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泥沼姫と魔女

作者: 桜板


 劇場の観客席。その前方に座る2人の女性がいました。周囲は観客のヤジが飛び、舞台ではその声を無視して演技をする俳優たちの、よくわからない劇が繰り広げられています。


「こんなところがあったのね」

「いいだろう? 自由に話しながら劇を観れるんだ。まあ、周りがうるさすぎて前の方に座らないと何も聞こえないけどね」

「私は、嫌いだわ」

「そうか。そう言えば人の多いところは嫌いだったね」

「知ってるくせに、そういうところが嫌われるのよ」

「まあそう言うな。同じ嫌われ仲間じゃないか。ねえ泥沼姫?」


 泥沼姫と呼ばれた女性は、不機嫌そうに唇を歪ませました。

 泥沼姫。当然本名ではありません。小さなころに彼女がつけられたあだ名です。姫なんてついていますけど、別にお姫様じゃありません。

 泥沼のように濁った色の髪を、長く伸ばしています。前髪も鼻頭の辺りまで伸ばしており、前方が見えているのか不思議です。どうやって見ているのでしょうか。


 そんな泥沼姫の隣に座る女性は魔女と呼ばれる女性です。当然、これまたあだ名でしょう。黒髪の間から覗く深紅の瞳が、恐ろしいほどに力強い印象を与えます。国に1人いるかという美貌の持ち主ですが、その表情は醜く歪んでおり、纏う雰囲気も邪悪な、そして妖艶なものです。


 王都にある学園に通う女生徒である2人は、学園を抜けだし、大衆劇場の席に座りながら演劇を観ていました。良家の子供を多く預かる学園は、その安全性のために、無断外出を認めてはいません。けれど彼女たちは無断でここにいます。不良なのでしょう。

 泥沼姫は、魔女に誘われただけで、別に劇に興味があったわけではありません。それでも唯一ともいえる友人からの誘いです。彼女には断る理由はありませんでした。

 泥沼姫と魔女の付き合いも、もうずいぶん長くなりました。


 2人は幼馴染みであり、共に学園の嫌われ者だったのです。


「いいかげんその怖い表情やめたら? 別に何も考えてないんでしょう?」

「おっと失礼。けれど、それを言うなら、君の指を噛む癖も止めた方がいいね。むしろそっちの方を止めるべきだろう」


 泥沼姫には、指の第二関節付近を噛む癖がありました。本人も止めようと思ってはいるのですが、落ち着くので、ついやってしまいます。


「いいのよ。落ち着くんだから」

「それよりも、そろそろいい加減前髪を切った方が良いんじゃないかな? その泥沼色を長く伸ばしていても邪魔じゃないかい?」

「……怒るわよ」

「もう怒ってるじゃないか」


 泥沼姫は小さい頃いじめられていました。泥沼姫というあだ名も、その時につけられたものです。

 泥沼色の髪に加え、泥沼のように濁った瞳が原因でした。むしろ周りの子供たちは、瞳の方を怖がったのでしょう。彼女はその事があって以来、前髪を伸ばし、瞳を隠すようになりました。


「けど、もういいんじゃないかしら。せっかく顔立ちは整ってるんだから、髪も整えた方が良いと思うよ」

「あなたに整ってるとか言われても、嬉しくないわよ」

「本当なのに……。それに、恋をしたなら、なおさらだよ」


 恋。そう、泥沼姫は恋をしたのです。その事で、魔女に相談をしたら、こんなところまで呼び出されてしまったのです。

 しかも恋のお相手は、なんとまあ、明星王子だというではありませんか。容姿良し、家柄良し、性格良しの完璧王子なんて言われている学園の王子様。ちょっと良しが多すぎて怪しくなるような王子様ですね。


「それで、あなたは明星王子とどうなりたいの?」


 魔女は舞台の方を向いたまま泥沼姫に尋ねました。泥沼姫は、魔女の方を向いています。座席の肘掛けに肘を置き、手の甲に顎を乗せた魔女の横顔は、愁いを帯びてそれはそれは美しく儚いものでした。

 泥沼姫は、思わず見とれてしまいそうになりました。


「どうって?」

「恋人になりたいのか、別にそういうわけではないのかって話よ」

「うーん……」


 魔女に言われて、泥沼姫は考えました。2人の関係は、まさに明星と泥沼。天と地ほど差があります。恋人同士なんて、想像もできません。では、そもそもなんで魔女に相談したのでしょうか。話を聞いてほしかっただけ? そういうものかもしれませんね。


