#4学校にて 昼食〜下校
敬吾のおかげで姉さんたちの口争いが終わった後、ぼくたちは食事を始めた。ちなみに姉さんが席を譲ることはなかった。
「なぁ、玲。朝のことなんだが……」
そうやって姉さんが話しかけてきたのは食器の中身をほとんど食べ終えたときだった。
朝のことって? なんて思うほど僕はバカじゃない。夏目さんのことに関してだろう。
「だから、そのことはもういいんだって」
僕は朝の返答をまた繰り返した。実は姉さんに聞くまでもなく夏目さんの情報は入手している。というのも、1時限の途中で隣の古川さんから夏目さんのことについて書かれた手紙を手渡されたからだ。こう言っては失礼かもしれないけれど、かわいらしい便せんに少し丸みを帯びた字が意外だった。何となく僕は几帳面な、お手本のようなきれいな字を想像していた。
姉さんからより詳しい情報を得られるのならそれにこしたことはないのだが、当然ながら周りには鳴翔生が大勢いる。知り合いに聞かれるかもしれないリスクを考えるなら、ここで話は聞かないほうがいいだろう。
「いや、お前がよくても私はよくない」
けれど姉さんはそんな僕の思惑をぶった切ってしまう。
「朝のことって何の話、羽衣ちゃん?」
頭の上に?マークを浮かべて美羽さんが聞いた。
「ふむ……、美羽にも知っておいてもらったほうがいいか。実は玲が夏目のことに関して聞いてきたんだ」
「玲君が、夏目さんのことを?」
「ああ」
さて、うん、どうしようか。具体的には分からないけれどとてつもなく嫌な予感がしてしょうがない。
僕はちらりと敬吾とリッチの器をみる。二人ともすでに食べ終わって、僕のことを待っている状態だ。
「あ、そうだ。僕、用事があるから……」
というわけで、ぼくは逃げることにした。
「敬吾、リッチ、行こう」
僕たちはトレーをもって立ち上がった。
「あらあら、玲君にもようやく春が来たんですね」
「いや、私は認めないぞ。玲にはその、恋人だとかそういうのはまだ早い」
そんな会話をしていた二人は、玲の逃亡に気づくことはなかった。
「よかったのか? 先輩たちのことを放っておいて」
「っていうカ、おまえ、ケイのことはなしたのカ?」
食堂を出たところで敬吾とリッチが話しかけてきた。リッチが日本語なのは、たぶん敬吾のことに関してのことだからだろう。彼のとって何らかの基準があるのだと思うが、それが何なのか僕にはわからない。
「まぁ、放っておいてもいいんじゃない、一応声はかけたんだから。ただ夏目さんのことを聞いただけで、敬吾の名前は出してないよ」
前半は敬吾に、後半はリッチに顔を向けて僕は答えて、それから前に向きなおした。この身長差では、ずっと見上げているのは首が疲れる。
「そうか……でも、だったら余計放っておいたらまずいんじゃないか?」
敬吾は自分の恋心がばれていないとわかって少しほっとした様子であったが、すぐ心配そうな顔を向けてきた。
「何で?」
「カクジツにゴカイしてるゾ、あのフタリ」
僕に答えたのはリッチだったが、日本語の語彙が足りていないのかいまいちわからなかったので、僕は敬吾を見た。
「たぶん先輩たちはお前が、その、……夏目、先輩のことを好きだと思っている。」
敬吾は、夏目先輩、のところで少し詰まりながら言った。おそらく少し名前を呼ぶのにも意識してしまったのだろう。が、そんなことはどうでもいい。
「……僕が、夏目先輩を?」
そんなバカな。そう言おうかと思った。なんでそうなるのかと思った。しかし、ねえさんの態度を思い返してみると納得がいく気がした。
「早く誤解を解きに行ったほうがよくないか?」
「うーん……いいよ別に。帰ってからで」
僕はその判断をわりとすぐに後悔することになる。
「玲くんって好きな人できたの?」
好奇心に瞳を輝かせながら優が聞いてきたのは、何事もなく授業を消化し、HRも終わった後にクラス委員である優と集会が行われる会議室まで一緒に行っているときだった。
「な、なんの話? そんなの誰が言ってたの?」
何の前振りもない唐突な質問に僕はとても驚いていた。
「なんかお姉ちゃんと羽衣さんがお昼にそんなこと言ってたんだって。ねえ、ほんとに好きな人いるの? 誰? あたしの知ってる人?」
話からすると、僕に好きな人がいるけど相手はわからない、そういうことだろうか。
「あのさ、その話ってどれくらいの人が知ってるのかな?」
「うーん……あたしは美砂から聞いたんだけど、結構な人が知ってるんじゃないかな。あたしの友達はみんな知ってたよ。玲くんってわりと有名だし」
こんなとき自分の無駄に目立つ容姿が憎らしく思うのと同時に、昼に敬吾の忠告を無視したことを僕は後悔していた。
「そんなことより、好きな人、いるの?」
「別にいないよ」
僕の返答に優はあからさまに肩を落としたのだけど、なぜだか少しホッとしているように見えた。その反応の意味は僕にはよくわからなかったのだけど。
「じゃあなんでお姉ちゃんたちはそんなこと話してたの?」
「なんか誤解してるみたい。優からも美羽さんに誤解だって言っといてよ」
「うん、わかった。ほかのみんなにも言っとくね」
「ありがとう、優」
こういうときそこそこ顔の広い優の存在はありがたい。少なくともクラスの人たちの誤解は解いてくれるだろう。
「それじゃ、またあとでね」
会議室に入った僕たちはそれぞれ所定の位置に向かった。
「こんにちは、伏見君」
「こんにちは、夏目先輩」
席に座ったところで話しかけてきたのは隣に座る夏目先輩だった。彼女は典型的な文学少女といった感じで、全体的な雰囲気が古川さんに似ている。
