悲にマルメドの剣がふり下ろされる。
セルビオが首のあたりに熱を感じた次の瞬間、鮮血が吹き上がった。
(……どうしてこんなことに……)
糸が切れた人形のように崩れ落ち、体温が下がっていくのを感じながらセルビオの意識は永遠に閉ざされた。
◇◇◇
マルメドはピクリとも動かなくなったセルビオの服で剣を拭うと鞘に納めた。
死体は放置していてかまわない。
辺境には死肉を求める魔物が多く生息するため、勝手に掃除してくれる。
わざわざ手間をかけて処理する必要はない。
「さてと、これで掃除は終わりだ。商人どもは捕えたな?」
「もちろんです」
マルメドの一瞥に盗賊が首肯を返すと、縄で縛りあげられたメルティナと同じような状態の商人たちを引きずってきた。
暴力を振るわれたのか、メルティナの口元は切れ、血が滲んでいる。
他の商人にしても顔にいくつか青あざを作っていた。
「……! な、なんてことを……」
メルティナは目の前の惨状を見て、絶句した。
さしもの豪胆な性格の彼女でも荒事に対する耐性は薄かった。
中にはその場で吐いている商人もいる。
マルメドはそんなメルティナたちを気遣うこともなく、盗賊に指示を送った。
「……よし、撤収する。筋書きはいつものやつに少しひねりを加えるかな。隊商は一度目の襲撃を防ぐが、その後、仲間の盗賊から二度目の襲撃を受ける。その襲撃で護衛の冒険者四名が全員死亡。商人たちは行方不明。僕は命からがら逃げのび、唯一生き残る。ぼろぼろの格好で数日後にカリスの街に入るとでもしようか」
これがマルメドのやり口だった。
自分、もしくは冒険者資格を持つ仲間を護衛に潜り込ませ、人数や構成員などの情報を集め、その中から手ごろな獲物を見つけ出し、標的にする。
そして、襲撃に向いたポイントで待ち伏せをし、荷馬車を襲撃するのだ。
捕らえた人間は独自の伝手を使って奴隷として売り払う。
騎士時代に捜査の一環で得た情報から巧妙に構築したルートで、足がつくことはない。
盗賊の多くは職にあぶれたものや、犯罪者が大半を占めているが、マルメドは違う。
人が羨むような順調なステップアップを踏みながら、マルメドは自らそれを騎士の身分とともに捨てた。
優秀と自負する頭脳と、人を人と思わない残忍な性格。
それらを抱えた結果、マルメドは今の盗賊団を率いる立場に落ち着いた。
「逃げようだなんて思うなよ? おとなしくしてさえいれば命だけは助けてやる。だが、逆らうなら殺す。目を覆いたくなるような方法で殺してやる」
マルメドはドスの利いた声で、ナイフに指を滑らせながらメルティナたちに告げる。
メルティナたちはコクコクと何度も頷くしかない。
「馬車を出せ。アジトに急ぐぞ」
マルメドの合図で馬車はその進行方向をアジトへと変え、ゆっくりと動き出した。
意図せずアジトの位置を割られてしまったが、問題はない。
先行した二人は夜間の移動は控えるはずだ。
危険は付きまとうが、アジトへの別ルートを馬で強行軍し先回りすれば、物資の回収と痕跡の抹消するだけの時間的余裕はある。
略奪こそ成功したがマルメドはやや不機嫌だった。
本来ならもう一人ずつ捕虜と死体を作れる予定だったのだ。
「チッ……」
マルメドは悠真を思い出して忌々しく舌打ちをした。
当初、マルメドは悠真を歯牙にもかけていなかった。
エアリスのパーティーメンバーとはいえ、登録したばかりの冒険者で、真っ当な冒険者なら相棒どころか荷物持ちにすらしない存在。
しかし、そんな目障りだがどうとでもなるとマルメドが軽視していた少年は、だんだんとはっきりとした障害となって立ち塞がった。
まずマルメドは内部から護衛の冒険者たちを搔き乱そうとした。
護衛につく者はいいとこ同じDランクだと思っていたところへのCランクの冒険者の参加であったし、盗賊討伐の依頼も受けている。
このままでは手こずると、戦力を削りにかかった。
幸い、使えそうな火種はいくつもあった。
エアリスとEランクパーティーが言い争いを始めた時、マルメドはエアリスの味方をして早々にセルビオたちを片付けようと画策していた。
殺すまでいかなくとも事故を装い、再起不能にすれば後々やりやすくなる。
だが、ここで邪魔が入った。
臆病風に吹かれたのか、悠真が戦いを寸前で収めたのだ。
(余計な真似を……)
煽りの言葉もエアリスに一蹴され、なおかつ頭突きまでもらった。
計算を狂わされ、プライドを損ねられ、マルメドは表向き見せた表情以上の、全身の血液が沸騰しかねんばかりの怒りを貯め込んでいた。
すぐさま悠真を切り殺したい衝動を抑えるので必死だった。
無能の役立たずの癖に妙なところで余計な邪魔をしてくる、と。
だが、その考えも悪い意味で裏切られた。
襲撃の際、マルメドは盗賊を囮にし、エアリスの背中をとるつもりだった。
入念に麻痺毒を塗った短剣を握りしめ、馬車でひたすらチャンスを待ち続けた。
好都合なことにEランクパーティーは全滅寸前。
風向きの良さにマルメドは内心ほくそ笑むが、ここで予想だにしないことが起こる。
悠真が単独で馬車から飛び出し、盗賊団へ向かっていったのだ。
呆気にとられたマルメドだったが、一瞬ののち顔全体が歓喜で彩られた。
(馬鹿が! 自分から死にに行きやがった!)
