わたしの素敵な王子様。
王子様が現れたのだと思った。
まだ見ぬわたしの王子様。
こちらを振り返ったとき、目が合ったとき、どうしていいかわからなくて俯いてしまった。
じっと足元を見ていたら、きれいな黒い靴が見えて、俯いたわたしの目に合わせて王子様がかがんでくれたの。
燃える炎のような赤い髪に、森の奥の湖のように深い蒼の瞳。
王子様は微笑んで、わたしに手を差し出したの。
「踊っていただけますか、お嬢さん」、て。
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「よかったわね」
特によかったとも思っていないような口ぶりで、親友のエルザは言った。
「どうしてそんなにそっけないの」
「何度聞くと思うのこの話」
「あなたに話すのは28回目よ」
「…たまげたわ、いろいろ」
ドレスの下で足を組み替えて(本当は足を組むのはお行儀が悪いわ)、エルザはため息を吐いた。
「そんだけご執心なのに、どこの誰だかわからないんでしょう」
「ええ、そうだけど」
わたしは答えた。
「わたしの王子様ですもの、必ずまた会えるわ」
「そりゃまぁ、会えはするでしょうけど」
エルザはとっても意地悪なの。
「あなたの王子様としてかはわからないわ」
「どうしてそんなことを言うの」
「だって本当のことでしょう」
エルザは眉根を寄せて言った。
「適齢期の素敵な男性が、他のお姫様を知らないなんてことはないわ」
わたしは立ち上がって言った。
「あの方はそんな不誠実な方ではないわ!」
エルザはまたため息を吐いた。
「あなたの不誠実は範囲が広いわね」
「ただ一度夜会で踊っただけ。
どこの誰かもわからない赤い髪のあなたの王子様は、あなたのことを憶えているかしら?」
なんてことを言うのかしら。
親友なら励まして欲しいわ。
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「待っていても迎えになんて来ないわよ」って、エルザが言うの。
だからお父様にお訊ねしたわ。
赤い髪の素敵な方。
少し困った顔をして、「それだけじゃわからない」とお父様は言った。
「わたしよりも背が高くて、とても深い色の瞳の方。
黒い靴を履いていらして、同じ色のモーニング。
とても聴こえのいい素敵なお声で、わたしに合わせてステップを進めてくださるの」
「それだけじゃわからない」ともう一度お父様は言った。
「どうしてその時お名前を伺わなかった?」
「だって王子様とは必ず巡り合うものだもの」
エルザと同じようにお父様もため息を吐いた。
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「自分で捜しておいで」とお父様が言うの。
だからたくさん夜会に出たわ。
でも手を差し伸べてくれるのは、素敵なだけの他の方なの。
「赤い髪の方を探して自分から声を掛ければいいじゃない」
エルザは天才だと思うわ。
「ねえ、なんて言えばいいの」
「そんなのその場のノリよ。
思ったことをお言いなさいな」
そうね、そうしてみることにするわ。
広い広い舞踏会場で、たったひとりの王子様。
ダンスよりも軽いステップで、わたしは赤い髪の方を捜した。
でも見つけた方はどなたも、赤い髪の素敵なだけの方なの。
わたしはとても疲れてしまった。
「きっと今日はいらしていないのだわ」
「そうね、先は長いわよ」
エルザは面白そうに笑った。
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ある時エルザが言ったの。
「王宮舞踏会があるわよ」って。
「貴族位令息であれば、必ず参加するはずだわ」
エルザは本当に最高の親友だわ。
「ねえ、わたしはどうしていればいい?」
「いつも通り捜せばいいのよ、赤髪の王子様を」
一番かわいいわたしになるの。
衣裳部屋をひっくり返して、一番かわいいドレスを選んだ。
「そちらよりもこちらの方がお似合いですよ」
そうね、とっても素敵、そちらにするわ。
「新しくドレスを仕立てようか?」
お父様が言ってくれたけど、わたし、このドレスがいいわ。
あの方の瞳と同じ色なの。
深い深い湖の色。
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たくさんの素敵な方が現れて、たくさんの手を差し伸べられた。
黒い靴が見える度に目を上げたけれど、ただ素敵なだけの方なの。
「ねえエルザ、あの方はもしかして天使だったのかしら?」
「なに言ってるのかしらこの子は。
ほら、あちらにも赤い髪の方がいらしてよ」
エルザが差した扇の先に、赤い髪の背中があった。
俯きながら近づいた。
この方は黒い靴ではない。
灰色のモーニングに艶を落とした鈍色の靴。
顔を上げるのが嫌になって、わたしはそのまま立ち尽くした。
「…もし、お嬢さん?」
降ってきた声に目を見開く。
「具合が悪いのですか?どうされました?」
とても聴こえのいい素敵なお声。
ええ、忘れたことなどないわ。
わたしは顔を上げて言った。
「あなたに会いに来ましたの。
わたしの王子様」
深い深い瞳が大きく見開かれた。
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今度はちゃんとお訊ねしたわ。
ユリアン・フォン・シャファト様。
わたしの素敵な王子様。
きっとまたお会いしましょうって、今度はちゃんと約束したの。
「よかったわね、オティーリエ」
エルザが言った。
わたしの自慢の親友よ。
とっても賢くて、いつもわたしを助けてくれるの。