「あの……できれば頭をなでるのはやめてくれませんか?」
「あらあら、ごめんなさい」
古川さんと違うのは柔らかい微笑みと、こういった軽い接触行動ぐらいか。ほかの先輩方がやってこないのはぼくができるだけ時間ぎりぎりにやってきたためである。逆隣りに座っているのは男子なので警戒する必要はない。
さて、これからどうやって敬吾のことをアピールしようか? 一応昨日考えてみたのだけど、思いついたのは世間話をしながらさりげなく敬吾の話題に持っていこうという場当たり的なもの。とはいえ、迷っている時間もない。
「そういえば休み明けのテストだけど、伏見君は勉強してる?」
そんなことを考えていたら先に話しかけられてしまった。
テストというのは期末テストのこと。今まで誰からも話題に出なかったのが不思議なくらいタイムリーな話題だ。今日は金曜日、テストは3日後だ。
「いえ、あまりしてないですね」
ぼくはできるだけ学校にいる間に覚えるようにしている。家だといつ姉さんの発作が始まるかわからないからだ。
「ふーん、余裕なんだね」
「夏目先輩はどうなんですか?」
「私? 私はちゃんと勉強してるよ。明日も図書館に行って一日勉強するつもりだし」
その時、ドアを開けてプリントを持った会長と副会長がはいってきた。僕と先輩は座りなおして会話をやめることにした。ちなみに会長は女、副会長は男だ。
「それではこれから集会を始めます。今日の議題はクリスマスパーティーについてです。3年生のクラス委員の方はプリントを受け取ったら帰っていただいて結構です」
会長が話しながら副会長がプリントを配る。
ここの学校は12月24日に終業式を午前中に行い、午後に自由参加のクリスマスパーティー―――クリパを開く。こういうところはさすが私立高校だと思う。
3年生にとっては数少ない息抜きということになる。自由参加なので恋人がいる人はそちらを優先すればいい。プリントを見る限り、内容としては軽い立食形式のパーティーのようだ。学校側からの手引きで業者からかなり格安でタキシードやドレスが借りられると書いてある。
「ねぇ、伏見君はクリパ出るの?」
隣から小声で話しかけてきた。
「いえ、まだ分からないですけど…… 夏目先輩はどうなんですか?」
僕も同様に小声で返した。
「私は出るつもりかな。彼氏とかがいるわけじゃないしね」
へぇ、そうなんだ。知ってるかもしれないけど、敬吾に後で伝えておこう。
「詳細はプリントに書いてある通り、何か分からないことがあれば私か実行委員の方を尋ねてください。一部の委員の方には手伝ってほしいことがあり、その分担は……」
会長の声をBGMにしながら、敬吾のことアピールできなかったなぁ、と僕は反省した。
私は一人教室にいた。
今日は図書委員の当番で今まで図書室にいたのだが、忘れ物をしたので取りに戻ってきたからである。
「伏見君、夏目先輩のこと好きなのかなぁ……」
なんとなく口に出してつぶやいたのは隣の席の男の子――私の好きな人のことだった。
朝、夏目先輩のことを聞かれ、昼に伏見君には好きな人がいるという話を聞いた。つまりは、そういうことなのだと思う。
おそらく自分にとって伏見玲という存在は――アイドルや本の主人公、そういったものを除けば――初恋の相手だ。これまでそういうことにあまり興味のなかった私は彼が近くにいる、いや、同じ教室の中にいるだけで満足だった。それだけで幸せだった。例え彼に好きな人がいても、ましてや恋人が出来たとしても、そのことに変わりはない。
なのに、なのにとても寂しいような、悲しいような気がした。
「あれ、陽菜? どうしたのこんな時間に?」
いつの間にかうつ向いていた私の顔を上げさせた声の主は優だった。
「さっきまで図書当番だったんだけど、ちょっと忘れ物しちゃって」
「そうなんだ。あたしも同じなんだ。さっきまで集会だったんだけどさ、明日英語の和訳があったこと忘れててね」
あはは、と笑いながら彼女は言った。
「ねぇ、陽菜。一緒に帰ろうよ」
「うん」
私は頷いて彼女の所に行った。
「そうそう、玲君とそのお姉さんもいるから。げた箱で待っててもらってるんだ」
私は彼女の言葉に、伏見君の名前に思わず反応してしまった。そして、彼女はそんな私の反応を見逃さなかった。
「…………ねえ、陽菜って玲君のこと好きなの?」
彼女は直球に聞いてきた。私はそれに答えることができなかった。たとえその態度が肯定しているようなものだとしても。
「そんな陽菜にうれしい情報があります」
そんな私を見て、彼女はことさらに明るい声で言った。
「聞きたい? 聞きたいよね?」
私は何のことかわからなかったけど、その勢いに押されて頷いていた。
「うんうん、あのね……昼間の話は嘘なんだって。玲君は今好きな人がいないんだって」
さっき聞いたんだ、と彼女は続けた。
けれども、正直信じられなかった。普通、自分に好きな人ができてもあまり人には話さないんじゃないか? 少なくとも異性には打ち明けないんじゃないか? と思ったことを彼女に言ってみた。
「うーん。普通はそうなんだろうけど……。でも、あたしと玲君って付き合い長いしさ。わざわざ話す、とかはないと思うけど、少なくとも嘘は言わないと思うんだよね。玲君の性格からして」
私には幼なじみというものがいないけど、そういうものなんだろうか?
「それにね、嘘ついてたらなんとなくわかるんだ。なんたって、十年来の付き合いだからね」
よくわからなかったけれど、その関係が私にはすごくうらやましく思えた。