【第五話】 「それでも前へ」
朝の陽射しがカーテン越しに部屋を照らしている。
でも、布団の中の晴翔は目を閉じたままだった。
「おはよう、晴翔。朝ごはん、できたわよ」
咲子の声が、やさしく響く。
けれど彼は、うつぶせのまま、小さく首を横に振った。
咲子は無理に起こそうとはせず、そっとドアを閉める。
その背中に、ほんの少しだけ、年齢の影が揺れていた。
晴翔は、春から学校に行けなくなった。
部活でのいじめ、SNSでの悪意、自分を守る術もなく、すべてを拒むように家に閉じこもった。
「なんで俺ばっかり……」
そう呟く声すら、もう出ない。
***
その日の午後。
咲子は晴翔の部屋の前に、一枚の手紙を置いた。
手書きの文字で、こう書かれていた。
⸻
晴翔へ
無理に起きなくていいのよ。無理に笑わなくていいの。
でもね――
人生って、ワン・ツー・パンチなの。
上手くいく日も、泣きたくなる日も、ぜんぶ大事。
だから、歩みを止めずに夢みようって、おばあちゃんは思うの。
昔、学校で教えた歌があるのよ。知ってるかしら?
「一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩さがる」
たった一歩でも、いいのよ。
おばあちゃんは、いつでも晴翔の横を歩いてるから。
――おばあちゃんより
⸻
その夜、晴翔は、机の上に置かれたその手紙を、じっと読んでいた。
「……三歩進んで、二歩さがる?」
「それって、意味あるのかよ……」と苦笑しながら、でもなぜか、涙がこぼれていた。
彼はゆっくり立ち上がり、窓を開けた。
外には、夜風が吹いていた。星がいくつか、静かに光っていた。
***
翌朝。
咲子が起きると、テーブルの上にメモがあった。
「学校行ってみる。途中でダメだったら帰る。
一歩、出してみる」
咲子はゆっくりとその文を読み、手を合わせるようにして、微笑んだ。
「行ってらっしゃい、晴翔。あなたのつけた足あとにゃ、きれいな花が咲くでしょう」
その言葉は、小さな声で、家のなかにそっと咲いた。