『おお! 彼女はまるで僕の心を照らす太陽のようだ! この恋を実らせるにはどうすればいいか……』

『いいかい少年よ。君こそがこの剣を抜き、勇者となり、世界を救うのだ。君が立派になればきっと彼女も君にメロメロさ!』


 そんな演劇を魔女は指さします。


「あんな風に、君も対等になって、恋人関係になりたいのかい? それとも」


『あの方は私の憧れなの! でもこの恋は忍ぶ恋……。ひっそりと心の中にしまっておくのよ。ああ! あの方の為ならこの身を捧げると誓うわ!』


「こんな感じかい?」


『お姫様。俺のために地位も名誉も全部捨ててくれ。絶対幸せにするからよ』


「あるいは」


『私のものにならないなら、いっそあなたを殺して私もグッバイ!』


「もしかして」


『どうぞ……。私を飼ってください……。あなたに使役されたいのです……。私を使い倒してください……』


「そんなまさか」


『私、ずっとあなたに成りたかったの。……『あなたみたいになりたかった』じゃないわ! あなたに成りたかったの! さあ、体を交換しましょうよ!』


「みたいな感じなのかい?」

「…………」


 そう。恋をしたら、好きな相手ができたら考えなければならない問題があります。

 その相手とどんな関係になりたいのか、です。


「明星王子との関係……」

「そうだとも。どうなりたい、だよ。まずそれが全ての前提なんだ」

「……そう。そうね。できるなら、もっとお話しできる関係になりたいわ。まずはお友達から! みたいな」

「『まずは』か……。素敵だね」

「でも私は学園の嫌われ者、あの方は学園の王子様。どうすればお近づきになれるのか、まるで見当がつかないわ」

「……そもそも、何がきっかけで好きになったんだい?」


 魔女はようやく泥沼姫の方を向いて首を傾げました。泥沼姫はそんな仕草にもドキリとしてしまいそうになります。並みの男ならイチコロでしょう。


「顔かしら」

「おいおい」

「冗談よ。まあ、関係ないと言ったら嘘になるけどね……」



 泥沼姫の初恋。その始まりはさっぱり薄味であっさりとしたものでした。

 それは春の日の出来事でした。新入生の泥沼姫が、その髪色と纏う雰囲気で責められていた、そんな日のこと。


「ほら。私って嫌われ者じゃない? 髪色と瞳もそうなんだろうけど、なんかもう雰囲気が駄目っぽいのよね」

「ああ。確かに人を小馬鹿にしたような感じだよね」

「言っておくけれど、それはあなたの方がすごいわよ……。まあ、魔女ほどじゃないにしても、私も人を小馬鹿にしたような雰囲気を出してるから、見てるとイライラしちゃうらしいの。雰囲気だけで勝手にイライラされたら堪ったものじゃないけどね」

「……まあ、そんなものよ」

「まあそうよね。そんな感じで、嫌われ者だった私は、その日も例によって例のごとくいじめられていたのよ」

「仕返しはしないの?」

「あのねぇ! 魔女なんて呼ばれてるあなたは、確かに実力とその嫌な性格から嫌われてるんでしょうよ! あなたは仕返しどころか完膚なきまでに叩き潰せる実力がある。でも私はか弱い女の子なのよ? ただ髪色と瞳と雰囲気でいじめられてるの。仕返しする能力もないの! あなたみたいな魔女と一緒にしないでよね。私これでも儚い少女で通ってるんだから」

「…………」

「それで、私が学園の校舎裏に呼び出されて鞭で打たれてた時の話よ」

「鞭で打たれてたのね……知らなかったわ」

「まあつい先日の話だしね。いくら幼馴染みの親友だからって、全てを話すわけじゃないのよ」

「それで、明星王子はどこに行ったのかな」

「ええ。そんな時に颯爽と現れたのが、つい先日新入生として、他国からこの学園にやってきた明星王子だったのよ。


『すみません。この学園は広いですね。どうやら迷ってしまったようで、購買部はどちらでしょうか』


 明星王子はすまなそうな顔でそう言ったの。女の子たちったら、とっさに鞭を隠して、明星王子に我先にと駆けだしちゃってさ。私なんて無視よ無視。

 でも、それでその時のいじめは終わってね。なんか結果的には助けられちゃったなって……」

「……それだけ?」

「うーん。まあそれだけかな。強いて言うなら、そんな風に私のピンチにさらっと現れて、どうでもいいことを言って女の子たちの興味を私から外して、私を助けてくれたことが何度かあったのよ。それで、もしかして狙って私のピンチに駆けつけてるんじゃないかしらって」

