最新型突発性インフルエンザ
電話は、学校閉鎖のニュースを告げた。
突発性の最新型インフルエンザが俺の通っている高校で大流行した。
受話器を取った途端、大ニュースが飛び込んできた。
(さっきの電話はこれか? そう言えば昨日みんな休んでいたな)
担任の教師からの電話連絡を受けながら思った。
俺はてっきりズル休みじゃないかと思っていた。
だって……
みんな前の日まで物凄く元気だったんだ。
『だからそのために、当分の間学校を閉鎖する』
と担任は言った。
それが主な内容だった。
学校に行かなくても良いと言うことは、一日中遊べるって訳だ。
何か嬉しい。
(だって俺、何ともないもん。さっきのアクシデントでまだ頭はズキズキしてるけど……。さあ、誰と遊ぼうか?)
そんなこと考えていた。
でもその知らせを受けた時、母はやはり仕事へ出掛けた後だった。
母は朝早く起きて俺の食事の支度をしてから、余所の家で家政婦として働いていた。
だから朝顔を合わせることもない。
俺はたった一人で母の料理を頬張る。
もう……慣れた。
でも何時も心が悲鳴を上げる。
本当は辛いのに……
(あれっ!? 確かママチャリあったな?)
俺はさっき、カフェカーテンを掛け替える時に垣間見た自転車置き場を思い出していた
。
(またか!?)
そんな不自然なパターンも黙認していたはずだった。
でも今日は、何故か疑問に感じていた。
母の部屋は常に施錠されていた。
まるで俺の進入を拒むかのように。
でも……
それが当たり前だと思っていた。
俺はそうやって育てられていたんた。
小学時代、学校の連絡網は地域割りだった。
でも中校生になったら、個人情報保護法とかなんちゃらがうるさくてそれが使えなくなったのだ。
だから高校でも引き続いたのだ。
まず担任の教師に連絡が行き、そこから一軒一軒生徒の家に報告が来る。
でもこの方法だとかなり時間がかかってしまうが、各家庭に配る連絡網を廃止するための苦肉の策だったのだ。
原因不明・病原体不明。
突然高熱が出る。
それだけでとりあえず最新型インフルエンザと名付けたらしい。
学校からの指示は絶対の外出禁止。
(えっ!)
俺は一瞬言葉を失った。
(ヤバ! ―ヒヤー! 遊びにも行けないってか)
もし菌でもばらまいてしまっては大変なことになると考えたからだ。
(そんなことって……)
俺は溜め息を吐きながら受話器を置いた。
今のところ患者は十七名。
全員が三年生だと言うことだった。
(ありゃお昼は? そうだよ。何時も昼は学食だったんだ。お弁当なんて用意してくれているはずがない……そうだ! その学食の小遣い貰うの忘れいた。ヤバい! コンビニにも行けない)
俺は焦っていて肝心なことを忘れていた。
(そうだ。外出禁止だった……)
俺は又頭を抱えた。
その途端にズキズキとぶり返す。
(本当にどうにかならないのかな。あのベッド最悪だ。そんなこと言ってる場合じやないよ)
俺は途方に暮れていた。
俺は母がいつ帰って来るのかさえも知らずにいた。
俺の名前は若林喬。
高校三年生。
十七歳。
当然ながら出席番号は最後だった。
でもまだ、俺の家が比較的学校から遠くないからいいけれど。
何故俺に喬って名前が付いたのかと言うと……
映画で主役を演じた役者さんから戴いたらしいんだ。
なんか、生きるってタイトルだったらしい。
母は俺に生きて欲しかったんだって。
だから尚更、一人でも生きなきゃと思ったんだ。
それはそうと、さっき電話で担任は不思議なことを言った。
朝の電話は自分ではないと。
そりゃそうだと思った。
やはり俺は最後の最後。
眠っている時間に電話など来るはずは無かったのだ。
(ありゃー。そうなると誰なんだ? 俺に頭をぶつけさせた犯人は?)
