#15騒がしいお見舞い
「れ、玲君、だいじょうぶ〜〜!?」
「うう……頭に響く……」
抱き起こされて全身をがくがくと揺さぶられる。それは耳元で出される大声と相乗効果で僕の頭痛に多大な影響を与えた。
「あっ、気がついた! 大丈夫、玲君?」
「だから、頭に……」
現状を訴えきる前に唐突な浮遊感。
「えっ……?」
視界に野々山さんの顔。
「悪いが運ばせてもらうぞ。部屋はどこだ?」
「あ、階段登ってすぐのとこ……」
……簡潔に言おう。決して客観視したくない事実だが、しょうがない。
僕は今、お姫様だっこをされている。それも、クラスメートの女子に。
これは一体どんな罰ゲームだろう。運んでもらってる身分で言えることではないかもしれないが、男の尊厳とかそういうのがごっそりと持っていかれる気がした。
僕の寝る自室のベッド。その周りにイス、クッション、足りない三人には悪いけどそのまま床に座ってもらった。
「今日はみんなわざわざ来てくれてありがとうね」
僕は身体を起こして言う。
「玲君、寝てたほうがいいよ」
心配そうに優が言って、古川さんと琴音ちゃんがうなずく。野々山さんと樋口さんはそのうち物色でも始めそうな勢いで部屋を見回している。
「うん。でも大丈夫だよ。朝に比べたらずっと楽になったから」
ピピピッとその時、脇にはさんだ体温計から電子音。自分で確認してから優に手渡す。
「37度4分。だから大丈夫だよ」
僕の言葉に優の手元、体温計を覗き込むほかの4人。
そこで、僕のお腹がささやかながら空腹を訴えた。集まる視線が少し恥ずかしい。
「玲君、今日何か食べた?」
僕は羞恥に少し顔を染めながら首を横に振る。そういえばさっき何か食べようと思ってたんだった。
「あの、伏見君。私が何か作ってこようか? その、簡単なものしか出来ないけど……」
古川さんが少し身をのりだす。
「あ、ありがとう。でもいいよ。下にお粥が用意してあるから」
不意にさっきの、意識を失う直前感じた柔らかさを思い出してしまい、気を抜くと視線が、その、……胸部、にいってしまいそうなのを根性でそらしつつ僕は答えた。
「それなら温めてくるね」
立ち上がる古川さん。
「なら、あたしも行くよ」
「あ、待って優」
続こうとする優を呼び止める。
「悪いんだけどさ、お茶か何か持ってきてくんないかな。みんなの分も」
空腹と同時に思い出したけど僕はもう喉がからからなのでした。
「うん、分かった」
ちょっと待っててね、と優は下へ降りていった。
「ふむ、それにしても……」
「何、野々山さん?」
人数が減った途端にじろじろと僕を見る彼女。僕はなんとなく野々山さんに苦手意識を持ち始めてます。なんというか、姉さんや日向会長と似たような感じがするというか、うん、そんな感じ。
彼女はおもむろに僕を指差した。
「伏見、君は随分と可愛らしい恰好で寝るのだな」
「え? 何が?」
僕は首を傾げて自分を見る。
「あら、だめよ真琴。せっかくみんな黙ってたのに」
いつもより四割増しでにっこりしている気がする樋口さんがたしなめる。その隣では野々山さんを非難するように琴音ちゃんがわずかにうなずいてた。だけど、
「ねぇ、どこがおかしいの?」
僕には何の事だか分らなかった。
「……伏見、本気で言っているのか?」
「うん」
けれどそんな反応は彼女たちにとって意外なものだったらしい。
僕はもう一度自分を見てみる。でも僕が着ているのはごくごく一般的なパジャマだ。
「ねぇ、なにかおかしなところがあるの?」
「いや、いい。君は是非そのままでいてくれ」
「ねえ、伏見君。ちなみにそのパジャマは自分で買ってきたの?」
「母さんが買ってきたけど?」
「……ちなみに私服は?」
「姉さんと母さんが買ってくるけど?」
そこで三人は顔を見合わせた。
「どうしたの?」
「……ううん、なんでもない」
「ええ、少し意外……でもないわね。よく考えてみたら」
「ふむ、あの姉ではむしろ当然か」
……姉さんがどうかしたのだろうか? 謎だ。
「玲君お待たせ〜」
僕が疑問に思っていると、お盆にコップを乗せた優が戻ってきた。
「ちょっとコップとお盆探すのに手間取っちゃったよ。はい、どうぞ」
お盆を机に置いて、その上の一つを手渡してくれる優。
「あれ、コップとかって場所変わってた?」
勝手知ったる他人の家、ではないけど優なら大体知ってると思ってたけど。
「コップはともかくお盆の場所までは知らなかったから」
それもそうか。
「陽菜ももうすぐ来るからね」
僕は麦茶を一口……と思ってたけど、自分で思ってた以上にのどが渇いてたようで、止まらずそのまま一気のみ。
「……ッ、ゴホッ」
むせた。
「……レイっち、大丈夫?」
「っ、ふぅ。うん、ありがと」
