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雨の理想郷~欠陥循環都市~  作者: 唐沢アニサキス
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1.都市はざわめく 1

 無彩色の壁がどこまでも続く風景。せめて行き交う人々が彩りを添えてくれれば多少は映えるはずの見慣れた街並みは、変わらず無彩色の人々が歩く。シトシトと降り続ける雨とも相まって、目の前の空間に厚塗り絵画にも似た妙な厚みを感じさせる。

 完全循環都市『イブ』。『中層五番街』。小さなネジから大型作業用装着具まで揃うちょっとした電気街である。常に活気付く商店街と違うのは、職人気質の人間が集まるに他ならない。『イブ』で工具を手に取る人間の大半は外にいた頃からそれを生業にしていたものが多いのだ。彼らのことを――仮に物を直すものではなく、機械を使える者は全員――通称〈リカバー〉と呼ぶ。

『イブ』で生活するに当たって電化製品の破損、特に除湿機の破損は死活問題ではないにしろ、随分な損失だ。常に雨の降る街、さらに灰色石の建築は湿気を溜め込みやすい性質であり、除湿機の無い家で快適な日々は望めない。この都市で一番成り上がれるのは〈天然素材屋〉と〈リカバー〉なのだ。

 しかし例外がいないわけではない。同じ〈リカバー〉でも扱う機械によっては金に縁遠いものもいるのである。例えばそれは中型作業用装具。身長5メートル程の半人型装具であるが、ほとんど運用はされない。何故か? それはその中途半端な立ち位置にある。

 装具とは、重機の安定性と機能性に人型の柔軟性、使用者の慣れの早さが特徴の作業器具だ。大きくわけて種類は四種。大型作業用装具、中型作業用装具、小型作業用装具、緻密型作業用装具。例えば建築物の破壊などの大雑把な作業は大型。人が運ぶには骨が折れるような、小さいながらも重い物を運んだりするには小型。人の手では中々届かない緻密な部分の作業には文字通り緻密型。しかし中型は安定した作業内容が確立されていない。建築物の破壊には心許無いし、小さい作業には大き過ぎる。緻密な作業など論外。

 そんな理由で、中型作業用装具を使う〈リカバー〉は同業者に比べて貧困な場合が多い。

 左手には使い古して所々穴の開いている傘を、右手にはパンパンに膨れたビニール袋を携えた男は覚束無い足取りで『中層五番街』を歩く。傘は穴が開いている上に小さく、肩を雨で濡らしながら疲れた顔をある灰色建築に向ける。そこは極普通の民家。しかしそこは男の家では無い。かと言って知り合いの家でもなく、そこが行き付けの薬物の仲買人宅というわけでもない。

 器用に片手で傘を閉じ、灰色建築の戸を叩く。鉄製の戸のやかましい音が響くが、一向に誰も出てこない。呼び鈴ではなく戸を叩いたら自分だ、そう言って置いたはずなのに出てこない。もう一度戸を叩く。ようやく出てきた。


「悪いわね、少しお昼寝を」


「いえ」


 こんな機械騒音の激しい『中層五番街』でよく昼寝など貪れるものだと内心毒づきながら、男は右手のパンパンに膨れたビニール袋を同じくパンパンに膨れた頬の女に手渡した。女は気持ちばかりの報酬をガマ口から取り出し、男に手渡し戸を乱暴に閉めた。この瞬間二人は何の接点も無い他人に戻る。

 今となっては中型作業用装具を扱う〈リカバー〉、〝カザミ〟の仕事は専ら雑用代行である。良い意味で捉えるならば、どんな仕事でも請け負う〈便利屋〉。仕事の少ない中型作業用装具を扱う人間の中でも、副業をほとんど本業とするような人間は少ない。何故なら彼らは極端な職人気質の持ち主だからだ。

 カザミは空いた右手を外套のポケットに突っ込み、左手でボロボロの傘を差してどこへ向かうでもなく歩く。遠くで〈電化屋〉の客寄せが聞こえる。人を小馬鹿にしたような声色と、真っ赤な半被を着た店員は灰色の風景では大変目立つが、それが良い結果を生むとは限らない。最早人々は視覚に頼りたくないのだ。視覚に頼れば否が応でも嫌な世界が見えるから。

