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雨の理想郷~欠陥循環都市~  作者: 唐沢アニサキス
3/4

1.都市はざわめく 2


 夜が明け、隣で眠るミナトを起こさぬようにベッドから抜け出し自宅を出ると、ある場所に歩を進める。雨は霧雨に変わっていて傘は無理にいらなさそうだ。

 カザミは自分にも好奇心と言う感情が残っていたことに些か驚いた。

 ミナトの話の大半には関わりを持ちたくないが、今回は少しだけ事情が違う。それはたった一つのキーワード。〈潜みし者ども〉。都市伝説にも似た街に蔓延する恐怖の権化。本当にいるのかいないのかは定かで無いし、いたとして何なのだと思う。しかし調べてみたい感情がむくむくと、檻を破って溢れ出すのをカザミは感じたのだ。これを好奇心と呼ばずにどうする。

 向かうのは一ニブロック。小さな露店が連なった『奇行窟』だ。その名の通り奇行者ばかりの場所であるが、その中には優秀な品物を扱うジャンクショップから、中々安価では手に入らない天然食材を扱う露店までも存在する。勿論どのようなルートで手に入ったのかは聞かない方が無難だ。カザミが向かうのはそれら魅力的な品物を扱う店でも、魅力的な肉体で誘う店でも、魅力と背徳で誘う薬物店でもない。露店の中でも一際目立つ地味な店。そこが目当ての場所。


「やぁやぁ、変態装具師。珍しいね」


「どうも」


 簡単な挨拶を交わした小さな老人。汚い格好の人間の多い中でこの店が地味な成りの割に目立つのは、派手な老人の格好に寄るところが大きい。だがもう一つ理由がある。様々な魅力的な物で人を誘う露店はそれなりの賑わいを見せている。しかしこの老人の営む露店だけが閑古鳥であるのだ。人の並ばない店はここでは非常に目立つ。ここに住む彼らにとって〈情報屋〉には魅力を感じないらしい。

 綺麗な作りの紙巻煙草を吸い、その口から紫煙を吐き出すと、老人は尋ねる。


「で、何の用だいね。変態装具士」


 彼の中ではカザミは変態装具士。本来有用性の無い中型作業用装具を扱うことから付けられたあだ名だ。そう呼ばれるのに抵抗はあるが、訂正を促すほどではない。


「知り合いから聞きました。〈潜みし者ども〉のことについて」


 煙草から灰が落ちる。老人は目を細めて鼻で笑った。


「今時〈眷属〉の話かい。本当にお前さんは変態だいね」


 〈眷属〉とは〈潜みし者ども〉の古い呼び名だ。どういう敬意でそう呼ばれるのかカザミは知らない。聞いても老人ははぐらかし教えてはくれない。もしくは老人も端から理由を知らないのか。


「ここ最近の情報が欲しいのです。〈潜みし者ども〉について」


「お前さんは自分で〈眷属〉について調べたのかいね? それとも何も調べずとも、ここに来れば有益な情報が手に入ると思ったのかいね?」


「調べていません。下手な情報は偏見と、真実に対してあらぬ疑心を生むだけです。素人の私が調べて余計な知識を得てしまうよりも、あなたの正確な情報を初めから貰った方が効率的でもある」


 老人は煙草を落とさないように起用にニヤリと笑うと、「わかってるじゃねーかいね」と上機嫌にノート端末を取り出した。出てきたのは相変わらず古い型の薄汚れた端末。まだ文字入力が実体キーボード形式の頃の物だ。出すところに出せば結構な値がつきそうな骨董品である。


「〈眷属〉が以前現れたと言われているのは今から五年前の話だいね。その頃に見たって連中は大半が死んじまって正確な記録はねー。連中の死は新種の疫病が原因っつー記録が正式なもんだがよ、新種なのにも拘わらずそんなにすぐ沈静化するのは不自然だいね。ただでさえこの『イブ』にゃまともな医者が不足して、ちょっとした病気でポックリ逝っちまうってぇのに」


 医者不足は『イブ』の直面する第二の脅威である。公開されている正式な記録で七年前、医者の中に殺人鬼が潜んでいるという妙な噂が立ち、一部の過激派が医者を殺して回ったのだ。

 カザミはこの情報に、一抹の嘘臭さを感じている。


「〈眷属〉はまるで水棲生物のような外見をしたものから、木々のようなもんまで様々だって話だがよ、どれも気狂い起こした連中の言うことだから信用はならねぇね。ちなみに現れたのは体長八メートルを超える巨大さだったぁね」


 八メートル。大型作業用装具よりも大きいとはとんだ化け物だ。


「〈眷属〉の基本情報はここまでだ。で、最近の情報だったかいね?」


「合わせて最上層のことについても」


「値は張るよ」


「分かっています」


 カザミが懐から札を数枚老人の前に放ると、老人は再びニヤリと笑う。


「確かな情報とは良い切れねーんだが、つい最近〈眷属〉が見つかったって話だ。つっても小型のものだがね。でだ、それらの分布はお前さんが聞きたがってる最上層に繋がっているって話だいね」


「分布とは?」


「今最上層へ唯一繋がる給水パイプの集合通路。そこを中心に広範囲で〈眷属〉の死骸が回収されてるってよ。生きている〈眷族〉は見つかってねぇが、その辺りにいるってのは確実だぁね」


