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林道二輪旅奇譚

林道二輪旅奇譚 人形の婚礼

作者: YASSI

 これは私が若い頃、日本全国オートバイで放浪旅していた時の話です。このお話の舞台となる村は、当時としても変わった古い風習を残す村で、今も行われているかはわかりませんが、現代の感覚では(当時としても)、公にするのははばかれる奇習が行われていました。

 そのような理由でどこの地方かは伏せさせてもらいました。かなり方言の強い地域でしたが、限定されるのを避けるため、敢えて会話は全国共通の一般的な話し言葉とさせてもらいました。実際、村の人たちは私にわかりやすい標準語で話してくださりましたが、アクセントやちょっとした言葉に地域特有の方言が含まれており、何度も訊きなおした記憶があります。地元の人同士、特に年輩の方の話は七割以上意味がわからなかったような気がします。

 そのへんをもう少し詳しく書けたならもっと実感を感じてもらえるかもしれませんが、そのあたりは汲み取って読んでいただけたら幸いです。

 その日私は、高校時代の先輩の暮している、ある地方都市に向かう海岸沿いの国道を、オートバイを走らせていた。台風の接近で風が強く、まだ雨は降ってないものの、空を覆う厚い雲は今にも降り出しそうだった。『○○市まで50km』の標識に、「降ってきてもそのまま走っちゃえばいいか」などと軽く考え、少々速いペースで飛ばした。

 しかし風はますます強まり、海は荒れ、波飛沫は国道にまで飛んできて、雨だか潮水だかわからない状況になってくると流石に焦りはじめた。それでもまだ「今夜は野宿しなくてもいい、風雨と格闘しながらテントで寝なくても、先輩のアパートまで辿り着けば温かいお風呂にふかふかの布団で寝られる」と服と荷物の雨対策もせず、ひたすら先を急いだ。

 結果的に「対策は遅れるほど選択肢は狭くなる」という教訓を学ぶ事となったのだが。


 海岸沿いの国道が『高波の為通行止め』となっていたのは、目的の地方都市まで30kmを切った辺りだ。おそらくほんの少し前に通行止めになったであろう、対向車線には反対側からすでに入っていたのか、それとも引き返して来たのか、走ってくる車もある。なかにはバイクの私に『無理だよ』と両手でバツを示してくれる車もいる。車も通れない高波なら、バイクなどひとたまりもないだろう。強行突破を諦め、今さらながら雨具を身に着け、荷物にビニール袋をかぶせてバイクに縛り直した。


「さてどうしたものか……」

 一つはどこか風雨のしのげそうな所で野宿。しかしこれはすぐに却下。沖縄では台風の中のキャンプも経験したが、あれは生きた心地しなかった。おまけに今は、すでに服もテントも寝袋もずぶ濡れ状態。しかも夏はとうに過ぎてる。下手したら恥ずかしいニュースになりかねない。


「戻るか……」

 10kmほど引き返せば、小さな漁港があり、おそらくは漁師や釣り客向けだろう民宿を見かけた。予定外の出費は痛いが背に腹は代えられん。

 がしかし、考えてみたらあそこまで戻れるかどうか……?

 今いる位置は海岸から少し離れており、海面からも高くなっているので波をかぶる事もないが、途中には海岸のすぐ際、防護壁の向こうは波が噴き上がっているような所もあった。来る時はしょぱい波飛沫がかかる程度だったが、海はますます荒れている。そっちも通行止めになってる可能性も大きい。現に何台かの車が少しでも風の弱そうな場所に停めて、長期戦の構えを見せている。カーラジオで情報を得てるのかもしれない。確かにこの場所なら、少々の台風でも車ごと飛ばされる事も流される事もないだろう。しかしこちらは身を守るものか何もないバイク。スタンド立てても、強い風が吹けば倒れてしまう貧弱な存在だ。車のドライバーに頼んで中に入れてもらおうかとも考えたが、誰だって見ず知らずの、しかもずぶ濡れの野郎と狭い車内ですごしたくはないと容易に想像できる。こういう状況なので入れてくれる人もいるかもしれないが、逆の立場なら正直嫌だ。それは最終手段として、残る方法を考えた。

「海沿いがダメなら山に行くか」

 なかばヤケクソで地図を広げてみれば、ありました。内陸に向かう道が。

 少し戻った所から山側に入り、峠を越えれば小さな町に抜けられるようだ。曲がりくねった山道と想像できるが、一応県道だし、これくらいの雨なら土砂崩れで通行止めはないだろう。そこからは谷に沿って○○市に向かう国道が延びている。かなり大回りになるが、上手くいけば明るいうちに行けそうだ。天候を考慮し慎重に走ったとしても、深夜にはなるまいと高を括っていた。

 

 

 ✳✳✳✳✳


 道路地図上の線の太さは、必ずしも実際の道路の幅を表しているとは限らない。特に山間部は、地図の上は国道や県道など色分けされ目立つように太く描かれているが、実際には車がすれ違うのも困難な狭い道だったりすることもめずらしくない。中には酷道(こくどう)などといわれる酷い道もある。