 歩く、歩く。決して意味無く歩いているわけではない。歩いていればそこには不安が転がっていて、不安は仕事に繋がる。一日中『中層一番街』から『中層七番街』までを歩き続けていれば一つや二つの不安は勝手に転がり込んでくる。彼の〈便利屋〉家業を知る者は多い。軽蔑の眼差しが無いわけではないし、稼ぎは良くない。だが有名なのは悪いことではないのだ。有名であればあるほど不安は転がって来やすいから。

 と、外套の内ポケットから電子音。端末の着信音だ。取り出し通話ボタンを押して「はい」と応えた。すると耳を押し当てたスピーカーの向こうから聞き慣れた声がする。落ち着きの無い印象を受けるこの声を聞く度に、カザミは辟易としてしまう。


《「なにその反応、キモッ」》


 少しでも嫌な気分を気取られればこの返しだ。腐れ縁とはどこまで腐れても千切れないから困ると常々思う。


「今日は何か用か? 忙しいんだけど」


《「かーっ、毎日フラフラしているだけの男が忙しいですか? 腐ってんなー」》


 本当に嫌になる。カザミが通話終了ボタンを押そうとした時、《「切るな! 今日は用事があるんだ」》と慌てた声がした。通話終了ボタンに伸ばした指を引っ込め「依頼か?」と聞く。


《「そう、依頼。実は私さ、傘壊れちゃったんだよね」》


 カザミに来る依頼は様々だ。夕食の食材の買出しから家の掃除まで、他方に及ぶ。その中でももっとも多いのが、〝傘を持ってきてくれ〟という依頼である。

 完全循環都市として設計された『イブ』。五年前、管制システムの破損により天候制御システムは狂ったままであり、実行されている天候は雨のみ。ゆえに『イブ』の天気はずっと雨。そうなれば必然的に傘は外に出る際には必須となる。それが壊れた、盗まれたとなれば〈便利屋〉の出番というわけだ。

 まずは場所と費用を設定する。が、前者の設定は当前としても後者はミナト相手では期待できない。一度として料金など払ってもらったことは無いのだから。


「ツケ。これで君の稼ぎ三ヶ月分ぐらいか」


 随分溜まったものだ。カザミの手帳には定期的にミナトの名前が書き加えられるが、その依頼の八割は傘。傘の依頼はそこまで高い料金を設定していないはずなのだが。

 通話を終了すると、ミナトの端末から位置情報が送られてくる。それを開封し確認すると、少々頭痛がした。そこは現在人の居住スペースが存在する上層から中層には存在せず、溜まった雨水で閉鎖された下層から最下層でも、交通不能の最上層でもない。閉鎖された中層から下層へと降りるための道の中で唯一現在も使用できる場所。〝コーネル〟という男が営むアルコール中毒者しかいない酒場の裏口。そこにある、支柱の無い、巨大で不思議な螺旋階段。

 端末を懐にしまうと、嘆息する。

 アルコールは飲むのも嗅ぐのも苦手だ。



 一つの層は合計一三のブロックから成る。その一つ一つのブロックが役割を持っており、一から四番ブロックは住宅街となっていて、五番から七番ブロックは商店街となって――商店街に家を構える酔狂な人間がいないわけではないが――いる。八番から一一番はカザミのような装具使いを始め、様々な荷物を預け入れるための倉庫街。残る一ニから一三ブロック娯楽街である。が、これらは管制システムの破損以後正常に機能しておらず、人々が出入りするのは闇商人の根城となった一部娯楽施設と、酒場がせいぜいであった。

 酒場は常に下品な声で笑う男女で賑わう。下水の水を汲んだような、飲めたものではない酒であろうともその中にアルコールが含有していれば彼らは酔うことが出来、満足なのだ。そして今日も盛大に酔った男女が騒ぐ中、カザミはなるべく視線を床に向けつつ酒場を歩く。アルコールの臭いが鼻につく。カザミは臭いに酷い顔をしているのだ。その顔を見られれば、喧嘩を吹っ掛けられても文句は言えない。ここでは腕っ節を振るうものに口での交渉は無意味。ただひたすら床を見ながらカウンターに辿り着くことが出来れば安心だ。だがそれは叶わなかった。筋骨隆々の腕が後ろからカザミの肩をガッシリと掴んだのだ。気付かれないように軽く嘆息して振り返ると、そこには見知った顔があった。

