1-1 物語の始まり
初投稿です。
オレは一人、森の中を彷徨っていた。
一面見渡す限り鬱蒼と茂る木が続き、人工物は一切見当たらない。
生息する植物をよく調べてみれば、それが地球上に存在するモノとは微妙に異なっていることに気付けるはずだ。
それもそのはず、ここは『異世界』なのだから。
今のオレの状況を一言で表すならば、遭難というのが適しているだろうか。
道もわからず、食料もないのだからおそらく間違っていないだろう。
そして、そんな愉快な異世界遭難生活は今日で四日目に突入しようとしていた。
ここに至るまでの経緯はそう難しくはない。
河川敷をてくてく歩いていたところ、気づけばこの森にいた。終わり。
……いや、説明がめんどくさくて端折ったとかそう言う事ではない。
本当にそんな感じだったのだ。
オレの異世界転移は何の前触れも脈絡もなく唐突に起きた。
足元に魔法陣が浮かびあがるわけでも、光に包まれたわけでも、トラックに轢かれたわけでもなく、ほんの一瞬意識を離した隙に完了していた。
それはもう芸術的とさえ言っていいほどの鮮やかな手口だった。
とは言うものの、この件には下手人と呼ばれるような存在はいないと考えている。
転移した直後から今にかけて誰からの接触もなかった。
「お待ちしておりました勇者様、どうか我々を魔王の手からお救いください!」と懇願する美少女のお姫様も、「間違って殺しちゃいました、えへっ♪」とか言って土下座する美少女の神様もスタンバイしておらず、完全なる放置プレイ。
華も味気もない、命の危険ばかりが盛りだくさんのサバイバル生活の幕開けだった。
「人間の歩行速度は平均して、時速四キロ。森の中の歩きにくさや勾配を考慮するとなると、もう少し速度は落ちるな。そして、今日までに大体二十時間ぐらい歩いて、途中で七、八回ほど発狂とともに全力ダッシュしたことを含めると……五十キロってとこか?」
足を動かしながらこれまでに踏破したであろう大まかな道のりを算出する。
フルマラソンを走ったと考えるとそこそこの距離だ。
我ながら自慢していい成果だと思う。
しかし、人里がいまだに発見できていないのでは喜びも半減だ。
方位磁石こそないが太陽の動きで方角を測っているため、同じ場所をぐるぐる回っているということはないはずなのだが……。
「そろそろ体力がきつくなってきたな……」
長時間の移動の疲れと空腹で頭の中をご馳走がいくつもよぎる。
動物を狩る手段はあるにはあるのだが、火がない以上はどうにもならない。
乾いた木をこすり合わせて火をおこすことも試してみたものの、いたずらに手にマメをつくる結果に終わった。
木の実でどうにか飢えを凌いでいるものの、体力の消耗が気にかかる。
夜は安全のために木の上で睡眠をとっており、ロクに疲れが取れない。
異世界に召喚されたんだから定番の身体機能や体力向上のサービスぐらいは欲しかったが、確認している中で大きな変動は見られなかった。
不確かな思いつきに喜び勇み、お試しで木を殴った拳が玉砕したのは苦い思い出だ。
……いや、あると思ったんだよ、あの時は。
ただまあ、まったく何もないというわけでもなかった。
ひとつだけオレが持っているものがある。
――魔法。
オレは自分の手に視線を落とした。
間抜けな実験によって負傷している手の甲の方ではなく、手のひらへと。
軽く集中するとつむじ風が生まれ、手のひらを撫でた。
そう、この世界にはファンタジー世界定番の魔法が存在するのである。
元々魔法のない世界から来たオレがどうしてそれを使えるのかは不明である。
魔法が使えることを知れたのも半ば偶然だった。
またオレが使えるのは風魔法ただ一種類のみ。
他にも思いつく限りの属性を試してみたが、何も起きることはなかった。
まあ、これ以上望むのも贅沢な話だ。
この森には驚くほど多くの生物が住んでいる。
それも元いた世界とは強さも数も比べ物にならないほどの。
もしこの魔法の力がなければとても今日まで生き延びることはできなかっただろう。
しかし、やはりどうも地味さが否めない。
ここはもっと特異能力的な何かを設定しておくべきではないだろうか。
小さく溜息を一つ零しながら風魔法を解除し、前へと向き直る。
そのまま一歩を踏み出そうとした時だった。
「……地面が揺れて……?」
かすかな地響きを感じ、辺りを見る。
揺れはごく軽微なもので歩行に支障をきたすレベルではない。
しかし、地響きの音に混じってミシミシと木が折れ、地に沈む音も聞こえてくる。
「地震、じゃないのか? じゃあ、これは……」
何か嫌なものを感じ、近場の木に登る。
眠る時や街を探すのに何度か登る機会があったため、この程度はお手の物だ。
やがて手ごろな高さに至り、ゆっくりと周囲を見渡した。
音の発生源を頼りに観察すると、異変はすぐに見つかった。
小さな一戸建て住宅と同等のサイズの巨人が木をなぎ倒しながら地を駆けていたのだ。
この世界に棲む生物、俗にいう魔物というやつである。
オレもこの世界に来てから少なくない頻度で遭遇し、戦闘を行っている。
だが、ここまで巨大で危険そうな魔物は見たことがない。