自分のことを棚に上げて良く言えると思う。
でも俺はさっき電話に出られ無かったのでチャンと担任に謝ったんだ。
でも先生は、していないと言ったんだ。
何時も知らない内に帰って来て、食事の準備だけはしてくれる。
そのくせ、何時も知らない内に居なくなってる。
(これじゃ家政婦を雇っているのが俺のようだ)
俺は時々そんな疑問に苛まれていた。
俺は、母が何処で働いているのかさえも知らされずにいたのだ。
その部屋は俺を拒み続けている。
そう思ったことも多々あった。
でも何故かその部屋の秘密を知りたいとは思わなかった。
(でもきっと何かあるだ。
みんなに父親がいるように、俺にも居て……。もしかしたら中でイチャイチャ……)
そんなことも考えない訳でもなかったが。
俺は敢えて考えないことにしていた。
だって、すぐ傍に居るのに俺を拒否しているなんて思いたくなかったんだ。
母だって、俺を此処に残して仕事へ行くのは辛いはずなのだ。
だからやっと出逢えたときのあの優しい母が……
今俺を支えてくれている。
母に逢いたい。
逢いたくて堪らない。
そんな普通の感情さえも通じない施錠された部屋を、俺はまだ見つめていた。
でも……
母一人子一人。
生活のためには仕方ない。
聞き分けの良い俺は、朝は何時も一人だった。
聞き分けの良い振りをしていた。
俺だって傍にいたいよ。
でもそれを言っちゃいけないと、自分で自分を抑え付けていた。
朝だけじゃなかった。
昼も夜も俺は独りだった。
学校で友達と話すこと位しか会話はなかった。
だから……
あんな夢を見るんだ。
だから……
俺は何時までも子供のままなんだ。
だから……
俺は大人になれないんだ。
本当は俺、物凄い寂しがりや。
だから時々、やせ我慢している自分に腹を立てる。
誰かに傍に居てほしい。
一緒に遊んでほしい。
そんな思いは二階建て三LDKの自宅をより広くさせていた。
二階にあるのは、きっと二段だった宮付きベット。
それ以外何も置いてない殺風景な六畳の俺の寝室。
それと、壁の向こうにあるだだっ広いだけの真っ白い遊び部屋。
それは塾の名残……
そして、俺の夢の大元。
あの夢の白い空間は、この場所のように思われた。
そうなんだ……
俺が彼処で夢中になって遊んでいる内に母が居なくなっているんだ。
居なくなっていたんだ……。
その上仕事先に迷惑が掛かるとか言って、携帯電話すら持っていなかった。
こんな時に連絡の取りようがなかった。
まさか学校からの連絡を受けるために仕事を辞めて欲しいなんて言えるはずもなかった。
(でも何故ママチャリはあったのだろうか? まさかまだ家にいるのだろうか?)
俺は施錠された母の部屋のドアを何となく見ていた。
又……
あの夢を思い出す。
白い白い世界……。
それと繋がっている遊び場……。
俺は彼処が本当は怖い……。
又母と逢えなくなると思うから……。
でも……
俺が其処にいると、母は安心するようだった。
だから俺は……
其処にいるんだ。
平気な顔をして……。
俺の部屋には勉強机もないんだ。
普通だったらおかしいだろう。
そう言えば……
母の口から
『勉強しろ』
などと一度も言われたこともない。
だから俺……
して来なかった……。
照明は宮付きベットに付いている小さいやつ。
その宮に板を取り付けて教科書を置いて、それなりに勉強はしていた。
と言っても宿題位だけど。
そんな僅かな出っ張りにイヤと言う程頭をぶつけた無様な俺。
思い出すだけで又ズキズキした。
もう癒えてほしいのに、心の中からも悲鳴を上げていた。
「ママ〜」
俺は小さな声でそっと呟いていた。
着替えは、ベットの下の引き出しにあるだけ。
学生服だけはハンガーに掛け、宮の突端に吊した。
俺の寝室には、アイドルとかのポスターもない。
歌手に興味もないからCDもない。
スポーツマンでもないし、がり勉でもない。
ま、机がなけりゃ、がり勉にも育たないか。
俺はただの、無気力に生きているだけの人間だった。
ただ一つ。
絵を描くことだけは得意だった。
俺はあの白い部屋いっぱい使って、体全部で自分を表現していた。
それ位しかやることがなかった。
ただ母を待ちわびながら……。
きっと俺は……あの部屋で遊び疲れて……
母を待ち疲れて……
泣きながら眠ってしまったのだろう。
母はそんな俺を抱いて……
きっと寝かしつけてくれたんだ……
あのベッドの上で。
それが夢の正体だと思ったんだ。
だから俺は客観的に、脳裏に焼き付けたのだろう。
白い……
何処までも続く……
白い世界……。
まるで……
母の体内のように……
俺を受け入れ……
俺を癒やす……。
俺は……
たださまよっている……。
母の愛に包まれながら……
それでも母を……
探し求めている……。
あの……
白い闇の中で……。
携帯電話が鳴った。
でもそれは自分の物ではなかった。