32.
「ようこそ我が屋敷へ」
扉の前でいつまでも突っ立っている二人に、マルティンの方から声がかけられた。
伯爵の隣にいる黒い塊もそっと礼をする。少し動いただけでガチャガチャと騒々しい音をさせているが、動きは確かに伯爵令嬢らしい完璧な淑女の礼だった。
フェルセン伯爵家の行動には何らおかしな点はない。貴族としての礼節を弁えた丁寧な挨拶であるが、この場ではどう見ても地獄の案内人にしか見えない。
伯爵の穏やかな表情がむしろ、応じたが最期、明るい世界には二度と帰れなさそうな凄味を感じさせる。
アリシアもラーシュも怯え切った表情でビクリと肩を跳ね上げたが、今の状況を思い出し、慌てて貴族としての礼を取った。
「ご無礼を、フェルセン伯爵様、本日は急な訪問をお許しいただきありがとう存じますわ」
「大変失礼いたしました、改めてご挨拶申し上げます」
室内がどれだけ恐ろしかろうと、相手がどれほど怪しかろうと、邪気も悪意も感じられないというならば、これはただの伯爵家への訪問だ。
相手は伯爵本人で、こちらはまだ爵位を持たない貴族の娘と倅だ。本当ならばアリシアとラーシュの方が先に声をかけるのが礼儀であった。
必死に笑顔を取り繕いながら、ラーシュはこの件に首を突っ込んだことを後悔していた。
そもそも彼は最初から反対していたのだ。自分たちは魔王討伐のための旅をしているのだから、田舎の行方不明事件なんてちんけな犯罪捜査にかかずらっている場合ではない。
だのに、正義感が強過ぎるテオドールが、これはただの行方不明ではない気がすると言い出すから、この地に留まる羽目になったのだった。
しかし、残念なことに勇者の勘は当たる。これは単純な行方不明事件ではなかった。
この地を治めるフェルセン伯爵家は明らかに怪しい。怪し過ぎて、ここまであからさまに怪しさを隠さないなら逆に怪しくないのではないか? と混乱するくらい怪しい。勇者の勘がなくたって、この屋敷の内部を見れば誰だって魔王との関係を疑うだろう。
だが、しかし、ならばこそ、やはりこの行方不明事件は勇者パーティーが関わるべき事件ではない。
有力貴族家が魔王と通じていたなんてことになれば、武力的な問題ではなく、政治的な方面で、勇者パーティーでも手に負えない案件である。
やっぱりこんな事件に首を突っ込むべきではなかった、とラーシュは胸の内で悔やんでいたが、もう遅い。彼は既に敵陣の真っ只中のような伯爵邸へと踏み込んでしまっているのだ。
「うむ、そう硬くならず、お掛けなさい」
「どうぞお寛ぎくださいな」
マルティンが椅子を勧め、隣でサンドラも堂々と応じる。長年の引き籠りのため非常に内弁慶なサンドラだが、屋敷の中ならばいつも通り振舞える。母カリーナがいない今、自分がこの屋敷の女主人代理を勤めなければならないのだ。
「ご、ご配慮、痛み入りますわ」
「あ、ありがとうございます」
アリシアとラーシュは無理くり笑顔を作る。
例え、本当にフェルセン伯爵家が魔王と通じていたとしても、政治的な問題はアリシアもラーシュもどうすることもできない。つまり、二人が今やるべきことは、とにかく無難にこの場を乗り切ることだけだ。
しかし、これ以上失礼のないように応じたいのだが、勧められた椅子は「それ椅子だったのかよ」と言いたくなるような彫刻だった。
近くで見れば、成程、座れそうな形はしている。座面と背もたれには上質な布が張られていて座り心地も良さそうだが、どちらも腰を下ろせば魔物に抱かれるような造形をしている。
アリシアに勧められた椅子は、背もたれの上部に三つ首の獣の彫刻があり、丁度その一つは腰かけた者を上から見下ろすように首を傾げている。残り二つは、まだ腰かけてもいないのにアリシアの方を睨んでいるように見えた。
ガラスか宝石の埋め込まれた眼は、どこに立っていても目が合うような気がするし、なんなら動いているような気もする。気のせいであってほしいとアリシアは祈った。
ラーシュに勧められた椅子は、魔物の頭の上に座るような形だった。椅子の足の間から大きな魔物の顔が覗いているのだ。そして背もたれには無数の腕が彫刻されて、腰かけた者は四方八方から魔物の手に囲まれるようになる。
それらが、蝋燭の火の揺らめきや香の煙の流れのせいか、ゾワゾワと蛇やムカデが折り重なるが如く動いて見える。目の錯覚だとラーシュは己に言い聞かせた。
懸命なことに、二人とも椅子に対してツッコミを入れなかったので、それはただ異様な椅子に圧倒されて言葉を失っただけだったが、もしも一言「なんじゃこりゃ」と発していれば、サンドラの黒魔術談議が繰り広げられたことだろう。
どちらの椅子のモチーフも、魔物ではなく悪魔を祓う神獣の類であったが、そんな異教の土着信仰や少数部族の魔術の話しを、数時間は聞かされる羽目になるところだった。
そうはならなかったが、しかし、それにしても、これでどう寛げというのか。
正直言って座りたくない。
しかし、自分たちが座らなければこの屋敷の主と娘も座れない。
伯爵たちをいつまでも立たせておくわけにはいかないし、マルティンとサンドラの椅子も客人用と同じかそれ以上に不気味な造形をしている。この屋敷にまともな椅子はなさそうだ。
アリシアとラーシュはもう魔族の生贄になった気分で腰を下ろした。別に何も起きなかったが、ひじ掛けの部分も嫌に精巧な彫刻が施されているから、椅子の上で身体を出来るだけ小さくする。二人とも勇者のやらかしで王家から説教された時だって、ここまで縮こまりはしなかった。
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