 最上層へ繋がる給水パイプの集合通路。ミナトが言っていたことと同一。背筋が少し寒くなる。


「で、最上層だが、あそこは管制システムの修理を名目にして、生きてる協賛企業の手で立ち入りが禁止されている。だがよ、五年以上も直らねぇシステムってのは最早欠陥、もしくは何かあるとしか思えねぇね。そこで一部ではこんな噂が出ているんだ」




「管制システムは何者かに故意的にぶっ壊されて、塵芥の中に消えたってぇな」




 これ以上は面倒事になるかもしれないと直感したカザミはミナトとは違うベクトルの〈情報屋〉である老人に一礼し、「ありがとうございました」とお礼を述べると足早に露店を後にする。

 雨の帰り道、ふと『LVカンパニー』の生き残りの件を思い出した。ミナトに情報収集の依頼をした男。他企業から除け者にされた恨みか、それとも純粋な技術者としてのプライドかは分からない。しかし最上層という話が出てくる以上、無関係では無いだろう。

 シトシトと降り続ける雨の音を聴きながら、奥歯を噛み締める。そして好奇心は己を殺すかもしれない、その言葉を脳内で反芻させるのだった。



 『中層五番街』は騒然としていた。色の無い世界には新たな色が生まれ、生気の無い人々の顔には恐怖の色がこびり付いている。そして聞こえるのは奇妙な水音。雨の音ではない。濡れた何かが地を這い迫るような、鳥肌の立つ嫌な音。

 カザミの目の前で突然一人の男が何かに絡め取られてどこかへ連れ去られていく。それは人の物ではなく、確実に異形の物。

 まさか。

 見ればあちこちにそれはいた。扇風機のような外見に四つの脚。長く細い、球体関節腕の先には機械指。機械のように見えるが、その中心部には目玉のような有機的部位があった。キリキリとガラスが擦れるような金切り声を上げながら、逃げる人々を機械指で捕まえどこかへ連れて行く。

 〈潜みし者ども〉。

 まるでタイミングを図ったかのような出現に、体が震える。

 カザミは〈潜みし者ども〉に見つからないように近場の集合住宅の階段の影に隠れると、内ポケットから端末を取り出し、連絡先を選択。ミナトにかける。

 コール、コール、コール。出ない。七コール目が終わった頃、自動的にメッセージ入力モードに移行してしまった。同時に女性の悲鳴が聞こえ、端末を取りこぼす。女性の悲鳴がまるでミナトのそれと重なったようで。

 奥歯が砕けんばかりに噛み締める。端末を拾い上げ階段の陰から飛び出し自宅へ向かって走る。その時点で異変に気付いた。いつの間にか無数の〈潜みし者ども〉は姿を忽然と消していたのだ。だからと言って安心など出来はしない。ミナトはカザミ宅に泊まった次の日は帰らない。ならば今も家にいるはず。

 では何故電話に出ない?

 寝ている?

 嫌がらせ?

 それとも……。

 何もかもを壊すかのような想像が脳裏を駆け巡り、嘔吐感を覚え、自然と汗が頬を伝って顎から零れる。考えるよりも早く体は動いた。普段では考えられぬ速度で走れているのは焦りと不安によるものだろう。

 何とか『中層三番街』、カザミ宅に到着した。鍵の掛かった入り口には何の変化も無い。朝見た通りだ。吐き気を催す恐怖と心臓を締め上げる緊張で震える手を何とか動かし開錠し家の中に入る。一応鍵を掛けておく。

 例によりまったく変わりは無い。が、何かがいるかもしれないという前提を頭に置いて、ゆっくりとミナトがいるだろう二階最奥部の寝室へ向かう。警戒の意味も込めて端末を鳴らした。すると扉の向こうからはコール音。

 良かった。らしくも無く安堵しながらドアを開く。するとそこには横たわるミナトは無く、ベッドの上でコールを受け続ける端末が投げ出されているだけ。心臓が跳ね上がるのを感じその場で膝を付く。

 落ち着け。

 落ち着け。

 きっといつものイタズラだ。どうせその辺でうな垂れる自分を見て声を殺して笑っているに違いない。


「そうなんだろう、ミナト?」


 勿論返事は無かった。再び聞こえるようになった悲鳴と、いつもの雨音だけがカザミの耳に入ってくる。

 どうすればいい? 自問する。冷静に考えろ。言い聞かせる。

 ポケットからタブレットの入ったケースを取り出して、一粒出し口に放る。まるで曇った窓を手で撫でるように視界がすっきりと明瞭になるのを感じた。

 まずは状況の判断だ。ますミナトがこの家から連れ去られた可能性。これはゼロに等しい。何者かが入り込んだというのならば丁寧にも鍵は掛けられていないはずであるし、何よりも家の中がもっと荒れていて良いはず。おそらくミナト自身が出て行ったのだろう。いや、もしかしたら来客に気付いたのかもしれない。

 ではその後ミナトはどうなったか。人間に連れて行かれたというのはありえない。状況的には〈潜みし者ども〉。


「給水パイプの集合通路か」


 ミナト、そして〈情報屋〉の老人。言うことは同一だった。価値はある。

 カザミは立ち上がると作業部屋へ向かう。ロッカーを開き、ある物を取り出した。それは腕の出来損ないのような形状をした継ぎ接ぎである。その正体は護身用としてジャンクパーツから作った擲弾砲だ。撃ち出すのは粗悪な火薬がほんの少し入った缶であるが、〈潜みし者ども〉があの程度の大きさならば十分だろう。仮に八メートルというのが本当ならば、心許ないことこの上ないが。

