1-13 待ちわびていた瞬間
カリスの街を出発して三日が経過した。
その日もオレは魔法の鍛錬に精を出していた。
魔法を覚えてからそんなに日がたっていないが、かなり上達したように思う。
やはり、現代の科学知識というのはイメージを鮮明にするため、大きなアドバンテージになるという仮説は当たっているのかもしれない。
オルゲルトと戦ったときこれほどの上達度があれば、あるいは勝てていたかも――。
……いや、絶対に無理だな。
勝つ以前にあの化け物ギルド長にダメージを与えられる気がしない。
あの体には鋭利なナイフすら刺さらない気がする。
おそらくは人類の最終到達地点。
勝利のビジョンがさっぱり浮かんでこない。
だが、今のオレならオルゲルトを吹き飛ばした際にきりもみ回転も加えられる。
だからどうしたという話だが。
一方、エアリスは穏やかな日差しの下、オレの隣でスースーと寝息を立てながら、実に気持ちよさそうに眠っている。
やることがなさ過ぎてついにお昼寝タイムに入りやがった。
ベテランの冒険者にあるまじき醜態だ。
真面目に仕事しろと声高に叫びたいが、寝ていても危険察知は働くらしい。
だからと言って寝ていい理由にはならないと思う。
「……体がバキバキだ」
ずっと座りっぱなしというのも案外疲れるものだ。
体のこわばりをほぐそうと伸びをする。
何もしなくてもいいから仕事としては楽なのだが、とにかく暇だ。
魔法の練習もひたすら同じような作業の繰り返し。
さすがに何時間も続けていると、集中力が途切れ始めてくる。
そろそろ盗賊が現れないかと思うが、そもそもこの依頼で必ず会える保証はない。
他の隊商も行き来していることを考えれば、確率は決して高くないだろう。
あの夜以来、パーティー間の空気はすこぶる悪い。
表立った問題が起きているわけではないが、なにがきっかけで暴発するかわからない。
できることなら早く抜けてしまいたいのが本音だ。
このまま盗賊団の襲撃がなければずっと顔を合わせ続ける羽目になる。
考えるだけでも憂鬱だ。
今後の予定に思わずため息を吐いた時だった。
うつらうつらと舟をこいでいたエアリスがぱちりと目を開ける。
そして、何かを確認するとコテンと寄りかかるようにオレの肩に頭を預けてきた。
突然のスキンシップにドキリと心臓が跳ねた。
「あ、あの……エアリス、さん?」
デレ期か?
ついにデレ期が来たのか!?
と、よくわからないまま謎の歓喜をしたのもつかの間。
――突如、エアリスの頭があった場所から矢が突き抜けた。
「……襲撃してきたわね」
至極冷静に告げるエアリス。
危険察知であらかじめ飛来する矢を認識していたのだろう。
エアリスはオレの目による抗議を無視し、懐にしまっていた笛を吹き鳴らす。
盗賊団や魔物による襲撃をほかの馬車に乗車しているメンバーに知らせるための笛だ。
甲高い音が辺りに響き渡り、ほどなくして全ての馬車が停止した。
馬車の影から外を観察するエアリスに文句をつける。
「危険がわかったなら先に教えてくれ! いろいろ心臓に悪いんだよ!」
「とっさで声が出なかったのよ」
それはわからなくもないけど。
にしても危なかったな。
エアリスの危険察知があるから意味のない仮定だが、もう少し横にずれていたらあの矢はオレの頭に命中していただろう。
「ん? 待てよ? いくら危険察知があると言ってもエアリスが感じる危険はあくまで自分自身に対するものであって、もしオレの方に矢が飛んできてたら……?」
「……ごめんなさい」
「謝るなよ!?」
言いたい文句はあったがそれは後回しにし、とりあえず状況を確認しようと矢が当たらないように頭を低くしながら素早く周囲の警戒にあたる。
馬車の右手に五名、左手に四名。
皆、どことなく薄汚れた格好をしている。
ここ最近辺境を荒らしまわっている盗賊で間違いないだろう。
「まさか一つ目の依頼でヒットするとはな。勘も馬鹿にならないな」
「うん。あたしもちょっと驚いてる。けど好都合ね。予定通り依頼をこなすわよ」
弓矢を持っているのはそのうち二名、残りは剣や槍で武装している。
