#6幼馴染みとお勉強
テスト期間中には様々なドラマが生まれる。……主に赤点すれすれの人たちの間で。それは例えば目の前で僕のノートを広げている優のことだったりする。
目が血走っているとはよく言ったものだと思う。元々がどんなふうに使われていたかは知らないけれど、寝不足で充血したうえに、親の仇でも見るような感じでノートを見ている彼女は少し怖い。
「ここってどうしてこうなるの!?」
しかも、その勢いのままこちらに質問してくる。僕としては3限の数学よりも1限の化学の勉強をしたいのだけど、逆らったら殺されそうな気さえするのでそれもままならない。隣の古川さんに救援要請をするのだが、その都度帰ってくるのは苦笑のみ。
「そこは無理に公式に当てはめるんじゃなくて、一度式の形を変えてから……」
貴重なテスト前のひと時は過ぎていく。
優は昔からこうだ。小学校の時は夏休みと冬休みの宿題を、中学に上がってからはそれに加えてテスト勉強をいつもぎりぎりになってから始めて最終的にぼくを巻き込む。今やっている数学だってそうだ。このプリントさえちゃんと理解すれば50点は取れる、そう言って教師が配ったものを今やっている(正確にいえば、昨日やってわからなかったところを今僕に聞いているんだけど、プリントが終わっていないという点では同じだ)。
僕にじゃなくて女の子の友達に聞けばいいじゃん。そう以前言ったところ、僕のノートは字がきれいで見やすいのだと言われた。それは小学生の頃、夏休みの宿題を見せてる時に字が汚くて見にくいと容赦なく叩かれた故の結果なのだが、それを言うと、じゃあ玲君の字がきれいなのはあたしのおかげなんだね、と訳の分からないことを言われた。
「席着けよー」
まずい、どうでもいいことを考えていたらもうこんな時間になってしまった。優があわてて席に戻っていく…………僕のノートを持って。
訴えたら勝てるのではないか?? そんなどうでもいいことをまた考えてから僕は意識を化学に戻した。
燃え尽きたぜ……真っ白にな…………
テスト初日からそんなフレーズが似合っているのは正直どうなんだろうか?
この学校は赤点を取った科目は追試、3つ取ったら親の呼び出しプラス追加課題が出される。中間の時は多少手心が加えられるが、長期休暇のある期末での追加課題は尋常ではない量が課される。あの様子からすると優は恐らく初日から1つ、もしかすると2つ赤を取ってしまったのだろう。
正直かける言葉も見つからないのだが、僕は彼女の元へ行かなければならない。……ノートを返してもらうために。
「……優、大丈夫?」
「……大丈夫、じゃない……」
答える声は当然元気がない。
「数学、ダメだったの?」
「……………………化学も」
長い沈黙の後に言葉を発した彼女は涙目だった。
『も』というのが表す意味はただ一つ。もう後がない、ということだ。
中学のころは1教科だったものが高校では2教科に分かれる。数学は数1、数Aに、英語はリーダー、グラマーに、国語は現代文、古典に。まぁ、何が言いたいのかというと、彼女の苦手な数学がまだ一つ残っているということ。
ピーンポーン
―――はい、どちら様ですか?
「伏見玲ですけど」
機械越しの声に僕は自分の名前を告げる。
―――ああ、はいはい、いらっしゃい玲ちゃん。今優を呼んでくるから中に入ってちょっと待ってね。
おばさんの言葉通り僕はリビングで待つことにした。
学校が終わってから僕は涙目のまま懇願する優に勉強を教えるために彼女の家へとやってきた。
「お昼はもう食べたの?」
戻ってきたおばさんの後ろには制服のまま眠そうに目元をこする優がいた。
「はい、もう食べてきました」
「えっ?? 何で玲君がいるの!?」
僕の声にひどく驚く優。何でとはまたひどい言い草だと思った。
「ちょっとお母さんっ!! お昼できたら起こしてって言っといたのに何で玲君がいるのっ!?」
「だって、あんまり気持ちよさそうに寝てたからしばらく寝かせてあげようと思ったのよ。でもね、優が玲ちゃんが来るって言わなかったのがいけないのよ。来るって知ってたらちゃんと時間どおりに起こしてあげてたのに」
おばさんは頬に手をあてて、しかしあまり申し訳ないとは思ってなさそうだった。
「じゃあ何で玲君が来てるって教えてくれなかったのっ!?」
「そっちのほうがおもしろいかと思って」
……やっぱり反省とかはしていないようだ。
「うぅ〜、とりあえずあたし着替えてくるから! ……ごめんね玲君、ちょっと待ってて」
少し泣きそうになりながらうなった優は僕にそう言い残すと二階の自室に駆け足で戻って行った。
「……子供で遊ぶのはやめたほうがいいと思いますよ」
「う〜ん、でもこれも愛情表現の一種だからね」
お煎餅とクッキー、どっちがいい? そう言いながら優のお昼ご飯を温めなおそうと席を立つおばさんに、クッキーがいいですと答えながら、勉強ができるのはしばらく後になりそうだなと思った。
「優って昨日どれぐらい寝たの?」
質問に彼女は無言で指を3本たてた。
「3時間?」
「……30分」
