39.
サンドラの言動如何でフェルセン家への警戒心が変わるわけだが、サンドラが勇者克服に燃えている今、どう行動しようと魔族であるという誤解は解けそうにない。
「火の精霊様もいらっしゃっているのでしょうか」
「当然だ、ヴルはいつでも共にいる」
そういうや否や、挨拶するようにテオドールの手元から精霊が飛び出してきた。
勇者に名前を貰った精霊ヴルだ。火の精霊ヴルカンが由来であるから、ほとんどそのまんまの命名だ。
オレンジと緑色の炎が人型をとっているような姿で、大きさは掌くらいしかなく、蝶のような羽がある。妖精の見本のような姿だが、力の強い精霊であることは明らかだ。
精霊は様々な種類があるけれど、共通して形がハッキリとしているほど力が強いとされている。
元が思念体であるため、生まれたての精霊はモヤモヤと煙のような見た目をしている。はっきりとした形を持っているということは、長く存在し力と知恵を蓄えた証拠なのだ。
更に、火の精霊はオレンジ色の炎は弱く、緑色の炎が強く、青色の炎が最も強いと言われている。
だから、テオドールの連れている火の精霊は、姿はハッキリと人型をしているし、色も緑色が混ざっているため、かなりの力を持った精霊だということがわかる。
それよりもサンドラは、漫画通りの精霊の見た目に感動していた。
絵で見る分には可愛らしいと思っていたが、実際に現実で見ると、小さな人に虫の羽が付いているとか、トンボのような大きな眼とかは、かなり不気味になるのではないかと思っていた。
しかし、炎が形を成しているおかげか、そこまでおかしな姿には見えない。むしろ小さいのに神々しかった。悍ましいインテリアと服装ばかり好むサンドラに、見た目の良し悪しは言われたくないだろうが。
思わず腰をかがめて覗き込んでしまったサンドラと、同じく顔を近づけて凝視するフリーダとスウェンに、火の精霊もたじたじで勇者の中に隠れてしまった。テオドールも異様なほど目を輝かせる三人にはちょっと引いてしまう。
精霊が隠れてしまったのは残念だが、サンドラは気を取り直して居住まいを正す。
さっきまでの熱気が嘘のように、スンッと表情を失くす三人の態度が、また人間らしからず不気味に見える。
「予め用件はお伝えしました通り、勇者様には火の精霊の召喚にご協力いただきたいのです」
勇者が全く客人らしくないので、サンドラも持て成しは後回しにして用件を述べた。お茶をするのは儀式が終わってからでもよい。お茶をする気でいるのはサンドラたちだけで、勇者はさっきから敵地に乗り込んでいるつもりだ。
テオドールは、やはり慣れ合う気はないという表情でサンドラを睨み付ける。
「どうして俺が魔族の手伝いなんて」
今にも剣を抜きそうな雰囲気に室内はピリ付いた。フリーダとスウェンが主を護るように前に出る。
一触即発の空気を感じ取り、これはいけないとサンドラは考え込んだ。
正直言って、暴力に訴えられたら、サンドラたちに勝ち目はないのだ。
サンドラも使用人の二人も、魔術にはそこそこの自信はあるけれど、如何せん実戦経験はないので、どれほどの魔法戦ができるかはわからない。勿論、魔法以外の戦闘経験もまったくない。
対する勇者はいくつもの死線を乗り越えてきた戦士だ。まだ魔王討伐の旅は序盤だが、既に人類最強と言っても過言ではないレベルに達しているだろう。
魔法戦でも戦えるかわからない上に、物理攻撃をされては確実に負ける。
今日は召喚の儀式を最優先にしたため、屋敷の中は最低限の使用人しかいない。初めての儀式なので不確定要素は少しでも排除しておきたかったため、家騎士たちを護衛に入れることもできなかったのだ。
戦闘になれば負けるし、そもそもここで勇者を逃がせば、精霊召喚の儀式を行えるのはいつになるかわからない。
マルティンにお願いすれば、魔石だっていくらでも入手してくれるだろうが、精霊召喚に使う魔石は特に純度の高い物でなければいけない。金を積んでもすぐに手に入るかはわからない。
勇者と敵対することは悪手でしかない。ここは友好的に接するべきだ。
そう考えてサンドラは笑顔で勇者と向き合った。
「あら、勇者ともあろう方が魔族が恐いのですか」
どうして魔族だなんて勘違いをされているのかはわからないけれど、ここは勇者の冗談に乗ってやろうと、サンドラはクスクスと笑い声をあげる。彼女が少しでも動けば黒いローブの下で魔除けの品もカラカラ鳴って、まるで一人以上の笑い声が一人の身体から出ているようだ。
この仕草を見て、友好的に接しようとしていると思う人間はいないだろう。見た目は怪しいし台詞は明らかな挑発だ。
テオドールは見事に神経を逆なでされた。フリーダとスウェンはサンドラの啖呵に感動した。一触即発だった空気はすっかり燃え上っていた。
サンドラだけはピリピリ冷え切っていた空気が温かくなって一安心した。何も安心するところはないけれど、満足してさっさと屋敷の中へ歩いていく。フリーダとスウェンも自慢げに主の後に従う。
無防備に背中を向けたように見える魔族たちに、テオドールは警戒心を露わにするけれど、売られた喧嘩は定価で買ってしまう性質の勇者は、負けじと後に付いて行く。
サンドラの思惑通りではないけれど、結果的に思惑通りに事は進んだ。
今日は屋敷にいない兄ロベルトは、妹の望みが叶った気配を察知し、誘拐事件を調査する道すがら、人知れず鼻高々な気分になった。当然、そんなことサンドラが知る由もない。
屋敷の奥に進んでも外の光の差す場所はどこにもない。まるで地下を歩いているような気分になるが、分厚いカーテンの向こうに窓があるのはわかる。
せっかくの窓を全て覆っている意味がテオドールにはわからないが、窓を覆うカーテン一つ一つに、何らかの魔術が施されていることだけはわかる。
長い廊下を歩いているのに誰とすれ違うこともない。
ただ、そこかしこに生き物の気配があり、こちらの様子を伺っている。テオドールの警戒心が緩むことはない。
それはただ、屋敷の使用人たちがお嬢様の言いつけ通りに身を隠し、それでも初めての客人に心配と好奇心を持って見守っているだけなのだが、内情など知らない勇者にはただ不気味で不穏な屋敷でしかなかった。
「げ」
大広間の扉を潜ったテオドールは、思わず声が出てしまった。そこは貴族の屋敷とは思えないほど酷い有様だった。
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