第35話 つなぐということ
霧は朝になっても薄く残り、街は濡れたままだった。
石畳の冷たさが、靴越しに伝わる。
ミークは冗談を言わず、年少組の顔も硬い。
生き残った。それだけで今日は勝ちだが、それだけでは足りない。
俺は手甲を締め直す。首飾り、指輪、腰に忍ばせた刻印の欠片。
数は増えているが、使い方はずっと同じだった。
三文字の塊を、三つ。
《輪郭強化》
《感覚同調》
《気配感知》
それぞれ完成した形として並べる。
今までは、それで限界だった。
倉の裏で立ち止まり、目を閉じる。
刻印を頭の中に浮かべ、いつもの並びを作る。
世界が締まり、整い、気配の糸が張られる。
――ここまでは、変わらない。
違和感は、その“隙間”だった。
三つの塊は独立している。
隣り合っているのに、つながっていない。
(……間に、何かいる)
俺は腰の刻印に意識を向ける。
一文字だけ刻まれた、薄い金属片。
今までは補助として足していた。
強めるために、上から重ねるように。
だが今回は違った。
三つの塊の“間”へ差し込む。
輪郭と感覚のあいだ。
感覚と気配のあいだ。
刻印が滑り込む感覚があった。
その瞬間、世界が変わった。
気配の糸が、ただ存在を示すものではなく、流れを帯びる。
人が立っている場所ではなく、動こうとする先へ伸びていく。
床のきしみが、これから鳴る位置として伝わる。
空気の揺れが、次の動きを教えてくる。
(……つながった)
強くなったわけじゃない。
広がったわけでもない。
整ったのだ。
ばらばらだった感覚が、一続きの流れになった。
俺は一歩踏み出す。
糸が示した場所を避け、別の板を踏む。
背後で木が小さく割れる音がした。
もし、今まで通りなら――踏んでいた。
頭の奥がじわりと熱くなる。
長くは持たないと、直感でわかる。
刻印を抜くと、流れはほどけ、世界は元に戻った。
だが、確かに見えた。
三つの塊を並べるだけじゃ足りなかった。
刻印は「重ねるもの」じゃない。
つなぐものだった。
俺のやり方は、ずっと未完成だったのだ。
その夜、ラグスが直接現れた。
霧の中からぬっと現れるように、音もなく。
しばらく俺の立ち位置と足元を眺め、鼻で小さく笑う。
短い沈黙のあと、低い声が落ちてくる。
「いいタイミングだ。これから厳しくなるぜ」
冗談めかしているのに、目は笑っていない。
「街がきな臭い。仕事も、人も、まとめて削れる」
それが警告なのか、予告なのかは分からない。
だが、楽になる未来ではないことだけははっきりしていた。
霧がさらに濃くなる。
三つの塊は完成形じゃなかった。
つなげて、初めて一つの流れになる。
強くなるというより――
生き残り方が、変わった。
俺は刻印を胸に戻し、
迫ってくる次の地獄を静かに受け止めた。




