#17男女比率一対三
土曜日。
僕は駅の近くの大きな時計の下、噴水の前で待ち合わせをしていた。以前優と出かけた時にも使った場所だ。
事の起こりは二日前まで遡る。
その日、僕は琴音ちゃんにお弁当の事を丁重にお断りしようと思ったのだ。
僕に彼女の気持ちを受け入れるつもりは全く無い、という訳ではない。そもそも彼女が僕の事を好きなのかどうか未だ確信は持てずにいるし、自分が彼女をどう思っているかも分からない。
どうしても自意識過剰ではないかと思ってしまい、そこから思考が続いていかないのだ。
しかし、そういった気持ちだとか想いだとかとは別に、お弁当という物は少なからずお金のかかる物。自分の立ち位置もはっきりしないのに彼女に甘えてしまうのは良くないと思ったのだ。
なので金銭的に悪いからと断りの旨を申し出たのだけど、
「ふむ、では今度遊びに行こうではないか」
と横から唐突に野々山さんが口を挟んできた。
『琴音が勝手にやっていることなのだから君は気にせずそれを享受すればいい。どうしても気になるならば何かお返しをすればいい』という彼女の弁に押し負けて、四人で遊びに出かけ、琴音ちゃんの分のみ僕が負担するという運びになった。
それが今、僕が噴水の前に立っている理由である。
「やあ、伏見。中々早いんだな、感心だ」
気さくに片手を上げてやって来たのは野々山さんだった。黒のロングコートに黒のスラックス。黒い靴に黒の革手袋。首元には何故かここだけ真っ赤なマフラーが巻かれている。
「別に今来たばっかだよ」
待ち合わせの時間にはあと十分。特別早いというわけでもないだろう。それから四、五分経って樋口さんが来た。
「おはよう二人とも。琴音はまだかしら?」
樋口さんは穏やかに微笑み、次いで首をかしげた。ベージュのコートは前をしっかり閉めて、ロングスカートに白いマフラー。どことなく落ち着いた印象だ。
「ああ、いつもなら大抵最初にいるんだが」
「きっとぎりぎりまで悩んでるんじゃないかしら?」
いったい何を? 問いかけてみるけれど樋口さんは楽しそうに笑うだけだった。
それから五、六分たって琴音ちゃんが駆けて来た。
「……遅れて、ごめんなさい……」
苦しそうに肩で息をする彼女は、十数秒後息を立て直し僕を見た。
コートにマフラー、手袋に膝よりも少し上のスカート。全体的にふわっと、アクセントに少量のフリル。そんな彼女の顔は普段よりもこわばっているように見えた。
「どうしたの?」
心配になって問いかける。
「あら伏見君。せっかくの女の子との待ち合わせなんだから」
「そうだぞ伏見。まず服装を褒めろ、常識だろう」
答えはほかの二人から返ってきて、それを聞いた琴音ちゃんが心なしか恥ずかしそうに瞳を伏せる。
えっと、どうしたらいいのか……。
「それってどこの常識?」
「そんなことはどうでもいいから、君が見るのはあっちだ」
とりあえず逃げてみたけどあえなく玉砕。僕の顔は野々山さんの手によって琴音ちゃんの方へしっかりと固定される。その視線を受けてますます瞳を伏せる彼女はとても可愛く感じた。だから、
「すごく、似合ってるよ」
思わずもれた、けれど直接可愛いとは言えないのが僕の限界。それを聞いてゆっくりと顔を上げる彼女に、僕は恥ずかしさを誤魔化すように笑いかける。
「ありきたりね」
「ああ、この上なくオリジナリティに欠ける」
……他の二人は無視することにした。
甲高い音が連続して響く。目にも留まらぬ速度の戦場。目の前で行われているハイレベルな争いに知らず目を奪われる。
「ふふっ、知らぬ間に腕を上げたようだな、美理」
余裕の表れなのか、軽い口調で話す野々山さん。しかし対する樋口さんに言葉を返す余力はなく眼前の戦場から意識を放すことはない。
始まってから五分以上続く戦いは、いまだどちらも決定打を与えることなく、しかし、ふとしたことで勝負の付いてしまいそうな緊張感を――
そこで僕は服の袖を控えめに引っ張られ、そちらに振り向いた。
「……もう飽きたから別のとこ、行こ?」
語尾をやや上げて僕を誘う琴音ちゃん。
「よしっ!」
そしてそのほんの少し目を離したすきに先ほどの戦場、エアホッケーは野々山さんが先制点を挙げていた。
僕たちは今ゲームセンターにいる。
