地下
床板の石を押し上げると、土の匂いが立ち上った。
薄暗い空間の口が現れ、木の梯子が垂れ下がっている。
ネリアが懐から小さな燭台を取り出し、火をともした。
「まずは浅いところから。見つけたら教えて」
その声に、ハディは黙って頷くだけだった。
ゆっくりと梯子を下りる。
一段ごとに、空気が冷たくなる。
床が石から湿った土へ、土から古びた敷石へと変わる。
首飾りの金属片が、胸の奥でかすかに震えた。
刻印の感覚が、壁の割れ目に触れる。
見えない線が、視界の端に浮かぶ。
だがそれは他人の目には見えない。
ネリアが先導し、カイレンが後ろを固める。
奥の男が松明を掲げ、足元を照らす。
暗がりは狭く、息遣いが近い。
ハディは首の刻印を意識して、指輪との複合で起動する。
薄く広がる波紋が、壁の起伏を撫でる。
――反応がある。
小さく、だが確かに。
壁窪みの角に、古い文様の残滓。
それがハディの刻印に反応している。
ネリアが顔を近づける。
「見えるか?」
ハディは首を振らない。ただ、ゆっくりと首を傾げて示す。
ネリアの指が震えた。
「なるほど……」
静かに息をつく。
その瞬間、どこか遠くで低い振動が伝わった。
壁の奥から――
ゴン、ゴンと連続した響き。
自然の音ではない。
カイレンが静かに言う。
「感度上げろ。何かいる」
ハディは刻印の配列を一気に寄せる。
ダイヤルを回す感覚で、索敵を戦闘へと傾ける。
一つ。二つ。三つ。
自分にだけ届く硬く、「ハマる」音。
世界の輪郭が変わる。
薄く広がっていた波紋が、鋭い刃のように収束する。
感覚が前に出る。
足音の芯。空気の圧の微差。息の切れ。
それらが輪郭になって、目の前の闇を削る。
先に動いたのは、小さな影だった。
石の中から、細い鳴き声とともに甲虫のような装甲体がのぞいた。
機構仕掛けの守り兵――遺物の小さな番兵だ。
二、三匹。だが素早い。
ハディは反射で側面へ滑り込む。
手甲が指先で機構を探り、飛び道具を受け流す。
刃が石を削る音。
ネリアが短く叫ぶ。
「分断しろ! 囲め!」
カイレンが地面に手をつける。
土の線が震え、石板の継ぎ目が僅かに隆起する。
小さな段差が生まれ、番兵の進路を塞ぐ。
ハディはその一瞬を利用して、間合いに入る。
右足を払う。
一匹が仰向けに転がる。
もう一匹は跳びかかるが、ハディの一振りが肩口を捉える。
手甲の金属が唸り、衝撃は腕に吸い込まれた。
ネリアが暗器を飛ばして一帯を仕留める。
奥の男が弓を引き、残りを遠隔で仕留めた。
戦闘は短く、密だった。
息を切らす余地もなく、静けさが戻る。
だが刻印の反応は消えない。
ハディの首飾りが、淡く光る。
彼の視界の角に、古い文様がはっきり現れた。
壁一面に、薄く刻まれた回路図。
――それはまるで、街の地図を地下から覆う細い血管のように。
ネリアが息を呑んだ。
「……これは、保存状態がいいねぇ」
カイレンが近づき、指先で一部を撫でる。
石は冷たいが、その下で微弱な振動が伝わる。
「触れられるか?」
ハディはゆっくりと前に出る。
胸の中の刻印が、壁の回路に反応する。
触れた瞬間、壁の一節がほのかに湧き上がり、古い紋様の一部が光を返した。
空気が震える。
ハディは体を引いた。
その短い触接で、何かが目覚めたのだと分かる。
ネリアの顔が引き締まる。
「まずい。変なとこ起動したんじゃないの」
カイレンがすぐに言った。
「撤退。確証取り。持ち帰る」
だがハディはその場に立ち尽くす。
見えたものが、頭の中で反芻される。
飽きるほど弄り回した首飾りの線と、壁の回路の一部。
一致する場所があった。
そこに、何かある――
何が起きるのか。
ネリアが静かに近づいた。
「お前、何か見えてるんだね?」
ハディはゆっくりと頷く。
言葉はなくとも、その肯定が、場の空気を変える。
カイレンはしばらく黙ったあと、低く言った。
「ラグスは賭けたんだな」
そして、囁くように続けた。
「これを管理できれば、街の力は変わる。
幅利かせてる軍隊はほかに移るし、
宗教家に金を集めるくらいならこっちの整備に回すだろうよ」
霧が冷たく、地下の空気が重い。
燭台の炎が揺れ、壁の紋様がかすかに脈打つ。
ネリアが決断を言い放つ。
「持ち帰る。わかる範囲で刻印の位置と形を記録する。
何が起こったかの確認が優先だ。
ここは封印する――暫定的に」
カイレンが頷いた。
「だが慎重に。追手が来る前に戻る。ラドネスは誰かに奪わせない」
ハディは静かに梯子へ向かった。
その胸に、首飾りはまだ小さく光っていた。




