電信柱
あたしはシャボン玉が好き。
奈々ちゃんのパパは、奈々ちゃんが6才のお誕生日を迎える前に家を飛び出して行ってしまいました。
*
奈々ちゃんと、弟である2才の俊太君と、ママとパパは、奈々ちゃんが物心ついた時、東京に住んでいました。
でも、田舎で寡婦として一人暮らしをしていたおばあちゃんが再婚したのをきっかけに、そのお義祖父さんのところへ、奈々ちゃん一家は呼び寄せられました。山口県です。
「パパは何処へ行ったの? ママ」
緑色に赤いバラが咲いたワンピースがお気に入りの服。ふっくらとした愛らしい奈々ちゃんは、ある日、ボブヘアーの髪を揺らし、ママに問い詰めました。
思い切って訊いたのです。
でもなんとなく、訊いちゃあいけない事のような気がしていた。
「うん、奈々ちゃん。パパはね、今お仕事に行っているのよ。ママと俊太君と元気に待っていようね」
笑顔が美しいママは、明るい声で答えました。
「はい……」
金融業を営むお義祖父さんはおばあちゃんに意地悪ばかりをし、お化粧すらさせませんでした。
おばあちゃんはかつて、ずっとずっと、いつも美麗に紅を引き、粋に華やかな着物を着る女性だったのに、山口県に嫁いでからは、お手伝いさんのようにお義祖父さんからこき使われるのです。
奈々ちゃんは怖い目をするお義祖父さんの事が好きになれませんでした。
*
「あ、パパ! パパッ!」
ある日の幼稚園の帰り時刻の頃、パパが奈々ちゃんをお迎えに来ました。
その後、奈々ちゃんはあんまり憶えていないけれど、気づくと真夜中で、車の後ろに寝転がっています。
電信柱が何本も、何十本も並ぶさびしい、畑ばかりが広がる道をパパが車で運転します。
どうやら俊太君も車に乗っているようです。
パパのふるさとは東京です。東京を目指していたパパは途中、公衆電話から、山口でオロオロとし生きた心地のしないママに電話を掛けました。
「パパ! お願いよ。奈々と俊太を返してちょうだい。俊太はまだオムツなのよ!」
ママは電話を受け、泣き叫んでいる。
高速道路もまだ通っていない昭和の時代です。
パパは、電話を掛けた兵庫から山口まで、愛するわが子達を返しに車を走らせました。
――――ママが嘘をついていた事を、薄々感じていた奈々ちゃんでした。
パパは、金融業のお仕事が辛くて逃げたのです。優しいパパです。
*
「お姉ちゃん? パパはなんで居ないの?」
言葉がしゃべれるようになった俊太君が4才の頃、小学3年生の奈々ちゃんに訊きました。
「うん、俊太君。パパはね、お仕事に行っているんだって。きっと帰って来るよ」
奈々ちゃんはそんな風にしか言えませんでした。
「ふーん」
俊太君はその時なにを考えたのか、奈々ちゃんにはわかりませんでした。
絆創膏が取れかかってヒリヒリとする、怪我をした膝小僧のような痛みがするばかり。
――――パパが、とっても奈々ちゃんと俊太君が大事だからあんな事をしたと、車で東京へ連れて帰ろうとしたと、わかっている奈々ちゃんです。
きっとパパは、幼稚園の先生に適当な嘘をついた事でしょう。
だって奈々ちゃんは、幼稚園バスで毎日帰っていたのだから。
切ないパパの演技を想像し、大人になった奈々ちゃんは(パパに会いたいなー)と今でも思っています。
どんな嘘なら良いの? 答えなんか無いよね。




