代用なんてまっぴらです
アンジェリカは伯爵家の生まれであるが、男兄弟に囲まれ成長し、気付けばすっかり自身も男みたいなものだと思って育ってきた。どのみちアンジェリカの家は代々騎士として王家に忠誠を誓い続いてきたようなものなので、いずれはアンジェリカも女騎士として身を立てたいと思っていたし家族だってその考えに反対などするはずもなく。
年頃の貴族たちが通う事になる学園でも、アンジェリカは当然のように騎士科を選択した。
もし兄弟たちがアンジェリカの事を我が家で唯一のお姫様、みたいな接し方をしていたのなら市井に出回る娯楽小説にありがちな――どこか勘違いしたヒロインもどきになっていたかもしれないが、喜ばしい事にそんな風にはならなかった。
ストイックに鍛錬を重ね、同じく騎士を目指す者たちと研鑽を重ねていく。
立派な騎士を目指す者たちからすればアンジェリカは同士である。
それは、男女関係なく。
ただ、家を継げるでもないしどっかいいところに婿入りできるかもわからないし、かといって頭を使うのは苦手だし、とりあえず騎士目指せば食い扶持はどうにかなるだろ、みたいな軽い考えで騎士を目指している者たちからすると、アンジェリカのように騎士を目指す女性たちは同士というよりは、手近にいる異性でしかなかった。
淑女科の令嬢たちと比べると可憐さとかか弱さといったものは全くないけれど、でも同時に気安く声をかけても同じ騎士科であるが故に許されるだろう異性。
淑女科の令嬢相手にやれば無礼だと囁かれるような事も、同じ騎士科の者たちからすればこれくらいはよくある事、で言い切れそうな――それでいて、周囲に何か言われてもあいつらは女じゃなくて、男友達みたいなものだ、で言い逃れができる大変便利な存在だった。
とはいえ、騎士科の女性たちがそんな男の思惑に簡単に乗るわけもなく。
一部はこてんぱんに叩きのめされ、一部は同じように雑な扱いをされてほとんど相手にされず、そこで諦めればまだしも、諦めの悪い者たちは虎視眈々と隙を窺ってどうにかしてやろうと画策していた。
そういった一部のどうしようもない面々は同じ騎士科の令息たちからも内心疎まれているものの、表向き彼らもそれなりに取り繕っているからか決定的な事件などは起きていなかった。
といっても、それは何かきっかけがあれば簡単に表に出るものでしかない。
「あんたさ、騎士を目指しに来たの? それとも愛人になりにきたの?」
アンジェリカが思わず声をかけたのは、隣のクラスのメルルゥである。
メルルゥ・ニギラッテ男爵令嬢。
彼女も騎士科に在籍してはいるものの、本気で騎士を目指しているようには見えない。
淑女科に通うとやれ礼儀作法だなんだと厳しいものがたくさんあるから、そういうのがイヤでどうせ将来嫁に行くにしても裕福な平民あたりに嫁げばいいかな、とゆる~く考えるような一部の家などは、とりあえず学園に通わせる際騎士科を選択させる場合もある、とは聞いていた。
正直騎士科だって礼儀作法を学ぶ必要はあるのだが、あまり深く考えていない家などはものすごく軽く考えて騎士とは無縁そうな令嬢を騎士科に放り込んだりもする。
メルルゥは間違いなくそのパターンだろうとアンジェリカは思っている。
男爵家といっても歴史もそうあるでもなければ、いつ平民になってもおかしくはない家。
最低限の礼儀はどうにかなっているけれど、それ以上となると不足ばかりが目立つ状態。
いっそ爵位を還して平民として過ごした方がマシ、と思われる家の典型的な例と言えなくもない。
「一応騎士を目指してるけど。てか、何?」
突然の声掛けにメルルゥは怪訝に思うより不快だと感じたのか、あからさまに表情を顰めている。
その顔をしたいのはこっちだ、と思いながらもアンジェリカは「あぁそうなんだ」とひとまずは頷いた。
「なんだ、てっきり愛人コースまっしぐらだったから、将来は娼館にでも就職するのかと思ったよ」
「失礼な」
「そう思われてるっていう事実を考えて。言っとくけど貴方に声をかけてる令息たちの大半は家を継げる立場じゃないから、甘い言葉に乗せられた挙句あっさり身体を明け渡したらいいように遊ばれて最後はポイ、よ」
淑女科だったら絶対に出てこないような言葉である。
だがしかしそれも仕方のない話だと思う。
淑女科クラスの令嬢たちは令息と関わる事が少ない。淑女科のクラスには言うまでもなく令嬢しかいないからだ。
経営科であれば将来領主となる者たちが集まるので男女混合のクラスもある。そういう意味では騎士科と似たようではあるけれど。
しかし経営科やその他の男女混合クラスと騎士科を一緒にしてはいけない。
勿論騎士科とて礼節を重んじたり紳士淑女としての振る舞いは求められるけれど、しかしそういったかしこまったものが求められるのは上の立場の相手がいる場合が圧倒的に多い。
いざという時に弱い騎士であれば役立たずであるのは言うまでもないし、荒事への対処も求められるためか他の男女混合クラスと比べると騎士科は荒っぽい事が多々ある。
同じクラスであっても自分より下だと思った相手にはあたりが強くなったり、明確に身分や立場、成績が下であるのなら容赦も何もなくズケズケと言われる事もある。
ただそれは、同性であればこその話だ。
騎士を目指しているといっても、男女では明確な力の差があるのは当然の話で、筋肉の付き方や使い方も男女では異なってくる。だというのにその差を無視して同じように鍛錬させたところで、無理を重ねるだけで成長が見込めなくなってしまう。個人差があるのだから、同じように鍛えたからといって同じように成長するはずがないのだ。
