1-15 求めていたものはすぐ傍に
目を覚ますと、視界いっぱいに満点の夜空が広がっていた。
何やら頭の下には心地よい感触。
首をわずかに傾けるとエアリスの顔があった。
しばしの思考の末、彼女に膝枕をされているということを把握する。
これは一体どういう状況なんだ……?
「あ、ユーマ、起きた?」
エアリスのアンバーの瞳がすぐ真上から覗き込んでくる。
なんだこの恋人同士でやるような胸をくすぐられるシチュエーション。
「……なんでオレはエアリスに膝枕されてるんだ?」
「え、えっと……ユーマがちょっとうなされてたから、悪い夢でも見てたのかなって」
「夢? いや、どちらかというと悪い夢ではなかったけれど」
エアリスの頭に猫耳がのっかっていた夢だ。
最後に蹴り飛ばされて終わった夢だが、総合すれば間違いなく良い夢だった。
それにしてもあんな夢を見るとは。
欲求不満なんだろうか?
ちらりとエアリスの頭に目をやるが、そこには見慣れたバンダナが巻いてあるばかり。
それにしても妙にリアルな夢だった。
妄想にしてはエアリスの肢体が鮮明だったし、あごを蹴り抜かれた痛みも、身を浸した川の冷たさも、まるで実際に体感したようだった。
夢から覚めた今でさえあたかもずぶ濡れであるかのような錯覚にとらわれる。
ずぶ濡れであるかのような……。
「……なんでオレの服、こんなにぐっしょり濡れてるんだ?」
「さっき突然スコールが降ってきて」
「なんかあごの付近に鈍痛が走るんだけど、心当たりはないか?」
「虫歯とか?」
「そうか」
「そ、そうよ」
雨が降ってきたにしては地面が濡れていないし、虫歯を患っていた覚えもないが、エアリスがそう言うならそうなのかもしれない。
濡れて冷たくなったローブを脱ぎ、焚火の近くに吊るす。
中の服や下着にまで水が浸透してしまっていた。
よほど強い雨だったに違いない。
まるで川に飛び込んだかのように全身余すことなく濡れている。
異性の前ですべて脱ぐわけにもいかず、強い風を当てて水分を飛ばす。
温風ではないため生乾きだが、さっきよりはマシだろう。
あらかた作業を終え、エアリスの前に焚火を挟んで向かい合う形で腰を下ろす。
「ところでエアリス、オレは今そのバンダナの下に並々ならない興味があるんだけど、ちょっととってもらってもいいか?」
「ば、バンダナの下? そんなところに何も無いけど」
「いや、オレがこの世界で生きる理由が見つかる気がしてる」
「ないわよそんなもの!?」
ふむ。オレはあると言い、エアリスはないと言う。
その確率は平等にフィフティーフィフティー。
結果はバンダナをとってみるまでわからない。
これぞまさしく量子力学の問題点を突く思考実験、シュレディンガーの猫耳だ。
というわけでオレは普通にエアリスのバンダナをとった。
エアリスも抵抗せず、観念したようにされるがまま。
先ほどまでは頑なに夢オチで押し通そうとしていたが、さすがに本気で誤魔化せるとは思っていなかったのだろう。
バンダナの下からは髪の毛と同じ栗色の猫耳が現れた。
時折、ピクピクと動いていることから本物であることがわかる。
「なんで隠してたんだ?」
「……ユーマは獣人族が嫌いなんでしょ?」
エアリスは突然そんなことを言い出す。
意気消沈した態度で。
一体何を言ってるんだろうか、彼女は。
オレが獣人族を嫌っている?
馬鹿な。むしろこの世界で、この異世界で一番愛している自信すらある。
獣人族と人族が最終戦争を始めたら、獣人族の味方をするぐらいだ。
「見てたらわかるわよ。だってユーマ、街で獣人族を見かけるたびに失望したような、怒りに満ちた顔をしてたもの」
「………」
確かにしてたけども。
だって会う獣人族全員が男だったんだもの。
いかつい虎の獣人族に、顔中傷だらけの熊の獣人族。
そして、極めつけはオルゲルト並みのマッチョなウサギ耳の獣人族ときた。
男の獣耳なんて誰得? って話である。
まさかそのせいでずっと勘違いされていたのか……?
