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40.

 いつも通り分厚いカーテンを閉め切り、か細い蝋燭の灯りの中に香の煙が充満している大広間は、今日はテーブルも椅子も片付けられている。


 広々とした広間の奥に、魔物の血で描かれた魔法陣がある。使われなくなって久しい暖炉を中心に、床から壁まで繋がる大きな円が描かれている。円の中は三角形を基調とした図形と、ミミズがのたくったような古代文字でびっしり埋め尽くされていた。

 暖炉は悪魔の侵入を防ぐため煙突を塞いでしまっているから、形だけで長らく火は入れられていない。しかし、今回呼び出すのは火の精霊だから、火を宿す器としては暖炉が最適と考えたのだ。


 暖炉の周りには供物である魔物の内臓が点々と散らばり、キツい香の匂いに、さらに生臭い腐臭まで混ざっている。


 謎の置物や呪具の類はいつもに比べて少ないけれど、いつも以上に凄惨な大広間は、殺人現場か魔物に荒らされた痕にしか見えない。


「なんですのその声は、勇者様も精霊召喚の儀式は知っておりますでしょうに」

「詳しくはない……」

 呆れた声を上げるサンドラに、だが素直さが取り柄の勇者は見栄を張ったりはしない。

 そう言えばそうだった、とサンドラも思い出す。


 漫画での知識だが、勇者は精霊召喚をしようとしてしたわけではないのだ。

 邪竜が住み着く廃鉱山が、実は大昔の大魔法使いが残した遺跡に繋がっていて、たまたま魔物たちを倒しているうちに召喚に必要な物が揃っていて、邪竜を打倒すと同時に偶発的に精霊召喚の儀式が発動したのだ。


 なんてご都合主義な展開だろうかと思うけれど、勇者が主人公の漫画なのだから仕方がない。

 それに、実際に行われたのは召喚の儀式ではない。火の精霊は邪竜に捕らえられていて既にその場にいたから、勇者が行ったのは精霊との契約の儀式だけなのだ。


 だから、テオドールは精霊召喚の儀式の詳細は知らなかった。だが、後から廃鉱山の状況を調べたアリシアに軽く説明されたから、精霊召喚の儀式には魔物の血や内臓が必要になるということは知っていた。

 しかし、魔物たちとの死闘を繰り広げた廃鉱山と、普通の貴族の屋敷が同じ状態というのはあり得ないだろう。


 やることは精霊召喚の儀式だとわかっていても、よくもこれだけの血と臓物をぶちまけることが許されたもんだと、テオドールはサンドラだけでなく、この屋敷の住人たちにドン引きした。


 当のこの屋敷の住人たちは平然としている。儀式の準備だって当主の許可を得て行われているのだし、用意された大量の血や臓物を見ても、マルティンやロベルトだけでなく、カリーナすら「サンドラちゃんの望みが叶うといいわね」と朗らかに笑っていた。


 準備を手伝った使用人たちは、この後の片付けのことも考えて、かなりゲッソリした表情をしていたけれど、きっとサンドラの儀式が成功すれば、マルティンから特別手当が出るだろう。だから、影ながら見守る使用人たちも、みんなサンドラの精霊召喚の成功を切に祈っていた。


「まあ、勇者様は詳しく知らなくても結構ですわ、準備は済んでいますし、進行も全て私たちが行いますから、いけにぇ……魔力提供者はこちらに座っていてくださいな」

「生贄って言ったな」

「いえいえ、勇者様ならこれしきの儀式で死にはしませんわよ」


 ホホホと笑ってみせても誤魔化せない。ただただ怪しくなるだけだ。言っていることも、つまり普通の人間ならまさしく生贄になるということだ。元からなかったサンドラへの信頼が更にマイナスに振り切る。