だからこそ鍛錬の際男女で分かれている事の方が多い。
実戦形式の時だけは男女関係なく行われる。そういう時、人によっては異性に対して多少の緊張を持って行動する事もあるが、それとて慣れるまでの僅かな期間だ。むしろ早い段階で慣れないと、実戦形式で行われる授業でこてんぱんに叩きのめされたりして己の成績に関わってくる。
普段同性相手にズバズバ物を言う相手でも、異性相手だと多少、言葉を選んだりもする。
その差は時として、もしかして私って彼に特別に扱われているのではないかしら? という誤解を生む事もあった。特別扱いとまでは思わずとも、多少の好意を持っているのではないか、と。
「言っておくけど、貴方によく絡んでいる子爵家の令息、アレは完全に遊び相手としか思ってないからね」
「そんな」
「そもそも彼には婚約者がいる。伯爵家の、ね。いずれ婿入りする予定なのに騎士科にいるって、それって家の事を手伝うつもりがないのか、それとも最初から戦力外宣告されてるかじゃない」
言い方は悪いが必要とされているのは種だけ、とかそういうやつだ。
「でも彼はいずれ伯爵になる、って」
「無理無理。考えてごらんなさいな。婿入りなのよ? 彼が伯爵家を背負うわけじゃないの。妻に何かあった際に代理として行動はできるかもしれないけれど、完全に実権握るなんて無理。だってそれやったら、お家乗っ取りだもの」
「っ、じゃあ、結婚をしないで他の理由で爵位を貰う可能性とか」
「あったら彼の実家が既に伯爵家になっててもおかしくないでしょ」
「それは……確かに……」
恐らくは都合の良い言葉を色々と並べたてられていたのだろう。
自分はいずれ伯爵になるからその時には君は伯爵夫人だ、とかそういうわかりやすい話はシンプルな分コロッと騙されやすくもある。
たとえ家が子爵家であっても、彼が親類のどこかの家に養子となって家を継ぐとか、そういう可能性が思い浮かぶからだ。
恐らくメルルゥを口説いている令息も、そういう風に誤解させるように話をもっていったのかもしれない。
「同じ騎士を目指す者として性別なんて関係ないとかそういう風に言われたんなら、大間違いよ。
大体そういう事言って、他に同じような人いた? いないでしょ。結果として貴方の周囲には男ばかりが集まって貴方一人だけが女性」
「それは、そう、だけど」
「ちやほやされてのぼせ上がるのは勝手だけど、貴方の状況って普通でもなんでもないから」
「……やっぱり?」
「おおかた距離が近くてちょっと戸惑ったりしたら、この程度普通だとか色々言われたんでしょ」
「男同士ならこれくらい普通だって」
「貴方は女なのに?」
「でも騎士を目指す以上、男女の性別とか些細なものかな、って」
アンジェリカは思わず天を仰いだ。
まぁ上は建物の天井しかないので空など見えやしなかったが。
時々出会いを求めてあえて騎士科に来る令嬢もいるが、騎士科に入った時点で訓練の厳しさにそういった者は割とすぐに逃げ出すのだ。
騎士として生きていく覚悟もなしにやってくる時点で、そういう令嬢は最初から雰囲気が違う。
メルルゥはその点授業は真面目に受けていたから、アンジェリカも最初はあまり気にしていなかった。
だが徐々に同じ騎士科の令息たちと距離が縮まって、それが一人ならあぁお付き合いでもするのかしら、でこっちもそこまで気にしなかったが、距離が近いのが複数名いるとなると話は違ってくる。
「正直に言うとね、貴方がそうやって彼らを受け入れてしまう事で、こっちにもとばっちりがくるのよ。
あわよくば私たちも同じようにできるんじゃないか、ってね」
アンジェリカは将来的にプリンセスガードに所属する事を目標としている。だが同じ騎士科に在籍する、真っ当に騎士を目指す女たちが皆それを目指しているというわけではない。ある者は領地を守りたいと思い力を研ぎ澄ませているし、ある者は結婚先が他国であるが故に最悪何かがあった場合己の身を自分で守れるように、との考えで騎士科を選んだ。
婚約者がいない令嬢たちも確かにいるが、騎士科に在籍している者たちは正直そこまで結婚相手を見つけようと躍起になったりはしていなかった。
むしろ普通の令嬢とは状況が違うのだ。普通に見つけようとしたところで見つかるわけがないと思っている。
なんだったらそのうち、同じように騎士になった殿方の誰かとひょっこり縁が繋がって結婚に至るかもしれない……とか考えたりもしている。
下手に今から相手ができて、騎士科ではなく他の科へ移る必要が出るかもしれない事を考えれば、そんな面倒な事になるくらいなら相手が見つかるのなんて当分先の話でいいとすら思っているくらいだ。
だからこそアンジェリカは跡取りではない、そのくせ真面目に騎士を目指しているわけでもなさそうな令息たちに囲まれてちやほやされているように見えるメルルゥを注意して見ていた。
本人がそれでいいのなら別にそれはそれでいいのだけれど、ただその結果こちらに飛び火するような事になるのはとても困る。
メルルゥ以外の女たちも同じように言い寄ったら案外どうにでもなりそうだ、なんて思われて付き纏われても迷惑でしかない。
それもあってアンジェリカはメルルゥに男どもの手綱を握るならきっちり握れと――遠回しに伝えても意味がなさそうだったので直接的に切り込んだにすぎないのだ。
ところが当のメルルゥ本人は、実はそこまで深く考えていなかったというか、相手に呑まれかけていただけという事実。
これが……無知がもたらす結果……!