「そりゃあまあ……、そうかもしれないけど、そうだったらストーカーってことになるんじゃ? それに、根本的にいじめを解決するつもりはなさそうじゃないか」

「魔女なんて名乗ってるのに、女心がわかってないのね。彼が直接私を庇ったりしたら、私がもっと嫌われるだけじゃない」

「魔女は他人がつけたあだ名だからね。けどなるほど、さりげなく助けてくれる彼にときめいちゃった! ってわけか」

「そんな感じの出会いだったわ。そして今に至るってわけよ。そんなわけで、周囲の女の子の神経を逆撫でしないようにしながら、明星王子にお礼を言う方法はないかしら」

「1人の時でも狙えばいいだろう」

「彼は今を時めくスターなのよ。この学園内で、彼が1人の時なんてあるわけないじゃない」

「道に迷ってた時は1人だったんじゃないのかい?」

「もう道になんて迷ってないんじゃないかしら。2回目以降は、誰かと一緒にたまたま私の所を通りがかったみたいな感じだろうし……」

「それなら、学園の外に出る時なんてどうだろう。事前に手続きすれば、買い物くらいは行けるんだから。彼だって、1人で出かける時くらいはあるだろう」

「あれだけ人気なんだから、ストーカーの1人や2人いるかもしれないわ。たとえストーカー相手だろうと、見つかったら私の負けなのよ。私がどれだけ嫌われてるか知ってるでしょう?」

「……じゃあ手紙はどうかな。これなら、直接会う必要もないだろう」

「ああ! その手があったわね! それだったら上手くやれば、誰にも会わずに渡せるわ」

「やる気が出たみたいでよかったわ。ところで、劇は見ていかないのかしら?」


 既に帰り支度を始めている泥沼姫に、魔女は言いました。泥沼姫は笑って答えます。


「やることができたからね! それにこの劇、支離滅裂で意味不明だわ、いったいどこを楽しめばいいのかしら?」


『そんな! 君が、聖女である君が、僕の父さんと一緒に無銭飲食していたなんて! 知りたくなかった! 僕はいったい何のために今まで戦ってきたのか!』


「ほらね? それじゃあ行くわ! また明日会いましょう! 私のお友達!」

「ああ、また明日」


 泥沼姫を見送った後で、魔女は小さく溜息をつきました。


「こんなに面白いのに、お姫様のお口には合わないのか……」


『あなたは、私の聖女という輝きに惹かれていただけなのよ。それは私自身ではないわ。本当の私は無銭飲食女なのよ。そんなことにも気がつかないなんて! 結局あなたも私の外側しか見ていないのね!』

『止めてくれ! 食べ終わりそうになったら店員の動きを気にする君の姿なんて、僕は見たくなかったのに!』

『あたしは、そんな汚いところも含めて聖女様を愛してるのさ! お前とは違うんだよ!』

『誰だお前は! 突然現れて愛してるって、そもそも女同士じゃないか!』


「……意味わかんないのが面白いのに」


 そう魔女は呟きました。けれどもその声は、舞台俳優さんの声と、周囲のヤジによってすっかり消えてしまいました。






 たとえ偶然だとしても、何度も助けられたのは事実です。一言お礼のお手紙を書こうということに、泥沼姫は決めました。


 さて、文面で困りました。まさか、わざわざいじめられているなんて書くわけにもいきません。結局泥沼姫は、助けてもらったお礼を書きながらも、何を助けてもらったのかは書かない、へんてこなお手紙を書き上げました。



 お手紙を出して数日が経ちました。泥沼姫は、学園を抜けだし、魔女のお家へ向かっています。魔女のお家はとても大きく、不思議なもので溢れています。泥沼姫にとっては、学園よりもステキな建物です。

