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第28話 名前

男は、俺の顔を一度だけ見た。

値踏みというほど露骨じゃない。

だが、同情でもない。

ただ「そこにいる物」を確認するような視線だった。


「名前は?」


問いかけられて、反射的に喉が動く。

けれど、音は出ない。

口を開いても、空気が抜けるだけだ。


……そうだ。

俺は、しゃべれない。


小さく首を振ると、男は少しだけ眉を動かした。

それ以上、深く考え込む様子はない。


「ないなら、付けるか」


そう言って、俺の服装を一瞥する。

擦り切れた外套。

色のわからない布。

泥と煤で固まった裾。


「……ハディでいい」


唐突だった。


「ボロ布みたいだからな」


悪意は感じない。

侮辱というより、事実確認に近い。

俺は否定も肯定もできず、ただ立っていた。


「今日からお前はハディだ。覚えとけ」


それだけ言って、男は背を向ける。

問い返す暇もない。

そもそも、問い返せない。


――今の男、誰だ?


名前も、立場も聞いていない。

気づいたときには、もう路地の向こうへ消えていた。


代わりに現れたのが、別の男だった。

背は高くない。

体つきも、目立つほどではない。

だが、歩き方が軽い。

危険な場所を歩く人間の、それだ。


「おーい、新入り。こっち」


気安い声で手招きされる。

逃げる理由は、もうなかった。


「俺はラグス。年少組のまとめ役だ」


そう名乗り、歩き出す。

俺は、その後ろをついていく。


しばらくして、ふと気づく。

……さっきの男と、このラグス。

どんな関係なんだ?


上下か、同僚か、それとも――

考えようとして、途中でやめる。


どうせ、聞けない。


裏道をいくつも抜けながら、ラグスはよくしゃべった。

仕事の話。

失敗したときの話。

「死ぬ仕事」と「死にかける仕事」の違い。


軽口混じりだが、内容は妙に現実的だった。


俺は黙って聞きながら、別のことを考えていた。


――俺、何につられてここまで来た?


腹が減っていた。

寝床が欲しかった。

装備が欲しかった。


その結果、よくわからない組織に足を踏み入れている。


冷静に考えれば、かなり愚かだ。

後戻りも、簡単じゃない。


それでも。


ラグスの歩き方を見て、思う。

少なくとも、今すぐ始末される気配はない。


それだけで、俺はここにいる理由を見つけてしまった。


途中、少し立ち止まる。

左手にある、新しい手甲。


初めての、まともな装備品だ。


革は、厚すぎず薄すぎず。

指を曲げても、引っかからない。

今まで拾ってきたガラクタとは、触った瞬間に違いがわかる。


俺は、壁にそっと手を当てた。


特別なことは起きない。

派手な変化もない。


ただ、石の感触が、少しだけ「わかりやすい」。

冷たさ。

欠け。

中身の詰まり具合。


魔法、というより――

使うことを前提に作られた道具。


指には、あの指輪がある。

こちらも、静かだ。

だが、何かが合いそうで、まだ合わない感覚が残っている。


それでいい。

今は、まだいい。


「ハディ」


ラグスが、何気なく呼ぶ。

俺は顔を上げる。


――名前だ。


借り物でも、適当でも。

今の俺には、それで十分だった。


危険は山ほどある。

後悔も、すでに芽を出している。


それでも。


今日、俺は確かに一つ得た。

名前と、道具と、

「次へ進む場所」。


雑巾みたいな名前でも、構わない。

今はまだ、拭き取る側じゃなく、拭われる側だから。


俺――ハディは、ラグスの後ろを歩き続けた。

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