29.
サンドラの悪魔恐怖症の発作が治まっているのは、実際の悪魔の動向を直に確認できたおかげである。
まだ村人を攫っている犯人は見つかっていないし、悪魔の脅威が身近に迫っていることは確かだが、実際の悪魔は、漫画に登場した悪魔よりも行動が杜撰で、暗躍が下手だった。
行方不明者が出始めたのが十五日前だから、フェルセン家の領内に悪魔が潜伏し始めて、まだ一ヶ月も経っていないだろうに、既に怪しまれてしまっている。
人攫いの隠ぺい工作も碌にできていないし、行動範囲も狭い。身体を乗っ取っている人間もまだ少ないのだろう。
きっと、逃亡を図った時に勇者パーティーに遭遇したのも偶然だ。
確かに、勇者パーティーと伯爵家を同時に足止めすることには成功しているが、一時凌ぎにしかならない。ほんの少し逃亡の時間稼ぐためだけに、ただの村人だった二人は、自分たちが犯人だと自らバラしたようなものなのだ。
おそらく、これは領主家の人間の身体を乗っ取れなかったせいだ。
漫画の中では、伯爵令嬢の身体を乗っ取ることができたから、伯爵家の権威も金も人員も使い放題だったのだ。そうなれば、人攫いも簡単だし、隠蔽も情報統制もいくらでもできただろう。
しかし、サンドラが領主館とその周辺に鉄壁の悪魔除けの結界を張ったため、悪魔は領主家族どころか使用人にすら付け入る隙が無かったのだ。
だから、仕方なくそこらの村人の身体を乗っ取って使っているようだが、しがない村人の行動範囲など高が知れている。財力もない。人手も望めない。それでいて田舎ほど結束の固いコミュニティーもないから、少しでも変な行動をすれば即座に怪しまれる。悪魔も肩身が狭かったことだろう。
何もかもサンドラには都合が良い。
身体を乗っ取られている村人は気の毒だが、まだ乗っ取られて数日ならば救出できる可能性はある。
領内での行方不明者は今のところ五人、他の村や隣接領にも確認を取ったが、不審な失踪者は他に見当たらなかった。
この人数なら、まだ悪魔は人員集めをしている段階だろう。魔王への生贄を捧げるにしても、もっと人手がなければまともに人攫いもできないはずだ。
つまりは、希望的観測ではあるが、行方不明になった村人たちはまだ生きている可能性が高い。
ロベルトが家騎士団を使い調査隊を編成したし、勇者パーティーも領内を駆け回っている。悪魔は今はまだ放置していても大したことはできまい。
悪魔の登場を恐れ続けていたサンドラではあるが、むしろ悪魔が現れてくれたおかげで余裕が生まれていた。
「サンドラも頑張っているなら私も負けていられないな、今日は来客があるから……」
これで失礼しよう、と言いかけたマルティンだったが、サンドラがピタリと謎の動きを止めたため、マルティンも釣られて言葉を止めた。
「来客ですって?」
サンドラはそんな話は聞いていなかった。引き籠っているとはいえ、不定期に部屋から出てきて儀式を行うため、日々の家族や屋敷内の予定はサンドラにも知らされていた。
「心配しなくていい、騎士団宿舎の応接室を使うからね、あの勇者一行の聖女と騎士が改めて挨拶に来るというんだ、屋敷には一歩も立ち入らせないよ」
屋敷に他人が入ることを酷く嫌う娘のために、マルティンも来客がある場合は十日以上前には娘に報せる。サンドラに結界を張ってもらい、玄関ホールを完全に屋敷から切り離した状態で客を迎え入れる必要があるのだ。当然、玄関ホールから先へは決して立ち入らせない。
それも、どうしても屋敷で迎える必要がある時だけだ。可能ならば騎士団宿舎の応接室か、近所の親戚の屋敷を使わせてもらう。
マルティンは結界で玄関ホールを隔離するというのは、サッパリ意味がわからないけれど、娘がそれで安心するというのが重要だった。例え、相手が王家からの勅使だったとしても、娘の心の安寧の方がフェルセンの家では重要なのである。
今回の場合は、アリシアもラーシュも貴族の子女だから、礼儀を弁えるならば領主館で迎えるべきだが、準備時間がないだけでなく、あの無礼千万の勇者パーティーのメンバーなんて屋敷に入れてやる必要はない、というマルティンの個人的な恨みも多分に含まれている。
だがしかし、サンドラからは意外な言葉が出てきた。
「いいえ、お父様、お屋敷でお迎えいたしましょう」
「な、なんだって……!?」
マルティンは仰天した。伯爵令嬢がただ貴族の子女たちを屋敷に迎えようと言っただけだが、マルティンにとってはサンドラの外出と同じくらい衝撃的な提案だった。
「サンドラ、無理をしなくていいんだぞ、勇者一行だからと言って何でも我が儘を通す必要はないんだ」
娘の我が儘を何でも聞いてしまうマルティンが言える立場ではないし、勇者の仲間が現地の領主に挨拶をするというのは我が儘ではなくただの常識的な行動だが、マルティンにとって第一は娘なのである。娘に無理を強いることは全て我が儘である、とマルティンは認識していた。
当のサンドラは平然としていた。家族からの溺愛はちょっと異常なレベルだという自覚はあっても、サンドラはずっと自分を中心に回る屋敷の中で生きてきたので、父の過保護を疑問に思うことは特になかった。
「無理はしてませんわ、お二人には私もお会いしたいのです、勇者様ご一行も行方不明事件の捜査をしてくださっているのでしょう、ならば魔除けの一つも持っていただかなくてはなりませんわ」
「なんて優しい子なんだっ……!!」
マルティンは感激した。あんな酷いことをされていながら、勇者パーティーの身を案じる娘の思い遣りに心打たれた。
サンドラが持たせる魔除けと言えば、きっとグロテスクで悍ましい品物であろうが、それはいつものことだからマルティンは特に何も思わなかった。
だが、サンドラの内心には勇者パーティーの心配なんて一欠片もなかった。
漫画の筋書きから外れているとはいえ、勇者がこんな中盤の敵に負けるなんて有り得ないと思っている。
本音はただ、調査をしている当事者に直接進捗を聞いて、なんなら勇者パーティーを利用して悪魔を見つけようという腹積もりである。
ニヤッと微笑む口元だけ見える姿は、どう見ても悪役の微笑であったが、マルティンは娘の優しい笑みにただただ感動するのであった。
6/16誤字報告ありがとうございます。
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