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38話 誘導

霧の濃い朝だった。


下層区の路地を抜ける風が、いつもより冷たい。

濡れた石畳に足音が吸われ、人の気配がぼやけている。


その朝、街のあちこちに紙が貼られた。


板壁に。

壊れた扉に。

井戸の柱に。


乱暴な釘で打ち付けられた簡素な告知。


――郊外作業員募集。

――食料支給。安全確保あり。

――家族同行可。


最初に気づいたのは難民だった。


立ち止まり、文字をなぞり、ざわめきが広がる。


「仕事だってよ」

「外で食わせてもらえるらしい」

「ここよりましだろ……」


下層区には久しぶりの“希望”の言葉だった。


昼になるころには、騎士団の兵が通りに立ち始める。


槍を持ち、整然と並び、行き先を示す。


東門方面。


森の方向。


人々は疑わなかった。

鎧がある。秩序がある。

それだけで安心できるほど、追い詰められていた。


俺とミークは屋根の影からそれを見ていた。


ミークが小さく息を吐く。


「ずいぶん丁寧だな。あの連中が」


俺は答えない。


視界の端で、人の流れが一本の川になっていく。


老人。

子ども。

包みを抱えた女。


逃げる群れじゃない。

連れていかれる群れだ。


胸の奥に、嫌な重さが溜まる。


東門の向こうは危険地帯のはずだった。


魔物が増え、巡回も減り、

誰も近づかなくなった場所。


そこへ――人を送る?


騎士団の誘導はやけに的確だった。


迷わせない。

止まらせない。

考えさせない。


ただ、流す。


まるで家畜を追うみたいに。


ミークが冗談めかして言う。


「復旧作業ってさ、墓掘りじゃないよな?」


笑いは続かなかった。


遠くから、低い咆哮が風に混じって届く。


焼けた森の方角。


人の波は、それでも止まらない。


希望という名の重さが、背中を押している。


俺は無意識に足を引いた。


ここから先は、行っちゃいけない。


理由は言葉にならない。

ただ、構造がそう告げている。


街が、人を外へ捨てに行く動きだ。


そしてそれを守るふりをした兵たち。


下層区が静かになるほど、嫌な予感が強くなる。


「……ミーク」


名前を呼ぶと、彼は肩をすくめた。


「見届けるしかないな」


東門へ続く道が、霧の中に消えていく。


その先で何が待っているかを、

俺たちはまだ知らない。


だが一つだけ、はっきりしていた。


これは救済じゃない。


これは――誘導だ。

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