第14話 兆しと手立て
夜明け前の空気は、昼より冷たく鋭かった。
少年は樽の影から這い出し、喉の奥で息を押し殺す。
最近、裏通りは静かすぎる。
人の気配が薄くなったというより――
見張っている気配が濃くなっていた。
盗賊ギルドの足音は、もう何度も聞いている。
声は届かないのに、気配だけは、まるでかぎ分けるように感じられた。
息を殺した日々の中でも、腹は減る。
食べなければ死ぬ。
少年は慎重に建物の隙間を移動し、ゴミ捨て場へ向かった。
ぎゅるりと胃袋が鳴る。
――死ぬ前に、なんとか腹を満たしたい。
昔なら迷わず盗んでいたかもしれない。
でも今は追われている身だ。
下手な手を打てば、次は殴られるだけで済まなくなる。
足が止まった。
昨日より少し人の気配が濃い。
嫌な気配だ。
暗がりに潜む目がこちらを追い、舌なめずりしているような感覚。
だがそれ以上に、腹の痛みが思考を押し流す。
ゴミ袋を裂き、腐りかけのパンの塊を見つけた。
酸っぱい匂い。
口に入れたら確実に後悔するやつだ。
それでも、迷いはほんの一瞬だけだった。
少年はためらいなくそれを引き千切り、噛み砕く。
味なんてない。ただ、胃に沈んでいく重さだけが救いだった。
そのときだった。
視界の片隅で、線が揺らぐ。
黒く、細く、風に揺れる糸のような線。
言葉とも模様ともつかないそれが、ちらりと目に映る。
少年は瞬きをする。
首飾りと指輪の辺りから、じわりとぬくもりが広がる。
――まただ。
何かが脳裏に刻まれる。
形になりかけては崩れていく紋様。
意味を持とうとして、霧散してしまう音。
脳みそに触れてくるような擬似的な感覚だけが残る。
心臓が跳ねた。
怖い。
でもそれ以上に、わかる。
力が、自分の中に根を張り始めている。
使い方は知らない。
名前もわからない。
それどころか、それが本当に「魔法」と呼べるものかすら怪しい。
だが、食べ物のありかに心が向く。
建物の形、灯りの揺らぎ、人の足取り。
そのどれもが、昔よりもほんの少しだけ読める。
首飾りも指輪も、ガラクタのはずなのに――
組み合わさるたび、少年の中の刻印が膨らんでいくようだった。
パンを飲み込み終えたあと、少年はゆっくりと背を伸ばした。
この町に居続けるのは危ない。
追手は消えない。
腹を満たすことすら命がけ。
でも、紙片にあった村の名前。
見張りの薄い道。
夜の闇に紛れれば、もしかしたら――
出られる。
ガラクタの揺れと共に、そんな考えが胸に浮かんだ。
昼は動かない。
夜に備える。
食べられるものはなるべく蓄える。
そう決めるだけで、頭の霞が少し晴れた気がした。
路地の端に、早朝の市場へ向かう人影がひとつ揺れる。
少年は深く息を吸い込み、すぐ物陰に身を引いた。
まだ、俺はここにいる。
だが、いつか出る。
飢えと追跡の中で、少年は静かに夜を待つ。