そんな気持ちで天を仰ぎたくなったって仕方のない事だった。
メルルゥ曰く、メルルゥの家は特に良い縁があるでもなく、縁談の話が持ち込まれても相手がロクでもない相手で。流石に両親はそんな縁談を断ってはくれているけれど、だからといって良い縁談の話が転がり込んでくるわけでもない。どうにか見つけてきた相手は広大な畑を所有するところで、貴族夫人というよりは若い働き手を欲しがっているらしく、結果として両親はだったら騎士科で体力をつけておけとなり、そうしてメルルゥは騎士科に在籍する流れになった。
ただそこでメルルゥは色んな男性に声をかけられたのもあって、もしかしたら今ある結婚話よりも良い縁を繋げられるのではないかしら……と思ってしまったのだとか。
「他に行くところがないにしても、やっぱり私だって朝から晩まで畑仕事よりは、って思っちゃったのよ」
「成程な……」
メルルゥの家にその話を持ち掛けた相手に心当たりがありすぎて、アンジェリカはそっと嘆息した。
働き手が欲しいという点で領民が不足している、しかし募ったところで領民がそう簡単に増えるわけでもない。
あの家か……と心当たりを思い浮かべて、アンジェリカはすっかりメルルゥに同情の念を抱いていた。
最初はてっきり、自分をお姫様扱いしてほしい考えなしの女かと思っていた。
だがしかし、その割に騎士科でもう無理やってらんないと言うでもなく居続けていたので、他に目的があるのだろうかとも考えていた。
だがメルルゥの行動のせいで、他の女子生徒まで声をかければメルルゥのように気安い距離で接する事が可能だと思われて、下手に手を出されるのも困る。
年の離れすぎた相手の後妻だの借金のカタにというような話と比べれば、一見すればマトモな話に聞こえたからこそメルルゥの両親はその話に乗り気だったのだろう。
だがしかし向こうが求めているのは若い労働力であり、嫁という事から子を産む事も当然求めているだろう。
子を産んでそれ以外では働かせ……となると下手な奴隷よりも大変そうだが、メルルゥの両親はそこまでは思いついていないのかもしれない。
「あの家はお勧めできない。というかやめておけ。その話は決定事項ではないのだろう?」
「え、えぇ、今はまだ」
「何が何でも断っておく事をお勧めする。そうだな、誰か他に好きな相手は?」
アンジェリカの問いに、仮に誰かしら相手がいたのであればメルルゥもちょっとくらい動揺しつつも実は……と打ち明けたかもしれないが、悲しい事にメルルゥにはそんな相手がいなかった。
声をかけてきてちやほやしてくれて、なおかつ将来自分の嫁にならないか、もしそうなら将来は伯爵夫人になれるぞ、なんて言ってきた相手はしかし入り婿であると聞いてしまえば、メルルゥが夫人になれるなどあり得ないし、よくて愛人として囲われるが最悪の場合メルルゥまでお家乗っ取りに加担したと思われての断罪である。
危うくとんでもない事に巻き込まれるところだったのかもしれない……となれば今までいくら優しく接してきたといったってそんな相手に対する情は一瞬で吹っ飛んだ。
先程アンジェリカが声をかけた時、メルルゥは一応騎士を目指していると言ってはいた。
けれども本気で取り組んでいるかとなると少しばかり微妙であったし、だが完全に不真面目というわけでもない。
いざという時、身一つで逃げ出す事ももしかしたら考えていたのかもしれないな……と思ったアンジェリカは、無知な点はあれどそこまで愚かではない、という結論を下した。
度し難い程の愚か者なら手を差し伸べるつもりもないが、そうではなさそうとなれば。
「現状よりはマシな未来の選択肢ならいくつか与えられそうだけど、話に乗る気は?」
「……詳しく聞かせて?」
「縁談先の希望にもよるが、どうしても貴族じゃなきゃいけない、とかでもなければそれなりにある。商人、職人といった平民の家。そうじゃなければ使用人。ちなみに年齢はそう離れていないし、少なくとも貴方一人に何もかもを押し付ける事もない」
「普通ね」
「本来ならばそれが当たり前のはずなんだが……」
「それで? 私は何をすればいいの? 何もしないでそんな話がもらえるなんて思ってないわよ」
「何、今までの尻拭いみたいなものだ。あの連中がこのまま他の女子生徒にまで同じような態度でやらかすと、最悪血を見るかもしれないからな」
「それはどっちが?」
「十中八九向こう」
「ちょっと見てみたい気もするわ」
「だが、その場合最悪家同士の問題になりかねない」
「面倒ね」
「だろう? だから、あいつらにはあいつらの行動で自滅してほしいのさ」
「……どうやって?」
「簡単な事だ」
そこまで言うとアンジェリカはメルルゥの前に手を突き出して、ピッと指を一本立てた。
「…………そんな事で?」
「そんな事で」
そうして告げた言葉にメルルゥはどこか拍子抜けした様子だった。
だが、そんな事、とメルルゥが言った事で充分だ。
何故なら既に下地は彼らによって作られているのだから。
メルルゥがした事は、メルルゥ本人がそんな事で? と言ったように本当に大したことではなかった。
ただちょっと、アンジェリカの紹介で茶会に参加してそこで話をしただけ。
その話によって参加していた他の令嬢たちは大いに盛り上がり、そして――
――最近、淑女科の令嬢たちに注目されているな。
そう思ったのは決して自惚れではない。
確信があった。
マーカス・エニムは子爵家の生まれだが、跡取りではない。
優秀な兄と弟に挟まれて、たとえ兄に何かがあっても自分はスペアにはなれない。
実際父にもそう言われて、マーカスは伯爵家に婿入りが決まっていた。
家格が上の家にいくのであれば、今よりはいい暮らしができるはずだ。
兄や弟と比べて自分は優秀ではないけれど、それでも伯爵家でやっていけると思っていた。
だがしかし、婚約者であるフレミア・アルガトニーはマーカス以上に優秀な存在で、兄や弟と同じ側の人間だとマーカスは即座に理解してしまった。
もしかしたら、兄や弟を見返す事ができるかもしれない、という淡く、歪んだ野望は一瞬で砕け散った。
残されたのは虚しさと、婚約者の優秀さを妬む気持ち。憎悪とまではいかないが、まぁ面白くないのは確かだった。