入ってすぐにエアホッケーの台に向かった二人を追うと思いもよらないレベルの試合が展開された。一度パットを止めてワンクッションおいて、なんてことの一切ない高速バトルは僕にとって感嘆せずにはいられない試合だったのだが、琴音ちゃんにとっては見慣れた光景なのか、エアホッケーに興ずる二人を置いて僕の手を引っ張る。
「えっ、でも……」
「…………」
無言の催促。ただ、袖をつかむ指は弱弱しくて。だから、
「うん。それじゃあ何しよっか?」
それに抗うことなんてできなかった。
それからガンシューティング、ギターやドラムのゲームを二人で遊んだ。もしかして琴音ちゃんもとてつもない腕前を披露するのでは、と思ったけど普通に人並みで安心した。女の子にゲームで負けるのは何となく悔しい気がする。
その頃になってようやく決着がついたのか、野々山さんと樋口さんが合流した。
「時間内に終わらないからどうしても長くなるな」
「いつもエアが途中で切れちゃうしね」
エアホッケーで途中でエアが切れるなんて初めて聞いた。四人がかりでクイズに挑んだけど、ぼくたちの中で得意分野が結構かぶってたのでそんなに長くは続かなかった。
「さて、では最後にあれでもやろうか」
時計を見ると十二時半を少し過ぎたころ。野々山さんが指差した先にあったのはプリントシール機。バージョンが変わったばかりの最新タイプだった。
「えっと……僕、も?」
「当然」
僕の問いかけに断言する野々山さん。しかし待ってほしい。男が一に対し女が三。そんな状況であんな狭い場所になんて僕には無理です。
我ながらなんとも情けない理由である。それを告げると当然みんな不満そうにする、かと思いきや樋口さんだけは何故か笑っていた。
「樋口、さん?」
少しだけ嫌な予感。
「つまり伏見君は女の子が三人もいるから駄目なのよね」
「う、うん。まあ、そうなる、のかな?」
「それなら琴音と二人なら構わないわよね」
一対一になるのだから。付け加える樋口さんは反論は許さないとばかりに自身の人差し指を僕の口に押し付けた。
狭い場所に二人きり。シート一枚でしか遮られていないはずなのに、あれほどうるさかったゲームセンターの喧騒がどこか遠く感じる。
自分は今緊張している。それがたやすく自覚できる。そしてそれがどこか自分を恥ずかしくさせる。
付き合いの薄い人たち、例えばクラスメートや教師から自分は無表情だと評される。当然感情がないわけではなく、ただ表情にあまり出ないだけ。分かってくれる人は分かってくれるので、特に気にしていない。気にしていないのだが、しかし今、隣に自分が緊張していることが分かるだろう人がいる。
それがなぜかこの上なく自分を恥ずかしくさせる。そしてその恥ずかしさも彼には伝わってしまうだろう。それがさらに私を恥ずかしくさせ、この狭い場所にいる限りその羞恥に終わりは来ないのだ。
唯一の救いは、緊張しているのは自分だけではなく隣に立つ彼もであることだろう。
「えっと……じゃあ、どれにする?」
ほんの少しだけぎこちなくこちらに問いかける彼。
「……これ」
フレーム設定、指差す画面。けれどそれはてきとうに選んだものだった。
今更、本当に今さらだが自分の服装が気になってしまったから。
実際に何着か取り出して鏡の前で合わせて、なんてことをしていたわけではないけれど、何度も思い浮かべた‘何を着て行こう’。昨日のうちに’これにしよう’と一式取り出して、なのに今日の朝不安になってもう一度考え直した。
そう、これだけ悩んだのだ。それに合わせて髪型も少し、本当に少しだが変えてみた。……きっと気づいてはいないと思うけど。
何もおかしなところはない。そんな言葉で生じた不安を鎮静化させる。
「じゃあ、撮るよ」
隣からの呼びかけ。改めて画面に映る自分の格好を確認。
うん。きっと大丈夫。
自分にもう一度言い聞かせ、それから画面に映る隣の彼を見つめることにした。
「なんだこの微妙な距離感は。もっとくっつけ」
「だめよ伏見君。こういうのは男の子がもっと積極的にしなくちゃ」
出てきたのを勝手に四等分した二人は、そんなコメントをしながらシールを手渡してきた。
フレームの違う四種類の写真。しかしそのどれもが互いに緊張しているのか、どこかぎこちない気がした。