 予想通りこの道も、地図上は県道として青色の太い線で描かれているが、普通乗用車が一台やっとという感じの道だった。対向車に出くわしたら、どちらかが待避所までバックしなくてはならないだろう。その点バイクなら路肩いっぱいに寄れば通り抜けられるので、幾分気が楽だ。もっとも台風の近づいてる今、すれ違う車もほとんどいないだけに、逆に心細い。

 時折り数軒の集落とそのまわりの棚田と畑が現れるだけで、あとはひたすら木々のトンネルを抜ける山道だ。比較的新しい舗装で路肩もしっかりしてるようだが、台風の風で飛ばされた小枝や葉っぱがかなり落ちてる。濡れたアスファルトに葉っぱ。こいつが厄介だ。ダートなら滑るにしても前兆というか、滑り始めが掴みやすいのだが、濡れ落葉などは普通に走れていても、滑った時は足をすくわれたように一気にコケる。おまけに雨でシールドは水滴と曇りで使えず、外せば雨粒が目を狙って飛んでくる。予定よりかなりのスローペースで走るしかない。


 前方から一台の四輪車が下ってきた。軽の四輪駆動車、山間部定番のジムニーだ。ただ少し普通の村人の自家用車とちがうと思われるのは、車高がノーマルより高く、フロントをゴツい鉄パイプのガードが取り付けられてる事だろうか。ウィンチまで付いている(今は違法らしいが、当時はよくいた)。おそらく荒れ地を好き好んで走る変人、いわば二輪四輪の違いこそあれ、私と同類だ。

 路肩で停まってると、案の定横で停まり、窓をあけて話しかけてきた。

「兄ちゃん、どこまで行くんだ?」

 方言はきつくないが、訛りのある発音だ。顔は40〜50代ぐらいか、日頃から身体を使う仕事してるのだろう、太い腕や肩はいかにもタフガイといった感じだ。

「海沿いの国道が通行止めなんで、峠越えて谷沿いの国道から○○市に行こうと思ってます」

 私は正直に答えた。この人なら道に詳しそうだ。

「やめた方がいい。上の方はもっと風強くて、枝やら葉っぱやらいっぱい飛んでるぞ。車でもフロントガラス割れないかヒヤヒヤだった。倒れそうな大きな木もあった」

 その言葉に嘘や誇張がないことは、車体の至るところに引っかかってる枝や葉っぱを見れば明らかだ。ちょっと太い枝が顔にでも直撃したらシャレにならない。

 だかしかし、そうは言われても今さらどうすればいい?また濡れた葉っぱや小枝の敷かれた山道を下って海岸まで降りてもどうにもならないし、ここで野宿するのも厳しい。

「うちに来な。台風はこっちに向かってる。今夜最接近らしい。空いてる部屋はあるし、バイクしまえる納屋もある。なあに明日は晴れるさ」

 ジムニーのタフガイさんは、見透かしたようにうれしい提案をしてくれた。しかし偶然すれ違っただけの人に、そこまで甘えていいものだろうか?

「遠慮するな。行くとこないんだろ?困った時はお互い様だ。それに万が一兄ちゃんが遭難でもしたら、俺ら村の消防団がかり出されるんだ。これは親切心じゃなくて、俺からのお願いだ」

 ここまで言われたら断れない。私は頭を下げて泊めてもらう事にした。

「すぐ近くだ。ゆっくり走るからついてきな」

 視界の確保が難しい条件で、先導してもらえるのはありがたかった。


 ジムニーのタフガイさんは、勝義と名乗った。なんだか武将のような名前で格好いい。そして勝義さんの家は、名前に負けず立派で驚いた。敷地が広いとは予想していたが、武家屋敷を思わせる入母屋造りで、山の斜面の石垣に建つそれは、下から見上げるとお城のように見える。確かにこの辺りの農家は、都会の戸建てと比べて広くて立派な家ばかりだが、中でも勝義さんの家は一際堂々としていた。


「もしかして領主様?」

「先祖代々ただの百姓だ。大昔どこからか逃げてきた高貴な家柄なんて言ってた叔父もいたが、どこまで本当かわからん。刀とか家宝なんてものは見たことない。精々鎌か鍬ぐらいだな」

 などと話しながらバイクを納屋に入れてくれた。昔は牛を飼っていたというその納屋は、古いがしっかりした造りで、今は耕運機などの農機具がしまえるようきれいにリフォームされている。ここならよほどの台風でも安心だ。自分もここで寝かせてもらえればいいとさえ思った。

「とりあえず風呂だな。まずはその濡れたもの脱いで、荷物降ろして待っててくれ」

 勝義さんはそう言うと母屋に入っていった。私は雨具を脱いで、吊るしてあるたぶん勝義さんか家族の雨合羽に並べて吊るした。バックはビニール袋で包むのが遅かったせいで、中まで湿っていた。できるだけ湿ってなさそうな着替えを選り分け、残りは納屋の柱と柱にロープを張らしてもらい吊るした。明日の朝までに完全には乾かないだろうが、やらないよりやっておいた方がいい。