 その顔作りはまるで醜悪な獣のようであったが、その瞳には妙な優しさを秘めていてなんとも奇妙な生命体である。そんな特徴のあり過ぎる顔を見紛うはずも無くカザミは余計に深く息を吐き出した。


「放してくれないか、君は汗臭いしアルコールの臭いも酷い」


「そういうお前さんは辛気臭いな。ずっと下なぞ見て楽しいか?」


 この男はこの酒場に来る度カザミに構ってくる男だが、どういう職についていてどういう身分でどういう家族構成なのか、まるで知らない。依頼を斡旋するでも依頼を申し込むわけでも無い人間なのだから、別段知る必要も無いが名前を知らないのは少し不便かもしれない。


「ミナトは」


「ん? あぁ、あの姉ちゃんか。いつもの通り階段のところで独り酒さ。今日も誘ってみたが相変わらず強情でね」


 男の言葉を聞き終わる前にカザミは裏口の方へ歩みを進める。店主であるコーネルに一礼すると裏口の戸を開ける。鼻につく臭いがアルコールから排ガスへと変わった。そして空調により調整されていない空気は嫌な気分と共に肌に張り付いてくる。

 戸を出てすぐのところでミナトは座っていた。こちらに背を向ける彼女の短く乱雑に切られた金髪は雨に濡れ、使い古した黒い外套は所々に傷がある。顔の方から上がる煙は、また粗雑な紙巻タバコでも吸っているのだろう。咽るだけのその臭いはタバコの出来の悪さを感じさせた。


「傘を持って来いと言うのにわざわざ雨の当たるところにいる心情は理解できない」


 挨拶代わりに毒吐く。遠くの方で家の外壁が剥がれ落ちてどこかの屋根にぶつかった音が聞こえる。静けさを生む雨の中での金属音は妙に響いた。そこまで大きな音ではない。しかしミナトの声はそれにすら負ける弱々しさだった。


「女はね、たまには雨に濡れたいときもあるの」


 言い立ち上がると、肩に掛けていただけらしい黒外套が脱げ、その下から細い体が露になる。ベルトを全身に巻きつけたような奇妙なデザインの服。その両肩は素肌が出ており、そこから伸びるしなやかな腕。が、左腕だけは途中から忽然と消えていた。変わりにあるのは破損した金属骨格。まるで何かに千切られ失われたかのよう。しかしミナトは振り向きながらヘラヘラと笑う。力無く。


「またヤられちゃった。凄く気持ちよかったけど」


「そういう冗談もイマイチ理解が出来ない。あといつも言っているだろう、傘を持って来いと言う前にしっかりと本件を言えと」


「長い付き合いだし、それぐらい汲み取ってよ」


「無理だ」


 何にせよ擬似腕の修理が出来る道具の持ち合わせは無い。仮に《「擬似腕が壊れたから直して」》と言われても、そもそもこんなところでは直せなかっただろう。何故ならこれは単純な破損ではなく、完全に付け替えが必要な状態であったから。

 咥えるタバコを取り上げ階段から下の水溜りへ放る。無くなった左腕を隠すように外套をかけて右手でミナトの右肩を優しく押さえながら酒場に入る。二人が入ってきても変わらず賑やかで、それに気付いたのはコーネルとあの男だけだった。男の方は女の体を貪っている最中でも気付いていた。それなりに心配はしていたらしい。

 カザミは男の横を通る際に「心配を掛けた」と一言呟き、店を出た。店の前に置いておいた新品の傘は既に無く、あったのはカザミのボロボロの傘。やむなくボロボロの傘を差して帰路に着く。


「モノレールで行った方が早いんだが、どうする?」


「モノレールは嫌」


 ミナトは何故かモノレールを過剰に嫌がる。以前その理由を問い質したところ、「無感情な人間には分からないよ」とはぐらかされてしまった。何かあるのだろうかと少し興味も湧いたが、後にミナトがモノレールを乗っているところを偶然にも見た際は何とも不可解な気分となったのを覚えている。

 結局二人は歩いてカザミの自宅のある『中層三番街』へと向かった。



 鉄と油の臭いが充満する作業部屋。普段は入ろうともしない汚い部屋に久しぶりの灯が入る。オレンジ色の蛍光灯に照らされて見える部屋の全貌は何とも酷いものであった。中型作業用装具の交換用部品、燃料の入っていない予備タンク、使わなくなってから久しいウィンチユニット、潰れた吸殻、空き缶。同じ作業場でも、他の〈リカバー〉のものの方が幾分以上も綺麗であるに違いない。

