30.
急な来客の報せに、領主館の使用人たちは駆け回ることになった。
なにせ、サンドラが引き籠って以来、フェルセン家の本邸はパーティーどころか、部外者を招き入れることもほとんどなかった。予定外の来客は八年ぶりなのである。
勿論、フェルセン家流歓迎の準備と言えば結界の強化だ。例え、悪魔が今のところ大したことがないとわかっても、悪魔が身近にいるのは確定したのだから、サンドラの退魔の手は緩まない。
今日の来客もいつも通り玄関ホールでの歓談になるが、今日はサンドラ本人も出るから、玄関ホールの出入り口を塞ぐだけでは済まない。半日もない短い時間で、玄関ホール全体に結界を施さなければいけないのだ。
そして、外からの客人にサンドラのセンスを披露するのも、実は初めてのことであった。
屋敷の中で我が儘放題に暮らしているサンドラだって、自分の意見が尊重されるのは家族に対してだけだということは理解している。だから、悪魔祓いや魔除けの品を押し付けるのも家族と使用人にだけである。
そのために、極稀にフェルセン伯爵家の本邸へ入ることが許される客人たちも、玄関ホールだけとは言え、極々平凡な貴族の屋敷の玄関ホールしか見たことがない。サンドラが結界を張るのは、玄関ホールへと繋がる廊下への扉の内側だけであった。
マルティンやロベルトが王都では、ちょっと変な装飾品を身に着けているだけの普通の貴族、と思われているのもそのおかげだ。サンドラについても、魔女だとか悪魔に憑りつかれているとか囁かれていたが、今までは些細な噂程度で済んでいたのである。
しかし、ちょっと変な噂があるだけの普通の貴族でいられるのも今日までだろう。
玄関ホールの装飾を手伝った使用人たちは、そう覚悟していた。
既に、前回の領内視察で主家の奇抜な服装は領民たちにも見られてしまったが、所詮は領内の出来事である。
今日の来客は領地の外から来る。しかも貴族の子息令嬢で、今を時めく勇者パーティーの一員なのだ。
勇者パーティーはこれからも各地を旅する。フェルセン伯爵家のこの有様も、各地へと喧伝されることだろう。そうなれば、もうフェルセン伯爵家はちょっと変な噂があるだけの普通の貴族ではいられない。本当に変な貴族だということが知られてしまうのである。
だが、しかし、使用人たちは既に腹を括っていた。
サンドラが悪魔恐怖症を発症してからの八年間、お嬢様の奇行の数々に付き合い続け、付き合い切れない者は辞めていった。つまり、ここにいる者たちはどれだけ変な家だろうと仕え続けると決めた者だけだ。
フェルセン伯爵家は、お嬢様が変だが、それ以外は変な仕事もないし、お嬢様の奇行は目立つが、お給金は良いし、お嬢様第一主義だが、伯爵も夫人も思い遣りのある真っ当な人柄だ。お嬢様がおかしい以外は何の問題もない良い職場である。
今日この日を持って、自分たちもヤバい貴族家へ仕えるヤバい連中だと思われるだろうが、そんな誹りを受けようともここで働き続けよう。と使用人たちは、ただ貴族家に貴族の子女が訪問するというなんてことはないイベントで、今後の人生を決める覚悟をしたのであった。
そんな使用人たちの重い胸中など知らないが、サンドラも非常に張り切っていた。彼女が張り切ると大抵は碌なことにはならないけれど、本人は大真面目に玄関ホールに悪魔祓いと悪魔除けの術を施した。
おかげで、この屋敷の中では比較的明るく開放的だった玄関ホールも、今や外からの光は全て遮られ、暗く陰鬱でグロテスクな装飾に覆われてしまった。
時刻は昼を少し過ぎた頃、外は青い空が広がる晴天だというのに、この場だけは明けない夜を思わせるような暗黒の世界だ。
魔除けの香の煙が充満する空気の中、古今東西の悪魔を討ち払う神獣や精霊の像が壁際に整然と並べられ、天井にも悪魔を感知するという人形や剥製が吊るされている。
灯りは太い蝋燭が数本だけだ。薄暗い中に魔女の如きサンドラの笑みが浮かび上がった。
「ふう、間に合ってようございましたわ」
「こんな短時間で準備を済ますとは、サンドラは家のことは何でもできてしまうな」
満足気なサンドラの隣で、マルティンも玄関ホールの悲惨な有様を嬉しそうに眺める。
急なことだったために、親戚の家に赴いているカリーナを呼び戻す暇はなかったが、サンドラは見事に一人で使用人たちを指揮してみせた。並べ立てられた装飾品も見慣れたものだから、父としては娘の成果が誇らしいばかりである。
マルティンにとっては、今日は降って湧いた娘の家政の実力を他家へアピールする初めての機会だ。本人も張り切って、サンドラに勧められた魔除けの品をいくつも付けているから、酷く大惨事な身形になっていた。
残念ながら、カリーナだけでなくロベルトも、行方不明事件調査隊を率いて出ているので、サンドラのお披露目の場に立ち会えるのはマルティンだけである。
娘の晴れ舞台をこの目で見届け、是非とも妻と息子に話して聞かせてやろうと、マルティンは来客などそっちのけで、最早カメラを構える発表会に来たパパの気分であった。
もしも、カリーナとロベルトがいたとしても、この暴走を止めることはしなかっただろう。むしろ二人も張り切って、更なる大惨事になっていた可能性もある。
娘全肯定の家族が一人だけだったことは幸運であったと、使用人たちは主人とその娘の朗らかな会話を、遠い目をして眺めていた。
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