第九話
ドアを開けるとそこにはマックスウェル先輩が立っていた。
さっき魔法学科の部屋で、パウル王子の側に立っていた人だ。
マックスウェル先輩は、肩まで伸びた長い銀髪、青い瞳、スラリとした長身で、一学年上どころか二十歳くらいに見えた。
リアルイケメン……けれど……どことなく冷たい感じと言うか……とっつきづらそうな印象だ。
マックスウェル先輩は、挨拶抜きでいきなり用件を切り出した。
「アルト・セーバー。引っ越しますから、荷物をまとめて下さい」
「えっ!?」
引っ越す? 俺が?
マックスウェル先輩のいきなりの言葉に混乱した。
そんな俺の気持ちなどお構いなしにマックスウェル先輩は、淡々と話を進める。
「パウル王子のご厚意であなたは『キングスホール寮』に入寮出来る事になりました。ですから、これから引っ越しです」
「キングスホール寮?」
パウル王子のご厚意……たぶんそれはスペシャルな事なのだろう。
けれども俺は田舎騎士爵の三男坊なのだ。貴族の基本的な常識も知らなければ、王立貴族学園の基礎知識も無い。父上も兄上も王立貴族学園を出ていないから、『キングスホール寮』と言われてもそれが何なのかわからないのだ。
「す……すげえ! キングスホール寮かよ!」
俺の背後でサンディが驚いている。
声が裏返っているよ。
「サンディ。キングスホール寮って?」
「アルト! オマエ……! ああ、知らないんだよな。アルトは……」
「すいませんねえ。基本的な部分が欠落していて……何せ田舎者なので……」
「ああ、わかった、わかった。キングスホール寮は、名門の寮だよ」
「名門の寮? それ何?」
俺はサンディの言う『名門の寮』と言うのが今一つピンと来なかった。
そもそもこの王立貴族学園は全寮制の学校だ。王族も上級貴族の子弟も、俺やサンディの様な下級貴族の子弟も必ず寮に入る。けれども前世の日本で学校と言えば通学するのが基本で、全寮制の学校は少数派だ。
だから、『名門の寮』と言うのがピンと来ないのだ。
サンディは噛んで含める様にゆっくりと説明してくれた。
「キングスホール寮の卒業生には、歴代の国王や大臣が沢山いる。だから、キングスホール寮のOBと言えば、どこへ行っても一目置かれる」
「なるほど……ブランドって訳か……」
「それだけじゃないぞ! 王国の偉い人はキングスホール寮のOBが多い。だから、仕事に困る事はないし、出世もしやすいって言うぜ」
「そうか……卒業生人脈が凄いって事か! だったらみんなキングスホール寮に入寮すれば良いじゃないか?」
俺は悪気なく素朴な疑問を口にしたのだけれど、サンディに呆れられてしまった。
「名門だから入寮の許可がなかなか下りないんだよ!」
「あ! そうか! 審査が厳しいのか!」
「そう! それに寮費もバカ高いって噂だぞ」
「ええー!」
寮費が高いのはダメだ。ウチは金が無い。
今いる最安のブラックドンキー寮だって、借金して払った。
これはだめだ! 正直に事情を話して辞退しよう。
「あのお……マックスウェル先輩……。申し上げにくいのですが……ウチはお金が無くてですね……このブラックドンキー寮も借金して入寮したくらいなのです。ですので~キングスホール寮の様に寮費が高いのは……」
「ああ。寮費の事なら心配いりません。パウル王子がお支払いになります」
「えっ!?」
「言っている意味が通じませんか? あなたはお金の心配をする必要はありません。体一つで引っ越せば良いのです。さ、早くしましょう」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
あまりの事態に俺はどうして良いか分からなかった。
こういう時はサンディに相談だ!
「サンディどうしたら……」
「バカ! 行けよ! キングスホール寮だぞ! 間違いなくオマエの人生は開けるんだ! その人について行け!」
「そうか! そうだよな!」
サンディの言う通りだ!
せっかくパウル王子様が紹介してくれて、お金まで払ってくれるんだ!
「わかりました! ちょっと待って下さい!」
俺はベッドの下から着替えの入ったズタ袋を引っ張り出した。
持って行く物はこれだけだ。
「荷物はそれだけですか?」
「はい!」
「では、行きましょう」
俺はマックスウェル先輩について部屋を出て行こうとした。
「じゃあな。アルト……」
サンディの寂しそうな声が背中に聞こえた。
振り向くとサンディが力なく笑っていた。
そうだ。
ここでブラックドンキー寮から出て行ったら、サンディとはあまり会えなくなるんじゃ……。
「サンディ、あのさ……」
「行けよ。アルト。オマエは俺とは違う道を歩いて行くんだ。俺の分も出世してくれよ」
「サンディ……」
そんな事を言うなよ!