 そんなこんなしてるうちに勝義さんが戻ってきて「風呂沸いてるぞ。おお、いっぱい吊るしたな。乾燥機あるからすぐ乾くさ」となにやら奥から機械を出してきた。乾燥機といえばコインランドリーなどにある、丸い窓の中でぐるぐる回って乾かすやつを想像したが、小型のジェットエンジンのような代物だった。この辺りで乾燥機とはどうやらここに吊るした農作物や濡れた作業着なんかを乾かす機械を言うらしい。何にせよ早く乾くならぜんぜん助かる。


 ✳✳✳✳✳


 先代がこだわったという旅館のような檜風呂からあがると座敷に通された。浴衣まで用意されていたので湿ったシャツを着なくて済むのはありがたいが、浴衣なんて普段着慣れてないのでなんだか恥ずかしい。そしてお座敷には、ここは本当に旅館なのかと疑いたくなるくらいの豪勢な料理が並んでいた。そして勝義さんの他に年配の男性が四人ほど。女の人達は料理や徳利を運んでいる。一瞬私のために豪勢な料理を作ったのかと焦ったが、こんな悪天候の中、これだけの料理を短時間で作れるものか。きっとはじめから集落の集まりか何かある日だったのだろうと勝手に解釈した。しかしそれはそれで、よそ者の自分が入っていいものかと居心地わるい。しかも勝義さんは私を一番上座に座らせるものだから、正直逃げ出したい気分だ。そんな私に気を使って勝義さんがお酒を注いでくれる。お酒は嫌いではないし、場違いの緊張を振り払うように一気に呑み干す。つかさず再び注ぐ勝義さん。私も体育会系、これだけのもてなし受けて注がれた酒を残すわけにいかぬとまた一気に呑み干す。その呑みっぷりにおじいちゃんたちも徳利持って次々と注ぎにくる。おかげですぐにお互いうち溶けることが出来た。

 沖縄から北海道めざして旅してる事。○○市に向かってたが台風で海沿いの国道が通行止めになり、山側へ迂回しようとしてた事。ここまでの旅の途中のおもしろ話や失敗談など話せば、向こうも「俺も若い時はヤマハに乗ってた」とか「誰それさんは陸王で」とかのお決まりの会話で盛り上がる。話題と酒の量はどんどん膨らみ、私がまっすぐ歩けないほどアルコールが回っても、勝義さんは平然と私のコップに酒を注ぎ、楽しそうに話しかけてくる。(いつの間にか盃からコップ酒になってた)


「見ての通り、この辺りは辺ぴな山を開墾して、急斜面にへばりつくような僅かな田畑を耕してきた貧しい村だ。冬は雪がつもり、夏は雨水だよりだったから、日照りの年は皆飢えた。今は便利な機械と用水もでき、それに山の木を切り出してそこそこ生活出来るようになったが、昔はなんでわざわざこんな所に住んでるのかって思ったものよ。源氏だ平家だなんて高い身分じゃないにしろ、お上に逆らったとか(いくさ)に敗れた落ち武者が隠れ住んだって話は、あながちホラ話じゃないかもな」

「もしくは武士にはできない裏の仕事を引き受ける忍の里だったとか?」

 私は適当に調子を合わせた。いや本当に昔なら今よりもっと隔離されてたろうし、隠れ里というのは信憑性高い気がする。

「そうかもしれんな。隠れる必要がなくなっても、当時は勝手に移り住む事はできない時代だ。ご先祖様たちは貧しくてもここにしがみついて暮していくしかなかった。娘を売るなんて話は、じいさまばあさまが若い頃まで本当にあった」

 大袈裟な話でなく、戦前まで貧しい農家の娘の身売りなんて話は日本中にあったという。特にこの地方は多かったらしい。

「日照り続きも冷夏も、天まかせ運まかせだ。だからこの地域の人々は、自然や神様への信仰が町の人より強いんだ」

 勝義さんの話は、その後も長々と続いた。とはいえ私は別段鬱陶しいとか苦痛ではなかった。私自身特に信仰心は強くないが、各地を旅するうちに、地方特有の祭りや風習に興味を持つようになっていた。

 勝義さんから聞いたこの地域独特の神事を要約すると、毎年稲刈りの終わった時期に収穫の感謝と未来の実りを願って、自然(大地)の神様に見立てた人形と村の青年が婚礼の儀を行うそうだ。そして今日がその日だったという。私は少しばかり嫌な予感を感じつつも酔いもあって、よそ者の私にもこのめずらしい神事に参加が許されるのかと「出来る事あればお手伝いします」なんて呑気に聞いていた。