 さらに護身に使えそうな道具類といくつかの通信機器を詰め込んだ鞄を肩に掛けて、給水パイプ集合通路への道を端末で確認しつつ、二階の窓から密かに玄関前を確認する。そこには出待ちを続けるかのように一匹の〈潜みし者ども〉が鎮座していた。

 ふとドアを開けると、こちらに向けて満面の笑みをくれるミナトがフラッシュバックする。


「同じ出待ちでも、ここまで気分の悪くなる出待ちがあるとは知らなかった」


 独り言ち、カザミは擲弾砲をいつでも撃てるように両手でしっかりと携え一階へ。そして玄関のドアの鍵を開けると同時に思いっきり蹴破った。何か張り付いていたものを引き剥がし巻き込んだその重みに確かな手応えを感じる。ドアは脆くなっていたらしい蝶番が壊れてそのまま吹き飛ぶ。

 〈潜みし者ども〉は吹き飛んだドアを邪魔だと言わんばかりに機械腕でどかすと、唯一の有機部位である眼球でこちらを確認。扇風機を回しながらキリキリと金切り声を上げた。

 相手に隙は作らせない。

 予め装填していた弾丸を発射。本来は放物線を描き飛ぶ武器であるが、近距離であったため放物線を描くことなく真っ直ぐに目標に命中。直後、爆発した。

 缶の欠片が頬に傷を作り、傷口が熱を持つのと同じく心にも熱が入っていく。瞳が見つめる粉々になり燃え上がる怪物。高揚感。まさかこうも大雑把な作りの武器でも有効であるとは、カザミ自身が驚いた。

 さぁ、もう迷うことは無い。己は敵を倒せるだけの力を持っている。

 カザミは走った。端末で得た大体の予測ルートは頭に入っている。あとはそれを頼りに走るだけ。水没が進行した時にいち早く上層を知るために、都市の全体構造図を仕入れていて良かった。

 給水パイプ集合通路は中層からは入ることが出来ない。入ることが出来るのは下層からのみである。集合通路はもしかしたら下層から最上層へ直接繋げたいがために作ったのかもしれない。

 下層及び最下層は降り続く雨が溜まり、既に水没している。だが一箇所だけ、中層と下層の間に位置する集合通路の入り口は辛うじて水没を免れているのだ。

 それはコーネルが経営する酒場の裏口。

 合成酒を飲む際、ミナトは必ずそこに座る。言わば特等席。

 特等席の階段をずっと下っていけば、そこに集合通路の入り口がある。

 走る。吐き気がする。常時情報を目当てに走り回るミナトならまだしも、ただの〈便利屋〉のカザミにとって全力で走り続けるのは堪えがたいものがあった。

 が、そんな弱音は意志に反して口から漏れ出た吐瀉物と一緒に吐き出してしまえ。口元を拭い、一呼吸吐いたら再び脚を動かし始める。体力はとうに限界を迎えていたが、それでも走ることが出来たのは脳内物質の過剰分泌が原因かもしれない。

 程なくして、カザミは『中層一三番街』に到着した。もしかしたら、ここなら被害は無いのかもしれないと希望的観測をしていたが、そんな甘い考えはすぐに崩れた。

 『中層一三番街』は中心、既に動いていない噴水の上に異臭を放つ男達の骸の山が形成されていたのだ。その中には見知った顔もチラホラとある。しかし感慨は沸かない。客でもなければ仕事仲間でも無い、ただ難癖をつけてきただけの連中ばかりが口を開き、光を失った瞳でこちらを見ているのだから。

 建物の影に隠れ、周囲に気を配りながら進み、何とかコーネルの酒場に辿り着く。

 うず高く詰まれた亡骸の山とは別に、酒場も死屍累々で足の踏み場も無い。


「コーネルはいるか?」


 呼びかける。返事は無かった。

 階段へ繋がる裏口を見やると、大量のへこみが確認できた。さながら凄い力で何度も殴打したようなへこみ。

開けようとドアノブを回すが開かない。どうやら向こう側から何かで抑えているようだ。

 二度ノックし、再び呼びかける。


「そこに誰かいるのか? いるのなら、それはコーネルなのか?」


 変わらず返事は無い。代わりに何かが鉄をするようなカリカリという音が聞こえ始め、やがて少しだけドアが開く。少しだけ開いたドアの隙間から、切れ長の細い目がこちらを見ていた。それを紛うことは無い。コーネルの目だった。


