序章 1 ハラドの思い出
のんびりと書いていきたいと思います。
よろしくお願いします。
パンタ=レイ。万物は流転する。時間はただ一方向に流れて行くものでは無く、空間は確たる姿形を持って存在するものでは無い。時空は大きな渦だ。そう、森羅万象全ての事象は大きなうねりを持って流転する。
僕はパンタ=レイの扉を開け、事象の地平線を超えてしまった。全てを捨て、前人未到の領域を抜け、人知を超えた。「全てを知る者」となるために。
故郷を飛び出してもう二十年になるだろうか? ただ一つの願いを叶えるため、世界の果てのそのまた向こう側までやって来た。
そう、もう一度あの貴女に会うために。
「おおーい! シレーアが帰って来たぞー! 」
その叫び声に小さな町は騒然と色めき立つ。王都から遠く離れた北方の小さな街カフカスに文字通り凱旋して来たのは、使い込まれた聖銀の鎧を身につけ腰には竜殺しヴァルムンクを帯びた女剣士であった。
彼女の故郷であるカフカスの人々に盛大に迎えられ、屈託のない笑顔で手を振る姿は十八歳のどこにでもいる女の子そのものであるが、彼女こそが一年に及ぶ遠征の末に邪竜ベルミルスラクスを討伐したカフカスの町始まって以来の上級上位の天才剣士シレーア・グラウミンその人なのであった。
その後に続くのは同じパーティの仲間である白魔術師の女エルフと斥候の男である。
二人は観衆に囲まれるシレーアから少し距離を取り、離れた所から彼女を眺めている。
「いやぁ、凄い人だかりだなぁ。シレーア大人気だね。」
「そりゃそうよ、シレーアはこの街始まって以来の天才剣士なんだから。十四歳で上級剣士になってから数々の凶悪な魔物を討伐して、この度はとうとうあの邪竜ベルミルスラクスをやっつけたのよ。」
「そうだよな、そりゃ街の人達も鼻が高いだろうな。でもさブランシェト、俺もこの街始まって以来の上級中位の斥候職なんだよ。」
「そうね。でもティム・ティン・トット、あなた地味だもの。」
「そうね。」
そう言ってがっくりとうなだれるティム。しかしその顔はどこか晴れやかだ。
「でも、彼女は俺達の誇りだよ。」
ティムがそう言うと、ブランシェトも「そうね」と短く答え、二人そろって眩しそうな目をしてシレーアを見る。するとその時小さな男の子が人混みを掻き分け飛び出しシレーアに抱きついた。
「お姉ちゃんお帰り! 」
シレーアは、そう言って飛びついてきて力いっぱい自分を抱きしめる男の子を見るや、整った美しい顔を破顔一笑させて抱きしめ返す。
「ただいま! ハラド! 」
そう言ってシレーアも強く抱きしめる。
「イタタタ! お姉ちゃん痛いよ! 」
「あ! ごめん、ごめん。お姉ちゃんドラゴンやっつけてさらに強くなったんだった。...大丈夫!? 」
そう言ってシレーアはハラドを地面に降ろす。ハラドは少しフラつきながらも「大丈夫!」と手を挙げる。
「それよりお姉ちゃん早く帰ろうよ! 院長先生がご飯を作って待ってるよ! 」
「ちょっと待ってね、お姉ちゃん帰って来たところだから、まだ街の人にちゃんと挨拶してないし、領主様にもご挨拶に行かなきゃ。」
「えー! あんな太っちょなんかに会いに行かなくてもいいよー! それにお前たちももうイイだろ、早く家に帰れよ! 」
そう言ってシレーアを囲む人だかりをシッシと追い払おうとする。
シレーアを取り囲んでいる街の住人達は皆ほがらかに笑っている。その中の一人が大笑いしながらハラドを囃し立てる
「ハッハッハ! シレーアが帰って来た途端に威勢が良くなったじゃないかハラド! 昨日までは毎日“お姉ちゃ〜ん” って泣いてたじゃないか! 」
「っな、泣いてなんか... ま、毎日じゃないだろ! 」
真っ赤な顔をして否定するハラド。頭をコツンとつつかれて振り向くと、目を細めてニヤニヤするシレーアと目が合う。
「え〜、ハラド泣き虫なおってないの〜!? 」