「実は先ほど、今年の花婿役やるはずだった佳史を、○○駅まで迎えに行ってたんだが、この台風で新幹線が停まって帰って来れない」

 佳史は東京の大学にいってる村の数少ない青年だそうだ。村には中学までしかなく、もともと少ない上に中学を卒業するとほとんどの若者は都会へ、進学や就職に行ってしまうらしい。そしてこの台風で、花婿役の佳史も他の青年たちもすぐには来れないという。私の嫌な予感は急速に膨れ上がった。

「兄ちゃん、結婚はしてないよな?」

「えっと……してませんけど、まさかその……」

「今この村にいる独身の男は、兄ちゃんしかいないんだ。頼む」

 勝義さんは、まるで簡単なおつかいでも頼むように酒を注ぎながら私の肩を叩いた。なぜか悪い予感は的中するものらしい。

「頼むって言われても、一番重要な役ですよね!そんなの自分には無理ですよ」

「難しく考えなくてもいい。田舎の寸劇みたいなものだから。当然、戸籍も汚れる事もない。兄ちゃんは黙って座っててくれるだけでいいんだ」

「そんなこと言われても、この土地の人間でもない自分が土地の神様の婿とか……そうだ!中学生ならいるんですよね?独身の男性。そのほうが神様も恵みをもたらしてくれるんじゃ」

「中学生が結婚できるわけないだろ?昔じゃあるまいし、日本の法律知らんのか?それに今、村に男の子は小学生しかいない」

 今しがた、寸劇みたいなものだと言ったばかりなのに……。小学生の花婿役もほのぼのしてかわいいと思うんだけど。しかし、拒めば拒むほど圧力はどんどん強くなっていく。なんとかかわそうと、一旦話題を変えようと試みる。

「だけど男を供えるってめずらしいですよね。普通神様に供えられるのは処女きむすめって決まってそうですけど、花婿って聞いたことないです」

「生命を産むのは女なんだから、大地の恵みを産むのは女神、となるのが普通じゃないのか?」

 言われてみれば確かにそれが普通の考え方な気がする。否、納得してる場合じゃなかった。結婚に特別思い入れはないが、初めての結婚相手が人形というのはどうだろう。せめて人間の女の人にしてほしい。

「まあ確かにこんな神事やってるところはめずらしいかもしれん。今ではこの地域でも、うちらの集落しかやってない。もしかしたら日本中でもここだけかもしれんな。だけど考えようによっちゃあ貴重な体験だぞ。こんな経験滅多に出来ん」

「そりゃそうでしょうけど、なんて言うか、憑かれちゃったりしないですか?人間の女の人と結婚出来なくなるとか、連れてかれちゃうとか」

「そんな心配はない。俺も若い頃やったが、人間の、しかもきれいな嫁さんと結婚出来た」

 勝義さんの奥方は、歳はそれなりに感じるが、如何にも働き者の農家の嫁といった感じで気だてよく、たぶん若い頃は評判の美人嫁だったろうと思わせた。それでも承諾を渋ってる私に、勝義さんは本格的に圧力をかけ始めた。

「これも何かの縁だと思わないか?本当なら兄ちゃんは今頃○○市の先輩だかの家でのんびりしてたろう。俺も佳史と酒呑みながら準備してたはずだ。だがそうはならなかった。兄ちゃんは台風で先に進めなくなり、俺は佳史を連れて来れなくなった。そんな俺たちが偶然出合った。そしてこうして一緒に美味いもの食って酒呑んでる。もし出会わなかったら、兄ちゃんは嵐の山ん中で今晩すごさなきゃならなかったんだから」

 それは事実だが、酒呑んで飯食って何も恩を感じないのか?今からでも外に放り出すぞ、と言ってるようにも感じる。勿論私は感謝してるし、出来る事ならばお手伝いしたい。物理的には簡単に出来る事ではあるけど、精神的に越えられないものがある。

「俺はこう思うんだが。これは神様が台風を使って導いたんだ、と。兄ちゃんがここに来る事は、最初から決まっていたんだ。女神様が兄ちゃんを気に入って連れてきたとも言える。そうだとしたら、女神様はどんな事しても兄ちゃんを婿にしたいはずだ。無理やり結婚させられ、永遠に側におくかもしれん」

 これはもう圧力でなく脅迫だ。私がこの村に来た事は、ここにいる村人しか知らない。断わり続けた場合、後日台風の中、無謀にも峠を越えようとしたライダーの遺体が発見される、或いは行方不明のまま、ミイラにされて人形とペアの土地神様として未来永劫祀られる、なんてことが頭をよぎる。

 まさか本当に殺されたりしないだろうが、村人全員が口裏合わせれば永遠にわからないだろう。それに恩を受けといて、そっちの事情は知らんと旅を続けるのも、私的にも後味が悪い。

「………。わかりました。不束者ではありますが、御役目謹んでやらさせてもらいます」

 こうなったら精々満喫しよう。この土地の女神様の婿殿なら、村人にとって神様同然、無礼は許されぬだろうと開きなおった。切り替えの早さは、私の数少ない長所の一つだ。


 ✳✳✳✳✳


 山村に古くから受け継がれる人形というと、古風な日本人形とか雛人形のようなものを想像するだろう。或いは石のお地蔵様みたいなものか木彫りの如来像みたいなものを想像していた。