伴侶として伯爵家を支えていくのに必要な事を憶えよう、と思わないでもなかったが、しかしフレミアがあまりにも優秀なせいで自分が入り込む余地がどこにもない。
お飾りの旦那かよ……と自分が必要とされていないと思ったマーカスはフレミアとの関係を最低限のものとしてしまった。
心の中のもやもやしたものを解消するように騎士科での訓練にのめり込んだりもした。
けれどもそれだけでスッキリするかとなると、そうはならなかった。
マーカスの実力は平均的で、訓練相手によってはマーカスがボロ負けする事もあるからだ。
面白くない気持ちの時に自分の思う通りにならない負け方をすれば余計に面白くない。
そんな時に目をつけたのがメルルゥだった。
彼女も騎士科に在籍しているが、しかし元々騎士を目指していたわけではなさそうだな、と思えるくらいに色々と無知だった。
フレミアと違って隙のある異性。
婚約者とは反対にマーカスが優位に立てる相手。
親切に色々と教えてやれば、彼女は素直に礼を言った。
だからちょっと調子に乗った自覚はある。
距離を縮めてちょっと甘い言葉を囁けば、フレミアなら決してしないだろう反応。
照れて、その上であまり踏み込まれないように友人を強調した。
メルルゥはその言葉を素直に信じた。
マーカスが友人以上の距離感で近づいた時、これはおかしいのではないか? と思ってもマーカスが、友人ならこれくらい普通だと言えばそういうものかと自分を納得させていた。
嘘ではない。
実際に肩を組んだり気安く触れるのだって友人同士でやるのだから。
ただ、触る部分が男女で異なりはするけれど、そこを悟らせないように親しい友人の関係を強調すれば、メルルゥはそういうものかと納得したらしかった。
マーカスに丸め込まれたなど気付いてもいない。
そんなメルルゥの様子に物珍しかったのか、他の連中もメルルゥと仲良くなりたがった。
本当に友人として仲良くなりたいわけではない。
ただ色々とむしゃくしゃしていたから、面白い玩具を得たような気持ちだった。
あわよくば、男女の関係に持ち込めるのではないかとも思った。
メルルゥはマーカスの立場を詳しく知らないらしく、だからこそいずれ自分の妻になってほしいというような言葉に躊躇いながらもどこか嬉しそうだった。伯爵夫人になんてなれるわけがないのは知っている。
どう足掻いたところで愛人止まりだ。
それでも、上手い事騙せばしばらくは……そんな風に考えて、今からそのための準備をしていた。
邪魔になれば簡単に切り捨てられる。
そんなマーカスの内心を知れば、家族は間違いなくマーカスをぶん殴って叱っただろうし、婚約者は言葉でバキバキにマーカスの精神をへし折っただろう。
だがそうはならなかった。
マーカスは別にフレミアの目の前でメルルゥといちゃついたわけでもないし、家族相手にこんな付き合いをしているとも言わなかったからだ。
メルルゥも大々的に周囲に話したわけでもないから、騎士科の中だけの出来事だった。
それだってあまりにも問題になるようなら周囲から教師に連絡がいって、そこから注意をされたかもしれないが、ギリギリのラインを越える事はしていなかった。
いざとなったら勝手にメルルゥがのぼせあがって勘違いしただけ、という事にして捨てられるような状況だった。
伯爵夫人の立場をちらつかせているから、そろそろそれを口実に更に踏み込んだ関係になろうかと思っていたのだが、その矢先だ。
放課後の訓練の様子などを見学にくる令嬢が増えたのは。
麗しい令嬢から注目を浴びて、悪い気はしない。
最初は誰か他にお目当てがいるのだろうかと思っていたが、しかし令嬢たちの多くは間違いなくマーカスに視線を向けていた。
一挙手一投足に注目し、マーカスが訓練相手と手合わせすればきゃーっと黄色い悲鳴が上がり、手合わせの終わりに相手と話をしていれば、やはりきゃあきゃあと花が咲くように軽やかな声が上がる。
マーカスと同じように注目を浴びている者もいるが、そちらもやはりまんざらではなさそうだった。
彼らは騎士として身を立てるか、それ以外の方法でどうにかするしかない。
婚約者もいなければ恋人だって当然いない。
だからこそ、今多くの令嬢たちに視線を向けられている状況はチャンスであるとも言えるのだ。
もしかしたら、婚約者として見初められるかもしれない。
そうなれば少なくとも今後の生活を心配する必要は今までよりはなくなってくる。
だからこそ、ちょっとでもいいところを見せなければ。
そんな風に奮起して彼らはいつも以上に鍛錬に力を入れた。
いつもなら、放課後を使ってまでの鍛錬なんて面倒だしかったるいしやりたくねぇよぉと泣き言を吐き出す者も、真面目に。
そんな感じで数日、熱い視線を浴びていたのだが。
見学に来ている令嬢たちが時折こちらを見て何やらコソコソと一緒にやって来た令嬢と話をしているのは気付いていた。けれどもここからでは何を話しているのかまでは聞こえない。
誰が好みか、なんて話ならいいんだけどな、と思っていたマーカスであるけれど、ある日顔を青くした友人に声をかけられた。
ハンスはマーカスと違って婚約者もいない、この先本当に騎士にでもならないと家を出されて平民として生きていかなければならないギリギリの状況の、男爵家の四男である。
ハンスもメルルゥの近くにいて、時折異性との触れあいに参加していたクチだ。
とはいえメルルゥは家を継ぐ立場でもないので、メルルゥの近くにいたのは平民になってもいいから恋人がほしいとか、そんな理由からだったと思う。
俺たち友人だろ、という言葉で近しい距離感をとってもおかしくはないとメルルゥに言い聞かせていた一人だ。
他に婚約者がいながらメルルゥに近づいている奴もいるが、そちらは婚約者に対してメルルゥは男友達みたいなものだと言って、どうにかその場を凌いでいた。
マーカスも一度だけ言われた気がするが、やはり同じように言って難を逃れている。
ともあれ、ハンスがマーカスに声をかけてきて何事かと足を止めれば、他にも話をしないといけない奴がいるから、と言われて複数ある室内訓練室へと連れていかれる羽目になった。
「ど、ど、どうしよう、俺たち同性愛者だと思われてるんだ!」