「な、な、なおってるよ! それにお姉ちゃんとの約束通りちゃんと毎日、院長先生のお手伝いしてるんだよ。」
ハラドがそう言うやシレーアに優しく抱きしめられ、真っ赤ななハラドの顔がさらに赤くなる。
「偉いねハラド。お姉ちゃんとの約束ちゃんと守ったんだね。頑張ったね。」
そう言ってハラドの頭をなぜると、ハラドは人目をはばからず大泣きする。
その光景をカフカスの町の住人は優しく見守っている。
ハラドとシレーアにとって街の住人達は家族である。街の人達もハラドとシレーアを自分達の子供の様に接して来た。
ハラドもシレーアも孤児でなのである。ハラドは黒魔導師夫婦のエドワード・セイガンとリン・セイガンの息子。シレーアは剣士夫婦のアレウス・グラウミンとオトーレ・グラウミンの娘だった。
二人の両親達は八年前、まだ冒険者ギルドの無かったカフカスを襲ったオークの集団から、たった四人で街を守り抜き亡くなった。ハラドとシレーアはこの街を救った英雄達の遺児なのである。
孤児院に引き取られた当時十歳のシレーアは産まれたばかりのハラドを抱きしめて離さなかった。街でも有名なガキ大将だったシレーアはこの時から片時もハラドから離れず甲斐甲斐しく世話をし、父母の跡を継ぐかの様に剣の修行にも明け暮れた。
そして剣技に天賦の才を見せたシレーアはたった一年で剣士となり、そこからさらに頭角を見せ、異例の事ながら十四歳の時に上級剣士にまで上り詰めた。
そこからの彼女の活躍は目まぐるしく、怪物達の王と呼ばれるテュポーンや、英雄殺しの異名を持つ巨大猪カリュドンなど一度現れれば天災として扱われる様な魔物を次々と討伐していった。
一方ハラドはシレーアに溺愛され甘やかされて育てられたため泣き虫な男の子になっていた。しかしシレーアを始め孤児院の院長先生や街の人々からとても愛されて育ち、いたずらっ子だがどの様な者にも分け隔てなく慈愛を注げる優しい子供に成長した。
カフカスの街を代表する英雄として絶えず努力を怠らず敬意と尊敬を集めるシレーアは街の皆から愛され、カフカスの住人の優しさや天真爛漫さを体現したかの様なハラドもまた皆から愛されていた。
なので往来できつく抱擁をする二人を町の人々は優しく見守るのであった。
そんな中で大きく咳払いをする音が響く。
「うおっほん。」その音にシレーアを始めとする街の住人が振り向く。そこには領主であるレクサン・セルゲ・シュキンが立っていた。クリクリ眼の太っちょである。
「街が騒がしいと思ったら。シレーア帰って来たのであるな! 一年にも及ぶ旅、誠にご苦労様であったなぁ。」
そう言ってあまり貴族らしく無い労いかたをする領主レクサン。シレーアは一歩前に出て跪く。それに続いて皆も跪く。
「これは領主様、わざわざお越し下さらなくとも後ほど私からご報告に上がりましたのに... 」
「いやいや、いいんだよシレーア。長旅で疲れているであろう? それに立っておくれ。皆も畏まらなくとも良い。
儂なんか三男坊の地方領主だ、今となってはシレーアの方が位が上なんじゃないか? 」
そう言うや住人達から笑いが起こる。
「であるから、早く帰ってピングビン院長を安心させてやっておくれ。」
これは年老いて足が悪くなってここまで歩いて来るのが困難になった、孤児院院長のピングビンを慮っての事であると察したシレーアは満面の笑みを浮かべて頷く。
「ありがとうございます! 領主様! 行くよハラド! 」
そう言ってシレーアはハラドを踵を返して連れて帰ろうとすると、背後から領主の声が出て飛んでくる。
「それと、ハラドよ儂は太っちょではない。コレは、そうだな... 威厳だ! 」
そう言って腹を掴んで揺する。
「うん... そうだね。またね領主様〜。」
「わかっとらんな... 」
領主のぼやきを背にハラドとシレーアは仲良く駆けて行く。
前置き長いですね。