巨人は眼下の獲物を追い回すのに夢中になっているのか、こちらに気付く様子はない。
「今の内に離れておくか」
オレは数秒ほどその様子を眺め、すぐさま結論を出す。
君子危うきに近寄らず。
戦うには危険すぎる上、何一つとして旨みがない。
金も経験値も、今夜の晩御飯すら落とさないとくれば労力の無駄だ。
それから一息に木から飛び降りようとしたところで、視界に何かが映った気がした。
「……なんだろう。知らない方が幸せな気がする。知ってしまえばオレの心の平穏が失われてしまうような、そんな気が……」
ぼやきながらオレは視線を戻した。
あるいは既にその時点で察しがついていたのかもしれない。
知るべきでないことが何で、それを知ってしまうことで自分がどう行動するのかが。
目を細めながら先ほどの位置に焦点を合わせる。
木々に遮られてすぐには発見できなかったが、やがてその姿を見つける。
巨人に追われる哀れな獲物――赤いバンダナをつけた少女の姿に。
細かな表情こそ見えないが、焦ったような雰囲気だけはひしひしと伝わってきた。
「……っ、ああもう、助けろってことですね!? わかります!」
刹那の躊躇の後、やけくそ気味に叫びながら今度こそ木から飛び降りる。
不格好に着地を決め、オレはすぐさま走り出した。
人道的観点からも遭難者としての立場からも見過ごすわけにはいかない。
助ければ街までの道案内を頼めるだろうと自分を納得させ、少女の元へ向かった。
森の中の悪路を全速力で駆け抜けていく。
ふと視線をあげると別の魔物の集団が目に入った。
少し尖った耳に緑色の肌を持つ小柄な体躯のこれまた人型の魔物、ゴブリン。
個体によっては古びた武器を握りしめた者や、革製の防具を身に着けた者もいる。
向こうにとってもこの遭遇は予想外のことだったらしく、少しの間目を丸くしていたが、すぐさま耳障りな声をあげ、醜悪な笑みとともに襲い掛かって来た。
こんなときに遭うとは幸先が悪い。
げんなりしながらも、走る速度を緩めずに集団に突っ込む。
ゴブリンは決して強い魔物ではない。
むしろ強さ的にはほとんど最下層に位置する魔物だ。
それでも武器や防具を扱う知能と相応の腕力を保持しており、何より数が多い。
大人でも武器も持たずに一人で立ち向かえば、数の暴力に蹂躙されることになるだろう。
だが、今のオレには魔法という心強い味方がある。
走りながら右手をかざす。
意識の集中とともにかすかな抵抗を感じられた。
本来は起こりえないことを発現させようとして抵抗にあったような感覚だろうか。
オレはそれを一秒とかけず破り去る。
これまでもすでに幾度となく繰り返した手順であるため淀みはない。
感覚が一気にクリアになり、手のひらで風が舞い踊る。
「〝風の弾丸″!」
詠唱と同時に圧縮された空気の弾丸が次々と射出される。
魔弾を受けたゴブリンは荒れた地面を跳ねながら転がり、動かなくなった。
実際に撃った経験はないが多分拳銃と同程度の威力はある。
仲間が瞬く間にやられたことで、他のゴブリンにも動揺が走る。
その隙を見逃さず、走り込んだ勢いのまま一匹に向けて飛び蹴りをかます。
洗練された攻撃とはいいがたいが、この程度の魔物相手なら十分だ。
勢いと体重をのせた足は小柄なゴブリンを昏倒させた。
ここにきてようやく我に返ったのか、残りのゴブリンも動き出した。
手には錆びの酷い武器が握られている。
切れ味はほとんどないのだが、衛生的ではないため怪我を負わされるのは避けたい。
ゴブリンが雑に振り回す武器を慌ててよけながら、再度詠唱を行う。
「〝突風″!」
自分を中心に置き、円状に強風を発生させる。
同時に先ほどはほとんど感じられなかった倦怠感が襲ってきた。
しかし、この症状にもある程度の耐性ができていたため、行動に支障はない。
物理法則を明後日の方向に放り投げている魔法ではあるが、もちろん代償は伴う。
発動する魔法の規模や回数に応じて倦怠感が強まるのだ。
いつ魔物と遭遇しても対処できるように常に最低限の余力を残すようにしているため、使い切った際のペナルティーはまだ検証できていないが、倦怠感の度合いを考えればとても戦闘できるような状態ではないだろう。
それでもこの程度の魔法を数回使ったぐらいでは問題はない。
「グギャ!?」
渦巻く風の猛威が容赦なくゴブリンに振るわれる。
直接的な殺傷力こそないものの、その威力はゴブリンを巻き込み吹き飛ばす。
ある者は体を木に打ち付け、ある者は高く上空に飛ばされ地面に叩き付けられた。
この攻撃で大半が戦闘不能になり、運よく範囲外に逃れたゴブリンも怖気づく。
オレはとどめを刺すことはせず、そのまま脇をすり抜けた。
あまり時間を掛けてばかりもいられない。
「手遅れになってなきゃいいが……」
少々不安になりながらも予定ポイントへと到達する。
あと数分もしないうちに少女とそれを追う魔物がここに来るはずだ。
些細な音も聞き落とすまいと目を閉じ、全神経を耳に集中させる。
そのまま一分、二分と時間ばかりが過ぎていく。
近づいてくる気配はない。
進行方向からそれてしまったのか?