室内には既に他にも数名いたけれど、マーカスがそれらを把握するよりも先に扉を閉めるなりハンスが叫んだ事で。
「……は?」
思った以上に間の抜けた声が出た。
自分の声にも聞こえたし、そうじゃない声にも聞こえた。
恐らくはマーカスだけではなく、他にもここに集められた誰かの声も同時だったのだろう。
だから自分の声でもあるし、誰かの声でもあった。
間の抜けた声の合唱、と言うとなんとも締まりのない話だ。
「おいおいハンス、いきなり何を言い出すかと思えば」
「本当なんだよ! 冗談で言ってるわけないだろこんな馬鹿みたいな話!」
令息の一人がハンスを宥めようとしたのか、それとも冗談だと思いたくてそう言ったのかはわからない。けれどもそんな言葉すらハンスは即座に否定してみせた。
「最近色んな令嬢が訓練を見に来てくれてただろ!? だから俺、てっきり誰かお目当てがいるんだと思ってたよ。そのお目当てが複数いるならまだしも、誰か一人だけだったら令嬢の想いが全員叶うなんて事はない。だから、その後でもいいから妥協でもなんでも自分にも目が向けられないかなって思ってさ」
随分と情けない事を言っているな、と思ったがまぁそれも仕方がない。
ハンスは言ってしまえばパッとしない男だ。
友人としてつるむ分には良い奴だが、女性の目から見て思わず惹かれるような美貌があるわけでも、一目見て逞しいと言えるほどでもない外見。その外見のせいでまず女性がお近づきになろうと思わないせいで、関わった上で内面を知ってもらう機会さえ少ない。
勿論それなりに関われば評価は変わると思うけれど、そんな機会さえ与えられないからこそ彼は身近な異性としてメルルゥに近づいた。どうせ自分は選ばれない。だったらせめて友人として異性との関わり方を彼女で学ぼうと――どうしようもない言い方ではあるが利用していたと言える。
メルルゥがハンスを選ぶのなら、そのまま彼はきっとメルルゥにとっての良い相手となったかもしれない。
だがそうでなければ、ハンスはメルルゥを利用していただけの最低な男である。
メルルゥ本人が利用されていると思っていないようなので、どちらかといえばメルルゥからも相手にされていない哀れな男でしかないが。
「あの人たちが何を話してるのか気になってさ。こっそりと聞き耳たててたんだ。
もしかしたら想い人が誰かわかるんじゃないか。淡い希望だけど、その中に自分がいたりしないだろうかって。
向こうに気付かれないように近づいて、息を殺して。
そしたらさぁ! なんか俺らが同性愛者みたいに思われてたんだぞ!? 危うく悲鳴あげそうになったわ!!」
おえっ、と誰かが今にも吐きそうな声を出した。
マーカスも危うくうぷっ、と胃から何かがせり上がりそうな感覚に陥って咄嗟に口元を手で押さえた。
気持ち悪い。
一言で言えばそれだ。
一体全体どうしてそんな噂が広まっているのか。
まかり間違ってもこの騎士科でそんな――同性愛者はいないはずだ。
いたとしても、自分がもしそんなのに目をつけられたとなったら地獄すぎるので、徹底的に排除の傾向になるだろう。
好きになってしまった相手がたまたま同性だった、という部分は理解できなくもないけれど、だからといってそれをこちらに向けられるのは困る。
互いに同意の上でひっそりやってる分にはいいが、そうでなければ迷惑でしかない。
何せこの国では同性婚は認められていないのだから。
同性同士で結ばれたいというのなら、それこそこの国を出るか、周囲にそうと悟られないようひっそりと、名付けられないような曖昧な関係のままで過ごすしかない。周囲にバレたらただでは済まないだろう。
秘密の恋人などと言われる愛人よりももっとひっそりこっそりしなければならないのだ。
秘密にしていても愛人ですらその存在は周囲にそれとなく知られるようなものなのに、同性の相手を知られないようにとなればそれはもう社交から遠ざかり領地の片隅で隠遁生活でもしない限りは無理なのではないだろうか。まだマトモに社交に出ていないマーカスですらいくつかの家の愛人だのなんだのという話は流れ聞こえてきているのだ。であれば社交に出ている情報通には筒抜けになっていると考えていいだろう。
ともあれ、愛人よりももっと厄介な状況になるのは言うまでもない。
そして今、そんな厄介な噂が流れている。
他人事なら笑って聞けただろう。誰だよ、なんて言ってその相手が誰なのかを探ろうとしたかもしれないし、自分に関係がないとなったなら面白おかしく噂したかもしれない。
だがその噂に自分たちがいるとなれば話は別だ。
そんな噂が大々的に広まればタダでは済まないのだ。
マーカスも、この場にいる者たちだって男とそういう関係になりたいと思った事はない。女が好きだ、という言い方も誤解を招くが、ともあれ結婚する以上は女性相手がいいわけで。恋人として一時的な遊び相手にするにしても、男同士はごめんだった。
ハンスがこっそり隠れて盗み聞きした令嬢たちの会話の内容はこうだ。
『やっぱり距離感が近いのですわね』
『えぇ、えぇ、素敵ですわ。あ、ほらあちら』
『まぁ、肩を組んでますね。近いわ、このままこっそり口付けとかしないかしら』
『それは難しいのでは? 流石に人目がありすぎますもの』
『では、あちらの方は互いに秘めた恋をしているかもしれないのね。あぁ、いいわ。人には決して言えない恋。それでも貫かんとする姿勢。これこそが真実の愛ってやつなのね』
『あ~、あの方々の行く末を部屋の壁とかになって見守りたい』
『わかります。もう最初から最後まで全部見守りたいですわ』
『あっ、あちらも』
『まぁまぁまぁ、熱く見つめあってますわね。でもあちらは距離感を保っているわね』
『そうね。話によると皆さま距離感は大分近いと言われておりましたのに』
『そうですよね。あわよくば口付けをかわそうとするような距離感に持ち込んで……だとか、肩どころか腰を抱いて、なんていう話があったのに』
『もしかして』
『何かに気付きましたの?』
『もしかして、わたくしたちがいるせいで人目を避けているのかも。わたくしたちの目が届かない場所でなら、もっと親密に近い距離でいるのではなくて?』
『まぁ、それは盲点でしたわ。確かに余計な人目がある中で堂々と事に及ぶわけにはまいりませんわね。