 ミナトを錆び付いたパイプ椅子に座らせ、脱いだ外套を作業机に放ると、カザミはミナトの前でしゃがみ込み腕を見る。露出しているが金属骨格に傷こそあるものの致命的な破損は免れている。これなら痛みを伴うことなく修理が出来そうだ。そう思考しつつ立ち上がり、ジャンクを入れた段ボール箱を横に置いた保管庫から換えの外装及び機械指を見繕う。錆びや劣化を抑えるための保管庫から取り出した機械指は独特の光沢を放ち、その精密さはある種の芸術と言える。


「ねぇ、今度はカッコイイやつ付けてよ。指が鉤爪状になってるやつとか、変形して十徳ナイフみたいに色々出てくるやつとか」


 そんな冗談と本音が入り混じった声が背後より投げ掛けられた。ミナトは本音と冗談を混ぜて言うことが多い。今回の本音は前者だろう。


「鉤爪ね。そんな物をつけてどうする、猫にでもなりたいのかい? いや、君の場合は土竜かな……」


 鉤爪タイプの機械指が無いわけではない。が、それはあくまで装飾であり殺傷能力は皆無に等しい。通常指との差は日常生活が少し難しくなると言ったところか。なんにせよそんな物を付けることはしない。


「失礼なやつ。そんなだから女っ気が無いのよ」


「君は女に入らないのかな?」


「私を女としてみるのはお門違い。股の間の棒が無い以外は男だよ」


 そんなくだらない会話をしつつ保管庫を探すと、丁度良い女性型機械指が見つかった。次は関節部だ。機械指ほどの精密さを必要としないため、入り口近くのロッカーの中に纏めて入れていたはずだとカザミは記憶していた。


「関節は左右非対称じゃ嫌だよ」


 カザミがロッカーの中を探っているとミナトは言った。細かい、動けば良いじゃないかと思うが、それは彼女なりの拘りなのだと理解し言われたとおりにする。横目にミナトの右腕を見やると関節は円盤を軸にして電磁石により摩擦抵抗を最小限にしつつ可動する、最もポピュラーなディスク型。これなら予備がいくらでもある。

 次は装甲だ。実際は装甲というほどの耐久力は無く、あくまで精密機械を晒さないためのカバーに過ぎないのだが。


「今回もカバーは人工皮膚タイプがいいかい?」


 以前の付け替え時、黒鉄色の擬似腕が気に入らないとのたまったミナトのために、高価な人工皮膚を用いたカバーを付けたのだ。それがつい一ヶ月程前のことである。随分と高価な使い捨て擬似腕となったものだとカザミは嘆息する。


「鉤爪なのに人工皮膚じゃ締まらないでしょ。だから今回は普通で良いよ。あ、色は赤とかが良いな」


「鉤爪、本気なのか?」


「本気。嘘なんてついてないよ」


 人工皮膚の件よりも余程決意は固いのか、その表情に冗談めいた笑顔は張り付いていなかった。こうなったら梃子でも決意を翻さないのがミナトだと言う事を知っているカザミは再び保管庫に歩み寄り、開ける。少々痛んでいるが鉤爪型の物は関節と同様、すぐに見つかった。


「不便なだけだと思うけどね」


「いいの、右腕は普通なんだし」


「……、君は左利きだったろう?」


「覚えてたの。油断なら無いな」


 そう、ミナトは左利きだ。仮に壊れたのが右腕なのだったとしたら、ここまで反対はしない。利き腕が正常に機能しないために苛立ち暴れるミナトの姿をカザミは容易に想像できた。同時にたまったものではないと思う。


「良いの。私が良いっていうんだもの。良いの」


 負けだった。

 カザミは今日何度目か分からない嘆息をしつつ、必要な機材を集め、起動させていく。擬似腕の修理や取り付けなどミナトとの腐れ縁が始まってから何度もこなしてきた。そう時間は掛からない。


「ありがとう」


 作業中、そんな言葉を掛けられた。しかしカザミは感慨も無く「礼よりもツケを払って欲しい」と吐き捨てる。それを聞いたミナトはそんな嫌味を意に介することもせずに目を閉じた。黙って作業をしろ、という意味である。

