38.
今までは廃坑に住む邪竜が火の精霊を虐げていたせいで召喚ができなかった。その邪竜を勇者が打ち倒し、火の精霊が解放され、その上、生贄として最適な勇者が今この地にいるのだ。
サンドラにとって勇者の訪れは死刑宣告も同義と考えていたが、今や勇者が打倒悪魔の福音となっている。
「流石は勇者様、なんて有益な方でしょう」
長年の恐怖から解放されつつあるサンドラは満面の笑みを浮かべる。
「クックックックッ……悪魔など恐るるに足らず」
晴れやかに笑っているつもりだが、徹夜の準備作業でよれよれになっているサンドラは、いつもに増して荒野を彷徨う怨霊のような姿になっている。
お嬢様が愉快そうでフリーダもスウェンも何よりだが、主を見守る二人の笑顔も、目の下に浮いた隈のせいで不穏な気配を漂わせていた。
「お嬢様、お客様がお越しです」
そんな不穏な空気の中、平然と声をかけることができるのは、執事長のトビアスくらいだ。入り口から大広間のいつもの惨状を確認して、不気味な笑い声をあげる三人組を眺めて、何事もなかったかのように用件を述べる。
「わかりましたわ、お迎えいたしましょう」
口元だけはお嬢様膳とした微笑みを取り繕うサンドラに、フリーダとスウェンもシラッとした表情を繕って後ろにつく。
二人は伯爵と伯爵夫人と次期伯爵から直々に、決してサンドラと勇者を二人きりにしてはならないと厳命されていた。フェルセン家の中では、未だに勇者は愛娘に狼藉を働いた変態暴力漢のままなのであった。
三人とも堂々と自慢の杖を構えて玄関ホールへと向かう。その姿は部下を従える魔王の如き貫禄であった。
玄関ホールも例の如く暗黒の世界に染まっている。黒い鳥と骸骨を乗せた杖を構えるサンドラは、貴族のお嬢様には見えないけれど、この場には大変良く馴染んでいる。黒い蛇の杖を持つフリーダも、白い髑髏の杖を持つスウェンも、手練れの闇魔術師のような立ち姿だ。
だが、三人とも魔術師としては未熟だし、客人を迎えるのも慣れていないから、これでいて内心はソワソワと少々浮かれた気分で玄関ホールに佇んでいる。
そんな内心は欠片も他人には理解されないから、二匹の魔族を従えた魔女が正面に佇み、玄関ホールは完璧なる魔界になった。
それを確認して、執事長は平然と玄関前のカーテンを少し捲った。
外は今日も晴天らしい。控えめに開けられたカーテンからは、床に小さな三角形を描く程度にしか明りは入らないけれど、明るい世界とはとんとご無沙汰なサンドラには、眩しいほどの陽光が差し込む。
そこから堂々と踏み込んできたテオドールは、逆光になっていて表情こそ窺え知れないけれど、本当に勇者らしく後光を背負っているように見えた。
「うわ、変な趣味」
フェルセン伯爵邸へ踏み込んだ勇者の第一声であった。
非常に失礼な発言で、彼が勇者ではなくただの一般人であったなら、この場で打ち首も有り得る態度だ。
しかし、彼は王家に認められた勇者であった。裏表のない人柄と素直な言動が彼を勇者たらしめるのである。
この禍々しく悍ましい装飾を変な趣味で済ませてしまうところが、勇者も豪胆というか、大雑把な性格だ。アリシアとラーシュの怯えっぷりと比べれば、流石は勇者様と言える胆力だが、その仲間二人には常日頃から無神経で危機感が狂っていると言われていた。
「ようこそ、お出で下さいました勇者様」
サンドラは努めて堂々と迎え撃った。
彼女にとって悪魔の次に恐ろしい存在は勇者である。
前世で読んだ漫画の通りに進めば、自分は悪魔に身体を乗っ取られて、勇者によって殺されるのだ。
サンドラにとって勇者は死神も同然だ。勇者のおかげで悪魔への対抗策が手に入るという現状においても、死神への恐怖が無くなるわけではない。
しかし、悪魔への対抗策は打ち続けてきた。今日の精霊召喚さえ成功すれば、悪魔に怯える暮らしから脱せられる。残るは死神こと勇者さえ克服すれば、サンドラは生き残り、平穏な暮らしを手に入れられるのだ。
そんな意気込みを滲ませるサンドラは、テオドールの目には異様な空気を纏った魔女にしか見えない。
「誤魔化す気ないのか?」
「何をでしょうか?」
「魔族であること」
「魔族ではありませんから」
テオドールはサンドラたちのことを魔族だと半ば確信していた。それは服装が怪しいのと謎の魔術を使うからという、偏見に満ち満ちた判断だったけれど、それでもいきなり討伐しないのは、彼が偏見と差別を憎んでいるからである。
狂暴な魔物の中にも争いを好まない個体はいる。平凡な人間の中にも他者の脅威になる者はいる。これらは勇者が魔王討伐の旅の中で得た教訓である。ならば魔族だって害を成さないものがいるかもしれない。
フェルセン家は今のところ誘拐事件の容疑者ではあるけれど、まだ容疑者だ。実行犯が別にいるのは確定している。だから、テオドールはこの家の者の脅威を測るために今日ここへ来た。
そもそも伯爵家を魔族だと思い込んでいる時点で無礼極まりないのだが、正義と情熱で形成された勇者の心には、デリカシーが宿る隙はないのであった。
今日はここへ来ていない勇者パーティーの一員ラーシュは、誘拐犯を探している途中、勇者が非礼を働いている気配を察知し胃を痛めていたが、当然、テオドールはそんなこと知る由もなかった。
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