3.
この屋敷の使用人は、サンドラの部屋には決して勝手に入らないようにと強く言い聞かせられているが、今日連れていた使用人の一人は、王都の屋敷から初めて伯爵領の屋敷へ連れてきたのだった。
御令嬢の前ではくれぐれも気を付けるようにとは説明されていたが、御令嬢自らにお茶を淹れさせるわけにはいかないという、使用人としての教育が行き届いていたばかりのミスであった。マルティンは眉間を揉んで溜息を吐いた。
「申し訳ございませんお嬢様、今日からこちらに勤める者に教育が行き届いておらず……」
一緒にいた執事長のトビアスが深々と頭を下げる。入り口から腕を伸ばし、迂闊にもサンドラの部屋へ踏み込んでしまったメイドを引っ張り出す。例え執事長であっても、許しがない限りサンドラの部屋へ入ることは許されなかった。
白髪交じりの髪をかっちりと後ろへ撫でつけ、口ひげをかっちりと切り揃えている執事の見本のようなトビアスも、かっちりとした正装に似合わない毒々しい色のブローチを付けている。サンドラから渡されている魔除けの品である。
使用人が仕事中に装飾品を身に着けるなど、普通ならば無作法に当たるけれど、この屋敷では魔除けを見えるところに付けていないとサンドラが大騒ぎをするので、使用人は一人一つ必ず魔除けを身に着けることを厳命されていた。
「今日から……ここに住むというの?」
「さようでございます、明日にでもお嬢様にご挨拶させる予定でした」
「明日では遅いですわ?! フリーダ!! 歓迎会の準備を!!」
「はい、お嬢様」
サンドラの命令にフリーダは即座に頭を下げて応じた。彼女もこの屋敷のメイドの一人であるが、装飾性のない紺色のワンピーススカートと白いエプロンの上から、サンドラと同じ素材の黒いローブを纏っていた。
唯一の装飾品は、耳に付けた目玉のイヤリングである。これもサンドラが選んだ魔除けの品だ。
悪魔すら石化させる暗黒竜の目玉を象った物、と聞かされているが、あまりに精巧に出来ているため本物の目玉にも見える。フリーダは感情のないような顔をしているが、毎日魔除けの品をつける時は、これはレプリカだと己に言い聞かせてつけている。
フリーダはこの屋敷で働き始めて五年、まだ十八歳の若い使用人だが、魔術の才能があったため三年前に令嬢の専属メイドになった。サンドラの身の回りの世話をしつつ、魔術師の助手としての仕事も任されていた。
だから、彼女は特別にサンドラの部屋の物を触ることも許されている。
フリーダが歓迎会、もとい新しくやって来た使用人の悪魔祓いの儀式の準備をしている間、サンドラは執事長の後ろで必死に頭を下げる少女を睨み付けた。
大抵の人間は少なからず魑魅魍魎を連れているものだ。力の弱い虫のようなものだが、悪魔は悪魔、そんな小さなものでも侵入を許せば強い悪魔の呼び水になるかもしれない。だから、魑魅魍魎だとてこの屋敷からは追い払わなくてはならない。
「か、か、顔を上げなさい」
「お嬢様にご挨拶を」
お嬢様と上司に言われてメイドは恐る恐る顔を上げたが、悠長にご挨拶なんて雰囲気ではない。ただ名乗ればいいだけなのに恐怖で声が出てこない。
なにせ、サンドラは悪魔の目を晦ませる黒いローブで全身を包み、全身に身に着けた魔除けのお守りのせいで、ローブの下からはジャラジャラガラガラと奇妙な音が聞こえる。伯爵家の御令嬢だと言われても信じられない、どう見ても怪しげな魔術師だ。
唯一黒い布から覗いている顔も、長く伸ばした銀色の髪に覆われて眼が見えない。悪魔の中には目が合っただけで魅了魔法をかけてくるものがいるというから、サンドラは常に前髪で目元を隠しているのだ。
その前髪の奥からでもわかる。赤い瞳が異様な眼力を持って見つめている。
「動くのではありません、あなたが悪魔でないのならば」
「お嬢様の言う通りになさい、死にはしません」
一歩一歩近付いてくるサンドラにメイドは恐れ戦き後ずさったが、トビアスに背中を押されて囁かれる。もうその囁きが悪魔のようで恐い。
「ひ、ひえええええ……!!」
メイドはとうとうその場に崩れ落ち悲鳴を上げた。
「サンドラ様、準備が整いましてございます」
「では歓迎会を始めましょう」
サンドラもフリーダもメイドの怯える顔など見えないかのように、テキパキと彼女を魔方陣の中へと引き摺り入れる。
この世の終わりのように泣き叫ぶメイドの姿に、マルティンもトビアスも素知らぬ顔だ。儀式が何だか恐ろし気な様相なだけで、行われるのは人体には無害の悪魔祓いの魔術だと知っている。なにせ、二人も何度となくやられたことがある。
悪魔祓いの儀式が終われば、悪魔除けの魔法を施し、最低限でも悪魔の知識と悪魔感知の魔道具の使い方を講義しなければならない。
この屋敷に勤める使用人がみな通ってきた道である。
「マルティン様、よろしいでしょうか」
「ああ、ご苦労」
「では失礼いたします」
執事長率いる、この屋敷に長く勤めている使用人たちは心得たもので、一礼して速やかにハケた。地下にいてもサンドラの部屋には入れないからすることがないのだ。マルティンも使用人に暇を玩ばせるような無駄は好まない。
娘の部屋に放置されてしまったマルティンだったが、こんなこともあろうかと、鞄から書類を取り出した。
部屋の物を勝手に使われるのも娘は嫌がるので、鞄を机代わりにして書類仕事を始めた。傍らに置かれている奇妙な彫像、これも魔除けの像であるが、頭から蛇を生やした女神の彫刻も心なしか肩を竦めているように見える。
サンドラは度々発作を起こしては儀式を始めるし、彼女の歓迎会は長い。しかし、一度部屋から出てしまうと入室の儀式をもう一度行うことになるから、どこでもできる仕事を持ち込んでいたのだ。
父は娘の奇行に慣れ切っていた。
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