新作の打ち合わせ(千文字お題小説)
お借りしたお題は「医者」「ふくろう」「小説」です。
神田律子はパッとしない作家である。
デビュー作こそ人目を引き、そこそこ販売部数を伸ばしたが、それ以降はまさに泣かず飛ばずで、作家なのかフリーターなのかわからない状態が続いている。
そんな時、律子を見出した編集者がやって来た。
「神田先生、新作を書きませんか?」
唐突に切り出されて、律子は淹れていたお茶を零してしまった。
「あわわ」
テーブルを拭き、お茶を淹れ直し、居ずまいを正して編集者を見る。
「新作を書きませんか? 編集長に掛け合って、何とか次号の五ページを取りましたから」
編集者は身を乗り出した。律子は苦笑いして身を引く。
(この人、相変わらず唾が酷い)
以前、顔を唾塗れにされた事を思い出した。
「そう言われましても、何も着想がないですから」
律子はすでに作家をするつもりがなくなりかけていた。
「着想というか、切っ掛けになればと思って、考えてきました。児童小説なんてどうです?」
「児童小説?」
律子はキョトンとした。編集者は手帳を取り出して、
「はい。森のふくろうがお医者さんの話とか」
律子は児童小説など書いたことはないし、子供の頃読んだ事もない。
「ちょっと難しいですね」
律子は編集者があまりにも熱心なので、作家を続ける情熱がない事を告げるべきか悩んだ。
「では、ふくろうという二つ名を持つ医者が夜な夜な徘徊して若い女性を殺戮するというホラーではどうです?」
編集者の唾の飛び方がレベルアップした。興奮して来た証拠だ。
「ホラーはもう書きたくないです」
ホラーでデビューした律子は自分のホラーに限界を感じていた。
「では、傷ついたふくろうを医者が助けるハートフルなお話は如何です?」
編集者は身を乗り出すのをやめて言った。
「そういうのは苦手なので……」
ハートフルなお話は読むのは好きだが、書くとなると感情移入し過ぎて号泣してしまうのだ。
「そうでしたね。編集者失格ですね」
編集者は寂しそうに頭を掻き、俯いた。律子はその仕草にドキッとした。
(これ以上彼を追い込みたくない)
意を決して口を開きかけた時だった。
「先生はもう書かないおつもりなんですね」
編集者が顔を上げた。出鼻を挫かれた律子は黙って頷く。
「それなら」
編集者は鞄の中から何かを取り出して律子に差し出した。
「え?」
それは指輪だった。
「僕と結婚してください」
律子は呆気に取られたが、
「あ、そういうのなら書けるかも知れません」
そう返された編集者が固まってしまったのは言うまでもない。
いつもどおりです。