第3章 Red な Dead
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「…………?」
『うわっ!? な、なにっ!?』
横目で睥睨するだけの私と、無駄に派手なリアクションをとって驚く霧罪。反応は対照的だったのに、その瞳に映ったものは、不思議と同じものだった。
それは、隣の席に座っていたカップルの女の頭が、ナイフによって切り裂かれ、血を噴き出す肉のオブジェと化した、凄惨な犯行現場だった。
『ひっ……………………!』
息を呑む霧罪。
女はそのまま、私たちの方に向かって、どちゃり、と倒れてきた。
どうやら目玉を抉られたらしく、眼窩の中にはなみなみと血が溜まっている。恐怖か、或いは憎悪によって手が震えたらしく、鼻が歪な形に削ぎ取られかけていた。生前の顔を想起することは不可能なほどに、その死に顔は無惨に破壊されている。よくもまあ、ファミレスのちゃちいナイフ如きでここまで人体をぐちゃぐちゃに出来たものだ。逆に感心してしまう。
で、私の感心などという貰ってもなんの得もない、寧ろ損しかないようなものを不本意にも得てしまった男は――
「はーっ、はーっ、はーっ、はーっ……………………がぁっ!!」
――目を血走らせ、鮮血に濡れた凶器を持ちながら、歪んだ笑みを浮かべていた。
『な、なんですかこいつ…………目が、目がイッちゃってます!』
「…………はぁ」
やっぱり、こうなったか。
だから、1ヶ所に長く留まるのは嫌いなんだ――――殺意と害意が、空気まで侵食するから。
殺人願望と自殺願望が、空気感染を起こすから。
「ちょっと待っててね、霧罪」
そう言って、私は席から立ち上がり、男の正面に立った。
荒々しい呼吸が、こちらにまで届いてくる。白眼が完全に赤く染まった、狂気を湛えた目が、私のことを鋭く射抜く。
『す、李ちゃん! ダメです! 危ないですよ!』
霧罪が誰にも聞こえない声で制止を促すが、無視をした。耳を貸すことすらなく、私は視線を男に向けて固定する。
これは、私の責任だ。
この女が死んだのは私の所為だ。
この男が殺人を犯したのは私の所為だ。
ならば――――この事件は、私が清算するのが筋だろう。
事件を生産してしまった私の責任を、果たさねばなるまい。
「ぐぅううううううううううううううううううううううううううううううううううううっ!!」
獣のように、理性の欠片も、知性の片鱗も見受けられない呻き声を上げる男。
そんな哀れな青年を見据え、私は歌うように唱えた。
心の中で、何度も何度も謝りながら。
誰にも聞こえない、謝罪と懺悔の言葉を叫びながら。
――ごめんなさい。
――すみません。
――申し訳ありません。
――全部、私の所為です。
――せめて、来世では死んでも出遭いませんように――――
「――――死ね――――」
ぐちゅり
肉に刃物が食い込む、嫌な音が室内に響き渡った。
見るまでもない。聞くまでもない。
私がこの言葉を吐いたらどうなるのか――――そんなこと、考えるまでもなく決まっている。
『あ、あぁぁ、…………』
霧罪の震える声が聞こえた。
男は、私の目の前で、自らの喉にナイフを突き立て、己の頸動脈を切り裂いたのだ。
スプリンクラーのように夥しい量の血をばら撒いて、あっという間に生命活動を維持させるのに必要な血液を失い、男は絶命した。
なにも見ていない空虚な瞳が、まるで睨みつけるかのように私の姿を映している。
「……………………」
噎せるような血の芳香の中、私は妙に冷静だった。
雨のように降り注いだ赤い血は、しかし、私の服を汚すことすらなく、ひたすらに足元の床を赤黒く染めていく。
「…………行くわよ、霧罪。そろそろいい頃合いだわ」
『へ? …………あ、は、はい……』
怖いもの見たさか、死体から目を離さないままに、霧罪は頷く。幽霊が怖いもの見たさなどというものを持っているということも滑稽だけど、それを私が言うべきではないだろう。
殺人を嫌う殺人鬼ほど、滑稽な存在もいないだろう。
殺人を後悔する殺人鬼ほど、バカげた存在もいないだろう。
「……………………はぁ」
自虐気味に溜め息を吐いて、私はレシートに書かれた料金をレジに置いて、そのまま立ち去った。
ほんの数秒後、店からは絹を裂くような悲鳴が聞こえたけど、振り返ることはしなかった。