 と、急に泥沼姫は呼び止められました。振り返ってみれば、そこにはなんと明星王子が立っていたのです。

 金色の髪と翡翠色の瞳。背が高く整った顔立ちの男性です。表情は柔らかく、見るものに安心感を与えます。


「手紙、読みましたよ」

「え、あ、はあ……」


 泥沼姫は、それはもうびっくりしてしまいました。びっくりして指を噛みそうになり、無理やりそれを抑えながら明星王子を見つめます。


「まさか、お礼の手紙が来るとは思わなかったから、びっくりしました」

「私は今びっくりしてます」

「僕は確かに数回、君がいじめられてる場面に出くわして、割り込んだけど、毎回ああなんですか?」

「いえ、普段は友達が助けてくれますから……」

「ああ、魔女さんとお友達なんでしたね。確かにあの人は、なかなか凄そうな雰囲気を醸し出してます」


 何かの罰ゲームでここに来ているのだろうかと考えた泥沼姫は、明星王子の向こう側を覗き見ました。しかし、泥沼姫が見るかぎり、こちらを窺っているような人物は見えません。


「1人ですよ。誰かに見られたら面倒臭そうだったので」

「そう、なんですか……」


 どういうことだろうか、と泥沼姫は考えました。ある『体質』のせいで嫌われて以来、魔女以外で、彼女に普通に接してきた人間は彼が初めてです。どうやら嫌われていないというだけでも、泥沼姫にとっては未知の経験でした。


「正直に言いますと、あなたに興味がありました。誰からも嫌われるというのは、いったいどういう人間なんだろう、と思いました。

 あなたのお話を、他の人から伺いました。けれど、やはり他人の噂話というのはあてになりませんね。お話に伺っていたのと、受ける印象がまるで違う」

「……」


 もう泥沼姫は言葉も出ません。魚のように口をぱくぱくとさせています。


「それに、可愛らしい方だ」


 なんて爽やかに微笑まれた日には、もうノックアウトでした。




「それで会話を早々に切り上げて、逃げるように私の家に来たのか。びっくりするほど意気地なしだね君は」


 魔女は呆れた様な表情で言いました。

 ここは魔女の家の書斎。様々な本が並べられています。泥沼姫は、本棚の一角を眺めてみました。


「なんだか恋愛系の本が多いのね」

「そうだね。そればかりはたくさん読まないとどうにも理解できなくてね」

「へえ。そもそもあなたに恋愛への興味とかあったのね」

「恋はそこまででもないけど、愛には興味があるよ」


 魔女はスカートから伸びるその美しい脚を組み、机に肘をつきました。泥沼姫は体を本棚から魔女の方に向け、首を傾げました。


「愛って?」

「愛は愛だよ。家訓なのだよ。『人生は、愛されることこそ目的なのだ……』と」

「愛することじゃなくて、愛されることなのね」

「そう。愛されなくちゃ駄目なんだそうだ」

「じゃあ私は駄目なのかしら。嫌われ者だし」

「おいおい、私がいるだろう」

「…………」

「……」

「……そうね、私も愛してるわ。なんだかんだ、こんな私に長いことつきあってくれてるし」


 泥沼姫は適当そうに片手を振りました。内心では少し照れていたのですが、髪が長くて表情はよく見えません。おそらく、気付かれてはいないでしょう。


「でも、なんで愛されることなのかしら」

「愛するということは。誰かを想うということだ。その想いがどういう形であったとしても、それは相手を必要としているということだ。ならば逆に、愛されるということは、誰かに必要とされるということだ」