 しかし実際目にしたそれは、等身大でしかもかなり精巧に作られていた。髪型と分厚い化粧、おそらく本物の花嫁衣装はまさに古典的な和風のファッションで、現代人の私にはあまり色っぽさは感じないが、顔の造りは本当に人形なのかと疑ってしまうほどよく作られていた。いつ頃作られたものか知らないが、メイク次第では現代の寂しい男性向けのドールとしても十分通用するクオリティーだと思った。

 当然微動だにせず、息もしていない花嫁人形の横に、私は紋付袴に着替えて座らされていた。先ほどまで陽気に酒を呑んでいた勝義さんも他の村人も真剣な表情で向かいに座っている。女の人などは涙ぐんでる人もいる。やはりこれは神聖な神事だ。一瞬でも不埒な事考えた自分を恥じ、私も神妙な気持ちで演じるしかない雰囲気だ。


 神主っぽい格好をした年配者に言われるままに、ついに三々九度の盃を交わしてしまった。花嫁の方は村人二人掛かりで腕を支えて盃を口にもっていく。肩や肘の関節は動かせるように作ってあるらしい。


 一通り婚礼の儀が済むと、お座敷は再び宴会の場となった。私は相変わらず上座で人形の横に座っていたが、次から次へと村人が「兄ちゃん、ありがとな」と酒を注ぎに来る。先ほど涙ぐんでたおばさんなどは、嗚咽で言葉にならない感謝の気持ちを示そうと、古い銀行の封筒を渡そうとしてきた。けっこうな厚み、たぶん箪笥かどこかにしまってあったへそくりを出して来たんだろう。さすがにこれは受け取れないと丁重にお断りした。替わりに酒が増えた。


「受け取ればよかったのに」

 おばさんが私の正面から離れると側で見ていた勝義さんが、一升瓶を差し出しながら話しかけてきた。

「泊めてもらって食事にお酒までたらふく戴いてるんです。これ以上貰ったら罰が当たりますよ」

 あれほど渋ってた事が、逆に申し訳ない。

「罰か……。知らない人にとっちゃ気味わるかったろう?無理な事頼んですまなかった。みんな本当に兄ちゃんには感謝してる。俺からも礼を言う」

「いえ、こんなに喜んでもらえたなら、やってよかったです。でも本当によくできた人形ですね。いつ頃作られたものなんですか?」

 少しの間の後、困った表情をしながら答えてくれた。

「実は俺もよく知らないんだ。親父に訊いても爺さんに訊いても『子供の頃からあった』としか教えられなかった。その上の世代もそう言ってたらしい」

 適当に計算すると百年以上前からあるみたいだ。

「おお、兄ちゃん、呑んでるか〜ぁ?」

もう少し勝義さんと話したかったが、かなり酔っ払ったおじいちゃんが一升瓶持って割り込んできた。

「いっぱいいただいてます。これ以上呑んだら潰れちゃいますよ」

 正直言って、私もかなり酔いが回っていた。普段呑むのはビールが多く、日本酒をこれほど呑むのは初めてかもしれない。

「潰れたってかまやしない。呑め呑め。呑んで全部忘れるぐらい呑んじまえ!」

 私の言葉など無視して、何度も酌をしてくる。私も『どうせ今夜はここで寝るんだ。潰れるまで呑んじまえ』と吹っ切れてしまい、酌されるままに呑み続けた。

 

 

 ✳✳✳✳✳


 私が目覚めたのは、東の空が明るくなり始めた明け方近くだったと思う。騒がしかった昨夜の宴会が嘘のように静まり返った、座敷に敷かれた布団で私は寝ていた。あまりに特異な体験に、“すべて夢だった”と思いたい。起き上がろうとしてアルコールに浸かった脳の重さに、少なくとも昨夜たらふく呑んだ日本酒は現実だ。

 重い頭を持ち上げ、なんとか上体を起こした。そしてそこで初めて気づいた。私の寝ている布団の隣にもう一組の布団が敷かれており、そこにはあの花嫁人形が寝かされているではないか。この瞬間、“夢だった”という儚い希望は完全に打ち砕かれた。


 なるほど、肩と肘関節だけでなく、膝や腰の関節も動かせるらしい。からくり人形は江戸時代にはもうあったそうだから、それくらい出来ても不思議ではないだろう。


 うっすらと明るくなった障子に照らされたその顔を、私はじっくりと眺めた。

 それにしても、見れば見るほどよく出来ている。鼻筋の通ったほっそりした顔と軽く閉じた瞼に映える長いまつ毛はどこか今どきの若い女の子に見えなくもない。

 そういえば、よく『人形は目が命』なんていわれるが、この人形は何故か目を閉じている。ここまで精巧に作っていながら、いや、ここまで精巧に作ったからこそ、技術的に、或いは瞳となる材料がなく作れなかったから目を閉じた人形にしたのか、それとも他に理由があるのだろうか?とあれこれ考えていた時だ。

