31.
サンドラも張り切って余所行き用のドレスを着た。らしいのだが、いつもの黒いローブを被っているので肝心のドレスは見えない。
ならば、ドレスを着替える必要はないのではないかと思われるが、サンドラは心意気だけは立派な伯爵家の御令嬢であったため、見えなくとも他所様の前に部屋着で出るわけにはいかないのだ。
ローブの下からジャラジャラガラガラ賑やかな音が聞こえる。今日も有りっ丈の魔除けの品を身に着けているから、本当に余所行きドレスを着た意味はまったくない。サンドラの姿はいつも通り魔女だった。
そこへ、外で待機していたトビアスがカーテンから顔を覗かせた。
「お客様がご到着でございます、ご案内してよろしいでしょうか」
外の空気を直接入れないため、玄関の扉の前には真っ黒いカーテンがかけられていた。
勿論、防寒のためなどではなく悪魔の侵入を防ぐためだ。暗くて見えないが、カーテンは絨毯のような厚みがあり、黒い布に黒い糸でびっしりと悪魔除けの文様が刺繍されている。
執事長の声を合図に、使用人たちはいっせいに玄関ホールから出ていった。客を迎えるのはマルティンとサンドラ、そしてフリーダとスウェンのみである。
フリーダもスウェンも、使用人としてはまだ高貴な客人の前に出ていい地位ではないけれど、今回は使用人にまで魔除けの術を施している時間がなかったのである。サンドラの助手として黒魔術を学んできた二人ならば、自力で悪魔に対抗できるということで大抜擢されたのだった。
本当はフリーダもスウェンも使用人服を新調するべきだったが、そんな時間はあるわけもなく、そして、どうせ二人ともユニフォームのような黒いローブに身を包んでいるから、いつもの格好だ。
当然、いつもの魔除けの品も身に着けているし、今日は主人とお嬢様の護衛という立場でもあるから、立派な杖を持たされていた。
フリーダは黒いヘビが絡みくような彫刻の施された真っ黒い杖、スウェンは白い髑髏を連ねたような彫刻の施された真っ白い杖、どちらも対悪魔に特化した黒魔術用の杖だという。
二人とも魔術師らしい杖を持つのは初めてだから、大変喜んでいたしヤル気に満ちているが、この精巧な蛇と髑髏はただの彫刻であってほしいと祈ってもいた。
武器を持って客人を迎えるのは非常識な態度だが、杖自体は武器ではないし、警戒しているのは人間ではなく悪魔の侵入だから、マルティンの常識に照らし合わせても何ら問題のない装備であった。
マルティンとサンドラだけでなく、使用人二人も立派な魔族のような出で立ちで、フェルセン家の玄関ホールはすっかり魔界だ。
それらを見回し、一般的な感性だとOKなところは一つもないけれど、マルティンはOKという顔で執事長に頷いて見せた。
「通しなさい」
返事を聞いてトビアスも平然と頷き返す。彼はとっくの昔に主家へ魂を売る覚悟を決めている。
執事長が外に戻って数秒もせず、訪問者はカーテンを潜り入ってきた。
初めは緊張した面持ちだったアリシアとラーシュは、玄関ホールの様子を見て顔色を失くした。
自分たちはフェルセン伯爵家の屋敷に来たはずだが、そこは魔界だったのだ。悲鳴を上げて逃げ出さなかっただけ、流石は勇者パーティーの一員である。
しかし、蝋燭の灯りに浮かび上がる男は、間違いなく先日遭遇したマルティン・フェルセン伯爵その人である。
その隣に立つ黒い影は顔が全く見えないが、顔が見えないからこそ、御令嬢のサンドラ・フェルセンであろうと推測できる。
だがしかし、それにしても、一体全体この演出は何事なのであろうか。アリシアとラーシュは額に嫌な汗が浮かぶのを感じる。魔族に支配されたダンジョンに踏み込む時だって、彼らはここまで怯えはしなかった。
外は確かに昼間だったはずなのに、踏み込んだ玄関ホールは夜のような暗さだし、気分が悪くなるほど香の煙が充満している。暗くてよく見えないけれど、あちこちに謎の彫刻や剥製や人形が飾られているようだ。
その中に佇むフェルセン伯爵は、綺麗な銀髪が、今は亡霊のように闇の中で薄ぼんやりと光って見えた。
「あ、あ、あ、アリシア、浄化の魔法は……」
ラーシュは思わず隣のアリシアに小声で囁いた。彼女は聖女として国に認められるほどの光魔法の使い手である。どう見ても邪悪な魔法のかかっているこの場で、まともに通用するのは聖女の光魔法しかないと思えた。
「いいえ……いいえ……この場に邪悪な気配はないわ……」
アリシアだって勇者パーティーの一員、言われずともここに踏み込んだ瞬間から対抗策は考えていた。
しかし、不可思議なことに、こんなにも邪悪そうな装飾品が犇めいている室内ではあるが、実際に光魔法での浄化が必要な邪悪な力はないのである。
むしろ、光魔法とはジャンルが違うのにベクトルが同じ、邪悪なものを祓う力すら感じるから、アリシアはすっかり混乱していた。この精神が滅入るような香の匂いでさえ、聖女の悪しきものを見抜く第六感に引っかからないのだ。
「そんなわけあるか! どう見ても邪悪だろうが!」
ラーシュもパニック寸前だが、目の前に伯爵本人がいるかもしれないという緊張感が、辛うじて大声を出すことを抑えていた。
「あなただって気付いているでしょう、ここに敵意も悪意もないことを!」
アリシアも声を潜めることは忘れていないが、こちらは非礼とかよりも、敵を刺激しないようにするという意味合いが強い。
ただ、彼女の言う通り、騎士としての研鑽を積んできたラーシュの第六感にも、自分を害そうという気配は感じられないのだ。もしも、敵意の一つでもあれば、この室内の有様と合わせて、ここが例え伯爵家の屋敷だとしてもラーシュは迷わず攻撃に転じていただろう。
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