#2姉さんと母さんと僕
「じゃあな」
『また明日』
あれから僕は帰りながら敬吾が夏目さんを好きになったきっかけを聞いた。リッチもその辺は聞いてなかったらしく興味深そうに聞いてた。
どうも夏目さんはサッカー部のマネージャーさんのお友達らしく、以前からちょくちょく顔を見かけていたらしい。そして昨日少し話をし、好きになったのだという。
なんとも急な話である。ていうかちょくちょく来るんだったら自分でなんとかしようよ、とか、人にあんなこと言っておいて自分の方こそ何回も見ていて名前も知らないんじゃないか、とか言いたかったけれどやめておいた。まぁリッチが代わりに言ってくれたけど。
電車を降りて二人と別れた僕は間もなく家に着いた。
「ただいま」
僕は居間に声をかけながら自室へ向かった。時刻は六時を少し回ったところ、母さんは定時に仕事を終えるためにこの時間はたいてい家にいる。
「おかえりなさい」
階段を上がりながら後ろから母さんの声がした。
「よう、おかえり。今日は少し遅かったな、生徒会の集まりは確かない日だろう。何してたんだ?」
自室に入る直前、話しかけてきたのは
「ただいま、姉さん。ちょっと友達の話を聞いてたんだ」
僕の一つ年上の姉、羽衣姉さんだった。
羽衣。身長170センチ。背中の半ばまである黒髪のロングストレート。すっきりとした輪郭に大きな瞳、各種整ったパーツ。きれいな大人の女性の声は男口調。手足は長く細身。一部から姉御とか言われている男前な性格だけれど可愛いものが好き。それが僕の姉だ。
「そうか。まぁ、そんなことはどうでもいい。玲、少し部屋に来てくれ」
きれいな顔がニコリと微笑む。多くの人はこの笑顔にみとれてしまうだろう。もしかしたらひとめぼれしてしまう人もいるかもしれない。けれど僕には嫌な予感、いや確信がある。
「……なんでさ?」
「いつものだ」
…………やっぱり。無駄だと分かっているけど言っておこう。
「嫌、なんだけど……」
「拒否権が無いことぐらい分かってるだろう?」
僕はがっくりとうなだれた。
「さっさと来い」
言われて僕が部屋に入ると姉さんは机の上に置いてあった紙袋からおもむろに大きな赤いリボンを取り出した。
「……今日はいったいどうしたのさ?」
「ふむ、今日学校にな、大きなリボンを持ってきた女子がいたんだ。それを何人かがつけて遊んでいたんだが……」
「……それでなにさ?」
「お前の方が似合うと思ってな。ちょっと買ってきた」
……おおむね予想通りの返答が返ってきた。だってこんな大きなリボン今までこの家で見たことないもの。
いつものことだ、いつものことだが僕は抵抗を諦めたことは(あまり)ない。
「姉さんが着けた方が似合うと思うな〜……」
「いや、私のような背の高い女が着けても似合わん」
……それは僕の身長が低いということでしょうか。まぁ、低いけどね……
「で、でも僕が着けても似合わないと思うな〜……」
「大丈夫だ。自信を持て」
そのような自信を男が持ってしまったら致命的だと思うのですが。
「で、でもさ……えっとさ……」
「ん、どうした?もうネタ切れか?」
ネタとか言わないでほしい、こちらは一生懸命考えているのだ。
「ところで私はこんなものを持っているんだが」
そう言って姉さんはズボンのポケットから携帯電話を取り出した。
「まぁ、そこまで嫌だと言うなら諦めないこともないが、……どうする?」
あぁ、もうなんというか……泣きたい。いつもいつもこうだ、僕がどれだけ抵抗しようとあれを出されたら何も言えなくなる。
あの中には僕の弱みがぎっしりと詰まっている。正確に言えば、今姉さんが僕にしようとしてることよりも数段上の姿をした僕が。
最初断ったとき姉さんは待ち受け画像を変更した。……僕の恥ずかしい写真に。