「誤解だからそれ……」
「え?」
「嫌いなわけないだろ。どうしてオレがお前を嫌うんだ」
なんて間抜けな勘違いだ。
まさか、そのせいで念願の獣耳娘を見つけそこなっていたとは。
文字通り日頃の行いが祟ったか。
なんてことはない、待ち望んでいた獣耳っ娘はいつもすぐ近くにいたのだ。
「獣人族だからってオレの見る目が変わるとでも思ったのか? あり得ないだろ、そんなの。せいぜい話す時、視線がやや上の方に上昇するだけだ」
この世界にはそういう種族や民族差別が根付いているのだろう。
だけど、異世界人であるオレには何の関係もない。
知ったことじゃない。
オレはエアリスがどんな種族であっても変わらずパーティーを組んだだろう。
猫耳装備によりエアリスの魅力値がアップすることはあれど、ダウンなんてしない。
「あまりオレを見くびるなよ、エアリス」
「ユーマ……」
「オレは猫耳にエアリスがついていたとしても気にするような男じゃない」
「気になる発言が出た! なんであたしのほうがおまけになっているのよ!?」
「オレはエアリスに猫耳がついていても、尻尾がついていても、肉球がついていても気にするような男じゃない」
「さすがに肉球はないけども!」
馬鹿なボケと突っ込みの応酬。
しんみりとした空気になると無性に壊したくなる。
シリアスパートはどうも苦手だ。
何を言えばいいかわからない。
ここでかっこいいセリフの一つも言えればいいのだが、生憎と思いつかない。
それでも、締まらない口調ながらも、オレは言った。
「まあ、なんていうか……安心しろよ。間違いなくオレはお前の友達だから」
「……うん、ありがとう」
エアリスは小さく、それでも嬉しそうに笑った。
満面の笑みではないのはオレを疑ったことに対する罪悪感のためか、はたまた勘違いをしていた自分に対する呆れのためだろうか。
「しかし、獣人嫌いか。いるんだな、そんな社会のクズが。人類の汚点が。世界への背徳者が。なんで生存が許されてんの? そいつら」
「そこまで言うか……。あまりいい気分はしないのは確かだけど。この国の主教はクロニクル教だから特にそういう人が多いのよ」
「クロニクル教?」
「だから何で知らないのよ」
いつも通りの苦言を呈しながらも、エアリスの説明が始まる。
クロニクル教はいわば『他種族の排斥を掲げる人族至上主義』の宗教であるらしい。
元々は魔族の排除を教義としていたが、年月を経るにつれそのような形に落ち着いた。
他種族全般がその対象なのだが、エルフも魔族も滅多に見かけないため、必然的に矛先は獣人族に集中するようになる。
「人族と魔族は仲が悪く、獣人族はそのとばっちりを受けたと」
「なんだか他人事ね……。大体仲が悪いなんて生易しいものじゃないわ。つい十五年ほど前まで戦争すらしてたんだから」
通称――人魔戦役。
それがつい十五年前まで行われていた戦争の俗称だ。
戦争の発端は二百年前に遡る。
争いの発端はとある魔族の一団が人族の領域に押し入り、境界付近の村々を襲い略奪を行ったことによるものだとされている。
人族は報復として騎士団や傭兵、冒険者を動員し、逆に魔族領へ進軍。
それに対抗して魔王が軍を派遣と。
そこからは押しつ押されつの泥沼の戦いだ。
もちろん二百年間、ひたすら大陸全土を巻き込むような戦いをしていたわけではない。
停戦と開戦、熱戦と冷戦の繰り返し。
人族領と魔族領の境目で小競り合いのような戦いが繰り広げられていた。
時にどちらかが押し込まれるようなことはあっても、すぐに盛り返す。
「クロニクル教はその戦争で勢力を伸ばした宗教よ。そして、このカレンディア王国は勇者を擁して特に激しく魔族と戦った国だからクロニクル教を主教にしてるの」
「今は停戦状態なんだよな。どうやって決着したんだ? やっぱり勇者が仲間とともに魔王城に乗り込んで魔王を退治して終わったとか?」
「物語でそんなのを聞いたことがある気がするわね……。でも十五年前は強力な魔王が軍勢を率いてたから人族領が戦いの場になってたらしいわ。何でも勇者と魔王は一騎打ちの末に相討ちになったとか。それが決着ね」
勇者と魔王か。
ちょくちょく話には出ていたが。
「なんでエアリスはわざわざ種族を隠してまでこのクロニクル教とやらが盛んなこの国に? 冒険者ならどこでもできるだろ」
「カレンディア王国は他のどの国よりも冒険者ギルドの支援が充実してるのよ」