 カザミはポケットから名刺入れほどの入れ物を取り出すと、そこから緑に赤が粒上に混じったタブレットを一粒手に出し口へ放り込む。味も素っ気も無いその極彩色のタブレットは集中力を高めるために使う。危険薬とは言い切れないが、決して安全なものでもないタブレットを噛み潰す。ジワリと言い表せない味が口いっぱいに広がった。

 作業時間は大体八時間ぐらいだろう。その間ミナトがどうしているのかカザミは知らない。しかし作業が終わるといつもの屈託の無い笑顔を湛えて「お疲れ」と言ってくれる。悪く無い気分だ。

 時計を見ると、時刻はあれから七時間と少し。八時間と踏んでいたのだが意外と早く作業は終わったらしい。視線を唯一の窓に向けると、外は既に暗くなっていた。


「少し痛むかもしれない」


「いつものチクッと来る程度なら痛く無いからさっさとやって」


「そうか」


 新たに作られた左腕の取り付けが完了し、あとは体との同期だ。しかしこれは多少の痛みを伴う。だがミナトはこれが初めてではない。その痛みには慣れているようだったが、今回は特別だった。それは鉤爪型の機械指が今までと同じ規格では稼動せず、少し違う規格の部品を使用したことに起因する。

 同期した瞬間、ミナトの叫び声がカザミを少しだけ笑顔にさせた。




「あんた相変わらずのドSだよね。キーンと来んだよあんたの付け方は」


 そんな毒づきをひらりとかわしながら、カザミは恨めしそうな目を向けるミナトの目の前にコーヒーの入ったカップを置いた。合成物であまり品質の良い物とはいえないが、話の種ぐらいにはなるためカザミは味にこだわらない。ミナトもまた同様だ。

 機械腕の再接続作業は終了し、酷い臭いのする作業部屋を後にした二人はカザミ宅のリビングにいた。汚く見れたものではない作業部屋とは打って変わって、リビングは比較的綺麗である。だがそれは決してカザミが進んで綺麗にしているというわけではなく、最低限の物しか置かれていないためにそう見えるのだろう。


「僕は僕をそんな風に思ったことは一度も無い。そもそも壊すのはいつも君だ、少しぐらいの報いはあって然るべきだと思うが?」


 しかめ面のミナトはいつもと同じように左手をカップに伸ばす。が、彼女の指はいつもと差異があるのだ。カザミも反射的に「あ」と声を上げる。その声にミナトが気付いた時にはもう遅く、通常の機械指よりも長い鉤爪指はカップをひっくり返していた。零れた合成コーヒーは木製のテーブルを伝い、床にポタポタという水音と共に落ちる。

 しかめ面であったミナトの表情は途端にばつの悪いそれへと変わり、小さく「ごめん」と呟いた。カザミは謝罪に頷きで返すと、バケツと雑巾とモップを持ってきて後始末を始める。


「慣れが必要かも」


「大人しく普通の指に戻した方が良いと思うけどね」


 テーブルから拭き取ったコーヒーをバケツに搾り出しながら、率直に述べる。勿論そんなことしないだろうという仮定の下での発言だ。

 ミナトが自分も手伝おうと寄ってくる。だがカザミはその行動を制した。

「椅子だけそっちに持って座っていてくれ。掃除は僕がやる」

 あの慣れない指だ。再び何かされては困る。ミナト自身も自分の指を見、俯き加減に頷いた。

 雑巾でテーブルを拭いていると、椅子に座ってそれを眺めていたミナトはふと、「聞かないの?」と言った。一瞬何のことか分からなかったが、すぐに理解し応える。


「腕の話かい? 僕にはあまり関係の無い話だと思ったからな」


 そう淡々と。

ミナトは〈情報屋〉を生業としている。扱う情報は軽いものから重いものまで多種多様であり、重いものの中には知っているということが露呈すれば命が危険に晒されるような、半ば現実離れしたふざけたものまで存在する。そのことを知っているカザミはいつもミナトの仕事内容に関して聞かないようにしている。だからこそ普段ならこれでこの話は終わるはずだった。いや、終わってもらわないと困るのだ。


「関わっているものが、人じゃ無いって言っても聞きたくない?」


 聞いただけでは意味が分からないとも思える。が、カザミにとっては違う。〝関わっているものが人では無い〟。これはこの都市に住まう者なら絶対に関わりたくない事柄では無いのか?


