第二話 路地裏の現実
腹が痛い。
痛みというより、奥のほうを細い針で撫で回されているような不快さだ。
空っぽの胃袋が文句を言っている。
昨日――もしくは数時間前かもしれないが――食べた腐りかけの野菜では全然足りなかった。
俺は壁に手をつき、よろよろと歩く。
路地裏はどこも同じに見えるのに、いつの間にか違う区画に迷い込んでいる。
鼻を刺す臭い。
排水溝と、捨てられた酒と、人の生活の残りかす。
それは俺にとって、食べ物の手がかりでもあった。
布袋が落ちていた。
昨日のとは違う、もっと濡れて、もっと重い。
中から滴った汁の色が嫌な予感をさせる。
それでも縋るように袋を開く。
すぐに手を離したくなる悪臭。
だが、布をめくると黒い塊が見えた。
肉だったもののなれの果て。
もう食べられる状態じゃないのはわかる。
それでも、目を離せなかった。
俺は指で削るように、脂が残っていそうな部分をつまむ。
口に入れない。
ほんの数秒迷って、それを地面へ落とす。
この匂いを胃に入れたら吐く未来しか見えなかった。
代わりに、袋の底で乾いた音がした。
握りこぶしほどの固いパン。
カビの斑点すらありがたいご馳走に見える。
急いで裂こうとして、力が足りないことに気づく。
両手で押し曲げる。
歯で噛み切る。
硬さのせいで歯茎が痛むが、それでも飲み込む。
口の中が乾いた砂を吸い込んだように荒れる。
喉が動くと、何かが胃の底に落ちていく感覚がした。
ほっとした。
その気持ちが、逆に涙を誘いそうになる。
少し満たされただけで、世界全体がましに見えた。
そんな錯覚すら、今はありがたかった。
路地の奥へ進むと、人影が横切った。
小柄な子ども。
手にパンの塊を抱えている。
俺と同じだ。
生きるために拾い食いをしている。
声をかけられないし、かけない。
意味がない。
それに、奪われたくないという感情が俺の中にも芽生えていた。
その子が足を滑らせかけた瞬間、反射的に壁に身を寄せた。
視線だけ送る。
子どもは気づかず、そのまま駆け去っていった。
生きるやつは早い。
俺よりずっと上手くやっているように見えた。
空が少し明るくなる。
夜が終わる。
だが、俺に朝の温かさはない。
店の裏から男が飛び出してくる。
酔いと怒気が混ざった声。
何を言っているのかはわからないけれど、俺を追い出そうとしているのはわかった。
逃げる。
全力じゃない。
全力を出す体力も残っていない。
それでも路地に散らばる障害物の位置だけは妙に見える。
ひとつ避け、もうひとつ跨ぐ。
濡れた木箱の蓋に足を置かない。
滑ることが、なぜかわかった。
振り返るころには男の姿は消えていた。
諦めたのか、方向を間違えたのか。
息を吸いすぎて胸が痛い。
それでも、逃げられた。
膝に手をつき、しばらく動けなくなる。
ほんの少しだけ、俺の中で暖かい何かが灯っていた。
――生き延びた。
言葉じゃない。
声にもならない。
それでも確かな実感。
パンの切れ端を舐める。
かすかな味がまだ残っていた。
首飾りが冷たい。
肌にひやりとした金属の感触。
まだ何の意味もないくせに、まるで俺の鼓動を聞いているみたいだった。
今日も、まだ死んでいない。
それが、全てだった。