見た感じ魔術師は有していないようだ。
先程の弓矢でこちら側に死者は出ていない。
恐らく足止めのための威嚇射撃だったのだろう。
エアリスに当たりかけた矢もあったが、さほど弓の腕に自信がないらしく、全員が近接武器を手に怒声を上げて走り寄ってくる。
「どうする? さっそく仕掛けるか?」
「待って、もう少し様子を窺いたいわ。一人も逃がさないようギリギリまで近くに引き寄せたいし、何より……物陰にまだ何人も隠れてる」
「本当か?」
「気配がするの。間違いないわ」
達人じみたことを言いだしたな。
断言できるほどに人の気を感じ取れるのか。
隊商が止まったのは絶妙に見晴らしの悪い場所だった。
立ち並ぶ樹木で視界は遮られているし、身を隠せそうな場所はいくつもある。
「随分と用心深いわね。頭の回る盗賊でもいるのかしら。ユーマ、見つからないように馬車から身を乗り出さないで……って」
「はははははは! 間抜けな盗賊どもめ! 俺たちがいるとも知らずにのこのこ出てくるとは可哀想な奴らだぜ! お前らやっちまえ!」
感覚を研ぎ澄ませて敵の位置を絞ろうとするエアリスだったが、得物を片手に勇み足で馬車から飛び出したEランクパーティーに瞠目する。
「……あいつら、本当によくあんな頭と実力でこの辺境でやってこれたわね」
出鼻をくじかれぼんやりと彼らを見送るエアリス。
マルメドはもう少し戦場が俯瞰できているのか、馬車で待機しているようだった。
「こうなった以上仕方ないわ。Eランクパーティーに注意が向いている間にあたしは周辺を調べる。ユーマはここで待機して状況が動いたら自分の判断で動いて」
「わかった。気をつけて行けよ。あっちの加勢はどうする?」
「やめておいたほうが良いわね。どこに敵が隠れているかわからない状況で魔術師が前衛もなしに戦うのはあまりお勧めできない。突発的な事態に対応できないし」
「いや、前衛なら……」
いるだろ、と言いかけてやめる。
あの晩の事件を顧みるに、他の冒険者が前衛を務めてくれそうにない。
マルメドもセルビオたちもオレを蛇蝎のごとく嫌っている。
まさか直接何かをしてくることはないだろうが、見捨てられるぐらいはあり得た。
「それに隊商の守りを手薄にするわけにもいかないわ。隙を突かれてメルティナさんたちが人質に取られでもしたら最悪よ」
「……そうだな」
オレたちの本分はあくまで隊商の護衛。
盗賊退治に気をとられ、依頼主を守り損ねては本末転倒だ。
それにEランクパーティーが今すぐ助けがいるほど切迫しているわけでもない。
戦況に合わせながら柔軟に動こう。
「あたしが戻ってくるまで待ってて。合流したら残りの盗賊を叩くわよ」
エアリスはそう言い残し、馬車から素早く降車する。
そのまま周囲の遮蔽物を利用しながら移動していき、すぐに姿が見えなくなった。
鮮やかともいえる身のこなし。
気づけた者はおそらくこの場にいないはずだ。
視線をEランクパーティーと盗賊の戦いの場に戻す。
冒険者たちは作戦も何もない力押しで戦っていたが、魔術師の存在と純粋な技量で倍以上の人数差にも関わらず戦いを有利に運べている。
基本的に盗賊にDランクを越えるような突出した戦力はいない。
それだけの実力があれば、普通は盗賊などに身をやつさなくとも表の世界、裏の世界を問わずどこかしらに雇用口があるからだ。
時間をかければ、このままEランクパーティーが押し切るだろう。
と、その時だった。
魔術師ゼオンの肩を矢が貫いた。
「ぎぃあっ!? い、痛ええ! なんなんだよ畜生ぉ!」
「くそ、何やってんだ!」
「なんだ!? 今どっから矢が飛んできやがった!」
矢が飛んできた方向を見ると矢を構える別の盗賊の姿があった。
Eランクパーティーをちょうど挟む位置。
やはり伏兵が潜んでいた。
彼らは知らず知らずのうちに誘い込まれていたらしい。
ちょうどここから正反対の場所であるため、エアリスも間に合わなかったようだ。
仲間の負傷、そして新たな敵の存在に彼らの間で動揺が広がる。
そこから一気に形成が傾いた。
魔術師が戦線を離脱したため、数がものを言い始める。