「コーネル。これはどういうことか説明してくれ」


「突然化け物が店に入ってきて、どんどん客が死んだ。俺とあと二人はこの裏口を開かないようにしてなんとか生きてる」


 元々寡黙なコーネルであるが、この時ばかりは流暢に喋る。が、どことなく報告に近いのもコーネルらしいと言えた。


「そこにミナトはいるか」


「いない。ここにいる女は上半身か下半身、もしくはその両方が肌色の奴ばかりだから、彼女がいればすぐに気付くと思うのだが」


 どうやらここには来ていない。やはり一度集合通路に向かわなければ話は変わらないのか。


「ともかくここを開けてくれ」


「無理だ。いつ化け物が襲い掛かってくるか」


「そうなるようなら僕はここに立っていない」


 しばしの沈黙の後、裏口のドアがゆっくりと開いた。外に出ると、そこには見知った顔が二つと見知らぬ顔が一つ。

 知る顔。一つはコーネル。もう一つはいつもミナトを心配していた醜悪な顔面に優しい瞳を埋め込んだ男。

 そして知らない顔は、その端正な顔立ちに影を落とすほど前髪が長く、どこか気味の悪い雰囲気を持つ、白衣姿の男だった。


「僕は酒場に定期的に来ていたつもりだったが、君は見ない顔だね」


 白衣姿の男はあまり口が達者ではないらしい。カザミの問いに押し黙る白衣男の代わりに、醜悪面の男が説明を始めた。


「こいつはコーネルの主治医だ。コーネルは生まれ付き肺を患っていてな、一週間に一度問診しに来ていた。名前は確か〝アーブ〟だったか?」


 白衣の男はその問いに小さく頷く。


「しかしお前、随分な物を抱えてやがんな。装具だけでも羨ましいってのによ」


 醜悪面の男はカザミが抱える徹弾砲を見て目を丸くしていた。治安が悪く、機械腕などによる通り魔が多発する『イブ』でもこの手の兵器と呼べる代物は少ない。特に彼のように装具を持たないようなゴロツキからすれば至高の逸品に見えることだろう。


「まさか、そいつで化け物蹴散らしてきたのか?」


「彼らもあくまで生命体。殺傷兵器はある程度の結果を見込めると踏んだのだが、正しかったみたいだ。もっとも僕がここまでに遭遇したのは三体ぐらいだが」


 最初の〈潜みし者ども〉は徹弾砲の弾丸一発で致命傷。二体目は一発を外してしまい計二発。三体目は背後――彼らに前後の概念があるのかは疑問であるが――から不意を突き一発。

 ストックの弾は一〇発分。使用したのは四発。残り六発分で〈潜みし者ども〉の巣窟であろう集合通路へ向かうのは無謀に思える。しかし引き返すのもまた脅威と対峙する可能性は十二分にありえるのだから、無謀は承知で進むしかない。


「僕はこれからこの階段を下りて、給水パイプの集合通路へ向かう。もしかしたらその影響でここも安全ではなくなるかもしれない」


 これは警告。出来れば彼らを巻き込むのは避けたい。

 が、醜悪面の男はそれを理解した上で言った。


「酒場もいつ化け物が来るか分からない。この扉はもう開けられないんだぜ? 悪く言や袋小路だが、良い見方をすれば背後から襲われることは無い」


 虚勢を張っているのは見ればすぐに分かった。その巨体が震えるは中々に滑稽であったが、常人ならこれが普通の反応だ。

 薬が抜ければ自分も、そうカザミは内心付け加えながら、荷物の中からビー玉が入った瓶を渡す。


「気休めだが、持っていて損はない」


 そのビー玉は叩きつけると衝撃で破裂する爆弾だ。その小サイズには見合わぬ威力を発揮するが、さすがに徹弾砲ほどの威力は見込めない。だから気休め。〈潜みし者ども〉に効くかは試してみなければ分からない上、雨の中でしっかりと破裂するかも不明だ。


「すまない、この程度しか分けられる武器は……」


「大丈夫だ。いざとなったら俺が拳で何とかする!」


 変わらず震えていたが、彼には他の二人には無い気迫があった。その間抜けとも思える台詞に毒気を抜かれたカザミは、少しだけ表情を緩めつつ階段を見る。それは確かに下層まで繋がっているような説得力があるように思えた。

 三人を一瞥し、踵を返して軽く右手を振って階段を一段ずつ降りていく。背後にいた三人の気配が消えた頃に一度振り返った。見えるのは階段と、滝のように下層に向かって吐き出される排水。

 鼓膜を伝って脳に送り込まれるのは、鞄の中の荷物同士がぶつかる音、水音と足音、高鳴る左胸の鼓動。そして荒くなって行くのが分かる自分の呼吸。階段や壁の軋みにすら心臓が跳ね上がってしまう。自分はこんなにも臆病だったのか、そんな自嘲が脳裏に浮かぶ。


「いや、臆病だ」


 あまりの緊迫に思わず声にして漏らす。そうでもしないと今にも押し潰されてしまいそうな、弱い心。醜悪面と他の二人を笑うことなど出来ない。

 同じ音、同じ風景。どれぐらい進んだか分からなくなり、同じところを歩いているかのような錯覚に陥り始めた頃、壁面に差異を見つけた。そこは壁ではなく、明らかに通路を塞いでいるドアであった。しかもそれは一度破壊された痕がある。もしかしたらミナトが通ったという通路はここなのではないかと推測。端末で確認しても、ここで正解だ。

 なるべく音を立てないように、内側から施錠するためにあるのだろう爪の折られたドアを左手で開ける。勿論擲弾砲はしっかりと構えて。右腕だけで撃ったら肩が外れるかもしれないが、死ぬよりはましだ。

 ドアの先は間接照明が足元のみ照らす暗い通路。まるで迷路の入り口だ。低い天井には太いものから細いものまで、多くのパイプが密集しており一部は破裂したのか水が漏れ出している。こと『イブ』の水周りはずさんな部分が多いと出来たばかりの頃から言われていたが、最早人が住むには適さなくなってしまった今でもそのずさんさを発揮していた。

 歩を進めるたびに足元に貯まった水が音を立てる。狭く、細長い作りの給水パイプ集合通路は少しの音も反響し大きく響く。ある意味では侵入者へのセキュリティが万全だと言える。勿論そのセキュリティを利用出来る知能を持ち合わせた生命体がここにいればの話ではあるが。

