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第27話 試験

男が言ったのは、短い命令だけだった。


「走れ。触るな。壊すな。戻ってこい」


説明はそれだけだ。

合図もない。

聞き返す理由も許されない空気が流れていた。


周りに立っているのは、ギルドの連中だろう。

顔は見えない。声もしない。

影だけが、じっと動きを待っている。


俺は、深呼吸の仕方すら忘れかけていた。

空気を吸い込むと、胸の奥が小さく震える。


でも、行くしかない。


男が最後に一言だけ付け加えた。


「寝床と食い物は保証する。失敗しても無茶はするな」


約束された食い物の響きに、足先が軽くなる。


合図があったわけじゃない。

男が視線を外して歩きだした、その瞬間から試験は始まっていた。


路地の区画が、コースになっている気がした。

飛び越えるべき低い塀。

滑りやすい石畳。

抜けられる隙間と、塞がれた袋小路。


最初の標は、路地の角に置かれた小さな印だ。

触るだけでいい。だが、「触れる」までに障害がある。


俺は走った。

足の裏が石に吸われるようで、でも蹴り返す感触は確かだ。

一歩一歩、呼吸を整える。

手は自然に前へ出る。バランスを取るためだ。


塀の上を越える。

重心を低くして、着地をいなし、すぐに体勢を整える。

追手の足音が迫るのはわかる。

だが、相手と競うわけじゃない。自分のラインを守る。


次は、狭い抜け道だ。

膝を折り、肩を入れ、体を捻る。

抜けた先にすぐ次がある。

疲れが来る前に判断しろ、と体が言う。


息が上がる。

だが、それは弱点じゃない。合図だ。

心拍数を刻む鼓動に合わせて足を動かす。


中盤、試験の曲がり角で足元が泥を含んだ。

滑りやすい。

ここで転べば、追手に詰められる。

俺は足の裏の位置を細かく調整し、低い姿勢で通り抜けた。


三つ目の標は、高く積まれた木箱のそばにある。

そこで、選択肢が出た。

右に逃げる小道は近道だが見通しが悪い。

左へ回ると回り道だが足場は安定している。


即断する。

左を選んだ。

ここで迷ったら、足が止まる。

止まったら、終わりだ。


ラストは、重心を利用する小さな仕掛けのある通路だった。

薄暗く、音が反響する。

目を細め、足先の感触だけで判断する。

手はなるべく使わない。掴むと雑音に惑わされるからだ。


最後の曲がり角を曲がった瞬間、追手の一人と一瞬ぶつかりかけた。

腕が触れたが、相手の体勢も崩れてくれた。

俺は体を転がし、そのまま石の上を滑るようにして姿を消す。


そして、男の立つ位置へ戻った。

胸が激しく上下する。汗が目に染みる。

喉が渇く。だが、息は止めない。


男は深く見つめ、口元を緩めた。


「上等だ。身体が出来てる」


その言葉は、武器でも祝辞でもなかった。

ただ、認めたという合図だった。


布包みが投げられる。

受け取ると、ずっしりと手に重みが伝わった。


ほどく。


革の手甲。

左手用。


黒褐色の革。使い込まれた跡。指先だけが薄く、関節は蛇腹状に縫われている。

見た瞬間、俺の胸が熱くなる。


これは、拾ったものじゃない。

初めて「誰かが俺に用意したもの」を手にした感覚だ。


手甲をはめると、革が皮膚に馴染む。

留め具を締めると、手首が少しだけ安定するのがわかる。


男は、説明はしなかった。

ただ、短く付け加えた。


「無茶するな。道具は、命を延ばすためのものだ」


その言葉に、何かが胸に刺さる。

嬉しい。

怖いくらいに嬉しい。


俺は左手を握りしめた。

指先の感覚がいつもと少し違う。

ただの革だ。魔力だとも思えない。

それでも、今はそれでいい。


――これで、少しだけ未来が見える気がした。


世界は、確かに変わり始めている。

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