 しかし、サンドラだって勇者への信頼は特にない。前世で漫画を読んで強いことだけは信頼しているけれど、人柄は物語に描かれているだけとは限らない。


 昨日今日会ったばかりの男女の間などこんなものだ。お互い様の不信感にサンドラは薄ら笑いを浮かべる。

 まるで深窓の令嬢らしからぬ雰囲気は、これまたサンドラに謎の凄味を与えた。実態は漫画オタクだった前世の記憶を持つだけの引き籠りなのだが、この実態は誰も知り得ない。


「精霊は悪しき者の声には応えない」


 サンドラの言葉にテオドールは眉間に皺を寄せるが、何も言い返せない。


 アリシアも言っていた。どれだけ正しく召喚の儀式を行おうとも、精霊は悪しき者の声には応えないという。

 だから、つまり精霊召喚の儀式が成功したならば、サンドラは悪しき者ではないという証明になるのだ。


「私をお疑いになるのならば、勇者様は儀式に協力するべきですわよね」

 何もかもサンドラの思うがままにされているようで腹が立つけれど、勇者テオドールは疑わしきは罰せず、見極めるためにはこの精霊召喚に協力する外ないのだ。


 悔し気にサンドラを睨みつけていたが、いつまでも入り口に佇んでいた勇者は、荒々しく一歩を踏み出した。魔王討伐の旅をすると決めた日よりも、気合の入った歩みであった。


「他の人を生贄にされても困る、仕方ないから協力してやる」

 腹を括ったテオドールは、指示された通り魔法陣の一角へとドンッと胡坐をかいた。傍らにいる火の精霊は不安そうにしているけれど、契約以上の硬い絆で結ばれた勇者を置いて逃げるような真似はしない。


「ようやく本番ですねお嬢様、活きの良い生贄が手に入って本当にようございました」

「勇者様なら何しても死ななそうですね、やりたい放題ですねお嬢様」

 魔王城に踏み込むような重々しい雰囲気のテオドールを他所に、魔族のような使用人たちはまるでパーティー気分だ。もう歯に衣着せる気もなく勇者を生贄と呼んで憚らない。


「まあまあ、そんな、せっかく協力してくださっているのに失礼ですわ、口を慎みなさい」

 そんな助手たちのハシャギっぷりにサンドラも溜息を吐く。初めての本格的な魔術に高揚する気持ちもわからないではないけれど、初めてだからこそ真面目に慎重に打ち込まねばならない。

 と思いつつも、サンドラの足取りもスキップを踏んでいる。彼女が動くたびに、身に着けた魔除けの道具がガッシャンガッシャン騒々しい。


「勇者様のご好意を無駄にしてはいけません、必ずやこの儀式を成功させましょう、あとついでに新しい魔除けの呪具も作ろうかしら、魔力はいくらでもありますし」


「俺の魔力だが?」


 結局、一番勇者を魔力源扱いしているのはサンドラだった。


 青筋を立てるテオドールを他所に、いそいそと新しい魔法陣を書き足している。勇者の魔力を使えば、呪具のメンテナンスどころかパワーアップもできるかもしれない。


「これ以上時間がかかるようなら帰る」

 いつまでも始まらない儀式に、テオドールはイライラと声を上げた。勝手に楽しそうな魔族たちが気に入らないのもあるが、血塗れも泥塗れも慣れっこなテオドールでも、ここの変な香の匂いと血生臭さのブレンドされた空気には、気分が悪くなってくる。


「あらまあ、せっかちですこと、昼食を用意しておりますから是非食べていってくださいまし」

 この淀んだ空気が、むしろ落ち着くサンドラは平然としたもんだ。勇者がどれだけ態度が悪かろうと、招いた客には食事の一つも御馳走するのが貴族としての振舞だと、こんな魔界のような場所でも、極々平凡な貴族らしいことしか考えていない。


 テオドールは血生臭い中で食事の話しをされても、更に気分が悪くなるだけだった。

 そんな勇者に気を遣ったわけではないが、のんびりやっていては供物の鮮度も落ちてしまうから、サンドラもようやく立ち上がった。


「始めましょうか、配置につきなさい」

 サンドラの声と共に、スウェンは右の壁際に、フリーダは左の壁際に立つ。サンドラは暖炉の真正面に立った。

 魔法陣の四分の一ほどが壁に描かれているからわかりづらいが、大きな円の中に描かれた正三角形のそれぞれ頂点に立っている。テオドールは右側、サンドラとスウェンの間くらいにブスッと座っている。


「それでは、みなさまご静粛に」


 サンドラの一声で室内が鎮まり返った。

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