「つまり誰かに認められたり、欲しいと思われたり、そういうのが大事ってこと?」

「まあ、そういうことだよ。誰かに好かれる人生を送らなければ、生きた証は残せない。私の先祖は、そう考えたみたいだね」

「なるほど……」

「だからここには、誰かに好かれるとか、愛されるとか、そういう本がたくさんある。参考にもならないけど暇潰しにはなるよ」


 泥沼姫は、本棚から適当に本を取りました。


「じゃあ借りてってもいいかしら。参考になるかもしれないし」

「……それを?」


 言われて泥沼姫は、手に持った本に視線を落とします。


『愛され心理学入門(日常生活で可愛さアピール)』


 そっと本を戻して、隣にある本を取りました。


『愛され会話術(ステキな語尾で印象操作だじぇ編)』


 戻して、取りました。


『監禁作法心得 2人の愛の巣の作り方』


 戻して、


『二股から始める純愛講座』


 戻して、


『同性愛のすゝめ 軽いスキンシップから両親の説得、養子縁組まで』


 戻しました。


「ステキなラインナップだろう」

「全然役に立たなそうなんだけど」

「私も役に立ったと思ったことはないよ」

「なんだ、駄目じゃない。そもそもあなたって、浮いた話もないわよね」

「地に足着いた生活をしてるからね」

「…………」


 泥沼姫は溜息をついてしまいました。そうなのです。この幼馴染みは、昔からこんなふうに捻くれています。その事を泥沼姫は思い出しました。


「あなたは本当に変わらないわね」

「……そういう君は、すごく変わったね」

「そうかしら。まあ、普通は成長したら変わるわよ」

「そうだね」


 魔女は少し寂しそうに頷きました。

 時間が経てば人は変わります。けれど、決して良い方向へ変わるとは限りません。環境によっては、悪い方へ変わってしまうことだって珍しくはないでしょう。


 結局、泥沼姫は何も借りず帰っていきました。魔女は昔を思い出して、少し悲しくなってしまいました。






「こんにちは。こちらに来れば、あなたに会えると伺いました」


 放課後、夕暮れの校舎。入り組んだその奥の、寂びれた室内に入りながら、明星王子が言いました。その言葉に、魔女は顔を上げ、明星王子の方を見ます。


「なんですか?」


 と短く魔女は言いました。その表情はどこか冷たく、他者を拒絶しているようです。


「少し、お尋ねしたいことがありまして」

「私に、ですか?」

「ええ、そうです」


 魔女は、どうやら泥沼姫についての話らしいと察し、少し興味を示し始めました。


「なんでしょうか。答えられることなら、答えますよ」

「ありがとうございます。彼女は何故、嫌われているのかをお聞きしたいのですが」

「……? 何故、とは?」

「この学園に来てから、あなたと彼女の話をよく聞きました。2人とも、とても嫌われていると」

「ええ、そうですね。私も彼女も嫌われていますよ」

「なせと聞いても、なんとなくとしか答えません。それなのに鞭打ちや水攻めなんて、拷問じみてる……。なのに誰も、そんなこと気にも留めない」

「……そうですね」

「けれど先日、彼女を直接いじめていた人たちが、急に学園に来なくなりました。聞いた話では、魔女にやられたと……」

「それで……?」

「あなたなら、なぜ彼女があそこまで嫌われているのか知っているのではないかと、そう思ったんです」

「……座ったらいかがですか?」


 その時ようやく、魔女は明星王子に空いている席を勧めました。


「確かに、私が嫌われているのには理由があるけれど、彼女が嫌われるのに理由はないよ」


 魔女はゆっくりと説明を始めました。何故、泥沼姫が嫌われているのか……。


「彼女は、ただいるだけで嫌われる。視界に入るだけで、声が聞こえるだけでイライラとする。そういう呪いなのさ」

「……呪い?」

「そう。呪い。始まりは、何代前かしら。私のご先祖様と、彼女のご先祖様のお話」



「昔。魔女とお姫様が、仲良く暮らしていたのさ。お姫様は明るく、みんなから愛され、美しいけれど、性格は活発で、王子様みたいな子だった。

 魔女は、それとは正反対に、暗くて、人見知りで、お姫様しか友達がいないような子だった。

 人間は愛されるために生きている。私の先祖は、その時そう考えていたの。誰かに愛されるってことは、誰かに必要とされるってことで、認められるってことだって、そう考えていたそうよ。

 お姫様と1番に仲良くしている魔女は、他のみんなには陰で嫌われていたそうよ。魔女はこう思ったの。


『私の友達は彼女だけ。それなのに彼女の友達は私だけじゃない。そんなの不公平じゃないかしら』


 後は、想像できるんじゃないかしら」

「今の彼女のように、ただいるだけで周りに嫌われる様になってしまった?」

「そう。それはとても残酷なこと。当然、お姫様のショックは大きかったそうよ。けれど、魔女からの友情だけは変わらなかった。当然よね。そう仕向けたのが魔女なんですもの。こうして、初代泥沼姫と、初代魔女が生まれたのよ」


 そういう呪いをかけられたから、泥沼姫は、無条件で全人類に嫌われる存在になったそうです。


「けれど、彼女がいるということは、初代泥沼姫は、子供を生したのでは?」


 明星王子の言葉に、魔女は頷きました。


「呪いの効果が効かない人間も、確かにいるのよ。嫌われて目立つからこそ、出会ってしまうんだろうね。そういう人間にとって泥沼姫は、ただの卑屈な美少女だから。恋に落ちるのは簡単なのさ」

