第29話 雑な男の現場
仕事を、いくつかこなした。
数は覚えていない。
覚える意味もなかった。
終われば次が来て、夜のうちに戻る。それだけの繰り返しだ。
体は前より動く。
腹は満たされ、脚は止まらない。
余裕ができたわけじゃない。ただ、生き方に慣れただけだ。
左手の手甲は、完全に生活の一部になっていた。
武器ではない。
逃げ道を示すものでもない。
ただ、触れたものの中身を、少しだけ教えてくれる。
壁に手を当てる。
すぐには何も起きない。
呼吸を整え、指先に意識を集める。
数秒――五秒ほど。
すると、ぼんやりとした感触が返ってくる。
中が詰まっている。
空洞がある。
補強がある。
嫌な引っかかりがある。
それだけだ。
図も、答えも出ない。
触れている間しか、わからない。
扉の前に立ったときも同じだ。
鍵の形は見えない。
だが、手甲を当てると、内部の癖が伝わる。
――無理をしなくて済む。
成功の保証じゃない。
ただ、失敗を避けやすくなる。
ある夜、壁に触れた。
逃げ道を探していたわけじゃない。
立ち止まる時間が必要だっただけだ。
嫌な感触が返る。
中空だが、補強がある。
壊せるかもしれない。
だが、今じゃない。
そう判断して、手を離す。
その瞬間、感覚は消える。
追われたとき、走りながら使えるほど便利じゃない。
立ち止まって、触れて、集中して――
そんな余裕は、ほとんどない。
それでも、一度触っておけば違う。
「ここはやめた方がいい」
その感覚が、判断を早めてくれる。
ラグスの仕事は相変わらず雑だった。
「多分いける」
「前は通れた」
「まあ、死なねえだろ」
年少組の連中は愚痴る。
確認が足りない。
報酬が渋い。
情報が違う。
全部、その通りだ。
それでも、戻ってくる。
誰も欠けていない。
戻ったあと、ラグスは言った。
「生きてりゃ上出来だ」
それだけ。
俺は何も言えない。
ただ、左手を見る。
革は手に馴染んでいる。
触れたときの違和感が、前より早く伝わる。
集中に入るまでの時間も、短くなってきた。
刻印の意味は、まだ読めない。
文字にも、形にもならない。
ただ、同じ作業を繰り返すほど、外れが減っているのは確かだった。
ラグスの現場は危ない。
雑で、無茶で、信用ならない。
それでも俺は、次の仕事も受ける。
触れて、避けて、戻ってくる。
その繰り返しを、この手甲が少しだけ支えてくれる限り。
愚痴はある。
だが、生きている。
それだけで、今は十分だった。