 と、自分の脚の動きとは関係の無い、何かが動いた水音が聞こえた。通路は湾曲しているが、基本的には一本道。

 カザミは身を隠せる場所を探す。システムメンテナンス用のパネルが埋め込まれた部分は他の壁面に比べて一段広い構造となっていて、それは丁度大人一人分程度を隠せる窪みとなっていた。そこに隠れ、息を潜める。水音は近付くでもなく、その辺りを歩き回っているようであった。どうやら見張りがいるらしい。

 懐から小さな鏡を取り出し通路を映し見る。通路が丁度曲がっていて良くは確認できなかったが、見えたのは〈潜みし者ども〉ではなかった。それは両手両足を持つ、見慣れた形。

 人……?

 何故こんなところに? 疑問に思うが、考えてみればここは酒場の裏口。状況を考えれば、あの三人以外の人間が先に外へ逃げ出してここまで逃げた、という可能性が無いわけではない。一応の警戒心として擲弾砲は構えつつ、ゆっくりと人影に近付いていく。その人影は水面に映り、こちらに気付いたのか立ち止まった。

 曲がり角を越えた先、カザミが見たのは人などという高尚な生物ではなかった。いや正確には人であったのだろう。

 数日? 数時間? 数分? 数秒? 数瞬? 

 わからないが、人であったのは確か。だが今は人の形をしているだけ。その瞳と鼻、口からは黄色く濁った液体が際限無く漏れ出しており、常にフルフルと震える体にはテラテラと光った触手が巻きついていた。それが〈潜みし者ども〉の一部だと判断出来たのは、〈取り付かれた者〉がケタケタと笑うように表情筋を緩めながら口を大きく開いて顔を小刻みに揺らし始めた頃だった。

 眼前にあるその現実がまるで飲み込めないカザミは一歩あとずさる。それと同時に〈取り付かれた者〉も一歩、歩を進めた。

 なんなんだ。

 なんなんだ。

 なんなんだ。

 そんな言葉で思考が埋め尽くされ、冷静な判断が出来なくなる。最初に〈潜みし者ども〉を見たときでさえここまで取り乱しはしなかった。では何故こんなに自分は取り乱しているのか? 解答はすぐに出た。それはカザミの目の前にいるのが、人だからである。

 自分が爆風に巻き込まれるという危険も顧みず、構えた擲弾砲を放つ。弾は〈取り付かれた者〉を逸れて少し離れた壁面に命中し破裂した。煙と爆風が肌を撫でる。

 見慣れた人間という生命体が絶対的な異形となるのを人は想像しにくいのだ。何よりカザミは〈潜みし者ども〉という異形を一度見ている。そうなれば、余計想像はし難いだろう。そんな中で突然人に取り付き異形とした物体を見る。その様は外観的な恐怖だけではなく、自分もそうなってしまうのでは? と精神へも語りかけてくるのだ。

 人という知を持った生命であるがゆえの、恐怖。

 気付けば擲弾砲を捨てて走り出していた。とにかく逃げなければ。あの化け物から一刻も早く。自分の足音に重なるように、〈取り付かれた者〉は走り追いすがる。

 怖い、恐い、コワイ!

 ふと体に力が入らなくなる。そして脚は宙に浮き、飛び、壁面に叩きつけられた。それが〈取り付かれた者〉の体より伸びた触手の一撃であることを理解する前に、思考は混濁し意識は霞んでいく。

 近付いて来る。逃げなければ。逃げて上の三人と合流しよう。そうすればきっと助けてくれる。いや彼らも既に生きてはいないのかもしれない。ではどうする?

 〈取りつかれた者〉がケタケタと笑いながら、いよいよカザミに追いついた。生気の無い瞳をこちらに向けている。

 そうだ、ミナト。ミナトはいつも僕を助けてくれた。僕もミナトを助けて――


「――助けていない。あれは助けたとは言わない」


 口の端よりふと漏れるその言葉。

 彼女は苦しんでいたのに、巻き込まれたくないから見てみぬ振りをしていた。だから今、こうなっている。

 〈取り付かれた者〉が触手で縛られた腕をこちらに向けてくる。腕の先、手はゆっくりと首元へ、そして首を締め上げてくる。妙な悲鳴が喉奥より這い上がった。既に思考は無い。反射的に両手は喉元へ。見開かれた瞳からは涙が流れ、ヒュウヒュウと音を鳴らす開ききった口からは涎。

 徐々に目の前が暗くなっていく。あと少しで意識を手放しそうになったその時、突然締める力は弱まり、急激に酸素の供給される肺は激痛を伴ったが目の前は一気に鮮明となった。激しく咳き込む。それが落ち着いた頃、目の前には既に〈取り付かれた者〉はいない。

 はたと手に擲弾砲が握られていないことに気付き、首を廻らせ探す。と、すぐに見つかったが、それは既に銃の形を成してはいなかった。元々それらしい形ではないのだが、まるでジャンクにもならない鉄屑と化していたのだ。

 理解する。きっとこんなものでは勝てないのだと。きっとこのまま突っ込めば、まったくの無抵抗のまま他の者と同じ末路を辿るだろう。

 腕時計を見れば、タブレットを服用してから既に一二時間が経過していた。タブレットの効果は約一〇時間。とうに切れていた。つまりつい先程までの集中力は自力のものであるということだ。しかし今、集中力は驚くほどに散漫。さらに言えばタブレットは一度服用したら最低でも五時間はインターバルを置かなければならない。