「うわっ!」

 二日酔いも吹き飛ぶほど驚き、大きな声をあげていた。

 当然だろう。突然人形の瞼が開き、大きな黒い瞳が現れたのだ。寝かせると目を閉じ、立てると開く人形というのは女児向けおままごと人形にあるらしい。しかし等身大の、しかも起きていても寝ていても、ずっと目を閉じていた人形が、触れてもいないのに突然目を開いたのだから驚いたってなんてもんじゃない。だか驚きはこれだけでは終わらなかった。

 目覚めた花嫁人形は、その人形のような(?)瞳を二~三度パチクリと瞬きすると半身を起こし、「ふぅ~」と伸びをした。婚礼の儀をしてる時には感じなかったが、こうして見るとうなじと長襦袢の胸元が妙に艶めかしい。人形に色気を感じるなんて、長い放浪生活で相当溜まっているのか、そもそもこれは現実なのか?

「あれ?ここどこ?て言うかあんた誰?」

 彼女(もう人形とは思えない)は辺りを見回し、私に気づいて訊いてきた。訊きたいのはこちらの方だ。どうして人形が勝手に起き上がる?どうしてしゃべってるんだ?

「いやいや、わたし人形じゃないし」

 何言ってんの?て顔で答えられるとますます困惑する。確かに人形とは思えなかった。精巧さだけでなく、自分で動いてしゃべるなんて、某オリ○○○工業の最高級ドールにもない機能だと思う。悪魔の人形師ダミーオス○ーの作った実験人形か?いや、あれも会話までしてなかったはずだ。

「わたしが寝てる間に変なことしてないでしょうね?」

「絶対にしてません!」

 いきなりなんてこと言うんだ?何と言っても先ほどまで人形だと思っていたんだぞ。今は何だかわからなくなったけど。

「だってイヤらしい目で見てたじゃない?イヤらしい妄想はしてたわよね。もしくはこれからしようとしてたところね。危なかった。もう少し起きるの遅かったら襲われてたわ」

 彼女は両手で自分の体を抱くようにして大袈裟に身震いした。

 イヤらしい妄想って……確かに特殊用途の人形と比べたりしてたけど、どうこうしようなどとは考えてませんから。某オリエ○○工業のドールだって、見てみたいとは思っても使いたいとは思わないぞ。

「だいたいなんでここにいるの?あんた誰?」

 この疑問については、私も同じだ。そもそも自分が何故ここにいるのか、これまでの経緯を自分自身の整理も兼ね、最初から説明することにした。


 ✳✳✳✳✳


「きゃはっはっはっ!なにそれ?笑える」

 彼女は私の話を聞いて、今どきの女の子らしく笑い転げた。

「そんなに笑うなよ。こっちも断り切れなくて仕方なく引き受けたんだから」

 これは完全に黒歴史になると自分でわかっていても、もう一人の当事者(?)からそこまで笑われるのは心外だ。彼女はしばらく笑い転げた後、急に真面目な顔をして、ぽつりとつぶやいた。

「あなた、勝義おじさんに騙されてるよ」

「えっ?」

「わたしもこの村の生まれだけど、そんな風習聞いたこともないから」

 騙された?村あげて通りがかりの旅人を騙したの?それにしては大掛かりだし、年配女性の涙は嘘と思えない。悪い冗談だとしたらタチが悪すぎる。

「じゃあ、わたしのことも話すね。わたし、子どもの頃から走るの速くて、高校は東京の陸上部の強い学校に引っ張られたんだ。大学もそのままその上の大学。これでもインターハイで入賞したことあるんだから」

 彼女の名をあげた大学は、誰でも知ってる超有名な私立大学。陸上だけでなく他の競技でも何人もオリンピック選手を輩出してるスポーツ強豪校だ。大学としても超一流で、政界経済界のトップにも卒業生が多い、日本の私立としてはトップレベルの学校として知られている。

「わたし、真剣にオリンピックめざしてたんだけど、ロードで練習中、車に轢かれたんだ……」

 そんなニュース、何週間か前ラジオで聞いた記憶がある。確か合宿でランニングしていた大学陸上部の列に暴走車が突っこみ、一人が意識不明の重体だったとか。

「この村にはね、人形と結婚するなんて風習はないけど、嫁入り前の娘が死んだら……、あの世の神様だか閻魔様だか魔王だか知らないけど、そいつがすごい変態の処女好きで、未婚であの世に行くと嫁にされて生まれ変われないといわれてるの。もちろん、わたしは本気で信じちゃいないわよ。でも嫁入り前の娘が死んだ時は、この世で結婚させてから送り出す風習があったのよ」

 日本全国津々浦々には、変わった風習があるので、そんな習慣があっても不思議じゃない気がする。


「そっか、わたし死んだんだ……」

 薄々感じていたが、いろんな意味で一番聞きたくない台詞が彼女の口から溢れた。本来婿の役割を果たすはずだった佳史という青年も、そんな気持ちで帰らなかったのかも、とふと思った。