それともすでに魔物に追いつかれてしまったのか?
悪い想像ばかりが頭に浮かんでくる。
しかし、それは杞憂だった。
少し待つとかすかに地響きが聞こえてきた。
目をゆっくり開き、何時でも魔法を放てるように準備する。
姿を捕捉できるまであと数十秒といったところだろうか。
オレは気を落ち着かせるために軽く深呼吸を行った。
やがて人影が視界に入った。
残りの距離はおよそ百メートルといったところ。
その人影は器用に樹木をよけながら、背後の魔物に追いつかれまいと必死に走っていた。
少女はこちらに気付くと焦ったような様子を見せ、走りながらも懸命に叫ぶ。
「なんでこんなところに人が……!? オーガよ、逃げてっ!」
凛とした声が響き渡る。
年齢はオレと同じくらいといったところだろうか。
栗色のショートヘアを真っ赤なバンダナで包み、アンバーの瞳がこちらを見据える。
使い込まれた雰囲気の革鎧に指のでた手袋を身につけ、腰には一振りの剣。
少女はブーツをうるさく鳴らしながらこちらに向かって走ってきた。
必死で走る少女のすぐ背後には巨人の姿。
全身を盛り上がった筋肉がつつみ、迫力のある凶悪な顔がオレを見下ろす。
その巨躯には鎖が巻かれ、ジャラジャラとやかましい金属音を鳴り響かせている。
それだけでもかなり重そうだが、少女がオーガと呼んでいたその巨人の動きはそんな様子を微塵も感じさせない。
足が地面を踏みしめるたびに小さな地響きが起こり、砂ぼこりが舞った。
オーガは立ちはだかるオレの姿を見つけるや否や、咆哮をあげる。
それから目障りな、と言わんばかり巨拳をふりあげた。
「なにのんきに突っ立ってるのよ! 早くここから――」
動かないオレと攻撃態勢に入ったオーガを見て、少女が再度警告を発する。
声には苛立たしげな感情が入り混じっていた。
説明する間も惜しかったため、オレは少女の言葉を無視し、詠唱を行った。
手の平をオーガに向け、力を籠める。
「〝風の弾丸――散弾″!」
空気を圧縮して作った弾丸を束ねる。
『散弾』の名の通り、距離が離れれば離れるほど拡散し威力が減退するため、ギリギリまで標的を引き寄せてから放つ。
この魔法が破られれば、腕がひしゃげるなんて憂き目に遭うことだろう。
いや、その程度ではすむまい。
そのまま肩が壊され、最後に全身が粉砕されることになる。
迫りくる死の恐怖を打ち払い、オレは足をしっかりと踏みしめた。
「ガァァァァァァアアアアアアアアア!」
大気を震わすような咆哮と共に振り下ろされたオーガの拳に正面から魔弾をぶつける。
互いの攻撃が衝突した瞬間、周囲に風が吹き荒れた。
オレは歯を食いしばりながらオーガの攻撃を押しとどめる。
少女は目の前のことを信じられないかのように目を見開いた。
「嘘、でしょ……あのオーガと渡り合って……」
どれほどの停滞が場を支配していただろうか。
数秒か、あるいはもっと長い時間か。
実際の拮抗は一秒にも満たないほんの僅かな時間だったのだろう。
だが、オレには悠久にも等しい時間に感じられた。
そのまま静止していた世界が動き出し――。
「……あ、ダメなやつだこれ」
「え!?」
直後、オレの放った魔法を巨大な拳が突き破った。
評価・感想を貰えると励みになります。