第六話 盗み
腹が鳴る音が夜の裏通りに溶けた。
拾うだけでは、もう足りない。
袋の山で見つかるのは皮と芯ばかり。
ときどきパンくず。
それも最近は競争相手が増えたらしく、あっという間に消える。
子ども。老人。俺より弱そうなやつ。
みんな泥の中を掘り返しに来る。
それを見た瞬間、背中の奥がざらりと嫌な気持ちになった。
――拾ってるだけじゃ、死ぬ。
言葉にはならない。
空気のすき間に浮かぶ、そんな感覚だけが正しい。
少年は暗い路地を抜け、建物の裏へ忍び寄る。
厨房の明かり、消えかけの薪の匂い。
昼間なら近づくことすらできない場所。
心臓が、うるさかった。
“バレたら殴られる”
“黙ってるせいで何も言えない”
理解しているのに、足は止まらなかった。
壁の隙間。
開きっぱなしの小窓。
そこから漂ってくるのは、パンの匂い。
誰も見ていない。
……本当に?
喉がひゅっと鳴って、胸に冷たい水が流れ込む。
それでも、指は伸びる。
かすかにぬるい残り香の中を探り、硬い塊を掴む。
パンだ。
嘘みたいに軽い。
袋に入れる余裕もなく、胸に抱えて走る。
道が明るいところを避け、陰から陰へ跳び移るように逃げる。
追われる足音はしない。
それでも止まる気にはなれなかった。
ようやく、誰も来ない死角で膝をつく。
パンを割る。
中は冷えていて固かったが、口に入れた瞬間ほとんど涙が出るほど美味かった。
ああ、これだ。
拾い物じゃない、本物の食べ物。
喉が詰まって声が出ないまま、
少年は静かに笑った。
盗みだ。
わかっている。
絶対に謝れない。
返せない。
弁解もできない。
それでも、奪うしかない夜がある。
初めての罪悪感はなかった。
代わりにあったのは、ただひとつの実感。
――生きたい。
それだけだった。
夜風が吹き、指輪が指に触れた。
はめていることすら忘れていた金属の感触。
なんとなく、それが“次もやれる”と囁いた気がした。
もちろん嘘だ。
そんな力なんてない。
少年は自分でそうわかっていた。
それでも、その夜から彼の世界に一線が引かれた。
拾うだけじゃない。
奪うことも覚えた。
それは、生きるための選択肢の一つだった。