「〈潜みし者ども〉……」


 口の端から零れた呪文めいた名前を聞き、ミナトは静かに頷いた。

 〈潜みし者ども〉。また〈ハイディングワンズ〉とも呼ばれる存在。カザミ本人は見たことは無く聞き知った程度の知識しか無いが、姿は不定形であり、まるで見る者全てに狂気を振りまくかのような存在であると言う。そもそも目撃者が必ずと言っていいほど泥酔した人間や薬物で頭が正常ではない人間であることから、その存在自体眉唾ものであり一種の都市伝説のようなものだ。


「君は薬にでも手を出したのか?」


 言うと、至って真面目な声色と表情で、「違う」と応える。いつもの悪ふざけの過ぎる冗談かとも思ったが、どうやら本当のようだ。

 ミナトは四脚椅子の後ろニ脚で器用にバランスを取り、ゆらゆらと揺れながら話し始めた。


「今回の依頼は『LVカンパニー』の残りカスから。依頼人は小さくて中性的な顔だったけど、多分男」


 随分懐かしい名前を聞いた。『LVカンパニー』、この完全循環都市『イブ』の建造に携わった企業のうちの一つである。生物分野での担当であったとカザミは記憶している。建造当時は『アーバンス』と双璧をなす巨大企業であったが、この都市計画の失敗が原因で協賛企業から三行半を押し付けられ、事実上の倒産を喫した。

 それがもう二年も前の話である。


「そいつから受けたのは、交通が遮断されている最上層の調査だった。貰える額は大層なものだったし、まともな内容ではないと思ったけれど、私は了承した」


「普通は断るだろう」


「私は普通じゃないから。遊び人だし」


 遊び人は関係無いとカザミは内心呟いたが、そんなことにお構いなくミナトはゆらゆらと揺れながらさらに続ける。


「最上層へのルートは端末に送られたから、私はその通路をバカ正直に通って目的地を目指すだけだった。でも途中からきな臭くなったの。最初に見たのは血痕、それもまだ固まっていない。そこは水の供給パイプが通るトンネル状の通路だったから、雨で流されることは無かったみたい。次に見たのは供給パイプの内幾つかの破損。まるで大型装具で思いっきりぶん殴られたみたいに抉れていた。でもそこは私一人が通るのがギリギリのトンネル通路、そんな物が入れるとは思えないし、辛うじて入れる小型装具ではパイプをあんな豪快に壊すなんて芸当出来るはずも無い。

 そして進んだ先に見たのは、千切れた何か。まるで海の生き物みたいにブヨブヨした感じの外見だったけど、見たことの無い何か。

 最後に来たのは、女の人だった」


 虚勢を張っているわけではない。だが出来るだけ気付かれたくは無かっただろう感情――恐怖をミナトは零れさせてしまった。それにカザミは気付き、そっと右手を胸元辺りまで上げて話を静止させた。これ以上感じた恐怖を掘り返す必要は無い。

 それに何より、巻き込まれたく無かったのだ。


「今日は泊まっていくといい。空いている部屋ならどこでも使っていいから」


「……あんたの部屋が良い」


「好きにしろ」


 特に反対はしなかった。疲れていたというのもあるだろう。二人は揃って階段を上り、二階の最奥部の寝室に入る。作業中にのみ掛ける眼鏡を外しサイドボードの上に置くと、目頭を揉み、寝間着になることも無くベッドに倒れこむ。沈み込むベッドは二人分の重量を支えていた。傍らにはミナト。

 ミナトの大きな切れ長の眼は涙を湛えて潤み、その吸い込まれるかのように黒く奥行きを感じさせるほどに透き通った眼球が徐々に近付く。鼻息が顔に触れ、そして唇と唇が重なり合った。

行為はエスカレートする。衝撃は無い。いつものことだと、カザミは無感情に激しくなっていくミナトの吐息を受けながら瞼をゆっくりと閉じた。


「バカやろう」


 そんな台詞が吐息と共に耳に入り込んだが、最早意識は夢という大海に身を委ね静かに漂っている。

 だからこそ、ミナトの涙や心の底をつくような声に気付かぬ振りが出来た。

 面倒ごとは御免だ。


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