ちょっと涙目になりながら、背中をさすってくれている琴音ちゃんにお礼を言う。
正直しんどかった。胃の中身が逆流するかと思ったよ。
「そんなにのどが渇いているなら私のも飲むか?」
コップを掲げながら提案する野々山さん。でも、
「いや、いいよ」
だって中身減ってるし。
「やれやれ。せっかく間接キスが手に入るというのに」
いえ、いりませんから。
そこで、野々山さんの発言を聞いて何を思ったのか琴音ちゃんが不意に自分の麦茶をあおり、
「……どうぞ」
コップを僕に差し出してきた。
その腕はまっすぐ僕に伸びていて。その瞳は僕が断るなんてみじんも考えていなさそうで。ついでに言えば、その頬はほんのり赤らんでいて。
「いやいやいや、おかしいからその行動!」
僕の至極真っ当な訴えは、
「……?」
首を傾げた彼女に全く効果を示さない。
ちょっといきなり何言ってくれてるのさっ! という視線を野々山さんに向けると、
「ささっ、グイッといくがいい」
親指を立てながらニヤリと笑い返された。
ダメだ。この人には何を言っても無駄だ。優は優でなんか急に不機嫌になってるのが伝わってくるし、樋口さんは満面の笑みと期待の伴った生温かい視線でこちらを見てる。
自分の家の自分の部屋なのに、なんでこんなに居心地が悪いのだろうか。もうとりあえず若者らしく世界が全部悪いということにして現実逃避したい。もしくは誰か助けて。
コンコン
その願いが届いたのかはわからないけど。
「伏見君。お粥温めてきたよ」
古川さん参上。今の僕にはあなたに後光が差して見えます。
お願い、この状況を何とかしてください。
ちっ、せっかく面白い事態だったというのに。
心中で毒づき、陽菜ももう少しだけ遅く来てくれればよかったのにと思う。私は美理と視線を交わし、落胆のため溜め息を吐く。いや、吐こうとした、その時だった。陽菜が、動いたのは。
彼女は部屋を一瞥して状況を把握。おもむろに伏見のすぐ近くに寄って、行動した。
ふー、ふー、はい、あーん(=ほんのりとかぐわしい湯気の立ち昇るお粥を木製のスプーンですくい上げ、熱を冷ますべく数度息を吹きかけ、伏見に差し出して食べるよう促した)。
そのすぐ近くに座る琴音のことなぞ眼中にないかの行動。
これには私、美理、優、そしてさすがの琴音も目を丸くして絶句する。
肝心の伏見はというと、
「えっ、なんで!?」
当然ながら目茶苦茶に動揺していた。
「はい、あーん」
笑顔で威圧をかける陽菜はスプーンを5cm近づける。
「えっ、あの、その、自分で食べられるから……」
「あーん」
さらに5cm。
「……あーん」
諦めた伏見の声は震えていた。
「はい、あーん」
対する陽菜は、先ほどの威圧感はどこへやら。とてもうれしそうだ。
「おいしい?」
おいおい、それは君が作ったものではないだろう。
「う、うん」
いやいや、君は今ろくに味の分かるような状態ではないだろう。数分前よりも確実に顔色が紅くなっているのが分かる。風邪が悪化しなければいいのだが。
ここで琴音が動いた。
自らの鞄に手を伸ばし、取り出したのは弁当。
それを両手で抱え持ち、伏見に向き直り口を開く。
「……レイっち、その、今日もお弁当作ったから、良かったら食べてほしい」
いじらしい。言葉だけを聞くとなんといじらしいのだろう。しかし、陽菜と同等、もしくはそれ以上に悪質な気がするのは私だけだろうか?
陽菜の場合、てめえ、断ったら殺っちまうぞ、といった感じの迫力があったのだが、琴音の場合、断ったら泣いてしまいますよ、といった気配がするのだ。
「……食べて、くれる?」
かすかに揺れる不安げな声。
「う、うん……」
当然伏見が断れるはずもなく。
「……じゃあ、はい、あーん」
さっきと同じ状況に陥るわけで。
とりあえず私には伏見の風邪が悪化しないよう祈ることしかできなかった。だってせっかく面白くなってるのに止めるなんてもったいないし。
というわけで。がんばれ、伏見。
追記その1.優が静かだな、と思ってたらいつの間にかいなくなっていた。美理に一言帰ると言ってたらしい。
その2.伏見のパジャマには驚かされた。と言っても特別奇抜なデザインをしていたわけではないのだが、全身にデフォルメされた猫がプリントされたパジャマ、しかもサイズが一回り大きなものを何も疑問を抱かず着ているとは。
その3.後日、陽菜にどうしてあんな行動をしたのか聞いたところ、「その、キッチンにいたら何か気分が舞い上がっちゃって……」とのこと。自分がどれほど大胆なことをしていたのか、思い返す陽菜は随分と恥ずかしそうだった。
その4.しまった……パジャマ姿に琴音と陽菜の対決。せっかくのシャッターチャンスだったというのに逃してしまった……。
その5.ちなみに伏見の風邪は悪化することはなかった。