 敵を見極め、確実に殲滅する集中力は最早無く、手に入る限りの武器も鉄屑と化した。

 状況は絶望的だ。


「ミナト……」


 名前を呼ぶ。もう助けることなど叶わぬ状況。

 再び通路の向こうから水音が聞こえる。今度は足音ではなく、まるで何かが這いずるような水音。カザミは痛む体に鞭を打って立ち上がらせる。が、脚は振るえ、既に戦うことも逃げることも不可能になってしまっていた。

 水に隠れるようにそれは伸び、カザミの足元で競り上がった。その正体が触手であると分かった頃には完全に拘束され、迫り来る死の恐怖に精神が苛まれて行く。

 あぁ、終わりか。

 そう心中呟き、瞼を閉じて自ら意識を放る。

 既にカザミのささやかな戦いは、終わりを迎えたのだった。




 醜悪面は小刻みに震える腕を掴み、歯を食いしばって背後の二人を守るように階段に立ち塞がっていた。手にはカザミが渡した小型の爆弾の入った瓶。いつでも蓋を外して投げられるように少しだけ蓋の締めは緩めてある。

 と、背後の二人のどちらかの端末が着信に音を発した。簡素な着信音。それに反応したのは白衣の男。アーブ。

 アーブは懐より鳴動する端末を取り出す。メッセージが届いていたらしく、内容に目を通すなり立ち上がった。突然の行動に醜悪面もコーネルも取り乱す。「どうした?」と聞く醜悪面。だがアーブには一切聞こえていないようだった。

 そして塞いでいた扉を開錠し始める。再びの驚き、醜悪面とコーネルは止めようと肩を掴む。するとまるで嫌悪するものに触れたような表情でそれを振り払う。声は変わらず出さないが、邪魔をするなと言うように、鋭い眼光を二人に向ける。たじろぐコーネルを気にも留めずアーブは針金を巻かれていたドアノブを解放し、三つある外鍵も全て外し終えると間髪入れずにドアを開く。


「開く、開く、開くんだよ」


 妙なことを呟きながら店内に入っていくアーブ。醜悪面とコーネルの予想は的を外れ、そこに化け物はいなかった。なんとも静かな店内である。


「ようやく開く……、ヒ、ヒヒヒヒヒィハハハハハハハハハハ……」


 不気味な笑いは、化け物と対峙したときとは別の悪寒を二人に与えた。

 雨はいつしか霧雨から大降りに変わっている。


「現在時刻は、二二時四〇分。制限時間は五五秒。記録、開始」




 話し声が聞こえる。

 聞き覚えの無いその声は、下卑た呻きを交えながら何かを淡々と報告しているように思えた。意識が曖昧な中で、内容は聞き取れなかったが。

 話し方からして、どうやら相手は上司らしい。それも随分と格上の人物が相手のようだ。さらに会話口調であるにも関わらず、片方の声しか聞こえないのはおそらく通信機器か何かを介しているからだろう。

 ゆっくりと霞の掛かった視界が鮮明になる。そして己の両手両足が拘束され、鉄格子に貼り付けにされていることに気付いた。さらにこういう状況に置かれているのがカザミだけではないということもすぐに気付く。錆びの臭いが鼻につくここは、地下の広い空間。木箱にドラム缶が雑多に置かれていることから、ここはどこかの倉庫らしい。〈潜みし者ども〉に捕まった後、この倉庫に運ばれて拘束されたようだ。

 何故?

 そんなものはすぐそこで話している男に聞けば良い。そう思った矢先、突然どこからか悲鳴が上がった。女性の悲鳴だ。それもただの悲鳴ではない。まるでそれは断末魔。倉庫内は反響してどこからその声が上がったかは分からなかったが、本当に近くで。それを聞いて満足したように下卑た呻きを一層大きく上げながら、男は重い扉を開き倉庫を去ろうとする。「待て!」と反射的に声を出すが、カザミの声など聞こえていない。

 重い扉が再び閉まり、鈍い音を発すると、再び断末魔。今度は分かった、カザミが拘束される鉄格子の後ろだ。どうやらこの倉庫には複数の鉄格子が設置されていて、一つの鉄格子に計六人が括り付けられているらしい。

水分を含んだ何かが弾ける音がして、断末魔とは別の悲鳴が多数上がる。捕まった人々が意識を取り戻したのだ。恐怖は伝播し倉庫内は一瞬にして阿鼻叫喚の巷となる。

 見れば、先程カザミを襲った〈取りつかれた者〉がその腕を使って人間をグチャグチャと掻き混ぜていたのだ。

 怖気がカザミの頬を撫でる。一瞬にして全身から脂汗を放出した。心音が異常なほどに高鳴る。どうやら〈取りつかれた者〉は左から順番に捕まえた人間を掻き混ぜている。見れば心が犯されるのを知っていながら、カザミはそれを見ていた。いや、魅入られていたのかもしれない。

 二人目の掻き混ぜが終わると、三人目の掻き混ぜに移る。腹を貫き、血を吐き出した口に指を掛けて顎を引き千切ると、頭を掴んで押し潰す。あとはひたすら掻き混ぜる。肉片と骨片がしっかりと混ざって液体状になるまで、念入りに。