「佳史はそんなじゃないわよ。あいつとわたしは幼馴染だったけど、わたしとちがって運動は超苦手で、替わりに勉強は頑張ってたわ。大学も一般入試でわたしと同じ大学に現役入学したから、たぶん相当頑張ったんだと思う。村じゃ一流大学に二人揃って入ったって大騒ぎだったみたい。勝手にカップルにされて、まあ村の中学で同じ学年は、わたしと佳史の二人だけだったから慣れてたけど、わたしの親まで東京で変な虫つかないよう頼んでたみたいだから呆れるわね。同じ大学っていっても学部ちがうしキャンパスもちがうからほとんど会わないのにね」

 田舎の親にしてみたら東京のチャラい男より、同郷の優等生の方がいいって気持ちだろう。

「わたしは練習厳しいし合宿所の門限あるから陸上一筋の生活だったわよ、本当に。どっちかと言うとわたしがあいつの監視役よ。あいつ高校まで超まじめだったのに、東京出てきたら弾けちゃって、遊びまくってたわ。ガリ勉受験生の反動ね。大学の名前出せば寄ってくる女もいるから、たまに会った時注意しても聞きゃあしない。それでも家には真面目にやってるふりしてたみたい。だから向こうからわたしのこと避けるようになっていったわ。わたしもそんなのにかまってる暇なかったし」

 佳史という男は、なんとももったいない事した奴だ。こんな人形のように可愛い顔で、如何にも陸上女子な引き締まった身体したいい女とつき合える環境にいながら、ブランド目当てのチョロい女と遊んでたんだから。だがこれではっきりした。佳史は台風で帰れなかったのではなく、台風を口実に帰らなかったのだろう。

「どうでもいいわ、あんなヤツのことは。おかげであなたと結婚できたし」

「結婚って!……まあ確かにしましたね。出来れば生きてるときに出逢いたかったけど」

 冷静に考えたら死んだ人と話してるこの状況こそ信じられないのだが、私は普通に受け入れていた。なんとなく人形と結婚したというよりロマンチックな気がする。……しないか?

「あなた本当にいい人ね。普通頼まれたってこんなことしないでしょ?お人好し過ぎて先が心配よ」

「自分でいい人と思った事ないけど、昔からトラブルや面倒を呼び寄せる才能はあるみたいだなぁ……もしくは自分が引き起こすとか」

 彼女は笑い転げるでなく、くすくすと微笑んだ。私も笑った。

「わたし、明日には、あっ、もう今日か?灰になって行っちゃうけど、あなたのことはずっと忘れない。この世のたった一人の旦那様だもの」

 結婚願望はないつもりだったが、これだけいい女から旦那様と呼ばれて悪い気はしない。

「ありがとう。僕も忘れないよ。気をつけてね」

「気をつけるのはあなたの方よ。わたしの人生は終わっちゃてるけど、あなたこれからも旅続けるんでしょ?」

 もし生きてる彼女に旦那様なんて言われたら、旅なんてやめてずっとここで暮してもいいと本気で思った。

「あなたなら、きっとこの先素敵な女の人に出逢えるわよ。でもちょっと妬けちゃうな。わたし男の人好きになったことないからわからなかったけど、結婚したら絶対浮気許さないタイプだって言われたことあるの。でも今ならわかるわ。あなたに近づく女呪うかも?」

 美女から嫉妬されるのは男にとって憧れでもあるのだが、呪うとか怖い。

「ちょっ……とそれは」

「冗談よ。わたしにも向こうの世界どうなってるかわからないし。でもできるなら、あなたのことは見守ってあげる」

「ありがとう。でも僕としては、できるだけ早く生まれ変わって、今度は生きて僕の前に現れて欲しいな」

 私なりにカッコいいセリフを言ったつもりだったが、

「なにそれ?あなた歳いくつになってるの?ロリコン?魔王より気持ち悪〜ぃ」

 少々ショックを受けたが、ロリコン呼ばわりされたくらいではへこたれない。

「じゃあ僕もできるだけ早く死んで、同じぐらいに生まれ変わるようにしよう」

「ちょっとその冗談笑えない」

 自分でも言ってから気づいた。調子に乗りすぎた。

「ごめん……」

「いいわ、気にしないで。あなたにはわたしのぶんまで長生きして欲しいから。バイクの運転、気をつけてね」

 本当にいい子だ。なんでこんないい子が死んじゃったんだ。

「それから、わたしが死んだ人間だったってこと、村の人たちには気づいてないふりしてた方がいいと思う。おじさんたちには人形と婚礼したって話合わせておいて」

「でもきみの最後の思いを伝えた方が……」

「わたしの気持ちなら家族には伝わってると思う。それより死人と結婚式あげる、ってこの風習、ちょっと変わってるでしょ?正直気味悪いって人もいると思う。村の人たちだってそれをわかってるから、ずっと秘密にしてきたみたい。今回は花婿役いないから、仕方なくあなたに人形だって嘘ついて頼んだんだと思うの」

