第13話 印のざわめき
追われた夜から、少年は一段と慎重になった。
路地裏の影を伝って歩き、光の届かない奥ばかりを選ぶ。
人が少ない時間を見計らってゴミ桶を漁り、小さなパン屑や干からびた肉片を拾う。
盗みは――しない。
いや、できなかった。
まだ心臓があの日の鼓動を覚えている。
けれど、大人の足音が遠くから響くだけで、息が止まるようになった。
胸がひゅっと縮むその感覚は、飢えよりもしんどかった。
そんなある夜、指先に違和感が走った。
拾い集めたゴミの中に、干し草に埋もれるようにして転がっていたのは、紙切れだった。
文字が刻まれている。
読めそうで読めない、この世界の言葉。
はっきり理解できないのに、音も意味も、どこか脳裏にひっかかる。
街の外へ抜ける山道にある、小さな村の名前。
人の少ない古い往来。
夜になれば見張りも薄くなる――
そんな情報だと勝手に頭の中に組み立てられた。
誰が捨てたのかは知らない。
なぜそこにあるのかもわからない。
でも少年の胸は、微かに高鳴っていた。
息のような期待と、生き延びたいという感覚と、外への憧れ。
首を傾けた瞬間、胸元が軽く揺れる。
錆びた首飾り。
それと、いつの間にか指にはまったままの指輪。
光はない。
見た目もただのガラクタ。
けれど――
脳裏にぼうっと線が走った。
文字の形をした線。
読むことも真似することもできない、奇妙な紋様。
ふわりと浮かんだそれは、次の瞬間、霧に溶けるみたいに消えた。
少年は瞬きをする。
何が起きたのか説明はできない。
感覚だけが、確かに伝えてくる。
刻まれている。
首飾りでも、指輪でもなく、自分自身の内側に。
まだぼんやりとした影のようで、掴めない。
だから余計に消えない。
盗みも、逃げることも、ゴミを漁ることさえも、
いつのまにか彼の「日常」になった。
それらすべてが、意味も知らない魔法みたいに、身体に染み込んでいく。
少年は紙片を拾って丸め、懐に押し込んだ。
その指は、わずかに震えていた。
腹は減っている。
喉はいつも乾いている。
街の底で、誰も助けてはくれない。
けれど、ほんの少しだけ、胸の奥があたたかかった。
――外へ行けるかもしれない。
そう思った瞬間、いつもの飢えと寒さが、少しだけ軽く感じられた。
夜明けが近い。
少年は寝床代わりの樽の影へ身を滑り込ませる。
暗闇の中で、胸元のガラクタが、音もなく揺れた。