……そうなると距離をもっととらないと駄目かしら。でもあまり離れたら見えませんわ』
『オペラグラスでも持ち出すしかないのかしらね』
『それなら見えるでしょうけれど、声が聞こえませんわ』
『仕方ありませんわ。流石にお二人が睦みあう様子を見学させてくださいまし、とは言えませんもの』
『あぁ~、どうしてわたくし寝室の壁ではないのかしら』
『もういっそ空気になって周囲を漂いたいですわ』
……ちなみにこの先もまだ令嬢たちは会話をしていたが、ハンスの精神がここで耐えられなくなってそっとバレないように立ち去ったのでこれ以上は知らない。
もしかしてモテ期きた? と内心そわそわしていた令息たちが実は男同士の恋愛をしていて、あまつさえ既に人様に言えない関係になっているに違いないと思われて、ふしだらな想像までされている。
彼らからすればあり得ないとしか言えないのに、既に令嬢たちの間ではそこまで関係がいっていると思われているのだ。
否定したい。
否定したいけれど、その会話は堂々とこちらに聞こえるように言っていなかったからこそ、否定したとしても盗み聞きをしていたと思われるだけだし、更に聞いたといっても向こうが否定をすればこちらの妄想扱いにされかねない。
しかもこの令嬢たちの話を聞く限り、今後彼女たちが放課後の訓練を見学に来る事がなくなったとして。
興味を失ったのではなく、むしろ遠くからオペラグラスなどで見ているかもしれないのだ。
声が聞こえない距離でこちらの動きだけを見て盛り上がる。
それなら勝手にすればいいと思わないでもないけれど、しかしその動きだけで音声は一切違う事を喋っていても向こうに聞こえない以上、令嬢たちの妄想でとんでもない関係性に仕立て上げられる可能性があるのだ。
立てなくなって地面に倒れた相手に大丈夫か、と手を差し伸べただけで恋人関係と見なされるかもしれない。
では手など貸さなければいい、と思うわけだが、それもそれで人前では決して仲の良さを見せないようにして二人きりになったら途端に……なんて妄想のネタにされるかもしれない。
どっちに転んでも怖すぎる。
どうすればいいのかなんてすぐにわかるわけもなかった。
どうしてこんな噂が出来上がっているのかさえわからないのだ。
噂を作り上げたのが誰なのか。
誤解を解くにしてもそう簡単な話にはならないだろう。
ともあれここで話したところでどうにもならないと判断して、マーカスたちは帰宅する事にした。
一晩じっくり考えて、それから新たに話し合って対策を練ろうとなったのである。
そうしてタウンハウスへと戻ってきたマーカスであったが。
「お前の婚約はなくなった。そのまま騎士としてやっていくのならそれでいいが、別の道を選びたいのなら他の科へ移る事も考慮しよう」
帰るなり父にそう言われて、マーカスは頭が真っ白になってしまった。
突然すぎる。
一体なぜ。
そんな疑問を口に出せば、父は困ったように頭を振っただけだった。
「何故も何も、お前のしでかした結果だろう。まさかお前が同性愛者だったとはな……何故もう少し隠し通さなかったのか」
「なっ!? 父上、違います、僕はそんな、同性愛者じゃありません」
「もしかしたらそうなのかもしれないな。だがな、お前はそういう風に匂わせた。それが向こうの家に伝わって、結果としてアルガトニー家は結婚したところでもしかしたら白い結婚になるかもしれないと判断した。
跡取りを作るつもりのない男を婿にしたところで意味がない。だから他を探すと言われてしまってはな……」
まさかフレミアにまでそんな噂が、と思ったマーカスは父の言葉を理解するのに時間がかかってしまった。何を言えばいいのかわからなくて、言葉が何も出てこない。
その沈黙を父はマーカスがとうとう同性愛者である事実がバレてしまってショックを受けていると取ったのか、お前が成人したら家の籍から抜くと言い放つ。
家を出るにあたり、最低限の資金くらいは出すと言っていた。それが親として最後にできる事だとも。
確かに同性愛者の息子となると外聞が悪いのだろうとはわかる。
わかるけれど、まさかここで絶縁宣言されるなんて思っていなかったのだ。
一応学園を卒業させてくれるつもりはあるようだが、出ていくのならさっさと出ていってほしい、というのも態度に出すぎている。父の中では既にマーカスという息子の存在は抹消されているのかもしれない。
ここにいるのは、たまたま面倒を見ている庶子か何かか。成人すれば家から出て行ってもらうだけの存在、くらいに認識されていそうな気がする。
母はどう思っているのか……とマーカスは考えたが、恐らく父よりも母の方が苛烈なので下手に顔を出せばどうなるかわかったものではない。誰がって、マーカスがである。
学園卒業までは置いておいてもいい、くらいの温情を見せている父よりも母の方が即刻消え失せろとか言い出しかねないので、マーカスは尻尾を巻いて逃げる犬のようにそそくさと自室へ向かった。
父に縋ったところで立場がこれ以上良くなる事はないと察してしまったのもある。
そうして自室へ戻ってみれば、机の上に一通の手紙が置かれていた。
フレミアからである。
恐らく婚約解消の話が持ち込まれた時に、この手紙が来たのだろう。
話し合いのためにフレミアがここに来なくとも、向こうには向こうの言い分があるだろうから、それがこうしてここに来た。
震える手で開封し、中を見て。
マーカスは膝から崩れ落ちた。
フレミアの手紙の内容は別にマーカスに対する不満などではなかった。婚約がなくなってしまった事に関する後悔でもなかった。
メルルゥとの関係についてだ。
一応言われた事はある。
騎士科の女性と親しい距離感にあるとお聞きしましたが? とその時は噂の確認のようなものだった。
だからこそマーカスは、あくまでも男友達みたいなものだと言ってその場を流して終わらせた。
それ以降フレミアがその話題を口にする事もなかったから、マーカスは特に気にしていなかったのに。
気にしていなくともまた話が出回るような事になれば何度も苦言を呈されると思ったからこそ、あまり大っぴらにやらなかっただけと言ってしまえばそれまでだが。