先ほどまでの大味な戦いのせいで大して盗賊の数を削れていなかったのも痛い。
人数比が二倍から三倍に傾き、位置取りも挟み撃ちに近いため、支えきれない。
三人の体に徐々に切り傷が増え、その顔に焦燥の色が浮かび始める。
気づけばオレは馬車から飛び降りていた。
風を纏い、全力で地を蹴る。
鍛錬の成果が出たのか、より緻密に風が操れているのがわかる。
マルメドが待機している三台目の馬車はスルー。
どうせ加勢を頼んでも断られるのは目に見えている。
断られるのがわかっているなら、わざわざ声をかける必要はない。
今は一分一秒が惜しい。
無駄な時間を使っている暇はない。
走りながら自問自答する。
どうしてオレはあいつらを助けようとしているのか、と。
あいつらに好感情はなく、それどころか恨みすらある。
現在陥っているこの状況だってあいつらの軽率な判断による自己責任だ。
安全をとるならエアリスが戻ってくるのを待つべきだろう。
愚かな選択をしてしまったという自覚もある。
あとあと自分の行動を振り返った時、抱くのは「よくやった!」という誇らしげな気持ちではなく、「何をやってるんだか……」という呆れの感情だろう。
それもわかっている。
それでも助けに行く。
オレは善人なんかじゃない。
元の世界にいた時は絶対にこんなことはしなかっただろう。
オレは異世界という非日常を体感して気分が高揚しているだけなのだ。
これは夢見がちな現代人が気まぐれで行うただの偽善、思い出づくり、自己満足なのだろう。
正義や義侠心だなんて高尚なものでは断じてない。
そう、オレはただ単に――盗賊に襲われピンチに陥っている人を助けるというテンプレをこなしたいだけだ!
目の前でさらにヘイゼルがやられた。
盗賊に肩から腰にかけてざっくりと切られ、鮮血が飛び散る。
切られたヘイゼルは声にならない悲鳴を上げ、倒れこむ。
あの様子では剣を振るうことはおろか、立ち上がることすらおぼつかないだろう。
これで戦えるのは残りセルビオとケスタの二人。
対する盗賊は多少の負傷者はあれど、いまだに欠員はない。
Eランクパーティーはいよいよ追い詰められた。
それを見てオレはさらに走るスピードを上げていく。
「伏せてろ!」
到達まであと数十メートルというところで、何名かの盗賊がこちらを向く。
たがオレを見た途端、すぐに警戒を薄れさせた。
露骨に侮っているのが伝わってくる。
「はっ、隠れていたネズミがのこのこと出てきやがったようだぜ!」
「馬鹿がっ! 状況も理解できないのかよ!」
オレを返り討ちにしようと三人の盗賊が進み出た。
残りの盗賊は目の前の冒険者二人を片付けてしまおうと背を向ける。
関係ない。全員まとめて射線の上だ。
走りながら魔法を練り上げる。
出し惜しみはせず、初手から全力砲火。
今オレが使うことができる最強の攻撃を正面の敵に向けて展開する。
〝突風″改め――、
「〝竜巻″!」
暴れ狂う風の奔流が標的めがけて空気をかき混ぜながら大地をなめた。
唐突に放たれた魔法の暴虐に先ほどの余裕は一転、盗賊たちは表情を凍り付かせた。
「は……はあっ!? な、なんだこの魔法は!?」
「こいつは雑魚のはずじゃ……!」
慌てて回避行動をとろうとするが、一歩目すら間に合わない。
元とはいえ、不意を突いたとはいえ、Sランク冒険者ですら回避できなかったこの一撃。
たかが盗賊程度にどうこうできるはずがない。
範囲から外した冒険者を残して、盗賊は一人も残さず風に飲み込まれた。
改良前と変わらずこの魔法にさほど殺傷力はない。
敵を吹き飛ばすことだけに特化している。
しかし改良点として旋回運動を加えたため、風に囚われた敵はきりもみ回転することになり、頭を激しくシェイクされて意識ごと吹っ飛ばされる。
盗賊たちは派手に宙を舞ってから、慣性を振り切るまで地面を滑るように転がった。
倒れた全員に動きがないことを確認してなお、気を緩めない。
さすがに学習した。
ここで油断したり調子に乗れば良くないことが起きる。
隠れ潜んでいた敵をエアリスが倒したのを確認するまでオレは緊張を解かなかった。