序章 第1話 「月に叢雲」
それは確か『未知との遭遇』。いや、今に思うと『MIB』(メン・イン・ブラック)だろうか。
名作洋画のタイトルを思い出しながら、その内容を知らないことに思い至る。
見たことのないモノ、聞いたことのない事、経験したことのない事象は、その響きだけでこうも人を魅了する。
しかし、未知なるものとの遭遇がもたらすモノが、良いものばかりとは限らない。
未知なるモノとの第一次接触は、大概において恐怖や危険をも孕んでいるのだから。
今まさに、未知との遭遇をしている。
宇宙から来た巨大な飛翔物。
地球のモノとは明らかに違う兵器と兵士。
そして、二人の異邦人の少女。
しかし、これから語られるのは未知なる宇宙文明との遭遇を描く物語ではない。
それは、荒神の怒りに触れた、文明が滅びるまでのモノガタリ。
◇
午後6時50分。
関東の外れ、山に面した某都市から全ては始まる。
学生の身分でありながら、ある職(本人曰くバイト)に就く少年、叢瀬勇御。
身長は176センチ、体重は何と85キロ。一見細く見えるが、袖をまくった白いワイシャツの下は鋼のような粘りのある筋肉が凝縮されている。
髪はサラサラとした濃い茶色でコシが強い。大半は遊ばせているが、後ろ髪だけが伸ばされて刀の柄巻き紙で纏められている。
女性的な容貌で、美少年といって良い。しかし、精悍な表情が少年の〝男〟を主張させていた。
目下義務教育中である勇御には、中学の出席日数の不足を補う為だという事で教師より課題(宿題)が出されていた。義務教育なのだから出席日数が足りていなくても卒業するには問題無かったが。
課題を学校に提出した後、即、学校を辞して現在は職場(事務所)にとんぼ返りする途にあった。
プライベートである為に車やバイクは使えない。
この国で運転が出来る法定年齢には達してないし、そうでなくても非合法ギリギリ(アウト?)な職場である。
締めるところは締めておけ、と彼の姉も普段から言っていた。本人がそれを遵守することか否かは別問題だったが。
そんなわけで、年相応に自転車通勤(?)だった。
時節は春。
刺すような冷たさ、染み込むような寒さは和らいでも、走行中は風が全身に当たるため結構寒い。
寒いのだが、
(……キエフ程じゃないか?)
寒くなると北方の国、ウクライナでの仕事を思い出す。
度合いでいえばロシアのほうが寒かったが、当時の苦い思い出も手伝って人生で一番寒い思いをしたのはどこか?と問われれば叢瀬勇御のベスト(ワースト?)はやはりウクライナのキエフであった。泣きそうになる。
『思い出話に浸るほど年喰ったわけじゃないだろう、ユーゴ……』
ふと、そんな同僚の微笑込みな科白が聞こえたような気が。
「……んん?」
いや、実際に何か聞こえる。
砲弾のような空気を穿つ音。巨大な質量が大気を震わす振動。ユーゴスラビアで戦車砲にフッ飛ばされた記憶が甦り。
瞬間、視界がまばゆく照らされる。
(ッ!? まさかホントに砲撃……いや違うか!)
辺りに闇が戻り、迫って来るのは響く空を引き裂く物特有の轟音。
同時に、叢瀬勇御の真上を越えて行く何か。
そのほとんど夜闇と同化する黒いシルエットを見て叢瀬勇御が記憶を探るが、
(117? B-2? ……よりチョイ細いか??)
形状は2等辺三角形。だが、既存のステルス機に見られる形状は機体後方の辺が一番長い。
今、勇御の上空を抜けて行った物体は、進行方向の2辺の長さが後方より若干長いようだ。正三角形に近い。
サイズも戦闘機(実は攻撃機)であるF-117(全長19.4m、全幅13.2m)や、戦略爆撃機であるB-2(全長21.03m、全幅52.43m)より大きく見えた。
(じゃあ……まさか巡航プラットフォームか!?)
成層圏内を遊泳する多目的プラットフォームは小さいものでB-2と同サイズ。大きいものだと全長、全幅共に100mを超える。
ここは市街地。当然、落ちたら大事になる。
しかし、謎の飛翔体は音こそ派手だが速度はそれほどでもなく(それでも300キロ以上は出ていると思われる)、徐々に高度を落としてはいるが、今すぐ墜落するという感じでもない。
これならせいぜい燃料切れで不時着する大型航空機という体だ。腕のいいパイロットなら着地場所を選ぶはず。
「フッ!」
ペダルを踏み込む脚に力を入れる。
それまでは世間一般的な常識を考えて時速40キロ程度に抑えていたが、一気に100キロ近くまで加速。
飛翔物が堕ちると思しき方向へ疾った。
久々に日本に帰ってきたというのに忙しないことだ、とややゲンナリする勇御。
この日の事件がきっかけとなり、日本と世界どころか地球と宇宙を又にかけた騒動に巻き込まれるとは、この時点では叢瀬勇御も誰も、想像だに出来なかった。