だがその話がとんでもなく大きな方向に広まってしまった。
フレミアの手紙には、マーカスが同性愛者であるとフレミアが思っているらしき文面があった。
けれどもこの国では同性婚は禁じられており、だからこそマーカスは男友達のようなもの、と言ったメルルゥで代用しているのだという、なんだかとんでもない事が記されていた。
そうはいってもメルルゥは女性なので、一線を超える事はないだろうけれど、でもそうやって他の騎士科の女性にも同じような代用品としてマーカスと同じような嗜好の相手が同じようにやらかすかもしれない。
それは流石に女性にも失礼である。
そのような感じの事が記されていた。
違うんだ、と今更口に出したところでここにフレミアはいないし、言ったところで聞いてくれる者が他にいるでもない。
マーカスがメルルゥの事を本当に男友達のように扱っているのなら、腰を抱いて密着するのはちょっと度を越しているし、ましてや偶然何かの拍子に顔同士がぶつかってしまうような距離でいるのはおかしい。
そのような事も書かれていた。
マーカスはあわよくばを狙っていただけだが、そんな言い訳もここでは届くはずもない。
本当の同性の友人にそんな事をやるつもりなんて全くなかった。
相手がメルルゥだったからだ。
友人ならこれくらい普通さ、と言って丸め込んでいたのは否定しない。
だが、その結果がこれだ。
なんでも騎士科の女子生徒と淑女科の令嬢たちとでお茶会が開かれた時に聞いた話らしく、メルルゥは今までマーカスたちと接していた時の事を、男同士の友情ならこれくらいは当たり前だそうです、と語ったらしい。
余計な事を! と思った。
咄嗟に家を飛び出してメルルゥに文句を言いたくもなった。
だがしかし、それを言ってどうなる。
えっ、あんな事言っておいてやっぱり違ったんですか? なんて言われたら。
そうしたら今度はその話が広まる。
これくらい普通さ、が全然普通ではなかったとなれば、マーカスやそれ以外のメルルゥに近づいていた一同、メルルゥをきちんと女性とみなして、その上でああしていた、と知られてしまう。
そうなれば次は、友人と言いながらも実際は浮気をしようとしていた、ととられかねないのだ。
メルルゥに近づいていた連中の中には恋人も婚約者もいない者もいたから、そちらはまだしもマーカスにはフレミアという婚約者がいた。
であれば、浮気を疑われてもおかしくはないし、言い逃れようとした結果男友達みたいなもの、と言ったと受け取られる。
フレミアもメルルゥも騙そうとした、とみられればより悪質だと判断されかねない。
だがしかし、否定しなければマーカス含め一部の生徒たちは同性愛者であると周囲に思われるのだ。
実際メルルゥの事は女として見ていたし、遊び相手にしようと考えていました。なんて正直に白状したところで、余計に自分の立場が悪くなるのは目に見えて明らかだし、かといって同性愛者であるという実際は違う事を事実として受け入れるわけにもいかない。
どちらに転んでも叱られる。
それ以前に、既に婚約はなかった事になったとなれば、今から何を言ったところで少し前までの立場に戻れるはずもない。
だがこのままでは、噂の出所はあっという間に広まるだろうし、同類と見なされた他の男子生徒がどうしてこうなったのかという原因を探れば簡単にマーカスに辿り着くだろう。
そうなれば、ボコボコに叩きのめされるかもしれない。
そこまでじゃなくても、一発殴られるのは確実だろう。
一人一発と考えて……なんて想像はした直後にすぐさま消した。
一人一発殴るにしても、最終的にボコボコになる。
どちらにしても騎士科にそのままいればそう遠くない未来で確実にボコられる。
それを回避するためには、他の科へ移る事だ。
父も考慮してくれると言っていたし、であれば急いでその旨を伝えるべきだ。
急いで部屋を出て、父の元へと向かう。
この時のマーカスは気付いていなかった。
父に頼んだところで、明日からすぐに他の科へ移る事ができるわけではないという事を。
けれどもこの時は、これで助かったと思ってしまったのだ。
その事実に気付いたのは翌朝だった。
一応学園に掛け合ってみるが、成績次第では断られる事も想定しておけと言われて、そこで今日はどのみち騎士科のクラスへ行かなければならないと気付いた。咄嗟に今日は休めないかと聞いてみたが、父はそんなマーカスの言葉に不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「今後の事を考えるのなら、一日たりとて休めるような状況ではないと思うがな。仮病だったなら即座に家を叩き出す」
「……行ってきます」
そう言われてしまえば、学園に行くしかない。
馬車に乗って、そうしていつものように学園へ向かう。
いつもと同じはずなのに、マーカスの気分は鉛でも流し込まれたかのように重かった。
だったらいっそ、メルルゥにどうして周囲に話してしまったのかと怒りをぶつけようと思ったものの、しかしメルルゥの姿はなかった。
聞けば学園を退学し、ある家の使用人として働く事にしたらしい。
怒りを――この場合八つ当たりでしかないが――ぶつける先がなくなって、マーカスは仕方なしに戻ろうとした。
ところが。
「やぁマーカス。ちょっと話があるんだ。付き合えよ」
数名の男子生徒に呼び止められて、気付いた時には自然と取り囲まれていた。逃げ場がない。
「俺たちの面白い噂なんだけどさ、その出所ってどうにもお前が原因らしいっていうじゃないか。どういうことか、ちゃぁんと説明できるよな?」
一見すれば笑顔に見えるが、しかし目は笑っていないし声だってそうだ。
お前らだってメルルゥに似たような感じで近づいてただろ、と言ったところで果たして聞き入れられるのか。
どちらにしても言えるのは。
(終わった……)
まず無事で済まないという事だけだ。
「――私だってね、ちょっとおかしいな、とは思っていたんです。でもそういうものって言われたら、その場で他に私と同じように感じた人がいないのなら、そうなんだってなっちゃうじゃないですか。
胸の中でもやもや~っとしてても、こんな話誰に話せばいいのかわかんなかったし」