 掻き混ぜが終わり、後ろの鉄格子で四人目の人間を貫いたのを確認し、一度視線を前に戻す。両手両足を拘束している鎖はそう簡単には外せないだろう。だがまだ時間はある。カザミが掻き混ぜられるのは、今の格子に括り付けられた四人目も含めてあと六人後になる。幸いにも拘束はしっかりとした手錠などではなく、鎖が絡むほどにグルグルと巻いただけの簡単なものだ。冷静に絡みを解いて行けば脱出は容易い。

 後ろの鉄格子の四人目の状況を確認するため、首を右に回す。が、四人目は半分ほどしか見えない。今度は左に回す。掻き混ぜられる四人目も含めて、格子に残る三人全てが視界に入った。

 冷たい手で、心臓を鷲掴みにされたような心持だ。死が遠いと確信し、逃げるのに必要な時間を計算していた冷静さなど消え去った。

 六番目に、ミナトがいたのだ。

 名前を呼ぶ。だが周囲の人間達の悲鳴に埋もれてしまい、ミナトには届かない。

 悠長なことなどしていられない。早く拘束を解かなければ。だが震える腕は絡みを余計酷くするばかり。片腕での絡みの除去は慎重さを欠けば酷くなるのは分かっていた。だが慎重さなど保てない。保てるはずが無い。

 最早発狂したと思われても仕方が無いほどの叫びを上げながらもがく。鎖よ千切れよと頭の中で何度も念じながら。だが鎖は余計に絡み、カザミを格子に括り留める。

 四人目の掻き混ぜが終わった。〈取りつかれた者〉は五人目の前に立つと、腹部を貫く。そして掻き混ぜが始まった。

 手足が無くなっても構わない。とにかくミナトの下へ行かなければならない。痛みなど押し殺し、歯を剥き出しにしながら食い縛る。

 早く。

 早く!

 早く!!

 暴れるカザミの目の前に何かが飛んできた。それは今掻き混ぜられている、五番目の人間の歯であった。血に塗れ、少し欠けている。それがミナトの物ではないと頭では理解していても、どうしてもミナトが掻き混ぜられる連想をしてしまう。自然と口から声が漏れて、目からは熱い涙が零れて頬を伝う。

 《諦めてしまえ。どうせ無理だ》。そんな囁きがどこからか聞こえる。その声に「何で」と応えにならぬ声を出す。すると囁きは《もうあいつは諦めてしまえ。まずぱ自分が逃げ出すことを考えるんだ》と。

 諦めないといけないのか。そう自覚した瞬間に、体が一気に脱力。頭の中が真っ白になる。

 結局助けられないのか。助けられて、ばかりなのか。


 別の声が聞こえる。


 それは囁きとは別の悪意の声。だが今は、善意の声。




《諦めるな。手を伸ばせ》




 声に言われるがまま、右手を伸ばす。

 瞬間、カザミの中から何かが溢れる。それはまるで陽光とは真逆の光。青い悪意の光はカザミの全身を包むと、肉体を変化させていく。まずは伸ばした右腕が変化。光球を埋め込んだ篭手を付けた、巨腕。それを皮切りに全身が変化して行き、やがて光は収束。そこにいたのはカザミではない。人型をしているが、人間ではなかった。そう、喩えるならば、古くから語られる英雄の御伽噺より飛び出した異形。

 拘束していた鎖をいとも簡単に千切ると、格子の向こう側で五人目を掻き混ぜ終えた〈取りつかれた者〉を見据える。格子を歪めて通り道を作ると、地を蹴り、今にもミナトを貫こうとしている〈取りつかれた者〉に向かって飛び掛った。


《諦めるな》


 多くの人間を掻き混ぜてきた〈取りつかれた者〉を押さえ込み、吠える。そんな最中悪意の声が聞こえた。


《お前は戦えるのだから》


 〈取りつかれた者〉の首を掴み、壁に叩きつける。轟音と共に壁が抉られようが、〈取りつかれた者〉は不気味に笑っていた。一瞬怯むがカザミを後押しするのは力強い悪意の声。不思議と恐怖は和らぎ、代わりに湧き上がるのは燃え盛らんばかりの闘争本能。

 右巨腕の篭手に埋め込まれた光球の中を光線が円を描き、青白い光が闘争本能を具現するかのように篭手を包んで行く。篭手より三つの杭が伸び、その内の一つが激しく打ち付けられた。すると激鉄が火花を散らし装填した鉛の弾を放つが如く、篭手を包んでいた青白い光は攻撃的な性質を持って〈取りつかれた者〉を壁ごと弾き飛ばした。壁の先は集合通路。

 全身の触手が謎の力場でズタズタにされた〈取りつかれた者〉は、先程までの不気味な笑いを変わらず浮かべながらも、確実にその身を恐怖に震えさせていた。つい数分前までとは真逆の立ち位置に立たされているのだ。

 思わず笑みが零れる。そして嘯く。「僕が恐いか」と。

 その挑発に乗ったかどうかは定かではないが、〈取りつかれた者〉は背中より二本の触手を新たに伸ばして、その先端を鋭利な鎌に変化させた。粘液滴るその鎌は見るからに恐怖を煽る禍々とした成りをしている。

 篭手の光球は再び光線を走らせる。今度は三角形に。すると篭手の形状が変化。敵の鎌に比べて別段鋭くは無いが、重々しく分厚い大剣を形成し、光球より青白いベール状の光が伸び大剣を覆う。