会ったばかりだけれどサンディは良い友達だ。
田舎者の俺をバカにしないで、色々教えてくれた。
だけど俺が名門のキングスホール寮に行ったら……違う道って何だよ!
だけど俺は何となくサンディの言いたい事がわかった。
住む世界が違う。そう言いたいのだろう。
どうしたら良い……。
「どうしたんですか? アルト・セーバー。行きますよ」
マックスウェル先輩が俺を急かす。
だけど俺はここでサンディと別れるのはどうしても嫌だった。
俺は思い切ってマックスウェル先輩にサンディも一緒に行けるよう頼んでみる事にした。
「あの……マックスウェル先輩。サンディも一緒じゃダメですか?」
「なんですって?」
マックスウェル先輩の目がスッと細くなった。
おっかないな……。いや、でも、ここでひるんじゃだめだ!
マックスウェル先輩は冷たい感じではあるけれど、ちゃんと説明すれば聞いてくれそうな人だ。
たぶん筋が通っているとか、理屈があっていれば、ノーとはいわないタイプだと思う。
前世の経験でそういうタイプの先輩とお付き合いがあったが、マックスウェル先輩はそう言うタイプに思える。
何かもっともらしい理由を……。
サンディが必要な理由……。
サンディがいる事で生じるメリット……。
そうだ……。
俺はマックスウェル先輩を真っ直ぐ見て、なるたけ落ち着いた態度で話し始めた。
「サンディは僕の護衛に必要です」
「護衛ですか?」
思った通り! マックスウェル先輩は議論にのって来た。
頭ごなしに否定しないで俺が何を話すのか興味のある顔をしている。
「はい。さっき帰る途中で銀モールの上級生に絡まれたんですよ! えっとパウル王子のお兄様の……手下? 部下?」
「なに? ポアソン王子の配下に絡まれたのですか?」
「はい! そうです!」
マックスウェル先輩は、眉根を寄せて深刻な顔をしている。
思ったより効いている? よし、もっと押すぞ!
「サンディのお父さんは騎士団の所属で、サンディも騎士学科希望です。だから僕の側にいて護衛してくれたら良いと思うのです。それに……」
「続けなさい」
「それに僕は田舎者で貴族としての常識や基本的な知識が欠けています。だから……」
「なるほど。そこのサンディが君の知識を補完してくれると?」
「そうです! 僕にはサンディが必要です!」
マックスウェル先輩は、腕を組んで考えだした。
しばらくして淡々と答えた。
「良いでしょう。世話係としてなら許可します」
「世話係?」
「王立貴族学園は学生と先生、職員以外は基本的に立ち入り禁止です。ですから執事や召使いを伴って生活する事は出来ません。しかし、王族や高位の貴族子弟の場合は、身の回りの世話や補佐をする人間が必要です。学校といえども社交はありますから。そこで学生がその役割を担います」
「それが世話係ですか?」
「そうです。近しい下位の貴族子弟が行います。しかし、世話係といえどもキングスホール寮の卒業生には違いありません。ですから悪くないと思いますが」
なるほど!
それならサンディもキングスホール寮に来られる!
でも、サンディの実家も俺の所と同じ騎士爵だ。高額な寮費は払えない。
「それで寮費は?」
「こちらで用立てましょう。サンディも荷物をまとめて来なさい」
やった! それなら!
俺は振り返ってサンディに手を伸ばした。
「サンディ! 一緒に来てよ!」
サンディは両手で俺の手を握り返した。
「やった! やった! キングスホール寮だ! アルト! ありがとう!」
サンディは大はしゃぎで、手をブンブン振り回している。
「世話係だけど良いよね?」
「ああ、やるよ! 何でもやるよ! 護衛でも世話係でも任せとけよ!」
「では、二人とも! さっさと支度をしなさい! キングスホール寮に引っ越しますよ」
「はい!」
「はい!」
こうして俺とサンディはブラックドンキー寮を出て、名門キングスホール寮に住む事になった。
いや、本当にサンディが一緒に来てくれて良かった!
だって、俺みたいな小市民気質の人間が『名門』なんて無理だよ~。
ホント、頼りにしているよ! サンディ!