完全に障害がなくなった。
あとは援護を装いエアリスを背後から刺し、麻痺させ捕まえるだけ。
マルメドは小躍りしそうになった。
しかし、悠真が瞬く間に魔法で盗賊を撃破したことで、今度は愕然とする。
伏兵による不意打ちに望みを託そうとしたが、気づけば周りに配置していた盗賊も全員エアリスによって倒されていた。
あっという間に計画を台無しにされた。
(くそっ……! くそっ……!)
マルメドは獲物を見逃さざるを得なかった。
◇◇◇
遠くの空が白みかけた時分、一行はアジトに到着した。
夜間の強行軍のせいで度々魔物に襲われ、肉体も精神も疲弊している。
おかげで猶予はできたが、のんびりもしてられない。
留守に残した手下と物資の回収が終わり次第、マルメドは出発するつもりだった。
「さっさと荷物を運べ! それと留守番の奴らも叩き起こせ! ぐずぐずするな!」
怒鳴りながら指示を飛ばす。
あれから数時間かけてマルメドは心に折り合いをつけた。
一時の激情に駆られて余計なリスクを負うのは馬鹿らしいこと極まりない。
見逃すには惜しい少女、憎たらしい少年ではあるが、正面からでは手に余る。
略奪自体は成功しており、これ以上欲張ってつまらない怪我をしても面白くない。
(それよりそろそろ狩場を変える必要があるな)
あの二人はギルドからの差し金という話だった。
どうにも派手に隊商を襲いすぎた。
このまま居座ればさらなる戦力の投下もあり得る。
(ここいらが引き際だ。手に入れた人間と積み荷を金に換えて辺境を脱するとしよう)
と、そこまで予定を練ったところでマルメドは不自然なことに気付く。
「……おい、なぜアジトに見張りが立っていない?」
「え? ああ、そういや見当たらないですね……。どうせ留守番の連中が忘れちまったんですよ。きっと中で酒でも飲んでんじゃねえですか」
盗賊の一人がさして気にする様子もなくそう言ったが、マルメドの疑念は晴れるどころかますます強いものとなった。
見張りは用心深いマルメドが盗賊たちに厳重に言い含めていたことだった。
ただでさえアジトに残っているのは戦力が低い、役立たずの者なのだ。
見張りを立てず奇襲など受けたら、あっという間にやられる。
何度か忘れることがあったが、そのたびに厳しく罰した。
いくら単純な盗賊たちでも見張りを忘れて、酒を飲むなんてことあるのだろうか。
マルメドは何か嫌な予感がした。
――その時だった。
先にアジトの中に入って行った盗賊たちが吹き飛んで返ってくる。
反射的にマルメドは横に跳びそれを回避した。
風の余波で砂煙が舞い、手で目を庇う。
「ぐ、何が……何が起きた……?」
砂濡れの身を起こしながら混乱する思考をまとめる。
すぐさまマルメドは一つの仮定に辿り着いた。
「……っ、まさか」
アジトの入口で舞う砂煙の中から人影が現れる。
黒髪を赤いバンダナでまとめ、青いローブを身にまとった少年。
マルメドが今、最も殺してやりたいと思っている少年の姿がそこにはあった。