 〈取りつかれた者〉が鎌触手を振るう。二本の鎌触手がそれぞれ別の方向よりカザミを狙う。常人には見えず、反応など出来ない速度であり、一瞬のうちに三等分にされ人の形を失う。だがそれはあくまで狙われた者が〝尋常〟であることが前提の話。今のカザミは尋常ならざる者。〝異形〟なのだ。

 鎌を振るった本人ですら分からぬ速さで突き出された左腕が、二本の鎌触手を掴み取る。そして右腕の大剣で触手を潰し切った。耳を劈く悲鳴を上げる〈取りつかれた者〉。

 醜く歪んだ兜より除く金色の瞳が煌き、痛みに狂う〈取りつかれた者〉を見据え、大剣を前へ突き出し水平に構える。篭手がさらなる変化を遂げ、キキキと金属音を上げながら三つの機門が表出した。さらに脚部までが変化。爪が現れ地面を掴む。機門は呼吸をし、まるでバーニアのように推力を持ち始めた。それは分厚く重い大剣を軽々と振るえるほどに。


《覚えておくと良い。魔法使いの腕は何者も握り潰し弄ぶ》


 大剣はさらなる推力を獲得し、腕が千切れんばかり。爪は地面をしっかり掴んで離さない。

 もう少しだ。

 カザミは悪意の声に初めて応えた。


「ゴチャゴチャと、煩い」


 すると脚部の爪が地面を離し、押さえ込まれていた推力が一気に開放。凄まじい勢いを持って大剣は背を向けて逃げようとしていた〈取りつかれた者〉を貫く。鮮血が飛び散り、不気味な笑い声は空気の抜ける音に変わった。

串刺しだ。それを少し眺めると、カザミはフンと鼻を鳴らして剣を振り、通路の壁に〈取り付かれた者〉の亡骸を叩き付けた。まるで潰されたカエルのように全身が破裂し捻じ曲がった恐怖の対象は、鼻の曲がる異臭と粘り気のある体液を垂れ流しながら、恐怖に身を縮めていたものに見下ろされている。

 変化していた肉体は一瞬の光の瞬きと共に元の体に戻る。残ったのは今までに感じたことの無い疲労感だ。空気が泥のように抵抗あるものにさえ感じる程の。

 何とか体を起こして、砕けた壁から再び倉庫――というより集合通路の管制室を改造したものだろう――に入る。立ち上がって見ると分かることがあった。格子は三つ。〈取りつかれた者〉に掻き混ぜられた順番を考えた場合、カザミが捉えられていたのは三番目。一つの格子には六人が括り付けられ、ミナトを除く全てが死亡。生き残ったのはカザミ本人も含めて七人ということになる。

 一八分の七。いや、分母はもっと、遥かに多いはずだ。

 カザミは恐怖に肩を上下させるミナトに駆け寄り、両手両足を拘束していた鎖を解いてやる。見れば、左の機械腕は再び破損、鉤爪は折れていた。また随分と無茶をしたらしいことは一目瞭然であった。


「大丈夫かい?」


 言い、左手を伸ばす。体を震えさせているミナトを安心させたい、そう思っての行動。が、ミナトの反応は予想に反していた。伸ばした手を壊れた機械腕で払い除けられたのだ。払われた手には傷が出来、傷口は熱を持つ。物を言わず、揺らぐ瞳でこちらを見るミナト。

 表面にこそ現さなかったが、激しく動揺した。自分はミナトを助けるためにここまで来たのに、何故手を払い除けられているのだ、と。

 捕まっていた人々は各々拘束を解いていき、一目散に逃げ出す。破壊した壁の先が集合通路ということは、外まではほとんど一本道。迷うことは無い。

視界の端を掠めるのはミナト。彼女もまた、逃げる人々の中に。

 脚は立つだけの力を失い、その場にへたり込む。左手甲、付けられた傷を見て「まるで烙印を押されたようだ」と自嘲した。そして理解する。あの時の震えは〈取りつかれた者〉に対してではない。カザミに対しての震えであったのだと。

化け物をいとも容易く破壊せしめた力。それを戦う力と勘違いしていたのだ。そんなものを他人が見れば、カザミもまた化け物である。

 と、カザミの外套が何かに引っ張られた。そちらに首を廻らせれば、そこには年端も行かぬ少女がこちらを見、外套を掴んでいた。その姿はこんな街に住んでいるとは思えぬ穏やかで、端正な顔立ち。その小さな口が少しだけ動いて、言葉を紡ぐ。何を言ったのか聞き取れないほどの声。


「君は……」


 見れば、少女の服は酷く汚れていた。この汚い地面を這いずったようだったが、その理由はすぐに分かった。


「脚が無いのか」


 少女の脚は地雷でも踏んだ戦災孤児のように膝の辺りから消え失せていた。この歳で両脚の無い生活はさぞ憤懣の募るものだったろう。カザミは気紛れを起こした。見ず知らずの少女に手を差し伸べるほど、カザミは懐が深くは無いし、何より余裕も無い。決して足が無いことに対する同情でもない。だから気紛れ。

 力の抜けていた脚が、〝あるのなら動け〟と命令することで力を取り戻し、少女を担ぎ上げると穴の開いた壁から集合通路に出て、続く道を歩き、中層を目指す。そんなカザミの顔を見上げる少女の顔に不信は無く、むしろ安らいでいるかのようにも見えた。


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