第三話 霧の輪郭
体が冷えて目が覚めた。
細い体を丸めても、風は容赦なく隙間を通って肌を刺す。
ここは廃屋の裏にある、崩れた箱の山の一角。
木箱の破片とぼろ布を引き寄せて作った、とても寝床とは呼べない寝床だ。
それでも――街をさまよった末にここを見つけたとき、少年はほっとした。
雨風が防げる。
背中を壁につけて眠れる。
誰かに背後から刃物を突き立てられる心配がわずかに減る。
それだけで、充分に贅沢だった。
目を開けたまま、少年はしばらくぼんやりしていた。
頭の中がざわついて、すぐに立ち上がれなかった。
この世界の記憶。
そして――霧に包まれた、もうひとつの記憶。
どちらも自分のはずなのに、重なりきらない。
廃材の隙間から差し込む朝の光を眺めながら、少年は思う。
(……ここは、オレの家じゃない)
当然だ。
路地裏の廃材の巣なんて、家と呼べるはずがない。
だけど、違和感はそこじゃなかった。
どうして、そう思ったんだ?
“本来の家”という言葉が浮かぶ。
ベッド。
布団。
朝ごはんの匂い。
玄関で靴を履く音。
全部、知っている気がした。
けれど同時に――何ひとつ思い出せなかった。
間取りも、色も、誰の声も。
少年は額に触れ、深く息を吐く。
知識だけが残っている。
経験や感情は、霧の向こう側へ薄れていく。
まるで、二つの人生の形をした砂が、混ざり合って溶けていくみたいに。
どちらが自分の本当の姿でもないようで、どちらでもあるようで。
(オレは……誰なんだ)
声は出ない。
唇だけ動き、音が喉でつかえて消える。
代わりに胸の奥がきゅっと締め付けられた。
ぼろ布の下で、手が首飾りを探す。
冷たい金属は、肌と同じ温度になるまで時間がかかる。
握りしめると、ほんの少しだけ胸のざわめきが静まった。
記憶の霧がどれだけ濃くても――
この鎖だけは、確かに今ここにある。
“これだけは手放すな”
その言葉を思い出すたび、もう一人の自分が遠ざかる気がする。
そして同時に、どこかでつながったままでいてくれる気もする。
「……行かなきゃ」
声は出ないが、意思は確かだ。
寝床は安全じゃない。
いつ誰かが見つけるかわからない。
飢えは待ってくれない。
少年は立ち上がり、体についた埃を払い落とす。
ぼろ布を丁寧に重ね、また夜戻るために整える。
ここが――今の自分の居場所だ。
たとえ本当の故郷が霧の向こうに消えてしまっても。
少年は路地裏へ踏み出した。
二つの記憶のどちらでもない、自分自身の足で。




