【第三話】 「だから君もくじけずに」
就職活動用の黒いスーツは、いつからか「戦闘服」のようになっていた。
履歴書を10枚書いても返事は来ず、面接では「あなたの強みは?」の問いに言葉が詰まる。
「ないんです、そんなの……」
静かなカフェの片隅で、望月梓はため息をついた。
前職を辞めたのは、自分からだった。
上司との軋轢、理不尽な評価、心がすり減る日々。もう無理だと思った。でも辞めたら、何も残らなかった。
目の前の履歴書用紙は、9枚目。
きれいに書こうとすればするほど、震える手が言うことをきかない。
そのとき――コツン、と何かが足に当たった。
「あっ、ごめんなさい!」
小さな男の子が駆け寄ってきた。
ランドセルのポケットから転がった鉛筆が、梓の足元に転がっていた。
「ありがとう、お姉さん!」
そう言って笑うと、男の子は席に戻って宿題を再開した。
ふと見ると、彼のノートの端にこんな言葉が書かれていた。
「ほら 足もとを見てごらん
それが しあわせの 第一歩さ」
思わず梓は、微笑んでしまった。どこかで聞いたフレーズ。でも、それが不思議と胸に沁みた。
「足もとを見てごらん…」
そうだ。今、自分の目の前にある“履歴書”だって、ほんの一歩じゃないか。
誰かに笑われるほどの小さな歩みでも、自分が進むための第一歩だ。
梓はゆっくり、ペンを握りなおした。
震えは止まらない。でも、止まらなくても書いてみよう。
「だから君も、くじけずに――か」
昔、音楽の授業で歌ったあの曲が、ふと心によみがえる。
***
数日後。
一本の電話が鳴った。
「面接、来ていただけますか?」
その声を聞いて、梓は初めて、履歴書を抱きしめるようにして泣いた。
あのカフェの片隅で書いた一通が、たしかに誰かに届いていたのだ。
***
その帰り道。
あの男の子に、もう一度会えた。
「お姉さん、また来てたの?」
「うん。……ありがとう。君の言葉、勇気出たよ」
「え? ぼく、何か言ったっけ?」
「言ったよ。“足もとを見てごらん”って」
男の子は、ぽかんとしたあと、照れたように笑った。
「それ、音楽の時間に習った歌だよ。先生が、元気出ないときに歌えって!」
「先生、いい先生だね」
「うん! 歌ってたら、いつか元気出るんだって!」
梓はうなずいた。
「うん。きっと、そうだね」
そして彼女は、またひとつ、歩き出した。