28.
サンドラの八年ぶりの外出から早五日、マルティンがサンドラの地下室を訪れていた。
彼は領主として、領内の行方不明事件を引き続き調査するよう手配し、大型の魔物への対策を講じ、更には勝手に来た勇者パーティーの滞在場所を手配する等々、この五日間は忙しくしていた。
「勇者一行は行方不明者捜索を手伝うと言い張るから、エドモントの屋敷に留め置いているが、いやはや、好青年という噂はまったくの眉唾だったな」
マルティンは未だに、勇者が娘に狼藉を働いたことを許していない。王家からの勅令がなければすぐさま領内から追い出しているところだ。
五日前のあの日、勇者パーティーが全員集まってからお互いの情報を擦り合わせた結果、ヨシフとジャンは行方不明事件の犯人か協力者で間違いないという結論に至った。
領主が騎士団を連れて行方不明事件の調査に来たので、本格的に調べられる前に、ヨシフはジャンに報せに走り逃亡を図ったようだ。
その途中で勇者一行と遭遇したため、勇者に伯爵家の人間が怪しいと訴え、勇者一行の足止めと伯爵家の調査妨害をいっぺんに行ったというわけだ。
本当ならば、王家が後ろ盾についている勇者パーティーは領主館に泊まらせるのが礼儀ではあるが、マルティンは娘の住まう屋敷に狼藉者を入れるのは絶対に嫌だったので、近所の親戚の家に任せることにした。
エドモント家はマルティンの妹の嫁入り先で、主人はマルティンの幼馴染だ。爵位を持たない商家だが、屋敷は大きいので勇者パーティーを泊めるくらいは問題ない。商家として有名人を泊めるのは宣伝効果も見込めるから、快く引き受けてくれた。
ただ、伯爵家が何もしないのも世間体が悪いので、カリーナが毎日エドモント家へ手伝いに行っている。実態は、勇者パーティーの見張りである。母も勇者が娘へ狼藉を働いた話を聞いて、穏やかな笑顔の下に怒りを隠していた。
「ご苦労様でございますわお父様」
父の話しを聞いているサンドラは特に気にした様子もない。勇者テオドールが親切で正義感溢れる青年である一方、思い込みが激しく直情的であることは、前世の漫画で知っていた。
この世で最も悪魔を恐れる人間を自負する者として、自分が魔族に間違えられたのは業腹だが、漫画もだいたいは勇者の勘違いと暴走によって展開していたのだ。
サンドラにとっては、予習したところが実際に出題されたようなものである。
「それで……サンドラは何をしているんだい?」
マルティンはお茶を一口飲んで気分を落ち着かせたが、どうにも今日は落ち着かせてもらえないようだ。
いつもの魔族の玉座のような椅子に腰かけてお茶を飲むマルティンと違い、サンドラはさっきからずっと動いていた。
いつも通り真っ黒いローブを頭まで被り、その中に魔除けの品を山ほど付けているから、動くたびにガラガラジャラジャラと騒々しく、マルティンは広くもない部屋の中で声を張り上げて喋らなければならない。
それも、何をしているとも言えない、ただ一段だけの踏み台を登ったり下りたり、壁に両手を付いて肘を曲げたり伸ばしたり、部屋の中をグルグル歩き回ったり、謎の行動を繰り返している。
サンドラの自室は狭くはないが、如何せん、悪魔祓いの道具や魔除けの品や、悪魔に関する書籍が山ほど積まれているから、身体を動かす場所としては適さない。
そんな乱雑な室内を、サンドラは黒いローブを引き摺りうろうろよろよろ動いている。知らぬ者が見れば死霊系のモンスターと勘違いされる光景だ。
死霊の正体を知るマルティンも、いつ娘が転びやしないかとさっきからずっとヒヤヒヤしている。だが、娘の部屋で勝手に動くこともできないから、紳士的に手を貸すこともできずにいた。
「筋トレですわ」
当のサンドラは大真面目だ。父と会話している間も踏み台を上り下りしては、腰を曲げてゼエゼエ息を吐き、壁に手を付き肘を曲げてはヒイヒイ汗を拭い、動きは衰えきった老人のそれだったが、本人は大真面目に筋トレをしていた。
「先日の外出で思い知りましたのよ、体力がないことを」
サンドラはキリッとした表情で父を振り返ったが、相変わらず黒いフードと長い前髪で顔は見えないし、次の瞬間にはヒエヒエと死にそうに荒い息遣いに戻る。ただ部屋の中をうろついているだけなのに、フルマラソンを走っているがごとき疲労困憊の姿だ。
「日々悪魔を倒すための研究に励み、魔術の腕前にはそこそこの自信がありますけれど、魔術を使う前に体力が足りないのですわ、こんな様では次の機会があっても何もできません、筋肉、悪魔を倒すためには、筋肉がいるのです」
そうして、サンドラは筋トレを始めた。
残念ながら、外出の翌日は、外を歩いたというだけで身体中がよぼよぼのガタガタになったので、翌々日から室内でもできる筋トレを考え始めた。
しかし、大変残念ながら、筋トレをするための体力がまずないため、今は前世の記憶を絞り出して、老人や病人でもできるような筋トレのためのリハビリをしている。
八年間引き籠っていた令嬢が、いきなり筋肉に負荷をかける運動などすれば、ただ身体を壊すだけである。まずは人並み程度に動けるようにならねばならぬ。
「筋肉は裏切らない」
前世で聞いたことのある言葉を励みに、筋肉を付けるための筋肉を養っている。そもそも、初めからいないものは裏切りようもないのであった。
こうして、サンドラは見事に部屋の中を徘徊する痴呆の老人のようになっているわけだが、本人は真面目だし、マルティンは娘の努力を決して否定しない。
「ううっ……サンドラが、外に出るための訓練を……」
マルティンは引き籠りの娘が外に出ようとしていることに感涙している。キントーレなる言葉は知らないが、きっと身体を鍛えるとかいう意味の古代語なのだろう。
外出の目的が打倒悪魔であっても、外を歩くための体力を得るまでは長い道のりに見えても、マルティンはサンドラを全肯定するのであった。
サンドラの奇行は相変わらずだが、この五日間、悪魔恐怖症の発作は鳴りを潜めていた。
今までは一日一回は発作を起こして、悪魔祓いの儀式を始めたり、使用人たちに悪魔除けの魔法をかけたりしていたのに、外出から戻ってからサンドラがしていることと言えば、部屋に籠っての筋トレだけである。
精神的にも肉体的にも健康な方へと向かいつつあるサンドラだが、使用人たちは逆に、お嬢様がいよいよご乱心あそばされたかと心配していた。
この八年間、サンドラの元気な姿を見る機会と言えば、頻繁に起きる悪魔恐怖症の発作くらいなものだったのである。使用人たちにとっては悪魔除けの儀式などでサンドラが部屋から出る時こそ、唯一の生存確認と健康チェックの機会であったのだ。
お嬢様が悪魔祓いの儀式もせず部屋で蠢いてばかりいると、使用人たちからの不安の声を聞いて、マルティンも心配していたのだが、何をしているかよくわからないけれど、とりあえず娘が元気そうなので一安心だ。
使用人たちにも、よくわからないが娘は元気だと言えば皆安心するだろう。サンドラがよくわからないのは、今までと変わりないのだから。
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