1.
ある日の夜更け、フェルセン伯爵家の館に少女の悲鳴が響き渡った。
この館に住まう幼い伯爵令嬢サンドラの声だ。
物静かで普段大きな声を出すこともない少女の、この世のものとは思えないほど悲痛な金切り声であった。
しかし、屋敷の中は少女の悲鳴に慌てた家族と使用人たちの歩き回る物音の他、特に騒ぐ声も不審な物音もない平穏な夜だった。
サンドラは夕食の後、談話室で絵本を読み聞かせられ、描かれている悪魔に子供らしく怯えていた。それを見た兄のロベルトが悪戯心を出して黒い布を被り妹を驚かせたのだ。
その直後、サンドラは悲鳴を上げて泡を吹いて失神してしまった。
使用人は大慌てで医者を呼びに走り、伯爵夫妻は娘の身を心配し、ロベルトは想定外の大騒ぎに大泣きした。
駆けつけた伯爵家の主治医は、サンドラの身体に何の問題もないことを確認し、心因性のストレスによる意識障害、つまりビックリし過ぎて気を失ったのだろうと診断し帰っていった。
伯爵夫妻は安堵し、ロベルトは泣き止み、使用人たちも胸を撫でおろし各々仕事に戻っていった。
何事もなく、この日のことはいずれ家族の笑い話になるだろうと思われた。
しかし、サンドラは絵本が恐くて悲鳴を上げたのではない。兄の悪戯に驚いて失神したのでもない。
絵本に描かれていた悪魔を見て、とある記憶が蘇ったのだ。
これはきっと前世の記憶に違いない。こことは違う世界で生きていた記憶だ。
その世界にあった漫画にこんな話があった。
勇者が仲間を集め、さまざまな困難に立ち向かい、とうとう魔王を倒し世界に平和を齎すという物語の中の、ほんの一節である。
勇者一行は行方不明者が続出しているという地域に赴いた。魔王の配下が人々を攫っているのではないかと考えたのだ。
しかし、その地を有する伯爵家は勇者たちに非協力的だった。魔族の恐ろしさを説いても聞く耳を持たず、むしろ勇者一行を邪険に扱った。
唯一、伯爵家の娘だけが行方不明になった領民に心を痛め勇者に協力的だった。
そして、娘は不審を抱いていた。
彼女の話では、兄が夜な夜な屋敷を抜け出しているという。
その情報を元に、伯爵家の長男を調べていた勇者一行だったが……実は伯爵家の娘が真犯人だったのだ!!
娘は悪魔に憑りつかれ、家族を洗脳し領民を攫っていた。魔王への生贄にするためだ。
勇者は間一髪で背中を狙われていたことに気が付き、悪魔を打ち滅ぼした。
しかし、長らく悪魔に憑りつかれていた娘は助からず、洗脳が解けた家族は娘の死に打ちひしがれるのであった。
この悪魔に憑りつかれた娘の名前がサンドラ・フェルセンである。
自分のことだ、とサンドラは確信した。
銀色の髪も赤い瞳も漫画に描かれていたサンドラと同じだし、物語の舞台もアンデル王国で、兄の名前もロベルトで、両親の名前も一致する。
つまり、サンドラはいつか悪魔に憑りつかれて罪を犯し勇者に討たれて死ぬ運命なのだ。
この衝撃事実を思い出してしまい、サンドラは悲鳴を上げてぶっ倒れたのである。
サンドラは今年五歳になるが、冷めた性格であったから、子供だましの絵本なんて恐くないし、布を被っただけの兄に驚くこともない。
ただ、自分の将来と運命に恐れ戦いた。
「あああ、どうしましょう……どうしましょう……」
翌朝、明るい朝日に照らされて目を覚ましても、サンドラは恐ろしさに布団から出られない。
外から今にも悪魔が侵入してくるのではないかと思うと、窓の外の良く晴れた青空すら恐ろしい。
娘の異常を知らされた両親と兄が駆けつけてきたが、サンドラは布団を被ってダンゴムシのように丸くなり決して出て来ようとしない。
布団の中から悲痛な叫び声を上げるだけだった。
「悪魔恐い!!」
転生令嬢が主人公ですが恋愛要素はほぼほぼありません。
2025/6/15誤字報告ありがとうございます。
2025/6/30誤字報告ありがとうございます。
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