「それって、秘密を知ったら殺されて山に埋められちゃうやつ?」

「まさかそこまでしないと思うけど、蔵に閉じ込められて一生村から出られないぐらいは……」

「いやいや、ほとんど同じでしょ!?」

「冗談よ」

「笑えないから!」

「これでお合いこね。まあ別に危害を加えたりしないとは思うけど、村の人たちが昔から守ってきた風習だから、わたしも大切にしたいって思うの。わたしも死んだ娘の婚礼なんて、話には聞いてたけど見たことなかったし、まさか自分がこんなに早く死んじゃって主役になるなんて思わなかったけど」

 彼女から生まれ育った故郷への思いが感じられた。

「もし本当に生まれ変われるなら、またこの村に生まれたいな。だってわたしの健脚はここで鍛えられたんだから」

 私も生まれ変わりなんてもの信じちゃいなかったが、彼女がもう一度ここで生まれてくれる事を願った。この状況こそ信じられないのだから、生まれ変わりもきっとあると今なら信じられる。


 確かに日本に数多くある風習の中でも、これはかなりの奇習ではなかろうか。法律的な問題はわからないが、公に知られたらおそらく現代の社会一般からは好奇の目を向けられるのは間違いない。そうなると山奥の村で密かに行われていた弔いの儀式を続けるのは難しくなるかもしれない。彼女からは、この風習を残したいというより、この風習を守り、それに乗っ取り彼女を送り出しくれた村人への感謝と愛情が感じられた。そして夢を途中で絶たれた悲しみも。

 彼女の話が事実なら、私は騙されて死者の花婿役を引き受けた事になるのだが、最初から死者と結婚してくれと頼まれたら引き受けたかどうか?嘘をついた理由もわからなくもない。

 この時点で若者の少ない過疎の村だ。さらには社会は安定し、医療が発達した現代では、若くして亡くなる人は少なくなっている。いずれこの風習はなくなるだろう。いろいろな意味で時代にそぐわない。もしかしたら彼女が最後かもしれない。そうなると私も最後の花婿役になる。大変光栄な事だ。もっとも、誰かに自慢したところで痛いオタクの妄想と笑われるだろうが……。


 それから私たちは、決してあり得ない将来の夫婦生活など話し合ったりした。

 やがて台所の方から、朝の仕度をする音が聞こえる頃、「寝てるふりをして」という彼女の言葉に従い、私は布団に入り、彼女は人形のふりに戻った。

 

 ✳✳✳✳✳


 寝たふりをしていたら、どうやら本当に寝ついてしまったらしい。「朝ごはんの仕度出来てるから、食べに来てください」という中年女性の声に起こされた。隣を見ると、敷かれていた布団も彼女の姿もなかった。一瞬すべて夢だったのかとも思ったが、中年女性から「夕べは本当にありがとうございました。おかげで村のしきたりを守る事できました」と礼を述べられたことで、少なくとも婚礼の儀をあげたことは夢でなかったみたいだ。

 用意してあった食事は、普段の朝食としては豪華な気がした。この地域ではあたりまえなのか、行事のあった祭事の翌朝だからなのかはわからない。ただ私の他に、勝義さんも家族と思われる人たちも、世話をしてくれる中年女性以外見あたらないのが不思議だった。村人の朝はいつも早いのかもしれない。

「あの、ほかの人たちは?」

 不躾とは思ったが、気になって仕方ないので思いきって訊いてみた。

「ああ……、人形を神様のところへ戻さないとならないから、その仕度に出てりますわ。兄さんはゆっくりしてください」

 おそらく、明け方近くに彼女と話したりしなければなんとも思わなかったろうが、妙に意味深く思えてしまう。いまだに夢だったのか酔っ払った妄想なのか、自分でもわからない。神様のところに戻すというのに自分も立ち会えないだろうか、と思ったところで、

「兄さんは○○市に行くところだったんでしょ?今日は天気もいいし、オートバイで走るには絶好の日和だね。握り飯作ってあるから、お昼にでも食べて」

 親切に言われてしまう。これもまるで早く出て行って欲しいようにも感じる。これは従うしかないか?いや従うべきなんだろう。


 朝食を終え、干しておいた服なんかをパッキングしてバイクに縛りつけ、世話してくれた中年女性一人に見送られ、私は集落をあとにした。


 昨日越えるはずだった峠道を上がっていき、眼下に棚田の見えるところで一旦バイクを停めた。まわりは山ばかり、斜面にへばりつくように建つ数軒の集落と棚田を見下ろす。

 夢の中の彼女は、子どもの頃この山間の坂道を駆けまわっていたことだろう。その棚田の間を、黒い服を着た一団が、棺のような箱を担いで歩いているのが見える。いつかまた、この村で生まれた少女が同じ道を駆けて行く姿が見えた気がした。

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