「呪いが効かない人間」

「そう。そういう『王子様』が毎回現れるんだそうだ」


 今回は君がそうだよ、というように魔女は笑いました。


「そうしてそれが何代も続き、今の私たちがいる。最初の魔女はこの呪いを解く方法を与えず、黙したまま死んでいった。既に呪いを解く術は無く、彼女は一生嫌われ者さ」

「…………」

「彼女の人生を狂わせた原因は、私の祖先だ。私にはどうすることもできず、ただ見ているしかなかった」

「昔の彼女は、どんな子だったんですか?」


 明星王子の言葉に、魔女は懐かしそうな、寂しそうな表情を浮かべた。


「王子様みたいな女の子だったよ。活発で、いつも私を守って、引っ張ってくれた。でもそれは私と彼女の中で世界が完結している間だけだった。

 この呪いの恐ろしいところはね、魔女の私か、あるいは君みたいに耐性を持った人間以外の、全ての人間に嫌われるというところさ。それは当然、家族だって例外ではないんだ。

 最初の内は呪いが効果を発揮しないから大丈夫だけど、ある程度育ってくると、彼女を私に預けて両親は離れて暮らすようになった。そうしなければ、絶対に虐待してしまうからだ。それほどまでに強い呪いなんだ。それに、父親の方も、妻にかかった呪いは効かなくても、娘の呪いは効いてしまう、恐ろしい呪いだ。

 最初の魔女の醜い独占欲は、彼女の一族全員を歪めてしまったのさ」


 気がついたら、言葉が止まらなくなっていました。これは懺悔なのかもしれません。現れてしまった、泥沼姫にかかった呪いが効かない王子に、魔女はショックを受けていました。


「最初は私も、呪いなんて知らないから、一緒になって外に出て、遊んでたよ。それからだんだんと呪いが効果を発揮してきて、彼女はその時の友達全員から急に嫌われてしまった。その時の私はやはり嫌われ者で、彼女は人気者だったから、その時の私はそれを喜んだ。『急にみんな離れていって薄情だな。やっぱり彼女の魅力がわかるのは私だけなんだ』なんて、笑ったんだ。

 それから私は極力彼女を閉じ込めた。そうすれば彼女を守れたから。けれど、これじゃあやってることはあの最初の魔女と同じだ。それに彼女は、嫌われても外に出たいと願ったんだ。

 だから、それからは私がずっと護ってきた。失敗したこともあったけど、それでもずっと私が護ってきたんだ……」

「今回、いじめていた女の子に報復したみたいにですか?」

「そう。それをするだけの力が私にはあった。なのにたまたま、私が助けられなかったときに、颯爽と助けたのが君だ! ………………感謝、しているんだ。本当に」


 全てを喋り終わったというように、魔女は口を閉じました。魔女は直接泥沼姫には何もしていません。呪いをかけたのは先祖であり、魔女もまた被害者です。ただ魔女には、初代の魔女と同様の独占欲があっただけでした。そしてそれが今、彼女を苦しめている感情の正体なのでしょう。


「ありがとうございました。色々、話してくれて」

「いや、良いんだよ」


 そう言って微笑んだ魔女は、意地悪を言いました。


「これでわかったろう。彼女を愛してあげられる男性は、今のところ君だけだ。君が彼女を憐れんで、愛し合ってくれると助かるのだが……」


 その言葉に、明星王子は笑顔で返します。


「ええ。ですがそこはやはり、まずはお友達から始めることにしました。お互いに色々話して、その先のことは、後でも良いと思うんですよ。急ぐ話でもないですよね」

「そうだね。良いと思うよ、健全で」


 お礼を言って立ち上がった明星王子に、魔女は忌々しそうに言いました。


「私たちは、両親から離れて暮らしてきた。それぞれの代で何があったのかを、私は知らない。けれど伝え聞く泥沼姫と魔女の話は、毎回必ず、登場人物が3人なんだ。泥沼姫と、魔女と、王子様。女は2人で男は1人、生まれてくる子は2人」

「……」

「どういうこと、なんだろうね……」


 それっきり、魔女は何も言わなくなってしまいました。明星王子も挨拶だけをして、部屋から退室してしまいました。

 音の無くなった室内で、魔女は机に置かれた綺麗な石を眺めています。どうやら今日も、泥沼姫は無事に帰宅できたようです。そのことに安心した魔女は、しばらくその石を見つめ、自己嫌悪で少し泣きました。