あれから秒針が15週ぐらいしてから降りてきた優は、どう形容すればいいのかわからないが、何やら可愛らしい格好をしていた。普段着とは少し違う、そんな印象を感じさせる服装。うっすらと黒ずんでいた目元も軽く化粧をして目立たなくしている。
これから勉強をするだけだというのにそんな格好をしていると、女の子なんだなぁ、と少し意識してしまう。きっといくら幼馴染みでも寝起きのだらしない格好を見られてしまったのが恥ずかしかったんだろう。
あれから優がお昼を食べてから彼女の部屋へ向かった。リビングでやれば、という僕の発言は、おばさんと美羽さんに邪魔される、という優の意見により却下された。
部屋の中をあまりきょろきょろしないよう厳命されてから問題集と向かい合って2時間ほど、僕は図書館かどこかに行けばよかったなと後悔していた。
理由は2つ。1つ目は今目の前でこっくりこっくりと船をこいでいる優。彼女はこの2時間ですでに3度ほど記憶が途切れている。2つ目はおばさんと美羽さんの存在。ジュースを持ってきたりお菓子を持ってきたり、結局リビングでなくとも邪魔は入るということ。せめて一声かけてくれればいいのに毎回コップになみなみと注いで持ってくるため机の上にはコップが8つのっている。その内、空になっているのは1つしかない。
前者はどうにもならないかもしれないけど、後者に関しては外出してれば解決していた。まぁ、いまさらいっても仕方のないことだけど。
「……そろそろ休憩しようか?」
僕の提案に彼女はとたんに顔をあげて目を輝かせて大きくうなずいた。
「う〜〜〜、やっと休憩だ〜〜〜」
大きく伸びをしてうめくあたし。
「まぁ、3回も寝てたけどね」
そんなあたしにあきれたように玲君は口をはさむ。
「あはは……。でもさ、なんでテストなんてあるんだろうね?」
「何、その小学生みたいな質問は」
…………見た目小学生のくせに。言わないけど。
「だって黙ってると寝ちゃいそうだし。別にいいじゃん、ただのグチなんだから」
「勉強教えに来て、そのうえグチまで聞かなきゃいけないの……?」
「いいじゃん。玲君は勉強なんかしなくたって赤点取るわけないんだから。だからかわいそうな幼馴染みを助けるぐらいで文句言わないの」
「はいはい。それでその幼馴染みさんはどうやったら寝ないようにやる気を出してくれるのかな?」
「何、その言い方」
彼としてはせいいっぱい嫌味っぽく言ったつもりなんだろうけど、正直可愛いという感想しか浮かばない。そもそも顔立ちからして自分より可愛くて、背もちっちゃくて、頭もよくて、なおかつ運動も結構できる。本当に完璧と言ってもいいぐらいなのだ、女の子としては。例えすねたって、怒ったって、嫌味っぽくしたって、結局のところ可愛いという結果に落ち着く。
「……なんで笑うの??」
そんな自分をちゃんと理解してない彼はきょとんとした感じで首をかしげた。その姿に抱きしめたいなぁ、とか思うけどがまんがまん。この幼馴染みは繊細なところがある。最近は女の子扱いされても慣れつつあるというかあきらめつつあるのでそうでもないが、昔は可愛いなどと言われたら地味にへこんでいた彼だ。ここで昔からの付き合いで、今までそういったことをしてこなかったあたしがいきなし抱きしめて可愛いとか言ったら、彼は本格的に落ち込んでしまうだろう。だから、
「まぁ、何となくね」
と下手なごまかしをすることしかできない。
「……まぁ、いいや。そろそろ勉強する?」
「えぇ〜〜〜、もう〜〜??」
彼の言葉にあたしは不満の声を上げる。というより『勉強』という単語を聞くだけで頭が痛くなり、話している間は大丈夫だった眠気が途端に元気を取り戻したような気がする。
「ほらほら、やる気を出して!」
「……なんでテストなんてあるんだろうね?」
「それはさっきも言ってたよ」
「でも質問に答えてなかったじゃん」
「そんなことどうでもいいからやる気出してよ。赤点取って困るのは優でしょ」
「まぁ、そうなんだけどさ。でもごほうびも何もないんじゃやる気なんて出るわけないよ」
「さっきも言ったけどさ、何を小学生みたいなこと言ってるのさ」
「だってだってだって〜〜〜」
まるでだだっ子の様なあたし。なんというか…………脳がゆるんでるときでもないとこんなことできないなぁ、と不意に思った。
「……じゃあどんなご褒美があれば頑張ってくれるのさ?」
「玲君なんかしてくれるの?」
「だってそうでもしないと勉強しなさそうだし」
僕にできることならね、そう付け加えた彼はあきらめのにじんだ、けれど優しい笑顔をしていた。
「……だったらさ、今度の日曜日にケーキ食べに行こう?」
二人っきりで、とは言えないあたし。
「1個おごればいいの?」
「ダメ。2個」
あたしが赤点を取ったって、それはあたしの問題であって彼がここまでする必要はない。
「ん。わかった」
なのに優しい彼は、指でOKと作りながら笑顔を見せる。
彼の笑顔を独り占めできたらどれだけ幸せだろう。そんな子供じみた独占欲を自覚しながら、とりあえず目の前の勉強を頑張ろうと思った。
そのやる気は今から20分後、お母さんとお姉ちゃんが部屋に乗り込んでくるまでは続いた。