次に断ったとき姉さんは、『一枚100円で6000円になった』と、大変嬉しそうに言った。後日クラスメートから《髪をカラフルなゴムとビーズ紐で飾られた僕》を見せられた。姉さんが待ち受けにしていたやつだった。
「次はいくらになるかな〜♪」
普段は使わない“〜♪”まで使って僕を言葉でいじめる姉さんはとてもひどいと思う。だってあの中には僕にとって、もっと恥ずかしい写真しかないのだ。
結局いつものように僕は無条件降伏することになった。
「あら、れいちゃん。すっかり可愛くなっちゃって♪」
あれから僕は姉さんにてっきりリボンだけかと思っていたのに化粧までさせられた。最後の意地として僕は制服のままだ。だって、下手に私服にすると普段から女の子に間違えられることがあるもの。
「……頼むから姉さんを止めてよ、母さん」
「いいじゃない、可愛ければ」
食事の準備の整ったテーブル、向かいに座る母さんの言葉に僕の隣に座っている姉さんが満足そうに頷いた。
「風呂まで取ったらダメだからな、玲」
携帯出しながら言わないでください……。
ちなみに今日の食卓にあがるのはハンバーグにポテトサラダ、コンソメスープという純洋食といった感じだ。
「父さん、早く帰ってこないかなぁ……」
四人家族のこの家で僕の味方は父さんだけだ。父さんだけは僕をちゃんとした男の子として扱ってくれる。
「あらあら、可愛い息子にこんなこと言われるなんて、お父さんも幸せねぇ」
息子だって分かってるなら息子として扱ってほしい、そう思うのはわがままなのでしょうか……。
「ふむ、きっと父さんも浮かばれるだろうな」
いや、なんか死んだみたいに言うのやめようよ。
「父さんがいなくなってもう一年と八ヶ月か……」
「うん、あと四ヶ月だね。父さんが帰って来るまで」
早く帰ってきてほしい。父さんがいなくなってからだ、姉さんの奇行が悪化したのは。その前まではせいぜい髪をいじるぐらいだったのに……スカートなんて着たことなかったのに……。
父さんを外国へ転任させた会社を僕は少し恨みます。
とりあえず牛乳でも飲んで背が伸びることを祈ります。ご飯食べたらさっさとお風呂行こう。
ふむ、今日もまた新しい一枚が我がコレクションに加わった。
「なぁ、母さん」
「なあに、ういちゃん」
玲は夕食の後すぐに風呂に行き、私たちは食後のお茶を楽しんでいた。
「どうして玲はあんなに可愛いのだろうか?」
「わたしの息子であなたの弟だからじゃないかしら」
なるほど、母さんも私も自分でいうのはなんだが美形に分類される。要は家系なのだろう。
「なぁ、母さん」
「今度はなあに?」
「玲はとてもとても可愛いと思う」
「そうね」
「そんな玲を私たちだけで独占していてもよいものだろうか?」
「……独占してるつもりはないけど?」
「私は玲の可愛さをもっと皆に発信していくべきだと思うのだ」
「……どういうこと?」
「つまり」
「つまり?」
「ホームページでも作って玲の写真を載せたい」
私の手元には玲の写真がたくさんある。具体的にいえ約25KB×1000ほど。
「それをわたしに言ってどうするの?」
「許可と、あと手伝ってほしい」
母さんは仕事でよくパソコンを使っている。対して私は簡単な操作しかできない。
「嫌よ」
しかし、そんな私の願いは断られた。
「なぜ?」
「私の許可じゃなくて玲の許可を取りなさい」
「玲は絶対に首を縦には振らないだろう」
「だったらだめよ」
「そこをなんとか」
「だめ」
「なんでもするから」
「なら諦めなさい」
「無理だ」
「なんでもするんでしょう」
………それからなんの進展もない会話は、玲が風呂から出てくるまで続いた。
そんな感じに玲の知らぬ間に迫った危機は、玲の知らぬ間に去った。