「どうしたの?」


 翌日。泥沼姫は魔女に会いに来ました。魔女は自室に籠り、体育座りで膝を抱えています。なんだかとても暗い表情を浮かべた魔女に、泥沼姫は心配になりました。


「打ちのめされた。あと少し自己嫌悪」

「ふーん?」

「私のことはどうでもいいだろう。それよりも、明星王子とはどうなったんだい? お手紙大作戦は」

「大成功、というか、手紙のお返事が来てね、文通友達になっちゃった。それに、今日は午後から一緒にお出かけすることにもなっちゃったわ」

「それは……、なんというか、大進展じゃないか」

「そうね」


 魔女は体を動かさずに言いました。


「それじゃあ、私の役割も終りだね。泥沼姫には王子が現れたんだ。もう解放してもらっても良いだろう? 私は、ずっと君を護ってきた。君が嫌われるのは私の先祖のせいだからね。君は何も悪くない。私も何も悪くないとは思っているけれど。それでも私にはずっと罪悪感があったんだ。けれど、あの王子様が出てきて、これでもうそんな意味不明な罪悪感なんてなくなる。そうだろう。だからそっとしておいてくれないか」


 違う。そうではないと魔女は思いました。自分がまるで被害者のような言い方をしてしまったと彼女は後悔しました。

 そうじゃないのです。魔女にとっては、やっぱり泥沼姫が一番大事で、親友で、今までずっとそばにいたけれど、けれどこれからはそうじゃないのです。明星王子と泥沼姫が恋愛に発展しない可能性だって十分にある。けれど、そんなことはどうでもいいのです。


 そんな彼女の腕を、泥沼姫が掴みました。


「私はね、友達って、少ない方が良いと思うのよ」

「……」

「たくさんの人と一緒にいるってきっと疲れるし、1人1人との時間が短くなっちゃうわ」

「……」

「狭く深くってわけで、今いる友達を大事にしようと思ってるのよ」

「…………」

「それに、あなたはそんなに綺麗で愉快なのに嫌われ者だから、なんだか独占してるみたいで気持ちがよかったわ」


 そう言われ、ようやく魔女は顔を上げました。魔女の視界に、泥沼姫の笑顔が広がっています。

 泥沼姫は、魔女の腕を引っ張って立たせました。


「行きましょう。一緒に遊びに」

「え? いやでもデート」

「デートじゃないわよ、つきあってないんだから。今日は友達と遊びに行くのよ。そりゃあまあ、あなたと明星王子が友達の友達な関係だっていうなら誘いにくいけど、今のあなたって、私以上に明星王子と仲良いじゃない。聞いたわよ。色々話したんでしょう?」

「いや、まあ、色々は話したけど、だからこそ少し会いにくいというか」

「今日は、あなたとも遊びたい気分なのよ」


 と言って、もう強引に外へ連れ出してしまいました。そんなわがままなお姫様みたいな振る舞いに、魔女はついつい笑ってしまいます。なんだか昔の彼女が少し戻ってきたような気がして魔女は嬉しくなってしまいました。


「ようやく笑ったわね」

「そうだね。あまりのわがままに、なんだかどうでもよくなったよ」

「そうね。卑屈な私がわがまま言える相手なんて、あなたしかいないのよ」

「まあ、そうだろうね。……明星王子を前に舞い上がる君を見るのが、少し楽しみになってきたよ」


 2人は手を繋ぎ、普通の友達のように外へ出ました。日は高く、まだ1日は始まったばかりです。向かう先には、明星王子がいるのでしょう。そんなお出かけは、2人にとって初めてのことでした。


 嫌われ者2人だけの世界は、ようやく広がりはじめました。

 これからも、泥沼姫は呪いによって嫌われ続けるでしょう。それはおそらく、変わらないことです。けれど、それでも、泥沼姫は今、楽しんでいます。その事がわかり、魔女はなんだか救われた気持ちになりました。


 きっと明星王子とも、これから関わっていくことになるのでしょう。未だ底の見えない彼も、なにやら一癖も二癖もありそうです。これから始まる、少し違った毎日に、魔女は少し期待を持つことに決めました。




 ……それから。

 泥沼姫と魔女と明星王子は、あのわけのわからない劇を観に行きました。最後まで観ても、泥沼姫にはよくわからない劇でした。けれどみんなで、よくわからないと言いながら盛り上がれたので、それでいいんだろうと泥沼姫は思いましたとさ。


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