「お前、本当に後先考えないことがあるよな……」
ショートカットのためにオーガが生息する森を抜けようとしたことといい。
鬱憤を晴らすためにEランクパーティーを叩きのめそうとしたことといい。
オレも人のことばかり言えないけども。
「別に種族がばれても騎士団に退治されるってわけじゃないんだし、本当に酷かったらその時は別の街に行くつもりだったわ」
獣人族の迫害まで行おうとするのはクロニクル教でもごく一部の派閥の者のみらしい。
法も適応されており魔族はともかく、獣人族に危害を加えれば罰せられる。
だからといって気持ちのいいものではないだろう。
そんな生活はストレスが溜まりそうだ。
「オレとパーティーを組んでくれたのは? ……いや、組んでくれたときはまだオレが獣人嫌いっていう考えがなかったのか。その後だな。オレが獣人嫌いだと思った時点で突き放せばよかっただろ。そんな隠してまで一緒にいる意味なんて」
「じゃあ、ユーマが逆の立場だったらあたしのこと突き放せた?」
「それは……寂しいけれど」
オレが答えを濁すと、エアリスは片眼をつむった。
「あたしも同じ。命懸けで助けてくれたユーマを嫌えなかったし、一緒にいて楽しかったから突き放せなかった。冒険すればするほどに」
「まあ、結局はあたしの勘違いだったんだけどね」とエアリスは苦笑いした。
それは素直に嬉しいが、それならそれでもう少しこちらを信頼して、打ち明けてくれてもよかったと思う。
あるいはだからこそ言い出せなかったのか。
居心地のいい関係を壊すのが怖くて。
オレはふと、手に持ったままのバンダナに意識が行った。
初めて出会った時から彼女がいつもつけていた赤いバンダナに。
「それじゃあ、ありがたく頂きます」
「なんで当たり前のように自分の物にしてるの!?」
「実は狙ってた」
「だ、ダメよ。それがなかったら獣人嫌いの人族に絡まれたりするから……」
物憂げな様子でエアリスが自身の猫耳を手で梳く。
「でもカリスの街には普通に獣人族がいたよな?」
「ああいう体格に恵まれた男の獣人族に絡むようなバカはいないわ。身体能力は獣人族のほうが上なんだし、ちょっかいなんてかけても返り討ちに遭うだけだもの。でも女子供の獣人族がいたら、獣人嫌いの奴は積極的に絡んでくるのよ」
なんだと……街で獣人族の女の子を見かけなかったのはそういうわけだったのか。
許せん、あとでクロニクル教徒は一人残らず狩り尽くしてやる!
「大丈夫だ。エアリスは一人じゃない。オレがいるだろ」
「あたしが獣人嫌いに絡まれたら……ユーマが守ってくれるの?」
澄んだ眼差しでエアリスがじっと見詰めてくる。
オレはその問いに愚問だとばかりにフッと笑うと、そのバンダナを頭に巻いた。
「もちろんそんなことはしないけど」
「………」
無言で掴みかかって来るエアリス。
オレは手に入れたばかりの戦利品を奪われないように必死にガードした。
エアリスの「それでも男か!」と言わんばかりの非難じみた視線が痛い。
だけど、オレよりエアリスの方が絶対に喧嘩が強いだろう。
絡まれても一人で返り討ちにできるはずだ。
「だけど、その時はエアリスと一緒になって暴れるぐらいはしてやる。お前の気が済むまでとことん付き合ってやるから」
「……む、むう。まあ……それなら」
むにむにと口元を複雑な感情で動かすエアリス。
不承不承といった様子ながら納得してくれたようだった。
「これで良し……っと」
ずれたバンダナを調整する。
エアリスがしていたように全面を覆うのではなく、額で帯状に巻くとしっくりきた。
それにしても、エアリスが獣耳持ちだったとはな。
そんなそぶり少しも見せていなかったから全然気づかなかった。
いや、思い返してみるとそれらしき節はあったか?
頭を触られるのを避けたり、たまにバンダナの中で何かが蠢いていたりしていた。
ただ単にオレがぼんやりしていただけだな。
「ところでその猫耳、少しモフってみても……」
「そういえばとっくに見張りの交代の時間は過ぎてたわね。あたしは寝るわ」
猫耳への情動を抑えきれず打診するが、遠回しに断られた。
しかしそこをなんとかと、深々と無言で拝むとエアリスは折れた。
「……もうちょっとだけ焚火で温まってからね」
そう言ってエアリスはオレの膝に頭を預ける。
やがて規則正しい寝息が聞こえてきた。
彼女の猫耳の触り心地が極上だったのは言うまでもない。