「そうよね、性的な目を向けられていると思ってもそんな事中々口に出せないわよね」
「まぁ私だってあわよくばみたいな考えもあったから悪い部分はあったでしょうけれど。
でも、男友達と同じようなものっていうのなら、ちゃんと男友達と同じ扱いされた方がまだ納得できました。
実際はそうじゃなかった。なんだろう、悪い意味で都合のいい扱いをされてた、でいいのかな……」
「そうね、男友達って言って実際女扱いだもの。もし彼にとって貴方の存在が邪魔になったら、友達だって言ってるのに恋人面か、なんて言い出しかねなかったでしょうね」
「男友達みたいなもの、なんて言わないで最初から女性扱いされてたなら、私もまぁ、もうちょっと考えたとは思うんですけど……伯爵夫人の立場をちらつかされてたのに、男友達扱いって時点で突っ込みどころしかないのは今ならわかるんです。
でもあの時は自分の今後もロクに見えない状況だったから……」
「視野が狭まって思考が固まってしまうとそうなりがちよね。わかるわ。私も婚約を続けるべきかちょっと悩んでいたもの」
「その件については……」
「良かったわ。決め手になったもの。
男友達みたいなものだ、なんて言ってる相手に劣情を抱いているなら素直に恋をしているとか言われた方がマシなのに、変に取り繕って自己弁護しようとするから最終的に不名誉極まりない話になったのよ。
正直に貴方と恋に落ちて、婚約を解消したいって言われたならあんな風にはならなかったでしょうに。
だからね、この話に関して貴方が気にする事はないの。今後同じような過ちを繰り返さなければいいだけの話よ」
「は、はいっ。わかりました。
私、これからは一生懸命お仕えしますね」
「あまり気負わないで。最初からそんなだと、後が大変よ」
「はいっ」
あぁこれは何を言っても無駄かしら、なんて思いながらもそれ以上は指摘しなかった。
かわりに別の言葉を口に出す。
「今後ともよろしくね、メルルゥ」
「はいっ、末永くお仕えさせてくださいね、フレミア様」
やる気に満ちた返事に、フレミアは扇子を広げて口元をそっと隠した。
「期待してるわ」
友人であるアンジェリカに婚約者の愚痴をちょっと零しただけだった。
フレミアは淑女科で、婚約者に関しても噂で聞こえてきた相手についても、そう簡単に探りようがない。
だから騎士科にいる友人を頼ったに過ぎない。
結果として、元婚約者が言い寄っていた相手とこうして関わる事になるとは思ってもいなかったが。
限りなく平民寄りなせいで貴族としての常識も若干危うい部分があるが、それだって教えればきちんと理解はできるので本当にアンジェリカ曰くの無知でしかなかったメルルゥは、案外有能な人材だった。
元々あまりやる気がなかったから騎士科の成績もそこそこだったが、いざやる気になれば覚えるべきものも己を鍛え上げる事も、メキメキと実力を伸ばしていった。
学園を退学したのは、元婚約者が自分の行いのせいでこうなったというのを理解せずにメルルゥこそが元凶だとばかりに危害を加える可能性もあったからそうさせたけれど、学園で鍛えるよりもアルガトニー家の私設騎士団で鍛えるほうがメルルゥのやる気に繋がったようなので結果オーライである。
メルルゥはフレミアの家の年の近い執事見習いに対してすこんと恋に落ちたらしく、厳しい訓練を耐え抜いた後は彼と共に過ごしている。
執事見習いの方もまんざらではないようで、仕事を終えた後の二人はとても幸せそうだ。
幸いにしてフレミアもマーカスとの婚約が消えた後、すぐに別の婚約者が見つかったので慌てる心配もない。
もしかして、フレミアの婚約を駄目にしたという負い目とかあるのかしら? なんて思ったからこそフレミアはメルルゥを呼び出して二人きりで当時の事について話をする事にした。
頑張りすぎている部分があったからそう見えてしまったのもある。
けれども実際は別にそんな事もなくて。
確かに前の婚約者と今の婚約者なら今の婚約者の方が全然素敵だ。
負い目はないが、張り切りすぎているのでやっぱりもうしばらくは気にしてあげようかなとは思っている。
メルルゥ本人は最早マーカスの事なんてなんか過去に面倒事に巻き込もうとしてきた人、くらいの認識なのではなかろうか。
(ま、気にしてないようだから結局彼も学園を退学した、なんて言う必要、今のところはなさそうね)
マーカスに便乗するようにメルルゥの周囲にいて恋人、もしくは丁度いい遊び相手にしようと目論んでいた他の生徒たちもマーカス同様に同性愛者疑惑を向けられて、己の行いを顧みるどころかマーカスが元凶だと感情の矛先を向けた。
結果としてマーカスはそこそこの怪我をして、学園を休学……はせずにそのまま退学となった。
怪我が治るまでは家で療養くらいはするだろうけれど、その後はどうなったかフレミアも知らない。
マーカスに怒りをぶつけた生徒たちも謹慎処分を受けたが、そちらはまだ学園にいる。
問題を起こした事で将来的に王家直属の騎士団に入るのは難しいだろうし、他家の私設騎士団も微妙なところだ。各々の実家で飼い殺しか労働力として使われるか、きっとそこら辺だろう。
それを考えると、今後メルルゥが彼らと出会う可能性は低い。
それは勿論、フレミアも顔を合わせる事がないという事になる。
メルルゥと同じように男友達みたいなものだから、なんて理由でお近づきになってあわよくばを狙われていた他の生徒たちも平穏が戻ってきたとの事だし――
(あぁそうだった。もしかしたら彼ら以外に本当に秘められた恋をしている殿方がいるのではないかと、そんな相手を見守りたいなんて盛り上がっている一部がちょっと騒がしくはあるけれど。
流石に真相を知られなければ、騎士科に見学に行っているだけ、ですものね。
こちらに実害が出るわけでもありませんし、そう考えるとこれで全部解決かしら)
そこまで考えて、フレミアは開いていた扇子をパチンと閉じたのである。
次回短編予告
今までは可愛い我が子だった。
だがしかしその気持ちはある日消えてしまった。突然ではない。けれど息子にとっては突然に思えたのかもしれない。
次回 優先順位が変動した結果
よくある婚約者を蔑ろにする話のこういうパターン書いたおぼえないな、で出来上がったやつです。




